ヒトが人になった時(2万年前、1万5000年前〜)

 一万五千年前、人類は南極を除いた全ての大陸に生息するようになった。

ホモ・サピエンスくらいのサイズの単一種が、これほど広範囲の陸上に生息したことは地球史上初である。

 『飛躍』の過程でホモ・サピエンスはどのように変化し、発達したのだろか。 そして世界各地へと広がった人類は、地球にどのような影響を及ぼしたのだろうか。


・口は何のためにあるのか?


 人類は気候、海などの障壁を物ともせず世界へと拡散し、住み着くようになった。これは単一の種の適応力としては明らかに異常である。

 寒冷地で進化した生き物は温暖な環境に弱く、逆に寒冷地で進化した生き物は温暖な環境に弱い。進化の仕組み上、生き物には仕方のない弱点があってしかるべきだ。普通なら。

 人類だけが何故、これほどの適応力を手にしたのか。衣服や武器を手に入れたのか。それはネアンデルタール人との生存競争に打ち勝った理由と同じく——コミュ力であった。それも『アニマル・シンボリクム』としての物だ。


 私達は会話をするとき、知らず知らずの内に物事を象徴(シンボル)として扱っている。ここでいう象徴とは言葉や記号、絵といった『代替の何かで別の何かを指し示す』ことだ。私達が発した『ゾウ』という言葉は、この世に存在する『ゾウ』そのものではない。しかしその言葉を聞いた人間のほとんどは本物の『ゾウ』を頭の中に浮かべることだろう。

 人間はこの世よあらゆるものに名前をつけ、象徴化言語化して、意味の世界を作り出してそれを大人数で共有した。

 我々の祖先はそれだけの知能を発達させてきたし、声帯も繊細な発音に対応した。言葉が生まれた瞬間、私たちに空想という能力が備わったのである。

 六千五百万年前から……いや、生物が誕生した三十八億年前から延々と積みかねられてきた進化が、私たちの『言葉による思考』へと行き着いたのだ。

 同じ言葉に同じ意味を見出せるようになった人類は、より協調性が増し、群れから部族集団へと変化していく。

 共通認識に基づく言葉があることで、経験したことが期待通りにならなかったとき、道具や火と同じように変更や改良できるようになった。

 言葉の誕生は人類にとって、何より革新的な出来事だったのかもしれない。


 もはや進化する必要は薄れていた。道具や社会を発達させることが、圧倒的に早く問題を解決できるのだから。

象徴化は芸術の進歩にも影響を及ばした。後期旧石器時代を代表する文化、マドレーヌ文化では数々の壁画が描かれている。高校の教科書にも載っているフランスのラスコー洞窟と、アルタミラ洞窟が有名だろう。どちらも洞窟遺跡分布地域に属している(注1)。


・歌と踊り


 人類の三大発明を数えるから、『火を操る技術』、『言語』、そしてもう一つは何だろうか。

 古代から現代まで、名も知らぬ部族から先進国の一般家庭まで共通して持っている文化。

 すなわち『歌とダンス』である。

 他者に合わせてリズミカルに動き、声を上げて一体感を掻き立て、危険な状況や困難な状況の中でも、協力や団結をを強化することができた。だから歌と踊りは、この世に見られるほとんどの民族に存在するほどに普遍的なものとなったのだろう。

 これらの行動が人間にもたらしたのは、より大きな集団による団結だった。

 マ◯ロスとはまた違うが、歌と踊りには特別な力がある。祝いの席などでそれに加わる全てのメンバーに、相互の摩擦や対立を解消する力だ。

 国歌などはその典型的な要素であり、国をまとめる上でとても有効に働くのである。


 また、人類学者に知られている最も単純な社会であっても、そのメンバーは自分の集団に属する何十人、あるいな何百人という個人を見分けることができる。

 そんなこと当たり前だろ、と思うかも知れないがチンパンジーには出来ない芸当だ。

たった十〜二十頭程度の成熟したオスの間で対立が生じただけで、チンパンジーの群れは分裂した。その後には激しい戦いが繰り広げられ、小さいほうの群れは滅ぼされてしまったのである。

 人類の場合は歌とダンス、そして言語を通じて相互理解を進めることが可能だった。争い合う小集団よりも、協力して大集団になった方が有利であることも理解していた。

 やがて団結した小集団は部族、首長国、そして王国や共和国となって独自の政体を作り上げていくことになる。

 さらに、人類学者や社会学者の研究によって、「大きな集団の方がコミュニケーションの発達において有利」だということが結論付けられている。人類は数を増やすことで質も上昇させてきたのだ。

 しかしこれは、コミュ力を鍛える最善の方法はみんなで遊ぶことなのに、みんなで遊ぶにはコミュ力が必要という矛盾も生み出すのだが……細かいことは気にしないでおこう。


・人類の影響力


 人類は他の人類と生息域が被らないように移動し、増え、また移動を繰り返して生息域を拡大してきた。その速度は進化で適応できる速度より遥かに早く、多くの大型動物を減少させた氷河期においてもなんら変わることはなかった。それどころか、氷河期は人類の拡大を加速していった。獲物を求める必要に駆られたこと、陸と陸が氷河で繋がったからである。


 自然界において熟練の狩人であった私たちの祖先は、特に大型動物を好んで狙った。アフリカに暮らしていた動物たちは、人類の黎明期からの長い付き合いがあったから狩るのは難しい。動物たちは人間を恐れて逃げ惑ったからだ。

しかしオーストラリアや新大陸に上陸した人類は、自分たちをまったく敵だと理解しない大型動物を目にしたことだろう。今まで人間という生き物を見たことがなく、対策も何も知らないのだから当たり前だ。

 今なら保護されるかもしれないが、時は2万年前。新天地の愚鈍な大型動物達は、祖先の目から見れば実に獲物として狩りやすい相手だったに違いない。

 ただでさえ氷河期後の温暖化で数を減らしていた彼らに、トドメを刺したのは人類だという説がある。勿論、気候変動説も根強いので本当のところはわからない。

 とはいえ、人間から逃れる術を持っていなかったオーストリアや新大陸の哺乳類は壊滅的な状況だったと推測できる。

 人が食べないメガテリウム(ナマケモノ)などの大型草食動物も、人間が大型肉食動物を絶滅させたために数が増えすぎ、草を食べ尽くして最終的に飢え死にしてしまったかもしへない。

 理由は諸説あるにしろ、大型動物が数多く絶滅し、大量絶滅の一つにも数えられている。


 新大陸とオーストラリアだけでほとんどすべてが死滅したことは、将来そこに暮らす人々の首を締めることになった。馬、牛、羊、山羊(ヤギ)にラクダといった家畜を手にすることができなかったのだ。

 新大陸やオーストラリアにいた人々がヨーロッパに支配されることになった理由の一端が、自らの手で無意識に招いた大量絶滅である可能性がある。

 彼らは家畜を持たなかったことで、『労働力』『病原体の免疫』『軍事力』においてユーラシア大陸の民に大きく遅れをとることになったのである。


【注訳】


1.フランスのアキテーヌ地方及びラングドック地方から、スペインの現カンタブリア州にかけての地域は洞窟遺跡が集中的に発見されている。

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