人類の夜明け
樹上の楽園(6500万年前〜)
今から約六千五百万年前のこと。メキシコのユカタン半島に直径十〜十五キロメートルの隕石が落ちた。この時形成されたクレーターの直径は百六十キロメートルにもなる。
衝突で舞い上がった粉塵が、当時の地球を覆い尽くした。結果、日射量低下によって寒冷化が起こる。結果として植物が激減した。ただでさえ隕石衝突で生態系に大穴が開いていただ。食料まで失った陸上動物は甚大な被害を受けた。
一連の出来事は、白亜紀末の大量絶滅最大の要因とも呼ばれている。特に恐竜絶滅の原因となったとされる。哺乳類が生き残った要因には、体の小ささや恒温動物であること等が挙げられるだろう。しかし本当のところは分からない。また恐竜とて、鳥類に進化して生き残ったのだ。
事実、大量絶滅の後すぐに哺乳類が自力で生態系の頂点へ駆け上がったのわけではない。巨大爬虫類がが立ちはだかったからである。恐竜時代から続く爬虫類と哺乳類との主導権争いは、まだ終わっていなかったのか。
・隠密行動は弱者の武器
五千五百万年前から三千五百万年前までの時代を、『新新世(ししんせい)(Eocene)』と呼ぶ。古代ギリシア語で「新たな夜明け」を意味するこの言葉は、哺乳類の台頭という意味ではまさにぴったりであった。
この頃、地上では鳥類、爬虫類、肉食哺乳類による生存競争が激化し、恐竜という支配者の消えた世界で次の覇者を争っていた。
そんな中現れた人類の祖先が、プルガトリウスである。ネズミ程度の大きさであり、見た目もそれに近い。特徴的なのは長い尾と、木に登ることに適した足関節だ(可動域が広い)。
主食が木の実のため、普段は樹上生活をしていた。木の果実を食べつくすと地上を走って別の木へ移った。プルガトリウスがこうして木の種子を運ぶことで、木の方も子孫を繁栄させることができたのだ。しかし地上は危険だった。肉食性哺乳類及び爬虫類が闊歩していたためである(注1)。
爬虫類は変温動物であり、外気温が低いと活動に支障をきたす。そのためプルガトリウスが地上で活動したのは夜間だろう。私たちの祖先はまだ、外敵に怯える生活を続けていた。
・天空の楽園
この時代は地殻変動が活発で、大陸の移動や寒暖の変化が激しかった。だから木の上に暮らす哺乳類にとっての生命線、広葉樹の増減も激しくなる(広葉樹とはどう〇つの森で果実を付ける丸っこい木だ)。
広葉樹は温暖かつ湿潤な場所にしかない。だからブルガトリウス含め、木の上の哺乳類は暖かくて湿った場所にしか生息できなかった。
寒冷化すると広葉樹の森は落葉広葉樹林となり、最終的には針葉樹の森になってしまう(針葉樹とはその名の通り尖った葉っぱを尖った形につける木だ)。針葉樹は果実をつけないので、その度に樹上哺乳類は打撃を受けた。
勿論、ただ木の実が減っただけなら個体数を減らして生き延びられるだろう。しかし森が小さくなったということは、捕食者に出会う確率も上昇させた。大きな森より小さな森の方が探し物を見つけやすいのである。
そこで哺乳類は、捕食される危険を極限まで減らそうとした。木の上に暮らすだけではなく、木の上で一生を送ってしまおうというのだ。木々の移動は、枝から枝へ移れば良いと。
たしかに木々を飛び移る事が出来ればわざわざ地上に降りなくても良い。つまり食べられる心配がなくなるのだ。失敗して落ちたら大惨事だが。
木々と飛び移るには正確に距離を測る能力が必要になる。距離を測るには絵のように一方向から見るのではなく、二つの方向から同じ箇所を見なければならない。
ウマのような被捕食者は、より多くの視界を確保するため顔の右と左に眼球を持ち、ほとんど三百六十度の視界を持つ。
私たちの祖先も当時はこの形だった。しかし捕食者の心配がなくなって、枝から枝へ飛び移ることさえ出来れば良くなると広い視界は不要になる。結果、二つの目を顔の正面に移して、同じ場所を二方向から同時に見る事ができるようになった。容易に距離感を掴めるようになったのだ。
少し実験してみよう。両手の人差し指を少し離れたところからくっつけてみてくれないだろうか。たぶん簡単に出来たはずだ。
では次に片目を閉じて同じことをやってみて欲しい。少し難しいはず……両目で見ると距離感がよく掴めるのだ。
こうして樹上だけで生活できるようになったヒトの祖先たちは地上に降りなくなった。勿論地上に出進化し、大型化した哺乳類もいる。彼らはのちに馬やライオンに進化するが、人類史の枠からは外れるので割愛しよう。
やがて寒冷な時代が終わり、温暖な時代がやってくる。広葉樹の生息範囲が拡大するのと合わせて、樹上哺乳類の生息範囲も拡大した。哺乳類はこうして樹上の楽園を手にしたのだ。
・哺乳類の楽園
寒冷化により広葉樹が減少した頃まで遡る。
六千五百万年前には、大陸はほぼ現代の形に分かれていた。しかし寒冷化はベーリング海峡を凍りつかせ、ユーラシア大陸とアメリカ大陸を繋いだ(注2)。
この時、両大陸の生態系が融合した。肉食性哺乳類であるヒアエノドン属なども、この時に世界中へ広がった。ヒアエノドンはハイエナのような肉食動物で、サイズは種によって様々だった。彼らは当時としては生態系上位の生物であり、爬虫類にも対抗しうる力を持っていた
こうして本格的な『哺乳類時代』が幕を開けたのである。
・気持ちを伝える力
さて、話を私たちの祖先に戻そう。温暖化によって広葉樹が増え、空前の繁栄を手にした彼らは『猿』へと進化した。個体数が増えたことで群れを作るようになった。群れの中でコミュニケーションを取るために、猿たちはさらなる進化を遂げる。表情を手に入れたのだ。
チンパンジーやオランウータンなどは表情が豊かだが、メガネザルには表情がない。これは表情筋の発達具合によって変わる。
ヒトやチンパンジーのドクロを思い浮かべてもらうと分かりやすいが、目に穴があるだろう。あそこには多くの筋肉が通り表情を形作る元となっている。
しかしメガネザルの頭骨を見ると、目の裏は窪みになっているだけで穴はない。視神経の通る場所が少し空いているだけだ。これでは表情筋を通すことができないので、彼らの表情は何があっても変わらない。
こうしてサルはほぼ現在の形へと進化した。そしてその一部が類人猿へと進化していくこととなる。
【注釈】
1.かつては恐鳥類もここに含まれていた。かつて、恐鳥類は顎の力が強いことから肉食性とされてきた。しかし近年の研究によれば、硬い果実を食べるためとされる。事実クチバシは猛禽類とは似つかず、オウムに近い。恐鳥類の代表格であるガストルニス(および旧名ディアトリマ)が植物食であれば、哺乳類を捕食することはなかった。よって哺乳類との競争に敗れたというのは旧説である。
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