其之五 湘山の幻影


 江夏太守として夏口かこうに駐屯する劉琦りゅうきのもとに無事逃れた劉備りゅうび軍は孫権そんけんとの同盟締結のために、さらに下流の樊口はんこうまで下り、そこでようやく落ち着くことができた。

 それも束の間、孔明は休む間も惜しんで江東行きを願い出た。無論、魯粛ろしゅくの提案に乗って、孫劉同盟を締結するためである。孔明は劉備の承認を得、江水こうすいを下った。

「昔、徐州から疎開する旅の途中、ちょうど子敬しけい殿と初めてお会いした後だったと思いますが、自分が蘇秦そしんになったつもりで合従がっしょう策を考えたことを思い出しました。あの頃は子供ながらに我が君や子敬殿など侠客きょうかくの方々が袁術えんじゅつに対抗するためのものとして考えたものでしたが……」

 柴桑さいそうに向かう船の上で、孔明がそんな昔話を始めた。

 孔明が魯粛子敬という人物に出逢ったのは、故郷の徐州を離れて南へ疎開する旅路の最中、魯粛の郷里である東城とうじょうにおいてのことだった。その頃、東城周辺は袁術という奸雄に脅かされていて、魯粛はその男から故郷を守るために私兵を集めたり、近辺の有力豪族と結んだりしていた時期である。

「時は流れたが、君の想像は実現しようとしている。劉予州りゅうよしゅうと私が仕えた孫討虜とうりょが合従する。そして、君は蘇秦だ。あんな子供の頃から時代の先を見越せていたのかな?」

 魯粛が冗談めかしく言いながらも、立派に成長した孔明を改めて見つめた。

 蘇秦とは戦国時代の縦横家じゅうおうか(外交学の一派)の代表的人物である。しんせいえんちょうかんの戦国七雄しちゆうのうち、巨大勢力となった秦に残りの六国が同盟し、共同戦線で秦に対抗しようという合従策を自ら論客となって実行した。

「まさか。自分でもこのような展開になって驚いていますよ」

 孔明が微笑みながら白い羽扇うせんを振って、魯粛の言葉を軽く受け流した。

 しかし、孔明は自分が大きな運命に導かれてここにいることを自覚していた。

 そういう意味では、まだ十四の少年だった自分が何気なく想像したことも、魯粛が言ったように時代を見越していたということになるのかもしれない。

 そして、あの時の想像が正しいとするならば、今度の予想も当たるはずだ。

『間もなく張儀ちょうぎが現れるはずだ』

 張儀は蘇秦と同学の論客で、合従説に対抗する連衡れんこう説を説いた。秦に対抗して合従する国々に対し、秦と対抗するよりも秦と結ぶ利を説いて、合従から離脱させたのである。さすがに誰が張儀の役を演じるのかまでは想像できない。

「兄が討虜将軍に仕えたのも、子敬殿の存在が大きかったのでしょうね」

 ふと、孔明は追憶の彼方かなたに離ればなれになった兄・諸葛瑾しょかつきんの生真面目な顔を思い浮かべて聞いた。諸葛謹は孔明よりも八歳年長で、継母ままははの世話のために、母の故郷である江東に移住していた。魯粛との出逢いの後、ある出来事があって、孔明は兄と別れ、叔父たちと廬江ろこう予章よしょう、そして、荊州へと移った。

 手紙の往来こそあったが、孔明は兄とはもう十年以上会っていない。

「確かにそうかもしれないな。思えば、不思議な縁だ」

「兄は慎重な人間です。その兄が仕えたというのなら、討虜将軍は大層見所がある人物なのでしょうね」

 孔明は兄の性格を思い出して、そこから孫権を評価してみた。

「ああ、実に聡明な御方だ。補佐するに足る立派な人物だよ。君が劉予州に引かれたように、私はご主君に引かれた」

「どんな人となりか聞いておきたいのですが」

 兄との文通ではお互いの近況を知らせ合うだけで、政治の話はなかった。

 孫権の人物評は世論を聞けば耳にすることができたが、それは大概、尾鰭おひれが付いたものだったりするものなので、じかに聞くのが一番である。

「広く学問に通じ、お父上の勇敢さをあわせ持っている。文武両道の御方だ。さらに人の助言を大切にする。よく聞く耳をお持ちだ。熟考してから果断を下す」

「よく人の話を聞き、熟考するということは戦うか降伏するか、まだ決めかねているのでしょうね」

 熟考タイプの人間はあれこれ考えてしまうので、答えが出るのに時間がかかる。

 その上、人の話を良く聞くことは、場合によっては考えが影響されて揺れがちになる。危急存亡の一大事ともなれば、結論が簡単に落ち着くはずもない。

 江東は日々、喧々けんけん諤々がくがくのはずだ。

「降伏論者が多い。彼らの動きを封じるためにも、荊州との同盟が不可欠なのだ」

 魯粛は主戦論者だ。だからこそ、積極的に劉備との同盟を進言し、自らその締結のために荊州に向かった。

『荊州と同じか。主は荊州と違って骨があるようだが……』 

 孔明は孫権の心情を想像しながら、その人柄を分析した。

『降伏論が圧倒的多数を占める中で一気に降伏に決しないところは、孫権の心の奥に曹操と戦おうという意志が隠れているからだ』

 孫権は実は好戦的な人物だ。父・孫堅そんけんは各地で戦を経験し、武勲を重ねて群雄の一人にのし上がった人物だった。兄の孫策そんさくは父譲りのその勇猛ぶりで江南を征服し、かつて項羽こううが〝覇王はおう〟と称されたのになぞらえて〝小覇王〟と称賛された。朝廷からは討逆とうぎゃく将軍に任じられた。

「気性の方はどうですか? 討逆将軍のように気性が激しかったら、私は殺されてしまうかもしれませんが」

 孫策は気に食わない者はすぐに殺してしまう傾向があった。それがたたって、殺した者の家臣の恨みを買い、暗殺された。

「それはない。似ているところもあるが、抑えがく」

 孫権は父や兄の攻撃的な気質とは異なり、守勢の人物と見られていたが、本質的には父の血を引き、兄の野望を受け継いでいる。

 ただ他の群雄たちの争いに積極的に加担せず、江南の安定を図り、地盤固めを優先させてきたに過ぎない。自らをよく抑えて、富国強兵を図ってきた。

 孫権の本心は曹操を破り、曹操に代わって覇を唱え、天下を収めることだと孔明は見ている。心の奥にその野望の火がくすぶっている以上、孫権が降伏論者たちに簡単に説き伏せられることはない。しかし、時間をかければ、その孫権の心に燻る反抗の火も降伏論者たちによって吹き消されてしまうだろう。孔明は降伏論者の多言によって消されかかっているその火をあおって、孫権の心に曹操を打倒するという意志をはっきりと表出させなければならない。その上で、曹操を破るのに劉備軍の助けが必要だと思い込ませる必要がある。魯粛には同盟締結をさらに強く進言させて、後押ししてもらわなければならない。

 元々魯粛は劉備との軍事同盟を提言した張本人であり、義侠の生き方に理解を持った人物である。その魯粛の心を劉備サイドに強く引き寄せたことに、孔明は自信を持っていた。

 魯粛は当陽から劉備軍と苦難の逃避行を共にした。苦難を共有した者たちが運命共同体として親近感をはぐくみ、連帯感を強めるように、魯粛の中にも劉備軍に対する親近感が芽生えていた。その最中、魯粛は劉備君臣の義理人情で結ばれた固い結束力をの当たりにし、関羽・張飛らを中心とした劉備軍の強さを目撃した。それらは大きな魅力である。

 寡兵かへいであっても、互角以上の戦いを演じる劉備軍は魯粛の心を打ったはずだ。

「子瑜殿の弟だけあって、君とは大いに気が合いそうだ」

 少年時代の孔明を知る魯粛は、自分でも知らないうちに立派に成長した孔明本人の魅力にも引かれていた。

 

 孔明と魯粛が江水を下っている頃、その上流で同じように江水を下る一艘いっそうの船があった。乗っているのは司馬懿しばい一兵卒いっぺいそつに身をやつした曹彰そうしょう、そして、火見を含む倭国の一行と新たに加わった二人。桓階かんかい劉巴りゅうはである。

 桓階、あざな伯緒はくしょ長沙ちょうさ臨湘りんしょうの人で、孫権の父・孫堅が長沙太守であった時に孝廉に推挙され、孫堅が劉表との戦いで戦死した際にはその恩義に報いて遺骸いがいを引き取った。その後、張羨ちょうせんの反乱に加担し、今は朝廷に召されて、曹操に仕える身である。

 劉巴はあざな子初ししょという。零陵れいりょう烝陽じょうようの人である。後漢の祖である光武帝の血脈を継ぐ。劉表が荊州を治めていた時代に襄陽の荊州学府に出入りしており、その有能さを評価されていた。劉巴は劉表の誘いはかたくなに断っていたが、曹操の要請には応えて出仕した。そして、出仕後すぐに与えられたのが荊南諸郡への使者としての任務である。

 曹操は勝利の先を見据えていた。まだ自身の直接的な支配力が及んでいない荊南諸郡の調略のために、曹操は桓階や劉巴ら荊南出身の家臣数名を送り出していた。

 江水は江陵から蛇行を繰り返して南下し、南から北流してきた湘水しょうすいと合する。

 他にも沅水げんすい資水しすいなどの河川が集まり、その合流地点は膨大な水量をたたえる巨大な湖となって、一面を水の世界へと変えていた。

 そこに入った彼らを迎えたのは、湖面を吹き渡る強風と荒波の洗礼である。

 それはだんだん激しくなって、船は前に進むことさえ難しくなった。それは倭国の一行に中国に渡るための航海で味わった苦難を思い出させた。

「これは海?」

 まさに海と見紛みまごうような広い湖の上では対岸も見えず、さらに霧が深くなって、火見たちを乗せた船はまるで大海を漂う木の葉のようである。

洞庭どうていという湖だ。もっとも、私は海というものを見たことがないが」

 火見の問いに地元出身の桓階が答えた。湖の東岸は長沙郡である。

 中国の大地はあまりにも広大であるため、内陸の人はほとんど海を知らない。

「この風と霧じゃ、これ以上行くのは無理ですだ。船を岸に付けますんで、風が収まるのを待ちやしょう」

 かさ目深まぶかにかぶった船頭が振り向いて、しわの入った顔にさらに皺を寄せ、一行に言う。

「岸なんてどこにある?」

 曹彰が聞いた。が、その答えを待つまでもなく、前方に霧の中に浮かぶ巨大な幻影が見えた。島影だった。ゴツンと船底が岸辺に乗り上げる感触がした。

「ここは?」

湘山しょうざんといいますだ」

 湘山とは小高い山であり、洞庭湖に浮かぶ島のことである。

 洞庭湖は乾季と雨季でその水量が大きく変わる。乾季には湘山は対岸と陸続きになることもあった。その時は島というより、山といった方がしっくりくる。

 霧にかすむ島に目をこらしながら、司馬懿が思い出したように言った。

「湘山といえば、湘君の祀廟しびょうがあるところだな」

 湘君とは古代中国で聖人とされる五帝の一人、しゅんの二人のきさきのことをいう。

 遥か昔、ぎょうの二人の娘が舜の妃となった。堯もまた五帝の一人である。

 舜は荊南を巡行中、蒼梧そうごという土地で病にかかり、没してしまった。舜の聖骸せいがいはその地の九疑山きゅうぎざんほうむられた。舜の巡行に付き従っていた二人の妃はそれを悲しんで、湘水に身を投げ、水神すいじんになったという。

 湘水は九疑山のある山麓さんろくみなもとを発し、北流して洞庭湖に入る。地元民は湘水が流れ着く洞庭湖の小島に霊廟を建て、二人の霊魂を祀った。

 それからずっと時は下って、秦の時代――――。

 天下統一を果たした始皇帝が各地を巡行して、洞庭湖の付近で江水を渡ろうとした。ところが、突然大風が吹き始めて始皇帝は渡河できず、危うく船が転覆しそうになった。湘君の二神は風雨波浪を呼び起こすといわれ、これが湘君の仕業しわざだと知った始皇帝は激怒して、湘山に兵を派遣した。そして、山に生える木々という木々を切り倒し、山を丸裸にした挙句あげく、霊廟を破壊したという。

「……『史記』にそんな話がある」

 博識の司馬懿が湘君の伝説を一同に語って聞かせた。

『史記』とは、司馬遷しばせんあらわした歴史書のことだ。伝説の黄帝から前漢の武帝までの歴史を紀伝体きでんたいで記したもので、後世に残る名書である。

 司馬遷はあざな子長しちょうといい、武帝の時代の人である。司馬懿は本好きな上、著者が同姓であるのも手伝って、『史記』を好んで読みふけって、その知識が豊富であった。

「では、この風もその湘君の仕業なのですか?」

 難升米なそめがその伝説を真に受けて、聞いた。

「それは単なる昔の伝説だ。始皇帝は暴君であったが、丞相は違う。偶然、大風が吹いたくらいで丞相の命を放り出すわけにはいかん」

 思わぬことに、司馬懿は江東への使者を命じられた。

「――――せっかく来たのだ。お前にふさわしい役目を与えよう。江東へ行き、降伏を勧めて参れ」

 曹操は司馬懿に死地へ入るように言った。孫権に降伏を勧告するのだ。

 当然、孫権のみならず、それをよしとしない江東諸官の感情を逆撫さかなですることになりかねない。使者は丁重ていちょうに扱うのが習わしであり、共通の儀礼である。どんな場合も使者は殺さないのが通例であったが、それが此の度も保障されるとは限らない。

 何も曹操は司馬懿を殺したいわけではない。有能だと知っているからこそ、敵地に入る役目を任せたのだ。その証拠に息子の曹彰をそのままボディーガードに付けた。

 曹彰の妻は孫賁そんふんの娘である。孫賁はあざな伯陽はくようといい、孫権の従兄いとこに当たる。

 曹家と孫家が婚姻関係を結んだのは十年ほど前のことである。当時、北方の袁氏と対立していた曹操は、南の孫氏を懐柔するために、政略結婚で自分の息子の嫁に孫賁の娘を迎えたのだった。孫賁は江東の重鎮であり、軽挙妄動けいきょもうどうしない落ち着きのある人物と言われていた。孫権に向けた公的な使者であることだし、孫賁がみすみす義理の息子とその一行を殺させたりはしないだろう。

「――――火見、仲達がわしの言葉を伝えて江東を降伏させる。そなたも付いて行って、それを見届けるがよい。倭国の争乱を収めるための良き事例を目にすることになるだろう。何かあれば、その能力で仲達を助けてやってくれ」

 しかし、その能力ゆえに司馬懿の江東行きに付き合わされる形になった火見はあらゆることを凶兆と結び付けてしまう。ずっと同行している爺禾支やかしも発熱して体調を崩している。病気知らずを自慢していた爺禾支がそんなことになって、火見の不安は増すばかりだ。

「やっぱり不吉だわ。この大風が船を進ませないように吹き付けているのは、この先に良くないことが起きるあかしよ」

「では、事のついでに湘君に今後の幸運を願うことにしてはいかがですか? 長沙では、湘君は水神だと信じられています」

 桓階が司馬懿と倭国の一行に提案した。桓階はかつて長沙太守となった孫堅の下にいたので、孫賁を含め江東には旧知の者が多い。その経歴を買われて、長沙郡の調略を行った後に江東に入るように命を受けていた。

 長沙の東に隣接するのが予章郡であり、現予章太守が孫賁なのである。

「そうしてみるか」

 湘山の伝説に興味を持った司馬懿が桓階の提案に乗って、一言呟いた。


 一行が小高い丘のような湘山を登るのに、そう時間はかからなかった。

 鬱蒼うっそうと茂る竹林の奥に古色蒼然こしょくそうぜんとしながらも、手入れの行き届いた霊廟があった。始皇帝に破壊されたのが真実だとすると、先人達が再建し、それを守ってきたのだろう。

 湘君廟は大きな礼拝堂が一つあるだけの素朴な造りながら、おごそかな空気に満ちていた。壁には精巧な石造りのレリーフが飾られていた。舜の二人の妃、娥皇がこう女英じょえいかたどったもので、彼女たちを紹介する文章がその脇に彫り込まれていた。

 その下に祭壇があり、祭壇の前に置かれたかなえ(食物を煮炊きする祭器)に供物くもつを捧げる先客があった。そですそり切れた白黒のボロ道着をまとった白髪の老人である。

「ほぅ、こんな小さな娘さんじゃったか」

 老人が振り向いて火見を見た。その言葉に敏感に反応した司馬懿が問う。

「ご老人、どういう意味ですか?」

「いや、今まで感じたことのないような特別な気配を感じましてな。それがいったい誰のものかと思って待っておったのですよ」

 その老人の台詞せりふは火見が特殊な能力を持っているのが分かっているかのようだ。

 司馬懿もその老人が只者ただものではないと分かって警戒した。

「ご老人はただのおきなとは違うようですな」

「長く生きておりますとな、何となく分かるんですな。世の中の気の流れというものが」

 その老人は年のせいだけでなく、その身にまとった雰囲気自体がどこか事態を達観した様子をかもし出している。

「お尋ねするが、この風と霧は湘君が起こしておるのでしょうか?」

 桓階が先程の難升米の疑問を代弁して聞いた。

「湘君というよりは、これは一種の天の警告でありましょう」

「天の警告?」

「この霧は陰気の集まりでございます。争いばかりをやっておると、世の中に陰気が満ちるんですな。特に戦争なんかすると、人がたくさん死にますでしょう。そうすると、陰気が辺りに充満して、濃霧のようになって目に見えるのですよ」

 長坂で戦があったばかりだ。人がたくさん死んだ。

「陰気の様子がただなりませんな。荒々しく高ぶっております。天はそれを大戦の予兆として見せて、そうならないように警告しておるのですよ。戦はいけません」

「私は戦を防ぐためにも江東へおもむかねばならない」

 任務を全うできれば大戦が避けられると思うと、司馬懿は一層責任感を強くした。

「ほう……。あなた様のお生まれは中原ちゅうげんですかな?」

 得体えたいの知れない老人が司馬懿の顔を覗き込みながら、興味ありげに聞いた。

河内かだいおん孝敬里こうけいりですが……それが何か?」

 司馬懿が一層いぶかしんで問い返した。

「なるほど。やはり、中央の気を受けた人物でしたか。天下を治める器量の持ち主とお見受けしました」

「何を戯言ざれごとを。天下を治め得るは、漢の丞相ただ一人。私は丞相の偉業をお助けするだけ。そして、江東へ赴くため、湘君に祈ってこの風を収めたいだけです」

「それも良いでしょう。その思い、まことならば、天に通じるかもしれませんな。どうぞお祈りくだされ。この爺が大願成就の祝詞のりとを唱えて差し上げます」

 怪訝けげんに思いながらも老人に促され、司馬懿と桓階、劉巴の三人が湘君のレリーフの前にひざまずいて、拝礼を捧げた。倭国の一行はその背後に控えている。

帝子ていし北渚ほくしょくだる。目眇眇びょうびょうとして、われうれへしむ……」

 老人が何やらぶつぶつと呪文なようなものをとなえ始めた。司馬懿はそれが屈原くつげんの詠んだ詩句の一節だと分かった。

嫋嫋じょうじょうたる秋風、洞庭波立ち、木葉もくよう下る……」

 落ち着いた旋律。老人の言辞は自然と火見を燭台の炎の中に誘った。

 眉目秀麗びもくしゅうれいの長身と姿貌短小しぼうたんしょう醜男ぶおとこ。女の姿も見える。顔をわずらっているらしい。

 三人が跪いて、湘君に拝礼する。長身の男の方が老人と同じ屈原の歌を捧げる。

白薠はくはんに登りてのぞみせ、佳期かきともにせんとしてゆうべに張る。鳥なんぞひんの中にあつまれる。あみなんぞ木の上になせる……」

 宙に流れるような言の葉の旋律。それは見えないが、天へ地へ、四方へ放たれ、自然の気と融合し、反応を起こす。礼拝堂が暗くなった。いや、辺り全体が暗くなった感じだ。

「何だ?」

「私が見て来ます」

 難升米の疑問に爺禾支が病気の体をおして、外の様子を見に行った。

 それは火見には見えていない。火見は幻影を見ている。違う世界を覗いている。

 火見が見る映像ビジョンの中でも、辺りが暗くなって、ほのかに黄色く色付いた煙とともに音もなく黄金こがね色の鼎が現れ出るシーンが展開された。

 今、老人の前にあるものと同じ馬のような動物をかたどった小型の鼎。そして、火見には美しく変身した女性の姿が見えていた。

げんしんあり、れいに蘭あり。公子を思いて未だえて言わず。荒忽こうこつとして遠く望み、流水の潺湲せんかんたるをる……」

 老人の前にあった鼎から煙のようなものが湧き上がってきた。

 火見が見る映像ビジョンは新たなものへ変わっていた。それは多大な戦慄を伴うものだ。火見の体が恐怖を訴える。

汀洲ていしゅう杜若とじゃくり、まさもって遠き者におくらんとす。時はしばしば得るべからず。しばら逍遥しょうようして容与ようよせん……」

 が、そこで老人の言辞が途切れると、火見の幻想もぷつんと途切れた。

「あなた様にこれを差し上げましょう……」

 老人は言うと、祭壇に設えられていた鼎の中に手を差し込んだ。そして、立ちのぼる黄色い煙を両手ですくって、ふわりと司馬懿の体に浴びせた。

「これはいったい何の真似まねですか?」

「まじないでございますよ。この鼎はいにしえから伝わる神器の一つでございましてな、神器の霊気があなた様の助けとなるように、加護を願ったのでございます。霧も風も間もなく止むでしょうから、しばらくここで待たれるとよろしい」

 老人が神器というその鼎は馬のような形をしており、三脚がそれぞれ馬脚のデザインとなっている。突き出た頭の部分には二本の角を生やしていて、目には黄金がめ込まれていた。

 老人の詠んだ屈原の詩は『しょう夫人』という。湘君を慕って詠われた歌だ。

 屈原とは戦国時代末期のに仕えた政治家であり、奸臣の讒言ざんげんで国を追放され、荊南を放浪した挙句、湘水に注ぐ支流の一つ、汨羅べきら江に身を投げて自殺した悲劇の詩人である。後の人々は湘君と同じように、屈原の霊魂をしずめるために霊廟を作り、祭祀を行った。屈原の亡骸なきがらが魚に食べられないようにちまきを川に投げ入れ、彼の命日である五月五日を祭日とした。これが〝端午たんごの節句〟の起源である。

 屈原は放浪の最中、有名な『楚辞そじ』の数々を残した。

『楚辞』とは、屈原の詩賦を集めた詩集のことだが、声を高らかに詠う詩歌のスタイルをいう。「辞」とは祝詞のりとであり、祭祀の時に神に捧げられる言葉である。

 つまり、言霊ことだまを持つ。屈原は巫祝ふしゅく(シャーマン)の一面もあったという。

 それらを知る司馬懿であったが、老人の言葉を素直に信じられず、礼を言わなかった。しかし、老人は気にする様子もない。爺禾支が戻ってきて変事を告げた。

「日が欠けています!」

「何だと?」

「先ほど言いました通り、大戦を戒める天の警告でございますよ。戦はいけません」

 司馬懿は外に走って出て、それを自分の目で確かめた。金環食きんかんしょくである。雲と霞が邪魔してくっきりとは見えなかったが、太陽の前をさえぎった月がその大半を黒く隠していた。

「さて、気になっていた気配が無垢むくな少女のものだと知って安心したことですし、私は行きますかな……」

 用を済ませ、老人が霊廟を去ろうとした時だ。爺禾支が火見の様子がおかしいのに気付いた。体が小刻みに震えている。

「……どうした、火見?」

 火見は返事をしない。視線は燭台しょくだいともる火に注がれていながら、焦点を結んでいない。

「おい、火見、どうしたんだ?」

 爺禾支が火見の肩を揺すった。不意に現実に引き戻されて我に返った火見は、

「え、ああ……」

 おもむろに顔を覆ってしゃがみ込んだ。難升米が心配して、火見の肩を抱き抱えるようにして聞いた。

「また何か見えたのか?」

「ええ。見えたけど……今までにないような感覚だったわ。まるでその場にいたみたい。……うまく説明するのは難しいわ」

 火見は苦しそうに顔をゆがめて答えた。臨場感溢れる幻覚に脳が錯乱さくらんしているのだ。猛烈な風が体を吹き抜ける感覚や熱波に肌が焼かれる感覚。それを体がはっきりと覚えているのに、目の前の現実にはひんやりとした平穏な空気が漂っている。

「それでもいい。ゆっくり頭を整理した後で聞かせてくれ。火見の予見は我等の命運を左右する大事な知らせだ」

 難升米は火見をさとして言った。火見が力なくうなだれるようにして頷いた。

 整理するまでもなく、あれは凶兆であることは明らかだった。それをまさに身をもって知っただけに、火見はこの先に待ち構える運命がひどく恐ろしく感じて震えた。それを見た老人がすれ違いざまに火見に告げた。

「ここは陰気が濃くなっておる。呑み込まれないよう気を付けなされよ。もし、万が一、陰気に呑み込まれて道に迷った時はまたここを訪れなされ」

 言われた火見の方は意味が分からずに、きょとんとして老人を見送った。

 司馬懿と火見たちが見送る中で老人は濃霧の中に忽然こつぜんと消えた。

「火見は落ち着いたか?」

 司馬懿が火見の様子を心配して、難升米に聞いた。

「はい。霊感体質が過剰に感応したようで、まだ少し混乱していますが、大分落ち着いてきました」

「そうか。あの老人が言ったように、ここは本当に気が濃くなっているようだ。早く立ち去った方がよいな。外の霧と風はどうなったか?」

「私が見て参りましょう」

 無口な性格らしく、ほとんど言葉を発しなかった劉巴が静かに立ち上がって、外の様子を見に行った。司馬懿はもう一度火見に目をやって、その様子を気にかけた。神聖な空気に包まれ、爺禾支に介抱されて、火見はかなり落ち着きを取り戻している。すぐに戻ってきた劉巴の顔に驚きの様子はなかったが、

「驚きました。風が止んで、霧も晴れています」

 そんな表情とは真逆の台詞せりふを言って、やはり、あの老人が只者でなかったことを告げるのだった。

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