其之四 長坂坡
逃げ惑う民衆が戦乱に巻き込まれて次々と倒れていく。
劉備はこれらの民衆を守るように兵を進めたので、その行軍は
曹操の騎兵隊の一部には荊州の、つまり、元
「民に手をかけるとは、
その男、
趙雲、
趙雲は脱輪して止まっていた劉備夫人の馬車を見つけた。
「奥方様!」
中を覗いたが、車内には誰もいなかった。奥方というのは劉備の妻、
趙雲は劉備夫人を乗せた馬車が一向に見えないのを
「奥方様を見なかったか?」
助けたばかりの農夫に趙雲が声をかける。
「兵隊さまが連れて行きました」
「どっちだ?」
「あちらです」
「何?」
その農夫が指差したのは、江陵とは反対の方向である。
「この先に
「は、はい」
その農夫が立ち上がって走って行った。それを見届けた趙雲は槍を脇に抱え、馬に乗り、また道を逆走して行った。
趙雲は単騎である。曹操軍の兵士たちが脇をすり抜けていくが、意外と敵だとは気付かれない。もちろん、単騎で敵軍の中を突破しようとするそんな無謀な者がいるなど想像もつかないから、曹操軍の兵士たちも趙雲を見過ごして通り過ぎていった。
「劉備夫人はどこだ?」
逆になりふり構わぬ趙雲は敵兵に情報を求めた。
「ああ、この先です。荷車で運ばれています」
「荷車だと?」
それを聞いた趙雲は聞くやいなや、飛ぶように駆けていった。
この辺りは
「そこの荷車、待て!」
趙雲の声を聞いた曹操軍の将軍が慌てた。
「まずい、あれは趙雲だ」
劉備夫人を生け捕ったのは、劉表に仕えていた
劉備を襄陽から追いやった
「奴を殺せ!」
蔡和・蔡中の命令で三十騎の荊州兵が趙雲に向かっていったが、全く相手にならなかった。あっという間に全員が槍で突き殺され、叩き落とされ、趙雲が肉薄した。
「せっかくの戦利品を奪い返されてたまるか!」
劉備夫人を戦利品と口走った蔡和の失言は趙雲の怒りを買った。二人は無謀にも槍を片手に立ち向かっていったが、
「無礼者め!」
趙雲の
「しまった!」
趙雲は急いでそれを追いかけた。荷車は悪路に激しくバウンドし、夫人たちは悲鳴を上げながらも、投げ出されないように懸命に車にしがみついていた。
趙雲が槍を放り投げる。それは車輪の間を貫いて、坂道の土手に鋭く突き刺さった。
「きゃああっ!」
趙雲の槍は何とか転げ落ちる車を道の中腹に繋ぎ止めたが、片側の車輪が土手に乗り上げる形になって、勢いで夫人たちは荷車の上から放り出された。
そして、もう一つ。宙を飛ぶ小さな影。
「とあっ!」
趙雲は馬の背からジャンプして、羽織っていたマントでその小さな体を空中で受け止めると、それを胸の中に柔らかく抱えて、華麗に着地した。同時に胸の中の
「阿斗様!」
阿斗が何事もなかったかのようにすやすやと眠っているのを見て、趙雲は安堵した。趙雲はマントを
投げ出された夫人たちは無事であったが、麋夫人の方はわき腹に重傷を負っていた。着物が血で
「この傷は?」
趙雲は自分のせいかと一瞬動揺したが、
「姉上は敵兵に襲われたのです」
甘夫人がよろよろと歩み寄ってきて、真相を告げた。
「すぐに兄上のもとへお連れします。どうぞ馬にお乗りください」
趙雲は甘夫人に自分の乗馬を勧めた。
「姉上はどうするのです?」
「ご心配なく。私がこの荷車で運びます」
「……それは……無茶です」
趙雲の計画に首を振ったのは麋夫人だった。
「議論している暇はありません。御免!」
趙雲は強引に甘夫人を馬に押し上げると、槍で馬の尻を引っ
しかし、趙雲を敵と認めた曹操軍の兵士たちが取り囲んでそれをさせなかった。
「邪魔をするな!」
趙雲は荷車の後部に槍を突き立てて、ストッパー代わりにすると、素手で敵兵に立ち向かった。敵の騎兵が槍を突き出したところを摑んで落馬させると、槍と同時に馬を奪う。すると、趙雲は取り囲む敵兵を次々と突き殺していった。荷車に近付いた敵兵に対しては、手にした槍を再び放り投げ、それを串刺しにした。そして、また敵の槍を奪い、敵兵を突き殺す。
「どりゃあ!」
その囲みの一角が豪快に開いた。孤軍奮闘する趙雲のもとに現れた力強い援軍。
張飛、
張飛は力自慢の五人の兵を連れて来た。
「話は聞いた。子龍、姉上を運べ。敵は俺が引き受けた!」
そう言うと、張飛が猛然と敵中に突入した。張飛が連れて来た兵士たちが荷車を引く。趙雲はそれを護衛するようにして、敵兵を一人たりとも寄せ付けない。
「この糞野郎どもめ、この張飛を相手に死ぬ覚悟はできてんだろうな!」
張飛が
張飛は一
長坂の丘の下には
橋の上には張飛一騎。そこに曹操軍の本隊が合流して大挙して押し寄せた。
「へっへへ、大軍だな」
張飛は全く動じない。むしろ、敵の多さに笑みさえ浮かべる。
「俺は
天を
「こけおどしが!」
無謀な一人が張飛に立ち向かったが、あえなく張飛の
「次はどいつだ?」
張飛が豪語して、敵軍を見渡した。だが、余りの強さを
忘れるはずがない、鋭い目つきのあの顔は――――。
「曹操!」
鬼の
曹操を守る近衛兵たちがそれを防ごうと道を
しかし、張飛が突進するその先では、兵たちはいとも
「
曹操が思わず
「たかが一人、恐れることはありません。この私が奴を討ち取ってみせましょう」
そう豪語したのは曹操のボディーガードを務める、
強敵を前に虎の野性的本能が目覚める。許褚がゆっくりと馬で進み出て、無人の野を行くような張飛の前に立ちはだかった。
「何だ、てめぇは! どきやがれ!」
張飛が無謀な敵に罵声を浴びせかけながら、
「ぬんっ!」
許褚はそれを長刀で豪快に弾いて、逆に張飛に斬りかかった。
「何ィ!」
張飛は自分の一撃がかわされたことに驚きながらも、こちらも許褚の長刀の重い一閃を弾き返して、
それから張飛と許褚の壮絶な一騎討ちが始まった。兵たちはそのすさまじい迫力に息を呑んだ。激しい打ち合いが数十合も続き、互いのかけ声と武器と武器がぶつかる金属音が辺りに響く。そこだけ隔絶された別世界のようだ。
「見ろ。林に伏兵を潜ませている」
冷静沈着な曹操は川の向こうの林から滲み出る殺気を感じ取って言った。
「劉備は張飛に時間を稼がせる気だ。
曹操はそれを見て、騎兵隊の中でも一番の精鋭に進撃を命じた。
「はっ」
張飛は
「畜生、どこ行きやがる!」
考えることはあまり得意でない張飛にも、それが迂回しようとしての行動だと察しがついた。背後に回られては意味がない。何しろ、殿軍は僅か二十騎なのだ。
張飛は一騎討ちを中断して、撤退を決めた。馬首を返して橋に駆け戻る。
「突っ込んできたくせに逃げるのか!」
背後から許褚が罵声を浴びせた。
「うるせぇ、また今度だ!」
橋に戻った張飛が直下に
まだ暴れ足りない張飛であったが、兄の一行を追うために再び馬首を返して林の向こうに消えていった。
その前方、五里(約二キロメートル)――――。
当陽の南郊を逃げ進んでいた劉備の前に突然、予期せぬ訪問者が現れた。
「失礼ながら、劉皇叔でございますか?」
「そうだが」
「ああ、お会いできてよかった。私は江東に仕える
そう名乗った文官風の男が馬を下りて拱手の礼を取った。
魯粛、
「江東の者がどうしてこんなところにいる?」
「私は主君・孫権の
魯粛の唐突な問い。劉備が率直に答える。
「江陵だ」
「
魯粛は的確に状況を分析して、柔らかな口調で整然と述べた。
「その申し出は嬉しい限りだが、江東は遠すぎる。見ての通り、私を慕って付いてきている民は疲れ果てており、とても江東まで連れて行けない」
劉備は慈愛の目で自分に付き従う民を見渡した。
劉備軍には襄陽の民たち数万が随行していた。劉備が江陵に向かうと知って、急ぎ家財をまとめ、着の身着のままで従っているのだ。
曹操の支配を恐れ、劉備を慕ってのことではあるが、孔明は民を随行させることには反対した。しかし、劉備は民を見捨てられないと言って、あえて苦難の道を選んだのである。
「さすがにこれだけの民を共に連れていくのは無理でしょうが、皇叔の軍だけなら……」
「民を見捨てることはできない」
劉備がきっぱりと言った。魯粛が粘る。
「皇叔が目指しているのは曹操に捕らわれている陛下をお助けし、漢室を復興することではないのですか? 曹操を倒し、大業を成すためには我が主君、孫
江東を
「言いたいことは分かるが、民を
簡単に説得できると思っていたのに、魯粛は思惑が外れて、言葉を失った。
単純な論理、明らかな道理ではないか。この期に及んで、なぜ劉備はそれを承知しないのだ? 理解に苦しむ魯粛は更なる言葉を探さねばならなくなって、内心
魯粛の考慮に欠けているのは、感情というものは単純に割り切れるものではないということだ。特に劉備は小さくとも、義に
二人の傍らで様子を見ていた孔明が口を挟む。
「魯粛殿、
「おお、
魯粛が馬上の孔明を見上げて言った。二人は十数年前に一度出会っている。
孔明がまだ少年の頃、徐州から江南へ避難する最中のことであった。孔明の兄の
「今は昔話をしている時ではありません」
「うむ、そうだった。そなたなら、私の言を理解できるであろう」
感傷から一転、魯粛は真顔になって孔明に理解と後押しを求めた。
対する孔明は魯粛の考えに理解を示す一方で、アドバイスを送る。
「魯粛殿、我が君を説くには信義がなくてはなりません。信義なき言葉は我が君の心には響かぬのです」
「信義ある言葉のつもりだが」
思わぬ孔明の言葉の冷たさに魯粛は
「そうでしょうか? 弔問とは表向き、真の目的は我等の実情を探るためではないですか?」
涼しげに言う孔明は魯粛の目的を事前から分かっていた風である。
「実情?」
劉備が孔明に聞いた。
「はい。江東も荊州の次に狙われるのが自分たちであることは百も承知のはず。
建安十三(二〇八)年春、孫権は父の
「その通りでございます。しかし、皇叔と力を合わせ、曹操に対抗しようという意志は本意にございます」
孔明にあっさりと真意を突かれて、魯粛はまた焦った。必死に弁解を試みると、当の孔明がそれを擁護して言った。
「その通りでしょう。つまり、魯粛殿が言いたいのは、江東だけの兵力では曹操に対抗し得ないので、我が方との共闘を望んでいる。そのためにも我が軍にここで壊滅されては困るということです。我が軍の勝敗
「……いかにも」
いとも簡単に腹を見透かされて、魯粛はそう絞り出すのが精一杯だった。
魯粛は自ら劉備説得を孫権に申し出てやってきたのだ。簡単に説き伏せられると思っていた。それなのに、劉備は首を縦に振らない。魯粛の代わりに孔明が決断を迫った。
「曹操の追撃が迫っています。江陵は諦めましょう」
「江陵を諦めてどうするのだ? 江東に向かうのか?」
劉備は孫権に身を寄せることには気乗りしなかった。できれば、したくない。
これまで、曹操・
孔明はそんな劉備の気持ちをよく分かっていた。そして、劉備の性格も熟知している。なので、此度のチャンスを逃させまいと言葉を選ぶ。
「いいえ。東に向かい、
劉表の長子・
漢水と江水(長江)が合流する夏口に一万程の兵を擁して駐屯しているのだ。
「民は……」
劉備の言わんとするところを理解する孔明は、劉備に
「民は江陵に向かわせます。曹操に一時預けるのです。徐州の時とは違います。此の度は曹操も無抵抗の民を無闇に殺しはしないでしょう。むしろ、我が軍と行動を共にした方が戦禍に巻き込んで、被害を増大させてしまいます」
曹操という人物は戦をよく心得ている。劉備軍を物資の蓄えられた江陵へ入れさせないために、きっと軽騎兵で急追してくる。行軍が遅くなれば、江陵に辿りつけないばかりか、途中で捕捉されて壊滅してしまいかねない。
孔明が頭の中に用意している軍略は単純なものではないし、不都合が生じた時のための代替案は常に考えてある。当然、江陵を放棄する場合の算段もできている。
『十万の民が江陵に入れば、それだけ食糧を消費してくれる』
民を生かしつつ、曹操軍を悩ませる――――この真意を劉備に告げるのは伏せた。それを知ってか知らずか、劉備は、
「分かった。預けるのだな。民にはいつか江陵で再会しようと約しておこう。一応、曹操にもよろしく言っておこうか。曹操が民を殺すことはないだろうが、念のために……」
それがどういうことか孔明にも分からなかった。
敵対しているにもかかわらず、どうやら、劉備と曹操の間には孔明にも分からないような一種の信頼関係があるらしかった。
劉備軍は当陽から東へ進路を変えて、南流する漢水へ向かった。
涼州の騎馬隊が追撃してきたが、不要な荷駄で街道を
敗走を重ねる劉備軍は多数の被害を出しながらも漢水の岸辺に達し、襄陽の軍船を率いて待機していた関羽と合流した。孔明は諸事情から最初から江陵に入るのは難しいと見て、
何とか曹操軍の追撃をかわした劉備軍であったが、多くを失い、江陵にも落ち着くことができず、その悲惨な現実は将兵皆を意気消沈させた。一番応えたのは麋夫人の死である。
趙雲は行方不明になっていた甘夫人と阿斗を救出してきてくれたが、重傷を負った麋夫人は満足に動くこともできず、自ら井戸に身を投げて果てたのだという。
「申し訳ございません。少し目を放した間に……」
「……そうか。こんな私に嫁いだばかりに……」
劉備も言葉を詰まらせた。
東海国
「子龍、すまなかった。私のためにこんな傷だらけにさせてしまって……」
劉備が
庶民出の劉備が他の君主と大きく違うのは、このように情に厚いところである。
それが家臣や民の心を
「いえ、兄上のためなら……」
趙雲が涙声で答えた。趙雲も劉備に
そんな情景を切り裂くように敵が現れた。張飛と互角に渡り合った強敵。
「
「しつこい野郎だ。すかしやがって!」
張飛が馬超の声を聞いて、再び目を
「兄上、曹操の追手がやってきました。私が迎え撃ちましょう。行って姉上の無念を少しでも晴らして参ります」
何もできなかった無念を押し殺し、
落ち延びた将兵たち全員が船に乗り込むために、いくらか時を稼がなければならない。それにやられ続けて終わるのは
「俺も行くぜ。
激戦続きだというのに、
孔明はそれを見送った。発奮した二人を合わせると、これは二万の兵力に等しい。
『不運であっただけだ。我が軍は決して弱くはない……』
追撃してきた曹操軍はそれを思い知ることになるだろう。
傷心の麋竺・麋芳は悲しみに暮れながらも、傷付いた兵士らを船に乗り込ませていた。これら兵士の中にも敗戦と
『
関羽・張飛に率いられた精鋭兵は数で劣りながらも、涼州騎馬隊を食い止めて、完璧な防壁となっていた。劉備陣営に身を投じたばかりの孔明はその戦況を見つめながら、冷静に自軍の強みを分析していた。
『歳寒くして、
それは『論語』の中の言葉だ。寒く厳しい季節が来てはじめて松や
劉備は何度負けても、何故か潰れない。それどころか何かと他人の援助を得て、また立ち上がる。その要因はひとえに劉備という人物が持つ人徳にある。
義侠心。義理人情……。目に見えないその力は人を集め、引力のように引き付けて結び付ける。劉備に従う者たちは知らず知らずそんな魅力に触れ、感化されて集まっているのだ。それは自分もそうだと孔明は自覚している。
彼は弟とその取り巻きに家督を奪われた哀れな人物であるが、今では劉備を叔父上と呼んで頼りにしている。江夏郡に兵を帯びて駐屯している劉琦はこちらにとっても頼りになる存在だ。そして、その向こう。
『この魯粛も我が君の引力に引かれるだろう……』
押し黙った魯粛は上辺を飾った自分の言葉に信義が足りなかったことを自覚して、自分を恥じていた。孔明はそんな魯粛の人柄を見て思う。
「君の兄上に言われていた。弟に会うことがあったら、どんな人物になったかよく見て教えてほしいと……。帰ったら、全てを見越せるとんでもない人物になっていたと伝えなければならないな……」
当陽での会見以来、口数の少なくなっていた魯粛が孔明に言った。
「魯粛殿。私だけでなく、よく見ておいてください。我が軍の強さを」
孔明はその時、兄の顔を一瞬思い浮かべただけで、まずは目の前の魯粛を引き寄せることを優先させた。
当陽に到着した曹操は劉備が東行して逃げたと聞いて、
「また生き延びたか」
そう言って、満足そうな笑みを浮かべた。涼州の騎馬隊を追撃隊として送ってはみたが、江陵奪取が本命である。本気で劉備軍を壊滅に追い込むだけの戦力ではない。劉備は
そこが劉備という男の何とも面白いところだ。
『奴も天に愛されておるな……』
天に選ばれたと自覚する曹操にはそれが分かる。
「丞相、兵がこんなものを見つけたそうです。街道の木の枝に結び付けられていたとか」
許褚が一枚の布切れを持ってきた。それは劉備が残した曹操へのメッセージである。
――――左将軍より漢丞相へ。漢の民と皇帝陛下をよろしく――――
劉備に従って南行した民たちの保護と皇帝の面倒を曹操に託した内容である。
曹操にとっては、大きなお荷物を押しつけられたようなものだ。
だが、漢の丞相を名乗る以上はこれを放り出すわけにはいかない。
「ははは、玄徳め」
それを見た曹操が思わず声を上げて笑い、劉備の置き手紙を放って火にくべた ――――火見はそんな光景を見た。
「何だか嬉しそう」
戦火で焼けた民家の一部がまだ燃えていた。火見は屈んだままその炎を見つめて言った。そして、焼け跡をほじくりながら、
「勝ち戦だからな。父上も上機嫌だろう」
丞相が笑っていると聞いて、
曹丕は火見が勝利の未来を見たのだと思っていた。
「何をしている?」
「これです。丞相が見たのは」
火見が差し出したのは、焼け残った布切れの一部である。司馬懿はそれを受け取ったが、ただのゴミにしか見えなかった。それに
司馬懿は当然それを知る
つまりはこういうことだ。
「……過去の光景も見えるのか?」
「少しだけなら」
火見は短く答えた。遠くない過去の光景。司馬懿はここに来てはじめて知った。
火見には未来だけではなく、過去を見る能力もあるのだと――――。
江陵に入城した曹操は当面の目標であった軍船と武器食糧を確保して、ようやく軍を
もちろん、この調練は江東水軍との実戦を想定したものである。曹操は江水の岸辺からそれを観察した。
江東軍の軍事拠点は
上流から流れ下った勢いで、江東の水軍を緒戦にて破る。そして、柴桑の北から上陸し、精強の陸軍で一気に孫権軍を壊滅させる――――。
水軍の扱いに慣れた彼らが降伏してきたことは曹操にとって、大きなプラス要素であった。
曹操軍は陸軍である。大軍ではあるが、ほとんどが水戦を経験したことがない北方の兵士たちである。しかし、荊州の水軍と武将を丸ごと手に入れ、唯一の不安材料も解消されたわけだ。曹操の視線はいつしか江水の
「去りし日は
そうこうしているうちに後続の軍が続々と合流し、それに従って司馬懿と火見らも江陵に到着した。火見ら倭国の者たちを伴って司馬懿が到着したと聞いた曹操はいったい何事かと思って、すぐに司馬懿を呼び付けた。
「丞相、司馬懿でございます」
「
「はい。どうしても丞相のお耳に入れたきことがあり、急ぎ参りました」
「言うてみよ」
曹操は水軍の様子に目をやったまま耳を傾けた。
「はい。火見が
「ははは、そういうことなら、それは勝利の大火よ」
曹操は司馬懿の懸念を一笑に付した。
「オレは
曹操は自信満々に言った。事前に荊州の地形、気候、風土など綿密に調査・報告させていて、それに基づいて戦略を立てているのだ。それら全てのデータを頭に入れて、作戦を立て、曹操は群雄との戦を勝ち抜いてきた。曹操の頭には常に勝利のイメージがある。
「火見が見たものはわしの頭の中の光景であろう」
自信に満ちた曹操の言葉は確かに司馬懿の憂慮を吹き飛ばすものではあった。
「それにオレは生まれた時から火を
曹操がまだ世に出る前、人物鑑定の第一人者である
――――赤い
それは強く曹操の
漢の丞相となった曹操はまさにその身に火を纏っているのである。
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