第4話 降りかかる火の粉
「アルフォンソ王、満十四歳。姫より二つ年嵩ですな」
黒丸は窓の下手にかがみながら答える。
その手には、いつの間に抜いたのか刃渡り一尺二寸、刀身を黒染めにした
赤彦は、と見れば入り口の扉に向かってすでに
開け放たれた窓から、遠くに舞う鳶の鳴き声が
昼過ぎのこの時間、街は静かだ。
その静寂を乱すことなく、窓枠に一つの影が落ちる。
その影は、部屋の中心に置物のように座する少女を目にして少し驚いた様子を見せるが、さしたる障害にはならぬと判断したのであろう、すぐに視線を入り口に向かい立つ赤彦の背中に移す。
影は赤彦から目を離すことなく、窓枠にかけた足指に、前方へと飛び出す力を蓄えた。
「スッ」
その時、何かを軽く撫でるような音がしたかと思うと、「ゴッ」というやや籠もった音が続き、さらに「ウッ」と、つい漏れ出てしまったうめき声のようなものが聞こえ、窓の影は一瞬にして姿を消した。
いったい何が起こったのか。
いままさに赤彦の背に飛びかかろうと力を込めた影の足下、窓枠に掛けられたその足指の筋を黒丸の刀が下から撫でたのだ。
足音を立てぬ為のものであろう、柔らかい履き物があだとなった。
軽く撫でただけのようにも見えたが、その鋭利な刃は難なく靴底に沈み込むと、すべての足指の骨にまで届き、腱を断った。
その途端、指に掛けられていた力は足と共に勢いよく後方へと流れる。
そして脛を強かに石の窓枠に打ち付け、影は三階の窓から姿を消した。
影が最後に残した声から察するに、かなり驚いたことであろう。
しかし、普通であれば部屋の中に転がり落ちる体勢から、それをこらえて外への落下を選んだあたり、そして通りの石畳に叩きつけられる音が聞こえぬところを見ると、その影もまたなかなかの使い手であったらしい。
それからしばらくの間、扉越しに廊下の気配を伺っていた赤彦は、部屋の中に向き直り言った。
「こちらの連中は去った。で、黒丸殿、そちらは」
「うむ、こちらも退場いただいた。それにしても夜を待たずに昼日中からとは、赤彦もずいぶんと気に入られたものだな」
黒丸は窓枠の石に残された、刷毛で撫でられたような赤い筋を見ながら答える。普段と変わらぬ口調と表情からはその心中は読み取れない。
「「黒丸、何と見る」」
少女が問う。
こちらも表情は変わらないが、その期待に満ちた瞳の輝きを隠す気はないようだ。
「扉の外に二人、窓に一人。足音で赤彦の注意を入り口に向けさせ窓から背後を襲う。ただ者ではありませんな、おそらくは赤彦が道中で伸した怪しい連中の仲間でしょう」
「「そのような者達が赤彦への意趣返しのためだけにこの街に来たとも思えん」」
「そうですな、単なる恨みで動くような連中とは思えませぬ。何らかの狙いを持ってこの辺りに集まっていたところ、正体不明の大男に仲間達が狩られた。赤彦が目的遂行の邪魔になると見て排除に現れたのでしょう。ことによっては敵対勢力と見なされているやもしれませぬ」
「「敵対勢力……
少女は軽いため息交じりに呟いたが、その表情は柔らかい。
「姫、お気に召しませんか」
少女の呟きに対し、どこからともなく発せられた白雪祈の艶やかな声。
少女は笑みをこぼし、黒丸に向かう。
「「もはや声音だけではなく口上も白雪祈そのものじゃの、黒丸。で、白雪祈は我らに何をさせようと言うのじゃ」」
「いやいや姫、手出しはご無用ですぞ。白雪祈はこの国の動きを姫が間近で物見ができるように気を利かせただけ……かと。少々やり過ぎの気もしますが……重ねて申しますが他国のいざこざに首を突っ込んではなりません」
「「心得ておる。しかしすでに火元に近付きすぎた。降りかかる火の粉は振り払わねばなるまいて。それに白雪祈のことじゃ、見物だけですむわけがなかろう。我らに役を用意しておるに違いないぞ。赤彦、白雪祈からの指示はどのようなものであったか」」
「あぁ、街道に潜む怪しい連中をすべて叩きのめせとあったな。それと、姫と黒丸殿が迷わぬように宿では外から見える場所に居座れと書いてあった」
赤彦の返答に黒丸の眼が細められる。どこか遠くを見るような表情だ。
「盗賊ではなく怪しい連中すべてと言うたか……姫とわれが迷わぬように目立てと……何のために宿屋の入り口に目印を置いておるのか、迷うわけがなかろう。赤彦、おかしいとは思わなんだか」
「すまん、まあったく気がつかなんだ」
謝罪の言葉とは裏腹に赤彦は悪びれた様子も見せずに言う。
赤彦のこの口調は聞き慣れている。
(しらばっくれよって)と黒丸はあきれながら、この場にはいない白雪祈の姿を思い浮かべた。
白雪祈はこの一行の頭脳である。
その可憐な容姿に似合わず、打つ手は攻撃的で苛烈。常に状況を動かして敵味方を問わず引きずり回し、そして、最後には我々を勝利へと導く。
赤彦は、そんな超攻撃型の女軍師とすこぶる相性がよく、一歩間違えば命をも落としかねない白雪祈の攻めの姿勢を楽しんでいるのだ。そしてまた、白雪祈も赤彦に絶対の信頼を寄せている。
黒丸もこの華やかな紅白の揃いを頼もしく思ってはいるが、その一方で、一行のまとめ役としては気苦労も多い。
思わずため息が漏れた。
「「まあよい、それで黒丸よ、このアビラという舞台で何が始まるのか」」
姫と呼ばれる少女が静かに尋ねる。
腰掛けた椅子から床に届かぬつま先が、何かを期待するかのようにゆっくりと上下している。
「――
「「なんと…… 黒丸、赤彦、考えを述べよ」」
姫のつま先の上下が早まる。
「我々がどう動くべきか。それは先ほどの客人の立ち位置によりますな。弟王君の護衛なのか、はたまた敵なのか……まぁ、分かりきった話ではありますが」
「あんな護衛がいてたまるか」
赤彦が鼻で笑う。
「「そうじゃな。白雪祈は我らを弟王の側に立たせた。であれば、まずは弟王にお目通り願おう」」
姫は満足げに目を閉じる。
そして、ふと、その目を開けると赤彦に向かい言った。
「「なにやら下が騒がしいのぉ」」
「うむ、楽しそうな音がする。ちょいと覗いてくる」
赤彦はそう言い残すと、その大きな身体に似合わぬしなやかな動きで、足音も立てずにするりと部屋から出て行った。
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