第2話 城塞都市アビラ

(いったい何だったのだろう、あれは)

 街を目指して駆ける鞍上で、ハビエルは先ほどの出来事を思い返していた。


 見たこともない不思議な装束、何処の国のものであろうか。オスマンではない、そのさらに東のものか。


 カスティーリャ・レオン王国の親王派貴族である彼の家系は、王家の槍として先祖代々東方からの侵略者と最前線で対峙してきた歴史を持つ。しかし、その一族の記録の中にも、あのような風変わりな装束についての記載はなかった。


 そして、あのキノコのような様態よりもハビエルの気にかかったのは、その質であった。 


 少女の姿を覆う布は透けるように薄く繊細で、風のように軽やかであった。ハビエルは、一見してそれが高度な織の技術によるものだと理解した。


 ただ、それだけではなかった。少女の表情を覗き込もうと顔を近づけたとき、目を凝らさなければ分からぬほどの繊細さで模様が織り込まれているのに気が付いたのだ。


 あれ程の品は王族の婚礼衣装でしか見たことがない。ハビエルは幼い頃目にした国王の婚礼の様子を思い浮かべていた。


 少女の衣装は単に風変わりなだけではなく、極めて豊かな文化・文明を持つ国の影を感じるものだった。


 未知の国の裕福な商家の娘か、あるいは貴族。いずれにせよ、ある程度の立場にある貴人なのだろうとハビエルは結論づけた。


 それにしても、なぜこんなところにいるのだろうか。


 仮に商人であったとして東方から行商で来たというのであれば、海路で隣国アラゴンの港町、バルセロナかバレンシア辺りに入り、そこで商品を卸すのが普通である。そこからは地元の商人が町々を渡り歩き、売りさばくのだ。


 いや、物売りではない。そもそも荷物を持っていなかったではないか。

 ハビエルは少女の様子を思い浮かべる。


 では買い付けか?

 それも違うだろう。他国の者がこれほど内陸にまで商談に来ることはほとんどない。

 同じ内陸でもマドリードのような都市であれば分からないでもないが、この道の先にあるのは、さほど大きくもない街だ。そこに一体何の用があるというのだろうか。


 さらに、一人であったこともその謎に輪をかける。

 正体は判然としないものの、少女であることは間違いないだろう。

 それがたった一人で旅をしている。これは普通ではない。


 連れの者とはぐれて道に迷っているのではないかとも思ったが、言葉を交わした様子では、どうやらそうでもないらしい。


 仮にバルセロナまで船で渡ってきたとしても、そこからここに到るまでには危険な山岳地帯の街道を通らなければならない。


 街中であれば都市の自治体によって、そこそこ治安は維持されてはいるが、街と街とを結ぶ街道まではその力は及ばない。


 本来であれば領地の治安を守るべき貴族たちは、国の中央で己の発言権を高めることに血道を上げており、たとえ自分の領内のことであれ、街道の治安などは二の次三の次、通行する者には、自己責任という便利な言葉で注意を促すに留まっている。


 つまり、山賊、強盗、追い剥ぎ、狼、野犬など、何が出てもおかしくない山道を、徒歩の少女が一人で通り抜けて来ていること自体、不自然極まりないのだ。


 そして何よりも不思議なのは、あの声。

 凜として荘厳な響きを持つその声は、聞く者の心を震わせる。


 少女の声を思い出し、ハビエルは呟く。

「あれは人なのか…… 」


 そこまで考えたとき、丘の先に石造りの堅牢な城壁が見えてきた。


 ハビエルは、我が身に課せられた任務に意識を戻し、鞍下の愛馬に声をかける。

「ベンダバール、見えてきたぞ、アビラだ」



 ◇◇◇



 イベリア半島のほぼ中心、マドリードの北西約九十㎞に位置するアビラは、強固な石造りの城壁で全周を囲まれた城塞都市である。


 その歴史は古く、紀元前にまでさかのぼる。


 人が暮らし始めた当初は、メセタと呼ばれる荒涼たる高原台地に点在する小さな集落の一つであったが、その後ローマ帝国の植民都市となり、街としての基礎が固まった。


 さらに時を経て、街の所有権がキリスト教徒とイスラム教徒の間を往来する間に、高さ十メートル余り、全長約二千五百メートルの城壁で囲まれるに到った歴史を持つ。


 城壁には九つの門があり、その中でもひときわ堅牢な、高さ二十メートルはあろうかというアルカサルの門をくぐり抜けて暫く進むと、通り沿いに一件の宿屋がある。


 よく見れば、その入り口の左隅に小石が三つ並べて置かれているのだが、そのことに気付く者はいない。


 宿屋の入口を入ると、正面に宿泊客を受付けるカウンターがあり、その左手には小さな食堂がある。


 普段であれば昼過ぎのこの時間には食堂は閉められている。しかし、今日は一人の客が居座っているため、入り口は開けたままにされていた。


 この宿の客のほとんどは、この街を通過点として訪れる行商人だ。

 ほとんどの商人は日が沈むころ街に到着し、翌朝には発つので、この時間に客が居ることは珍しい。


 その客は昨夜宿に入り、今朝は食事を終えた後も食堂の窓際に座り続けている。


 宿泊の受付をした娘の話では、五日分の宿泊費をさらりと前払いしたとのことなので、羽振りは悪くないようだ。また、無口だがこちらの話すことは分かっているようだとのことであった。


 普段なら昼の休憩時間と言うことでお引き取り願うのだが、前金を貰っていることと、それに好奇心も手伝って、主人はいつもの昼寝を我慢してその風変わりな客に付き合うことにした。


 食堂の入り口に近い椅子に腰掛け、改めてその客を観察する。


 明らかに異国の者だ、それは一目で分かる。だが、何処の国の者かは分からない。


 内陸に位置するアビラにまで足を伸ばす外国人は稀だが、それでも年に何人かはいる。


主人は今まで宿を訪れた異邦人の姿を思い浮かべてみたが、そのどれとも重ならない。


 見たこともない形の、真っ赤な装束にその大柄な体を包み、腰には長い物を下げている。


 それもまた鮮やかな朱色をしており、その表面に施された精細な金細工が薄暗い屋内においても仄かに浮かび上がって見える。

 燭が灯るとさらに輝きを増すだろう。


 詳しくは分からないが、相当な値打物であろうことは主人にも見当がつく。金払いの良さと合わせて考えると、おそらくは異国の貴族であろう。


 それにしても、あの腰の物はこの国の騎士が携える剣とはかなり様子が異なる。


 随分と細く見えるが、はたしてあれは武器なのだろうか? 装飾の一部かも知れない。と主人は考えたが、その男の褐色の頬に一筋走る傷を認め、その考えを一瞬で改めた。


 あれは間違いなく武器だ。


 年の頃は二十代半ばであろうか、その落ち着き払った態度だけを見ると、より年嵩のようにも思える。しかし、肌の張り艶はごまかせない。


 この辺りでは珍しい漆黒の直髪を、頭の後ろで一つにまとめて背に垂らし、よく日に焼けた太い腕を組み、ただ座っているだけだが、その微動だにしない姿からも只ならぬ力を感じ取ることができた。


「おまえさん、どちらからおいでなさった。この辺りじゃ見かけない風体だが」

 主人は、自分の昼寝を奪った男に見返りを求めるような心持ちで尋ねた。


 それまで店の入り口を見つめ続けていた男は、その黒い眼だけをギョロリと主人に向ける。しかし返事はない。


 主人は、「言葉は分かっているようだ」と話していた娘を信じて、もう一度尋ねた。

「この街に何の用があるんだい」


「……人を待っている」

 男はそうとだけ答えると、また視線を入り口に戻した。


「えっ、お連れさんがここに来るのかい? 何人だね。ほら、もしそうなら準備があるからな」

 つい嬉しさが声色に乗ってしまったのを慌てて誤魔化しつつ、主人は見込み客の人数を確かめる。


「……一人。いま着いた」


「なんだって?」

 主人の座る位置からは宿屋の入り口も見える。人が通れば自然と目に入るはずだ。しかし、先ほどから誰一人通ってはいない。


 主人は首をかしげて立ち上がると通りに出た。


 すっかり薄くなった頭髪越しに太陽が容赦なく地肌に照りつけ、瞬時に噴き出す汗が玉のように光る。


 目の上に手をかざしてアルカサル門の方角を見つめるが、誰もいない。


 振り返り、通りの反対側も確かめる。

 やはり誰もいない。


 額の汗を手の甲でぬぐいながら戻ってくる店主の首の傾きは、さらに増している。

「おいおい、誰もいやしないよ、からかうのはやめて……」

 宿屋の主人はそう言いかけて言葉を飲み込んだ。


 先程まで誰もいなかったはずの宿泊受付の前に小さな人影があった。


(いつの間に?それとこの格好はいったい……)


 驚く主人の、開いたままの口からようやく言葉がこぼれ出た。

「キノコ?」

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