第10話 鬼が云う戯言
「お帰りなさいませ、御館様」
「ただいま」
VR版拠点の表御殿に着くと氷菓が出迎えてくれた。
いつもの定位置に腰を下ろし、脇息に肘をかける。氷菓も俺の後に続くように膝を曲げ、そのまま畳の上に正座した。AIに目覚めた頃に「崩してもいいんだよ?」と提案したことがあったのだが、『御館様の直近として相応の振る舞いを学びたい』とかなんとかで、最終的に正座に落ち着いてしまったのだ。
ま、VRの中なので足が痺れることもなければ疲れることもないんだけどな。最終的には気分の問題であり、俺の脇息だって雰囲気重視なところがある。
(……だけどこれから客人を招くというのに座布団すらない――ってのもなぁ)
少し気が早いがウインドウを開き、ルーム専用倉庫から座布団を引っ張り出す。
一瞬にして部屋の両脇に座布団が10枚ずつ具現化され、ぽふぽふと音を立てて並んで落ちていく。
そして1つ、雪の結晶が描かれた座布団を氷菓の眼の前で具現化させた。
「御館様? これは?」
空中に突然現れた座布団に目を丸くしながらも、両手でしっかりとキャッチする氷菓。その隣には客人用の丸い座布団――両面がそれぞれ白と黒で染められたオセロのような座布団も用意する。
「そっちは氷菓専用の座布団。今日は客人がここに来るからその準備だ」
「お客様……ですか?」
「ああ、だから座る場所くらいわかりやすくしないとな。表御殿が落語の
なにもないよりはマシだろう。彼女が来た時に「適当に座ってくれ」というよりは「座布団をどうぞ」のほうが案内もしやすい。
「今更だが氷菓もよかったら使ってくれ。いらなかったらまた倉庫にでもしまっておく」
「――いえ」
氷菓が首を振り、座布団の感触を確かめるようにぽふぽふする。
柄を眺め、生地の肌触りを指で感じ、
「――っ!」
「ん?」
ぎゅっと抱きしめるように座布団に顔を
……匂いでも嗅いでるのかな。なーんて――
「……御館様の匂いがします」
えぇ……。
「しないと思う」
「いいえ、します」
……そうなの? 俺が使ったアイテムって全部俺の匂いが染みついてるの? えー嘘でしょ? めっちゃ恥ずかしいんですけど……運営に問い合わせていい?
「……ふぅ」
俺が本気で問い合わせの文言を打っている間、氷菓は一服を済ませた客――お茶会に招かれた
「ありがとうございます」
「え、う、うん」
なにに対してお礼を言ったのかわからなかったため、とりあえず曖昧に頷いておいた。
「御館様から贈られる物であれば、私たちは喜んで拝領します」
「そう? 気に入ってもらえたのなら、それでいいんだけど」
氷菓の言葉や表情に嘘はないだろう。座布団を丁寧に畳の上に降ろし、皺を伸ばして整える。そしてゆっくりとにじるように座った。
「他の子たちにもいずれ渡すつもりだけど……柄とか俺の手作りだから時間かかるんだよな。あいつらにはもう少しだけ待っててくれと伝えておいてくれ」
「かしこまりました」
AI化した『アシストキャラ』は爆発的に戦闘力が上がるため、将来はダンジョンの区画ごとに管理を任せようと思っている。いわゆる中ボス的立ち位置にしたい。専用の座布団はボスの証であり、彼らを並べて会議っぽいことをするのが俺の目標の1つでもある。
「……そろそろ時間かな」
あまり気にしたことがなかったけど、お客さんを呼ぶってことはこの表御殿やその隣にあるなんちゃって庭園、天守閣も見られることになるのか……。
誘う前にもう少し外観にこだわればよかったか?
いかんせん、友人を呼べるようなプレイもしてなければ友人自体も少ないからなぁ~。変なところで緊張してきたぞ。
「御館様?」
「あ、ああ、大丈夫。考え事をしていただけだ」
庭園から視線を外し、立ち上がる。
庭とは反対方向にある
「銀狐さんは……っと、ちゃんとオンラインになってるな」
フレンド欄にいる銀狐さん――といっても名前を決めていないので実際に表示されているのは数字の羅列――がログインしていることを確認。音声チャットを飛ばし、通話が繋がるのを待つ。
『もしもし、かもくさん、ですか?』
お、早い。この調子だとゲーム内の操作もすぐ慣れるかもな。
「こんばんは。寡黙です。無事にマイルームに着いたみたいですね」
『はい、あの、キャラメイクの時に来たことがあったので』
なるほど、そのときだけVR版をやったのか。
「とりあえずマイルームから直接俺のホームに来てもらっていいですか? フレンドからの【招待】が届いているはずなので、その【招待】メールを開いて承認するとゲートが繋がります」
『これ、でしょうか?』
「そうですそうです」
承認ボタンを押したのだろう。
こちらの画面でも『入室を許可しますか?』という確認が表示された。俺は迷うことなく『はい』を押す。
「襖――というか扉が出てきましたよね? 後はそれを開けるだけでこっちに来れますよ」
『ふすま……』
そんな呟きが聞こえた数秒後。
『……ク~、ノブがいません』
謎の第三者が失踪した。俺は思わず「ん?」と首を傾げる。
誰……? のぶがいない? 信長? いや、違うだろ……のぶ、ノブ……あ。
「あぁー……ドアノブのことか。え~と、銀狐さん。その扉は横に引くんです」
『横に、引く……』
「こう指を引っかけて、スゥーっと」
『スゥー』
声と共に襖が開く。
その先には暗闇が広がっており、手前には銀色の妖狐アバターが佇んでいた。成功だ。
「『で、できました~』」
音声チャットを切っていなかったため声が二重になって聞こえる。
「いらっしゃい、銀狐さん。チャットはこっちで切っておきますね」
と、言いながら音声チャットをオフに。彼女にも俺の声が二重に聞こえたのか耳をくしくしと確かめるように触っていた。顔の横ではなく頭の上にある獣耳に触れるその姿はロールプレイが様になっている。
「あ、ありがとうございます。おじゃまします」
「どうぞ、何もないところですが」
銀狐さんがぴょんと飛び込むように足を踏み入れると、俺の斜め後ろに控えていた氷菓が「お待ちしておりました」と頭を下げた。すると何故か銀狐さんが驚いたように目を見開く。
「? 銀狐様? 私の顔になにか――」
「あ、ごめんなさい。じろじろ見てしまって……家族に似ていたので、つい」
「左様でございますか……」
氷菓が困ったように俺に視線を向けてくる。
そうか、『AIアシストキャラ』にとっても客人への対応は初めてだからこの場合どう答えればいいのかわからないのか。
……俺も知らんけど。
とりあえず、
「うちの自慢の侍女に似てるなんて、その人もとんでもない美人さんですね」
本音をぶちまけた。
ゲームのキャラに似ているとか、それが本当なら正直凄い。後ろから「お、御館様!?」と照れたように非難する声が聞こえたが、俺は気付かないふりをすることにした。
「……はい。とても綺麗で、冷たくて、温かい人なんです」
「ほー会ってみたいな……っと、紹介がまだでしたね。俺の後ろで顔を赤くしてるこの娘は『AIアシストキャラ』の氷菓っていいます」
「ぁ――ぅ、氷菓と申します。以後お見知りおきを……」
主人に対する抗議よりも挨拶を優先するその姿は侍女の鑑だ。
俺がうんうんと満足気に頷いている横で、恨みがましい上目遣いをする氷菓はとても可愛かった。ゲームにのめり込み付き合ってしまうユーザーがいるのもわかる気がする。
「よろしくお願います。……ク~ゥ、ひょうかさん、お顔がまっかっかです」
「――!?!?」
そんなことを考えている間に銀狐さんが追い打ちをかけていた。
氷菓は目を回し、白い肌が茹蛸のように火照ってしまっている。揶揄われるのに慣れてないよな氷菓って。もっとコミュニケーションの機会を増やして経験させてあげよう。これはこれで可愛いからいいけど。
「パ――」
「ぱ?」
絞り出すように氷菓が何かを口にしようとしていた。俺が思わず聞き返す横で、銀狐さんも「パパ?」と言葉を予測する。
ん~パパねぇ……俺はそんな目線にもなっているのかもしれないなぁ~なんてな。
俺たちが頭を捻る中、続いた言葉は意外なものだった。
「パワハラです!」
……パワ、ハラ? パワーハラスメントのことか? 確か……職場で行われる上の立場を利用した嫌がらせのことだよな。
「えぇー……」
セクハラの次はパワハラか……。今度は警告文は来ていないようなので本気ではないらしいが……いったいどこでそんな言葉を覚えているのか。
「氷菓さん? あのー……」
俺が声を掛けると、氷菓は扇子を取り出して開き、自分の顔を隠してしまった。これは――
「……最近のあの娘、私の使い方を覚えたみたいね」
「雪菜か」
すぐに扇子は閉じられ、苦笑気味の氷菓――ではなく、雪菜が現れた。どうやら中身を入れ替えたようだ。
銀狐さんも「声が――」とその変化に気付き驚いている。
「え~と、彼女は――」
「初めまして銀狐ちゃん。私の名前は雪菜。氷菓の身体を借りてる……そうね、今はまだ二重人格という認識でいいわ」
「にじゅう、じんかく……?」
「心が2つあるってことよ」
「クゥ~! すごいです!」
俺が説明する暇もなく話が落ち着いてしまった。
ま、正直に「ストーカーにハッキングされた」なんて説明されても誰も理解できないだろうしな。心が2つというのもあながち間違いではない。
「じゃあ早速VR版アナザーワールドについて学んでいきましょう」
俺がいつもの定位置にまで移動して座る。銀狐さんが座布団の近くに来たのを見計らい、
「そこに置いてある白と黒の座布団でも使ってください」
「……ざぶとん? これ、ですか?」
「そう、それです」
俺が用意した白黒の座布団を銀狐さんが興味深そうに持ち上げる。そして「……オセロ?」と至極真っ当なツッコミが炸裂したが、俺はそれを否定しなければならない。
「実はそれ【月】をイメージしてます。白が満月で黒が新月。黒い面の方をよく見るとわかるんですけど、ちゃんと細い月の形になってるんですよ」
「ク~……月、ですか……」
銀狐さんは白い面と黒い面を交互に見つめ、少し迷った後に白い面を上にしてその上に座った。
満月の方が好きだったのかな? それともオセロにしか見えなかったからどっちでもよかったとか? もしそうだったらちょっと寂しい……って、ん? 雪菜のやつ、なんで立ちっぱなしなんだ?
「座らないのか?」
「……座っていいの?」
なにを今更……って、あぁそうか。氷菓だけの物だと思ってるのか。専用って言っちまったしな。こういうとき律儀だよな、ユカナは。そこがいいところなんだけどさ。
「少し語弊があったな。その【雪】の座布団は氷菓と雪菜の席だ。これでも2人に似合う柄や色を考えたんだからな? 俺の自己満足に付き合ってくれ」
「……氷菓に『御館様を待たせるな』と叱られてしまったわ。まだまだ私も駄目ね、従者として」
人格が入れ替わってもお互いが覚醒状態なため、この会話は氷菓にも聞こえている。どうやら彼女は納得してくれているようだ。
雪菜は頷くと座布団の手前で腰を下ろし、氷菓と同じように膝を使って進み正座した。
「――よし、まずは基礎知識から」
俺はアナザーワールドのステータスの見方や意味、ARとVRの違い、MMORPGならではの自由度と対人戦の格闘ゲーム的側面について話した。さすがに解説が長くなってしまうため、銀狐さん側の<アーチ>に俺の音声を翻訳してもらい彼女が慣れ親しんだ文字でも読めるようにしてもらった。これで字幕映画のようにわかりやすくなるだろう。
「【スキル】はモンスターを倒したりアイテムを生産したりとそれぞれの職にあった経験値――【スキルポイント】を獲得して上げるだけなんですけど、【技】に関してはプレイヤー本人の腕の良さに左右されます」
俺は立ちあがり「見ててください」と戦闘態勢を披露、わざとぎこちない回し蹴りを放つ。
「下手な回し蹴りをしても、これは回転の速さと姿勢などが悪いためゲーム側が『こんなもの【回し蹴り】では無い』と【技】として認めてくれません。でも――」
今度は本気で回し蹴りを放ち、空中を蹴り抜く。
すると先程とは比べ物にならない激しい効果音と共に風を切ったようなエフェクトが俺の脚に巻き付いた。
「綺麗……」
「これがゲーム内にある本当の【回し蹴り】という【技】です。成功すると今みたいに派手になって威力や効果が上がります。これを【技】または“補正付”と呼んだりします。【スキル】はアバターに付加する能力であり、【技】は中身のプレイヤー自身が覚えなければいけない技術のようなモノ――と覚えておくといいですね。他にも――」
蹴り上げてから少し時間を置いて踵落としをする。そこでは何も起こらなかったが、もう一回、今度は時間を置くことなく足を高く蹴り上げ踵を落とす。すると狼が吠えたような鳴き声と共に牙のようなエフェクトが発生する。
「これが【アギト】という技で、元々ゲームにあったものでは無くプレイヤーが考えた攻撃が【技】になったものです」
「クゥ~? 自分で【技】が作れるということですか?」
「正解です。もちろん適当な動きを全部【技】にできるわけではなく、流麗であるか、効果的であるか、などを基準に審査され、運営が認めた物だけが【技】として実装され補正が付きます」
「……他の人も使えるんですか?」
「実装後一週間は考えた人専用の【技】となり、その後はみんな使えます。再現ができればの話ですけど。ちなみに【技】の研究をしている人をAWでは【職人】と呼びます」
これは職人技という言葉から取っている。有名な人は宗師と呼ばれることもあり、俺が雪菜のことを師匠と呼んでいたのもこれが理由だ。
「職人さん……」
「――で、なんでこんな説明をしたかというと……【技】っていうのは戦闘だけではなくゲーム内の日常生活でも発動するんです。料理を作ったり、アイテムを生成したり、装備を鍛えたり……戦闘職だけではなく生産職にも関係している。つまり、自分がAWで何をやりたいのか「早めに決めた方がいいですよ」って話でした」
「何をやりたいか……ですか」
う~ん、と銀狐さんが首を傾げるとその拍子に狐耳がへにょんと垂れ下がる。可愛いな~なんて思いながら俺は脇息に肘をかけ一休み。
「銀狐ちゃんはどうしてアナザーワールドをやろうと思ったの?」
雪菜が合いの手を入れるように問う。
「私はご主人様の側にいたくてついてきちゃったわ」
「ク~雪菜さん、じゅんすい? で、可愛いです」
「……」
騙されてはいけませんよ銀狐さん。可愛らしく言ってますがストーキングしてるだけですからね、その女。気持ちは純粋かもしれませんが手段は汚いですよ。
「かもくさんはどうしてですか?」
「俺、ですか? 俺は――」
後ろにある
「アナザーワールドでは我慢しなくていいのと……後は大会の賞金が欲しいから、ですかね。俺のはちょっと打算的で参考にならないですね」
「そんなことありません! 私なんて……」
そこで言葉が途切れてしまった。
なんだこの空気。重い。俺、変なことを言ってない、よな……?
どうにかして空気を入れ替えないと……そんなことを思いながら次の話題を探していると、ポツリと銀狐さんが思いの丈を打ち明けるように呟く。
「……と、友だちが……欲しいです」
「――え?」
「だから、あの……友だちが欲しいです。たくさん」
俺が首を傾げたのが聞こえなかったからだと勘違いしたのか、銀狐さんは恥ずかしそうに言い直した。
友達って銀狐さんが? 現実世界ではあんな美人さんで性格もよさそうなのに友だちがいない? でも、そう考えると俺とフレンドになったことをあんなに喜んでくれた彼女の姿にも納得がいく。
「あー……」
友だちが欲しい、か……。
一番純粋な気持ちを聞いてしまい俺の心は穏やかではなくなってしまった。
フレンドとして銀狐さんをホームに招待した身でありながら、現実世界の本名ならまだしもアバター名すら名乗っていない。身バレするのが嫌で二つ名で名前を誤魔化している。
それは「友だちが欲しい」と語る彼女に対して、あまりに不誠実だ。
「……その前に、栄えある友人第一号の称号は俺の物ってことでいいか?」
「え? えっと……かもくさんがよければ、はい」
口調を改めた。友人に対して俺はそこまで丁寧な人間ではない。
できれば彼女にもため口を聞いてほしかったが、彼女はまだ日本語が不慣れであり強要はできない。それに例え慣れたとしても変わらない感じがしたので指摘はしない。遊んでいるうちにそれもわかるだろう。
「だったら「かもくさん」なんて他人行儀な呼び方はやめてもらおうかな」
自分でそう呼んでって頼んでおいてこの言い草である。彼女も戸惑っているのか「かもく、くん?」と敬称を変化させてきた。なんか申し訳ない。
「もしかしてご主人様。アバターの名前を紹介するつもりなの?」
「止めてくれるな雪菜。友人に対して、偽名を名乗っていた今までがおかしかったんだ」
「私は
歯切れが悪いな……なにか心配事でもあるのか?
ん~まぁ、いいか。俺はさっさと自分の名前を教えて、銀狐とちゃんとした友だちになることだけを考えよう。
「銀狐、あそこに文字が書かれているだろう?」
「……はい、漢字ですね」
「あれが俺の家訓であり、アバター名でもある」
俺が指差した先には額に飾られた家訓――『妹魂』が達筆な文字で書かれていた。
「……? なんて読むんですか?」
俺は待ってましたと言わんばかりに大仰に頷き、声高らかに宣言する。
――シスコンだ、と。
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