補足・シュメール人の城塞都市

 シュメール人が数多くの発明を行った場所は、彼らの建設したウル、ウルク、ラガシュをはじめとする都市群であった。はたしてシュメール人の活躍したメソポタミアとはどのような世界だったのであろうか?


・メソポタミアの城塞都市


 有史以降、メソポタミアにおいて多数の都市が出現したのは既に書いた通りである。

 余剰生産物を倉庫に集め、必要な時に配分するようになった。倉庫の周囲には手工業や芸術を専門とする人々が集まって暮らすようになり、倉庫の管理者や神の意志を聞くことができる人間が集落の指導者となる。

やがて集落は規模を拡大して都市となり、周辺の農村に対して農作物の生産などに関して口出しするように、つまりは支配するようになったのだ。

 そうして生まれた都市国家たちは、自国の利益や領土拡大を求めて競い合った。具体的には略奪や家畜の強奪、農村部への支配権の拡大、貢納金を求めて争いあったのだ。

 各国は他国からの攻撃に備えて、都市に防壁を築くようになった。メソポタミアは洪水が多発したため、当初は洪水から町や畑を守るためという面が強かったが、やがては戦闘を目的として壁が築かれるようになる。


 メソポタミアはポタミア(川)のメソ(間)という名前の通り、チグリス川とユーフラテス川に挟まれた肥沃な平地地帯である。そのため都市の周囲に築かれた壁は、侵入者を拒むため高さに重点が置かれた。立地上石材を手に入れることは出来なかったが、河川近辺には粘土が有り余っていたので、壁の建材は多くが粘土質の日干しレンガだった。

 創世記にあるバベルの塔は、この防壁造りと同じ建材を用いて行われたとされる。バベルの塔が名前の由来となった都市バビロンの防壁は、高さ7.5メートル(推定値)、厚さ5〜7メートルだった。


 各国は防壁だけでなく、運河や自然河川をも利用して都市を守っていた。日本の城が川や山を背にして築かれる場合が多いのと同じ理由である。また防壁の上にあった通路に、一定の距離を置いて避難用と連絡用の塔が建てられている場合もあり、これは小塔付き防壁と呼ばれている。


・日干しレンガとアスファルト

 粘土を焼くことでレンガを造ることができるが、乾燥した場所で太陽光に晒すことでもレンガを作ることができる。

 壁を作るときには天然アスファルトを接着剤にして日干しレンガを接続した。今でこそアスファルトは石油から作られる場合がほとんどだ。しかし地面に溜まったレイクアスファルト、石灰岩や砂岩にしみ込んだロックアスファルトなどを自然から採取することも可能である。



 区切り状本話は大変短くなってしまった。次回からはシュメール文明を中心に、古代メソポタミアにおける地域国家の形成、王権の展開、農業制度、武装と戦術、社会制度、貨幣と市場についてそれぞれ解説していく。

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