第3話 黒と赤と白

「「赤彦、その後どうしておった」」

 幾つもの鈴が奏でるような声音が宿屋の一室に響く。少女は市女笠の顎紐を解きながら、赤装束の男に問いかけた。


「バルセロナで姫と別れた後は、白雪祈シラユキの指示で幾つか用事を片付けて昨日ここに着いた」

 赤彦と呼ばれたその男は、見るからに頑健な六尺五寸の体躯で部屋の入り口を固めるように位置取りをして答える。


 部屋はさほど広くはなく、単純な造作の寝床、机と椅子が一組あるばかりで、通りに面した窓の外に見える、簡素で剛健な街の様子に合わせたような設えである。隅々まで行き届いた清掃に、宿屋の信条が現れている。


「「街道の所々で盗賊共が伸びておったが」」


「姫を襲いそうな輩は予め伸ばしておいた」


「「やはりそなたであったか、おかげで道中退屈したぞ」」

 垂れ衣の下から現れたのは、艶やかな黒髪の少女であった。


 年の頃は干支を一巡りしたところかと思われるが、しかと前を見据える眼差しは随分と大人びたもので強い意志と深い知性が見て取れる。

 その一方で、紅を差した小さな唇が悪戯っぽく微笑む様子は年相応のようにも見えた。


「姫の楽しみを摘んでしもうたか、黒丸殿にも悪いことをしたかの」

 全く悪気のない様子で赤彦が答える。 


 すると、誰もいないはずの部屋の奥から声が聞こえた。

「いやいや、気にすることはない。おかげでゆるりと景色を楽しむことができた」


 いつ現れたのか、黒丸と呼ばれた男は、窓から外をうかがいながら穏やかな声で答える。外の様子を確かめ終えたのであろう、振り向いてにこりと笑った。


「それより赤彦、ぬしがのばした盗賊の中に、なにやらおかしな連中が混ざっていたようだが」


「うむ、かなりの使い手がおった。あれはただの盗賊ではない、ちと手こずった」


「そうか、赤彦が手こずるか。旅の途中で話に聞いた山の老人とやらの一派やもしれん……」


「「コホン」」

 少女が一つ咳払いをする。

 ちょこんと椅子に腰掛ける姿はまるで日本人形のようだ。揃えた足はぷらりと床に届いていない。


 そして、おもむろに宣言をした。

「「評定を開始する。黒丸はおるか」」

「ここに」


「「赤彦はおるか」」

「おりまする」


「「白雪祈シラユキはどうじゃ」」

「…… 」


 赤彦が黒丸の方に目をやると、黒丸はそれに答えるように重く頷き、そして軽く咳払いをした。


「ここにおります」


 少しの間を置いて、どこからともなく艶やかな女の声が聞こえた。

 姿は見えないのだが、少女はそれが当然であるかのように満足げに頷くと、かまわず話を続ける。


「「みな息災で重畳じゃ。では黒丸、進めよ」」


「では、白雪祈からの報告を私からお伝えします。で、かまいませぬか?」


「「かまわぬ、白雪祈は休んでよい。ご苦労であった」」


 黒丸はほっと小さく一息つくと話を続けた。

 赤彦は廊下の気配を確かめているのか、扉の横で目を瞑り耳を澄ましている。


「まずはこの国”カスティーリャ・レオン王国“の情勢ですが、現在王が二人おり、そのために国が二つに割れております」


「「ふむ、王が二人と。で、どちらの筋が通っておるのじゃ」」


「先代から王位を引き継いだのは兄のエンリケ四世です。しかし、その娘であるファナ王女の出自について疑義が生じております」


「「疑義?王の実の子ではないということか?」」


「どうやらその疑いがあるようですな」

 答える黒丸の表情は変わらない。しかし、その声には若干呆れたような響きがうかがえる。


「王家の血筋が途絶える……お国の一大事だな。しかし、それは次の世代の話だ。なぜ、いま王位争いが始まっているのだ」

 入り口に陣取る赤彦が片目を開けて尋ねた。


 黒丸が頷く。

「赤彦、それはこういうことだ。エンリケ王は血統の疑わしき娘、ファナ王女が後継者であると宣言したのだ。しかも、そのファナ王女の実の父親と噂されるベルトラン卿は公爵に陞爵しょうしゃくされて政治への影響力を増している」


「なるほど、そんな宣言をされては正当な血筋の者達は黙っておらんな。それと、その間男……ベルトラン卿の重用を快く思わぬ者達もいる。その連中が確かな血筋である弟王を担ぎ上げた、と」


「然り」


「しかし黒丸殿よ、王が間男を陞爵したりするものかの、ベルトラン卿の娘だという疑いは只の勘ぐりではないのか」


「それはわからん。白雪祈のふみにもそれについては記されておらなんだ」


 しばしの沈黙。


 目を瞑り二人のやりとりに耳を傾けていた少女が口を開く。

「「それが真実であろうとなかろうともはや関係はあるまい。君主の血統には露ほどの疑いも混じることは許されぬ」」


「疑いが生じた時点で話は終わっている……ということか」

 顎に手を当てて赤彦が呟く。


「「そのとおりじゃ。ところで黒丸、弟王の筋は通っておるのか、それが肝要じゃ」」


「現王の罷免ひめんを宣言し、同時に戴冠式を執り行ったとのことで、一応の形は整えておるようです」


「王を罷免だと? 王が一番偉いのではないのか。そんなことができるのか?」

 赤彦が眉をひそめる。


「この国では王がその役割を果たさぬ場合、教皇の権限で王を辞めさせることができるそうだ」


「「教皇の力とはそれほどまでのものか……」」

 姫が呟く。


「弟殿はその教皇の後押しを受けて新王として名乗りを上げた。その際、国民の前でエンリケ王の人形から王冠、王剱と王錫おうしゃくを取り上げる寸劇を披露したとのことです」


「「なんと、民に向けた寸劇とはおもしろい。黒丸、その弟王の名はなんという」」

 少女はそう尋ねつつ、入り口の扉に軽く視線を送り、次に窓に目をやる。その口元は何かを期待するかのようにほころんでいた。

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