ウルク期・及びシュメール初期王朝の興亡(紀元前4000年ごろ〜紀元前2300年ごろ)
さて、全話では民族の特徴や、後世から見た功績を並べ立てた。ここで一旦ウバイド期末期まで遡る。今度は歴史として、時系列に沿って書き綴ってみよう。
ウバイド期。メソポタミアでは村落が急増し、人口も増え続けた。
しかし紀元前約五千年のころに、海水面の上昇が起こる。灌漑システムが崩壊し、塩害により農耕社会は大打撃を受けた。
以下、小泉龍人の『都市の起源』からの引用だ。
南メソポタミアはペルシア湾に接していて、ペルシア湾の海水面の変動がメソポタミアの沿岸地域に直接影響する。とりわけ海水面の上昇により、沿岸付近の農耕地で灌漑排水に不具合が生じたり、河口付近の流路が移ってしまう。たとえ微増であっても、海進は微妙なバランスのもとで成り立っていた灌漑システムに深刻な被害を与えた。耕地への給水だけでなく、耕地から塩分を含む水を排水する機能が低下してしまった。海水面の上昇は厄介な塩害を招来して、周辺地域の農業に多大な損害をもたらしたのである(小泉龍人 2016 p73-74)。
海水位が上昇することを、海進と呼ぶ。ペルシア湾での海進があったのは約七千五百年前から約五千五百万年前だ。これは日本で「縄文海進」があった時期と重なる(注1)。こうしてウバイド人が
・シュメールに国が出来るまで
メソポタミア、シュメールにおいて国家が形成される過程は、四つの段階に分けることができる。
①都市国家の形成。中心都市のみを支配する王(BC3200〜2300)。
②領域国家の形成。中心都市及び密接な関係にある都市群を支配する王(〜2230)。
③統一国家の形成。直接的に首都と関係が深い領域だけではなく、周辺領域まで支配を及ぼす王(〜2100)。
④統一国家の確立。シュメール王名表の編纂や法典の作成、神格化された王(〜2000)。
この区分は、前田徹の「シュメールにおける地域国家の成立」を参考にした。そのため考古学的区分とは異なる(注2)。
今話においては、①から②に移るまでを語ろう。
・①都市国家の時代
紀元前三千二百年からおよそ九百年間続いたと言われるのが、都市国家が分立する時代だ。
考古学的な時代区分である「ウルク期」の名前の由来は、同名の都市国家であった。しかし周辺の村落もやがて巨大化し、やがてはウルクに対抗しうる勢力となった。都市国家が分立する混乱の時代、いうところの初期王朝時代が始まるのだ。
この時代になると「キシュの王」という王号が出現した。シュメール全土への王権とする研究もあるが、証拠となる資料はなく、あくまで限定的な王権であったのだろう。とはいえ、シュメール王名表において、考古学的に実在が確認されている最古の王はキシュの王「エンメバラゲシ」である。その点、伝統的な権威は持ったであろう。
エンメバラゲシは物語『ギルガメシュとアッガ』に出てくるアッガの父であるため、ギルガメシュの実在を間接的に(ある程度)証明している。また王名表によれば、エンメバラゲシはイラン南西部の都市スーサを攻撃し、これを衰退させたという。この記述からすれば、エンメバラゲシが生きていたのは紀元前二十七世紀と推測される。
王名表によれば、シュメールにおける初めの王権はエリドゥにあった。だが洪水に襲われ、その後王権はキシュにあったという。しかしこれは、あくまで神話の話であろう。前田徹の『「シュメールの王名表」について』で検証されているが、アッカド王朝が登場する以前のシュメール王名表は資料足り得る信憑性を有していない。
王名表によればキシュの王が続いたのち、ウルク第一王朝、アワン、マリ、キシュ第二王朝、ハマジ、ウルク第二王朝、ウル第二王朝、アダブ、マリ、キシュ第三王朝、アクシャク、キシュ第四王朝、ウルク第三王朝、アッカド、ウルク第四王朝、グチ(グディ人?)、ウルク第五王朝、ウル第三王朝、イシン第一王朝と続く。しかし先に述べた通り、アッカド以降ならまだしも、以前における信憑性は乏しい。他の考古学資料と組み合わせて、実在するか判断しなければならない。たとえば、ウル第二王朝は存在しないと考えられている。
これら都市国家の王は、エンシ、エン、ルガルなどといった王号で呼ばれる。王号は名前の前に付けることが多い。
なおウル・ウルク・ラガシュ市の支配者が、戦闘の女神イナンナに由来する武勇の象徴として「キシュ市の王」を名乗ることがあった。かつてはこれを以て「キシュ市の王」がシュメール全域の王権を示したとする話もあったが、単なるイデオロギー的なものである。事実、キシュ王が他都市の神へ奉納を行う場合、在地の権力者の支持が必要であった(キシュの王メシリムの残した王碑文)。
キシュの宗主権を認めた都市はあったが、特に隷属状態に置かれたわけでもなく、単なる名目上のものであった。
政治的なことで言えば、メシリムの時代には大きな同盟間対立があったとされる。キシュを中心としたラガシュ・アダブとの連合vsウンマ、ウル、ウルク連合だ。勝敗は明らかにされていないが、キシュが調停者の立場にない時点でキシュ王がシュメール全土に権勢を誇っていないことは明らかだ。
・②地域国家の誕生
地域国家とは、周囲の都市を支配下に組み入れ地域統合を果たした有力な都市国家を指す。周辺都市を同盟という形で支配下に置いたデロス同盟盟主のアテネをイメージされると分かりやすいだろう。
領域国家時代になると、王号が「国土の王」や「全土の王」となる。どちらもルガルから始まる王号だ。エンシといった王号はルガルの下位に置かれた。これにより、領域国家を支配する王はルガルの王号を名乗り、それに従属する諸都市の王はエンシの王号を名乗った。ルガルはエンシの軍事権を削り、将軍たるシャギナという役職を創設した。これを以て、諸都市連合というよりは領域国家として確立された。
メソポタミアにおいて生まれた領域国家は、ウルク・アダブ・ニップル・ラガシュ・シュルッパク・ウンマ・キシュ・ウルの八都市だ。
そのうち六都市、または六都市の中でもウンマとウルクが地域国家を成したことは、ルガルサゲシの碑文から詳細に判明している。ルガルサゲシは元々は都市ウンマの王で、全シュメール統合のために尽力した。
後にウンマからウルクに遷都してウルク第三王朝を創始し、後にあげるキシュやラガシュといった都市を打倒。シュメール全域を領域国家として連合させたのである。
ルガルサゲシは碑文の中で六都市を挙げたが、その順番にルガルサゲシの『直接的』な王権が及んだ範囲が現れている。まず王都であるウルクを挙げ、ウル・ラルサと続き母国であるウンマを挙げる。そしてウンマにほど近いザバラムやキアンを次に挙げた。つまり彼の王権の基盤があったのは、ウルク、ウンマの二都市とその周辺都市だったのだ。
今あげたウルクの付属都市の中に、ウルという都市国家がある。世界史の勉強を少し深くやると聞くことになる名前だが、この当時はウルクに服属する一都市に過ぎなかった。
というのも、ウルは一時期ユーフラテス流域で勢力圏を作るほど巨大な国家だったものの、ラガシュとの抗争に敗北し弱体化してしまったのだ。そしてウルクに服属した。本当のところはわからないが、ウルクに服属する事でラガシュとの抗争を乗り切ろうとしたのかもしれない。
ウルが再び国家として自立するのは、ウルク第三王朝のルガルサゲシが侵入してきた異民族アッカドの王サルゴンに敗れ、ウルクの覇権が失われた時だった。
ウルはしばらくアッカド王朝による支配を受け入れたものの、サルゴンが死にアッカド王が二代目リムシュとなったそのとき、カク王を中心として反乱を起こした(彼らについては後に詳しく)。ウルクから解放されたウルは、反乱を起こせるだけの国力を既に復活させていたのである。
ウルクの付属都市としてもう一つ挙げたラルサという都市国家は、ウルクとラガシュの抗争で最前線となっていたとされる。当初はラガシュの支配下にあったものを、ウルクが奪い取った都市だ。最終的にルガルサゲシが勝利して六都市の連合体を確立するまで、幾度も地域国家間での争いがあったらしい。
ルガルサゲシがウルクの他にもう一つ主柱とした都市、ウンマ周辺の地域統合は、ウルクのそれよりも進んでいたと考えられる。先に挙げたザバラムとキアンは、支配下の都市というよりウンマの一市区として数えられていた程だ。このようにして都市国家は徐々に統合されていき、シュメールは地域国家の時代へと突入していった。
他にもアダブはケシュやカルカルを服属させ、ニップルやシュルッパクも詳細は不明ながらいくつかの都市を従属させたていたと思われる。ラガシュの場合は近隣地域に勢力を伸ばすことなく、キヌニルやキエシャなどの小市区を包含した巨大な都市複合国家を誕生させていた。支配下の都市に自治権を残す事なく、地域統合を完全な形で達成したのがラガシュだと言える。
このような例から分かる通り、シュメールの都市国家は二種類に分けられるようになった。かたや地域統合を果たした有力な都市国家、かたや他都市に服属し統治権を制限された従属都市である。紀元前二千五百年ごろの初期王朝時代末期にこの状況は顕著になった。
後に有力な六つの都市国家は協力し、キシュに対抗した。キシュは最も上流に位置する都市だ。六カ国連合を相手にしていた時点で、非常に強力な勢力であった可能性が高い。
全くイメージは湧かないだろうが、あえて位置関係を文字で表すと以下のようになる。なおウル以外の都市はユーフラテス川とチグリス川の間だ。
北西部のユーフラテス川上流にキシュがあり、少し下るとニップルがある。
そこから少し南下するの東にシュルッパク、西にアダブが見えてくだろう。アダブ北方にはケシュ、東部にはカルハルという従属都市もあった。
さらに南下するとウンマがある。キアン、ザバラムといったウンマの従属国家があった。
またさらに南下するまパドテイピラというウルクの従属都市があり、右岸には最大勢力のウルクが見える。パドテイピラとウルクの垂直二等分線上にラルサも見える。そしてその向こうにはウルがある。東に行くとラガシュがあった。
こうしてシュメールには地域国家が誕生した。しかし紀元前二千二百六十年ごろ、セム語系のアッカド人がメソポタミアに侵入を開始した。
【注訳】
1.縄文海進により、日本の沿岸部が水没。リアス式海岸などの特徴的な地形が形作られた。
2. 考古学的区分に従えば都市国家形成期の始まりはウルク期末期となり、ジェムデト・ナスル期、初期王朝時代三期aまでを包含する
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