第9話 「あたしにするって言って」
「お風呂にする? 妹にする? それとも~あ・た・し?」
寮の自室で待ち構えていたのは、使い古されたネタを披露する雫の姿だった。俺が帰ってくる時間を把握していたのか、それともずっと玄関で待ち続けていたのか。どちらにしろアホだな、という感想しか湧いてこない。しかも三択のうち二択が同じじゃねぇか。
「……雫」
「――え? ……えぇ!? あたし!? 本当にあたしにするの!? え、待って、待って待って! 心の準備ができてないよぅ」
「雫さん」
「で、でもぉ~どうしてもって言うならあたしもやぶさかではないっていうかぁ~」
「おい」
「……なんだよ。今いいところなんだよ」
くねくねしていた雫が素に戻る。
どうしてこの娘は人の部屋に勝手に入り込んでるんだ。しかも普段着というラフなスタイルで。
「何をしている」
「え? ん~、に、新妻ごっこ?」
なんで疑問形なんだよ。後、自分で言っといて照れるな。
「ここがどこかわかりますか?」
「前も答えたじゃん! 1LDK!」
「違う! そうだけど違う! わざとだろお前!?」
「あたしたちの愛の巣!!」
「……」
「やめて! だから無言はやめて! 視線も痛い! おにぃの目力が強すぎて視線がちょー痛い!」
日差しを避けるかのような動きで俺から逃げていく。
その姿に眩暈を覚え、俺は目元のこりをほぐすように眼鏡を外し、目と目の間にある
「ユカナから貰った潜入アプリ。まだ消してなかったのか」
「だって……こうしないと兄さんに会えないんだもん……あたし寂しいよ……」
「雫、お前……そんな可愛いこと考えてたのか……」
「えへへ」
「――とでも言うと思ったか?」
「あれー?」
「本音を言え、本音を」
問い詰めると、雫は面白くなさそうにそっぽを向いた。
「理由なんてないですぅ、ただの暇つぶしですぅ」
暇つぶしで規則を犯されても困るのだが……はぁ仕方ない。
「雫、俺はな、心配してるんだよ。こんなところ誰かに見られたら言い訳できないだろ? 特待生としてやっていくならその自覚を持て」
「……わかりました」
あー嫌だ嫌だ。説教臭くなるのはらしくない。妹に対してこんな態度をとりたいわけじゃないんだ。
鞭の次は飴だ! 飴!
「アプリをちゃんと消したら、俺が1つだけ雫のお願いを聞いてやるから」
「――ほんと?」
「ああ、だから何か欲しい物でも――」
「じゃあ、明日は学園が休みだから一緒に朝食を食べた後出掛けようよ」
「あん? どこに?」
「適当……かな? 『海上都市』に来たばかりなんだから、またにいにがどこか案内して」
「それは別に構わないが……朝はアレだぞ、俺の部屋じゃなくて下のバイキングな」
「わかってるってー」
そんなことでいいのか、友達と行けばいいじゃないか、最近増えたんだろ? という言葉を掛けることもできたが黙ることにした。
「さて、詳しい話は明日の朝、食べながらでいいな? 俺はこれからゲームをやる約束があるんだ。雫はさっさと自分の部屋に戻れ」
「……なにそれ! あたしとゲーム、どっちが大事なの!?」
新妻さんごっこ、まだ続いてたのか……。
「ゲーム」
「ひどい。しかも即答……ひどい」
「二回も言うな二回も。友達に一緒に遊ぼうぜってこっちから約束したんだ。時間厳守は当たり前だろ」
俺がそう弁明すると、雫は大きい目をパチクリとさせ、
「ふ~ん、なんかアレだね。こっちに来てからお兄ちゃんはゲーマーって感じになっちゃったね」
正直な感想を漏らしていた。
俺だって入学したばかりの頃はゲーマーになるとは思ってなかったよ。
「お前もやるか? アナザーワールド」
一緒にやるにしても俺の二つ名がばれないように準備をする必要があるけどな。いずれ妹には色々と“話す時が来る”だろうが今はその時ではない。まだ話さなくてもいい。
だが、俺の懸念は無用だった。
「ん~……あたしはいいや」
雫はゲームが嫌いというわけではないのだが、誘いには乗らなかった。その答えに俺はどこか少しほっとしており、残念という気持ちも同時に抱いていた。<
だから、
「そっか」
無理強いはしない。
「ま、ゲームをやるまでまだ時間はあるから、女子寮まで送るよ」
「優しいじゃーん」
今大事なのはゲームだが、いつも大事にしてるのはお前だからな――なんて気持ち悪いことは口が裂けても言えない。
現実ではな。
「……んで、どうやって見つからないように帰るんだ?」
「えーとねー、ユカナ先輩のアプリを起動するとみんなの<アーチ>があたしのことを透明人間にしてくれるんだって」
「AR機能の悪用か……普通では考えられない技術だな。相変わらず得体が知れない」
「フッフッフーこれでにいやんのお風呂も覗き放題ですわ」
「覗いても楽しくないだろ……それに――って、ん?」
あれ? ってことは待てよ?
「どうしたのさ急に真剣な顔しちゃって……あ、まさか兄さん! 駄目だよ! ユカナ先輩に同じものを借りて女子寮の浴場を覗くつもりでしょ! 犯罪だよ!!」
「どの口が言ってんだ」
「この口が言ってんだ!」
何故か雫が投げキッスをしてきたのでとりあえず身を
「お前そのアプリ。相手が<アーチ>を外してたら意味がないってことだよな」
「え、あ~……」
そこまで思い至らなかったらしく、誤魔化すように雫が笑っている。
「だ、大丈夫だって! 今どき<アーチ>を外す人なんていないから……」
「あーめっちゃ不安。お兄ちゃんめっちゃ不安。よくそんなんでばれなかったな」
「おやおや~、シスコンかな~」
「雫」
「はい、ごめんなさい」
おちゃらけようとしたところで釘をさす。
いつもなら付き合ってもいいのだが、今回ばかりは余裕がない。
「さっさと女子寮に向かうぞ。また渡り廊下を通ってきたんだろ?」
「うん」
「そこまでついていってやるから、お前は俺の後をついてこい」
玄関を開けると後ろにいた雫が裾を掴んで引っ付いて来た。
俺に懐いた幼少のころを思い出し、和みそうになってしまったが無理矢理気を引き締める。
――俺たちのミッションはまだ始まったばかりなのだから。
なーんて大げさに身構えたところで<アーチ>にチャットが飛んでくる。
ユカナ:『逃走経路をサポートするわ』
お前こえーよ! 会話全部筒抜けかよお! とは思ったが、ありがたい話ではあったので乗ることにした。元凶からの助力ということで素直に感謝していいものかわからなかったが、とりあえず誰にも見つかることはなかったので一安心だ。
スパイ映画のように渡り廊下のレーザートラップを避けている妹の後ろ姿はシュールだった。俺自身にはトラップが見えないので雫が身体をうにょうにょさせているようにしか見えなかったからだ。つい渡り終えるまで見守ってしまった。
その後、自分の部屋に戻った雫からは『消しました』というチャットと共に証拠の画像も送られて来た。これ以上妹が無茶をすることはないだろう。
約束の時間になるまで、俺たちはそのまま他愛のないチャットの応酬を続けるのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます