第8話 彼と彼女の事情 其の參

 ✩大榧おおかや 美桜みおうの事情


 ガチャ!


「みお姉!学芸大の過去問って、まだある?

あれ?みお姉、珍しいじゃん!まだ寝てたの?」


 私の弟の桐弥とうやは今期も受験生。

パパとママからは協力するように言われているけど…。


「桐弥…。ノックぐらいして…。」


 起きてはいたけど、ベッドの中から私は言った。

昨夜の忘年会後に、少しだけワインを飲んでしまった事を後悔している。


「み、みお姉怒っている?ゴメン!ごめんなさい!」


「怒っていないよ。後で部屋に持っていくから…。」


 私がそう言うと、桐弥は申し訳なさそうに部屋から出ていった。


 13:00にDOUTORか…。

昨夜、サイゼリヤで日向さんとお話したけど…。

お話をしたのは初めてだけど、怖いお姉さんだったな…。

 中原さんと日向さんって、仲が良かったんだ…。

中原さんが、人に謝っているところって、初めて見た。

面白かった。


 でも、日向さんってカッコいい。私もああいう人になりたい。

意見をハッキリ言えて、あと合気道も習っているって言ってたな。

 それに日向さんって、椚田君の事を大切に思っているんだ。


 椚田君…。来てくれるかな…。


 昨夜、大声で「ダメ!」とか叫んじゃったし…。



 時計を見ると、9:14。

まだ時間に余裕があるから、ピアノを弾いて落ち着こう。



「着替えよう…。」





 着替えてリビングに行くと、家族勢揃い。


「おはよう!美桜みおうちゃん!」


 ママは毎朝、私に抱きついてくる。


「美桜おはよう!」


 美梨みりちゃんも、毎朝抱きついてくる。


 美梨ちゃんは私の2つ年上の姉。


「今日はみんな休み?」


「桐弥君はいつも休みだよぉ~~~!」


 元気よく美梨ちゃんが言う。


「美梨ちゃん…。」


 うなだれる桐弥。


「桐弥、はい。部屋にいなかったから。」


 私は学芸大の過去問集を渡した。


「あぁ。ありがと。」


 桐弥はそう言って、自室へ小走りで行った。

受験を失敗した事に、本人が一番気にしているのに。そこら辺をもうチョット家族で気づかいがあればと思う。


「美桜ちゃん、朝ごはんは?」


ママが笑顔で話しかけてきた。


「うーん…。あまり食欲が無くて…。」


「えぇ~!?

美桜もしかして二日酔い!?

すごぉい!カッコイイ~!」


 美梨ちゃん声が大きいよ!パパがこっちを見ているじゃん!


「美桜!二日酔いなのか?

まさか、誰かに無理矢理に飲まされたのか?」


 あぁ~始まった…。


「違うよ。忘年会の後に、会社の人とファミレスで、チョット食べたから。」


 ワインを飲んだなんて言えない。


「そうか。」


 パパはホッとしている。


「パパリン!美桜はもう大人なんだから、そういう事ばかり言っていると、嫌われちゃうよぉ~!」


 美梨ちゃんの軽く言った一言が、パパにはキツかったらしい。


「え!? そうなの?

美桜…。スマン!そっそうだよな!もう成人しているしな!

ははは…。」


 パパは戦意を喪失したボクサーのようになっている。

そんなことよりも。


「ねえママ。ピアノ弾いてもいい?」


「どうぞ。でも、もうすぐお客さんが来るからエレピアノにしてね。」


「うん。」


 そう言って私は部屋から持ってきていた、楽譜を譜面台に置いた。

エレピアノのカバーを外し、ピアノの電源を入れる。

ヘッドホン越しに電源が入る時の音が私は好き。

微かに聞こえる電子音が外の世界を遮断する。


 そしてピアノを弾き始めた。


 あぁ。 落ち着く。


 ピアノ・ソナタ第30番ホ長調 作品109

上手には弾けないけど大好きな曲。

あ!間違えた!


「今間違えたでしょ~。」


 右耳のヘッドホンを外されて、美梨ちゃんが耳打ちをした。


「えへへ。バレちゃった?」


 音が聞こえなくても、手の動きと鍵盤を叩く音でわかるなんて、さすがピアノの先生。

 ドイツの学校でも首席だった美梨ちゃんは、私の自慢のお姉ちゃん。

今はスタジオ・ミュージシャンと、ピアノ教室をしている。

 でも海外に行くことが多いので、教室の生徒さんは事情を知っている人しか、会員にいない。


 気を取り直して

ピアノ・ソナタ第30番ホ長調 作品109を最初から始めた。

 鏡のように綺麗な黒い鍵盤カバー。

その鍵盤カバーに映るのは、私の後ろのソファーに雑誌を見ながら座る美梨ちゃん。

 私の奏でるタイミングがズレると、ニコっとし肩をすぼめる。

またバレた。

一緒に弾いているみたいで、楽しい気分になる。


 最後はグダグダになったけど気分は落ち着いてきた。


「美桜。Great Balls Of Fireを一緒に弾こう!」


 ジェリー・リー・ルイスの定番曲。


「ママ!ピアノ弾くよ!」


 お客さんが来ていることなんてお構い無しで、美梨ちゃんはグランドピアノのカバーをバサッと外した。


「美桜は下手っぴだから左ね。」


「えへへ。」


 私は照れ笑いをして、エレピアノの椅子を美梨ちゃんの左側に置き、2人で並んで座った。


 そして演奏は始まる。



 美梨ちゃんが奏でると、同じピアノに思えないイントロ。

歌声も綺麗。私も必死に美梨ちゃんに付いて行く。

 メトロノームはLARGHETTOで60だけど、倍のテンポ。


 こんなに早かったっけ?

手が追いつかない。

美梨ちゃんは私の横で楽しそうに歌いながら弾いている。

 私の左手の奥に、美梨ちゃんの左手が来る。

 きゃー!


「Kiss me baby?」


 楽しそうに私の右耳に小声で言う。

私と美梨ちゃんで声を合わせる。


「Feels Good!」


 お客さんも楽しそうに聴いている。

楽しい。ありがとう美梨ちゃん。


 2人での演奏が終わり、私はフーっと息を吐いた。

昨夜の事は忘れられないけど、気分が楽になった。


「2人で弾くと楽しいね!」


 美梨ちゃんは楽しそうに言う。


「美桜。これから出かけるんでしょ?」


 私は驚いた。


「…うん。」


 照れながら返事をする私に、美梨ちゃんは追い打ちをかける。


「さっき迄の顔じゃ嫌われちゃうもんね。」


(颯太君に。)←小声


「みっ!?美梨ちゃん!?」


 顔が真っ赤になったのが自分でもわかった。

私は楽譜を持って逃げるように2階の自室に向かう。


「ありゃ進展ありましたな。」


 美梨ちゃんの声が聞こえた。


「何?進展て?

 何?何?ねぇ何なの?」


 パパが挙動不審になっていることなんて、かまっていられない。


 階段で桐弥とすれ違った。


「うわ!みお姉!顔真っ赤!」


「もぉ!桐弥うるさい!」


 とにかく恥ずかしい。


「えぇ!やっぱ怒ってるじゃん!」



「何?何なのさぁ~!」←パパ


「みお姉、何で怒ってるのぉ~!」←桐弥


「まぁ!やっと進展したの~!」←ママ




「何なのさぁ~~~!!!」





      ◇





 ✩椚田くぬぎだ 日向ひなたの事情



 水曜日の19:30。


 私が小学生の時から通っている、合気道の道場。

アパレル系の仕事のため、毎週は顔を出せない。

 だけど、家を出て一人暮らしを始めた颯太と、長い時間一緒にいられるのは ここでしか無い。

 それに、ここで暴れるぶんには 傷害事件にならないからな。


「おはようございます!」


 私の挨拶にみんなも返す。


「おはよう!」


 先生がストレッチをしながら、私に挨拶をしてくれた。


「颯太は今週も来れないみたいだな。」


「ガーーーン。」


 颯太ぁ…。


 落ち込む私に小学生組の男の子が話しかける。


「ストレッチ、一緒にお願いします。」


 名前は…。えっと…。


「あぁ~!また名前忘れてるんでしょ~!」


 小学生に呆れた顔をされた。


ゆずだよ!二文字ふたもじくらい覚えてよね!」


「ゴメンな。柚。」


「うん!気をつけてね。」


 満面の笑みだ。

颯太も昔はこんな顔をして、日向ちゃぁんって、駆け寄って来てたな。


「日向ちゃん。ニヤニヤしてるよ…。こわい…。」


 しまった!


「スマンスマン!さあ!

次は開脚前屈だ、頼むぞ!」


 ごまかせたかな?


「あはは!日向ちゃん誤魔化してる!あはは…。」


「……。」


 クソガキが!

まあいい。怪我はしたくないから、入念にやっておくか。

 宵の口の単車は身体を硬直させる。特に肩と股関節は危険部位だからな。


「ありがとう。あとは柚も1人で大丈夫だろ?」


「うん!また後でね!」


 柚か、忘れないようにしないとな。


 次に私の同級生の桑原が近寄ってきた。



「よう!日向!颯太は今日も来れないみたいだな。」


 うぬぬぬ…。


「わかっている!何度も言うな!」


「クワバラ、クワバラ。」


 片言で言う桑原。

腹立たしい…。コイツは昔からそうだったな!

 あぁ~!もう!

颯太がいないのなら、演武の練習を少しやって帰るか。


「日向!お前、ちょこっとやって、帰ろうと思っているだろ!」


 バレた…。スルドイな先生。


「バレましたか。」


「お前ね。来月、昇段試験だろ!」


 仁王立ちだ!こりゃ帰れね。


「木刀持って来い!21:00までやるぞ!」


「ゲッ!!」


 嘘だろ!?


「お前ね…。三段だぞ!早く持って来い!」


「はい!」






 20:45


「もう…。腕…。上がんね…。」


 マジでキツイな…。


「よーしみんなー!整理運動しろー!」


「はい!」


 みんなが返事をする中、返事も出来ないで、疲れ果てている自分がいた。


「日向。整理運動やっておけよ。」


「はい。ありがとうございました。」


 ヤバ…。明日大丈夫かな…。







 私は着替えて、愛車のSR400のもとへ行った。

暖機をしながら携帯を見る。

 颯太からのLINEだ。



 ”昇段試験の練習頑張ってね\(^o^)/


 明日筋肉痛にならない程度に(´∀`*) ”




 あぁ…。颯太、ありがとう。お姉ちゃんは元気が出たぞ!


「さぁて!帰るか!」


 SRにまたがり発進した途端に、スマートウォッチが光った。

兄貴からのLINEだ。



 ”今日は自宅飯が無いぞ┐(´д`)┌ ”



 はいはい。

夕飯を食べてこいって事だな。

 寒空のもと、車もまばらな国道を走り抜ける。


「今日は少し飲むかな。」


 SRを自宅に置きに向かうか。




 自宅に到着すると、夕飯が無いと言うだけあって、家の中は真っ暗だ。

玄関を開け,ヘルメットと、合気道のバッグを置き、家を出た。

 近所の居酒屋に向かう足取りはすこし振らついている。


 くそ!

先生…。手加減なしだったな。

 んなことより寒い。まずは熱燗だな。って私はおっさんか!


「いらっしゃいませー!」


「おぉーー!日向ちゃん!久しぶり!」


 威勢のよい大将だ。


「こんばんは。熱燗下さい。」


 あれ?


「おじさん。久しぶりですね。」


 理恵のお父さんだ。


「久しぶりだねぇ、日向ちゃん。理恵は今お花摘みだ。アッハッハッハ。」



 おいおい!オッサンが言うな!



「あれ?日向?どした?」


「今日は合気道でさ、夕飯無いって兄貴からLINE来たから…。1人飯だ。」


「げ!?」



 ん? 理恵さとえ、何で焦った顔をしているんだ?



「どした?」



(ヤバ!颯太に仕事頼んじゃったよ…。

水曜日は早く退社させるように言われてたの忘れてた。)


  ↑


 理恵 心の声



「いや!べっ別に何でもないぞ!」


「そうか。それより理恵が、おじさんと一緒なんて珍しいな。」


「あぁ。珍しいというよりも初めてだ。」



「日向ちゃん。今日はね、理恵と一緒に飲みたくてな!」


 うわ!? 酒臭えぞジジィ!



 その後、私は酔っぱらい2人と、他愛もない話で盛り上がった。




「じゃ、私はそろそろ帰るよ。今日は昇段試験の練習でクタクタだ。」



「あぁ。お疲れちゃん日向ちゃん!」


「おやすみ。日向。」


「おやすみ。理恵。おじさんも。」





「ありがとやしたーーー!」





 威勢の良い大将だ…。




 店を出ると雲一つない夜空。

月が出ていないせいか、星はあまり主張していない。


「空が狭いな…。」


 颯太…。

今日のお姉ちゃんはクタクタだ…。







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