其之三 それぞれの南行

 荊州けいしゅうぼく(長官)である劉表りゅうひょうが死んだのは、建安十三(二〇八)年八月のことである。曹操そうそうの南征軍が迫るその直前のことだ。押し迫る敵を前にして、あるじが死んでしまったのだ。

 最悪のタイミングである。当然ながら、荊州は騒然となった。

 戦うか、降伏か――――荊州の世論は二分された。しかし、荊州の都である襄陽じょうように勤める官僚の中で主戦論を唱えるのはごくわずかで、伊籍いせきくらいなものだ。

 伊籍はあざな機伯きはくという。兗州えんしゅう山陽郡の出身で、同郷の劉表を頼って荊州にやってきた学者肌の人物である。

劉皇叔りゅうこうしゅくと協力して、曹操軍の侵攻を防ぐ準備を」

 劉皇叔とは劉備りゅうびのことを指す。その伊籍の主張は圧倒的多数で否決された。

「我々はすでに降伏するとの結論に達した。今さら何を言い出す」

「曹操軍は大軍だ。戦って勝てるはずがない」

「戦って逆賊の汚名を着るより、降伏して荊州を保つのが我々の役目。天の大殿も許してくださるでしょう」

「それより、劉備が曹操とほこを構える前に降伏文書を届けなければ、我々の降伏の意向が疑われますぞ」

「そうだ。急いで丞相に降伏を申し入れねば」

 蔡瑁さいぼう張允ちょういん蒯越かいえつ劉先りゅうせん傅巽ふそんといった荊州の高官たちは次々と城を明け渡す意志を表明し、自己弁護に徹する彼らの惰弱だじゃくぶりに伊籍がいきどおった。

「何と嘆かわしい。殿がそれを聞いたら、何と言われることか」

「大殿はもう亡くなったのだ。これは新しく荊州の牧となられた劉琮りゅうそう様が決めたことだ」

 降伏論者の首魁しゅかいであり、劉琮の叔父おじ。蔡瑁、あざな徳珪とくけい

 実に利己的な男である。荊州牧になって赴任してきた劉表に取り入って高官に就き、姉をめとらせて、一族の繁栄を謳歌おうかしてきた。甥の劉琮を後継にしようとして、長男の劉琦りゅうきを追い出し、劉表が重用する劉備を遠ざけたのも蔡瑁の陰謀である。

「殿が劉琮様に大任を譲ったとは聞いておりませんぞ。殿は生前、劉皇叔に後事を託すと……」

「うるさい、よそ者は黙っておれ。荊州のことは荊州人が決める。誰かこの者をここからつまみ出せ!」

 蔡瑁は近従の兵士に命じて、余計なことを口にしようとする伊籍を強制的に退場させた。伊籍は兵士に官舎から連れ出され、城門まで連行されると乱暴に城外へと放り出された。伊籍は悔しさの余り、乱暴にこぶしを地面に叩き付けた。

「不義不忠のやからめ!」

「随分お怒りのようですな、機伯殿」

 地面にいつくばった伊籍に声をかけたのは臥龍、諸葛しょかつ孔明こうめいである。伊籍は寝そべったまま、長身の孔明を見上げた。


 弱小ながら、群雄の一人である劉備は、あざな玄徳げんとくという。

 北方のゆう涿たく郡涿県の人で、その祖先は前漢の中山靖ちゅうざんせい王・劉勝りゅうしょうであるといい、皇族の末端に連なる人物である。劉備は皇帝に謁見した際、その血統が認められ、皇帝の遠い叔父であるということから、〝皇叔〟という尊称で呼ばれるようになった。

 七年前、曹操に追われて劉表の賓客となっていた劉備は襄陽の北、新野しんやという小城に駐屯地を与えられた。劉備はそこで羽を休めるのと引き換えに雄飛の機会を失った。ただじっと安眠をむさぼって、漢の再興という目的も果たせず、脾肉ひにくを嘆じる日々を送るほかなかった。その停滞の七年間で最大の出来事は一年前、二十七歳の諸葛亮しょかつりょうをその陣営に迎えたことである。

 諸葛亮、あざなは孔明。徐州瑯琊ろうや陽都ようとの人である。孔明は少年時代に父母を亡くし、叔父に連れられて故郷を離れた。荊州の地に落ち着いた後、勉学に励んで、ちまたで天に昇る機会をうかがっている龍――――〝臥龍がりゅう〟と呼ばれる秀才に育った。

 ところが、この俊英は地元の領主の劉表の誘いには全く興味を示さず、ただただ晴耕雨読の日々を送って、山奥の草廬そうろから立ち上がることはないでいた。人々は孔明を若いくせに隠遁を好む変わり者と見なすようになり、いつしか〝臥龍〟には、天に昇らず、山中に寝そべっている龍――――そんな侮蔑ぶべつに似た意味も含まれるようになった。劉備は自らその草廬を三度みたび訪れ、孔明に面会を求めた。

 田舎に暮らす一介の書生に過ぎない自分に三顧さんこの礼を尽くすという劉備の最大限の礼節に心打たれた孔明はついに草廬を出て、劉備に臣従することを決意したのである。

 長年、孔明の真意を測りかねていた人たちも、孔明の意志の根底に漢室再興のこころざしがあったのかと理解して、ようやく納得した。それは同時に曹操を敵に回すことになる。劉備をその主君に選んだということは、そういうことなのだ。

 孔明が劉備の臣下となってすぐ、事態が急転した。曹操の南下が始まったのだ。

 いずれ曹操が南下してくることを予期していた劉備は曹操軍の動向を探るのに余念がなかった。すぐにその情報をつかみ、劉表に報告した。

 ところが、音沙汰がない。一刻の猶予もない。劉備は判断を決めかね、荊州の内情に詳しい孔明に相談した。

「――――景升けいしょう公の病があついことは知っているが、このに及んで返答がない。どうすべきだろうか?」

 景升は劉表のあざなである。劉荊州も同様に劉表のことを指す。

「――――恐らく劉荊州はもう亡くなられています。返答がないのは、蔡瑁が我々を警戒して、無視しているのです。この小さな城で曹操の大軍は防げません。我が君はすみやかに樊城はんじょうまで後退し、襄陽の軍民を味方に付けるのがよろしいかと思います」

 樊城は襄陽とは漢水を隔てて対岸に位置する。襄陽の荊州軍と連携して曹操軍にあたることができ、城壁も新野よりも堅固だ。

 劉備は孔明の献策に従って、樊城まで軍を後退させることにした。そして、城内の様子を探らせると共にこちらの方針を伝えるために、先立って孔明を襄陽に派遣したのだった。ところが、襄陽は降伏を決めたという。

 孔明は排斥された伊籍を劉備のもとまで連れて帰った。襄陽がすでに蔡瑁ら降伏派によって占拠されていると聞いて、劉備は憤慨したが、

「すぐに襄陽を攻めて、蔡瑁どもを追い出しましょう」

 そういう伊籍の進言に対しては、

「景升公が眠る襄陽を奪うことはできぬ。江陵こうりょうに向かおう」

 危急の時にありながらそんな発言をして、孔明に江陵行きを提案した。

 のんびり思案している暇はない。孔明は溜め息をつきながら答えた。

「仕方ありません。急いで江陵へ向かいましょう」

 江陵までの道のりは四百里(約百六十キロメートル)もある。

 ここでもたもたしていては、城外で無防備な背中を襲われることになる。

 孔明の判断は素早かった。

「ただし、雲長うんちょう殿には船で漢水を下って頂きます。襄陽が降伏を決め込んだなら、軍船は不要。曹操軍にむざむざくれてやる必要もありません。頂戴ちょうだいしても、劉荊州はお怒りにはならぬでしょう」

 抜け目ない孔明は義理堅い劉備を説得するように言った。

「分かった。雲長、頼むぞ」

かしこまった」

 関羽かんうが長く伸びた顎鬚あごひげでながら、短く答えた。

 関羽、あざなを雲長。河東かとうかい県の人である。劉備の義弟であると同時に、劉備軍の中でも最も頼れる武将だ。身長は九尺五寸、二メートルを超える大男で、顔がれたなつめのようにあかく、一番の特徴は胸の下まで伸びた鬚髯しゅぜんの見事さである。

 そのため、〝美髯びぜん公〟という尊称まであるほどだ。ちなみに鬚は顎の、髯は頬のひげをいう。

「機伯殿も一緒に行ってください。君によろしく」

 孔明はそう指示して、劉表の長男で江夏こうか太守として赴任している劉琦りゅうきの協力を取り付けるその役目を伊籍に託した。伊籍が頷く。

「それでは、逃げましょう」

「うむ。逃げるのは得意だ」

 劉備は負け続けの自分を自虐するように言って、孔明を笑わせた。


 朝靄あさもやの中を五騎が駆け抜けていた。司馬懿しばい曹彰そうしょう難升米なそめ爺禾支やかし、そして、火見ひみ

「占うんじゃなかったわ……」

 そんな独り言がこぼれる。火見は相変わらず浮かない表情だ。しかし、その乗馬ぶり、手綱たづなさばきは見事なものだった。最後尾に付けながら、ぴたりと前の四騎を追走する。

「荊州に入って随分来たのに、まだ追いつけない」

 一刻も早く戦場に駆け付けたい曹彰は司馬懿と並走するようにしながら、怪訝けげんに呟く。

 曹彰、あざな子文しぶん。黄金を散りばめた甲冑かっちゅう姿の凛々りりしい若武者で、曹操の三男である。この時、十九歳。何人かいる曹操の子の中でも、最も武芸にひいでている。

 曹彰は倭国の使者たちの世話を終えた司馬懿を護衛して、先発した曹操軍に合流するよう、父から言いつかっていた。武骨者の息子を司馬懿の側に付けて、少しでも薫陶くんとうを受けさせようという父の配慮である。

「兵は神速をたっとぶもの。さすが丞相はよく分かっておられる」

 司馬懿が曹彰の疑問に答えた。

「荊州はほぼ降伏に傾いていました。追いつけないということは、荊州の抵抗がなく、行軍が順調であることの証です。今頃は襄陽に入っておられるでしょう」

「それならば、これほど急がなくてもよろしいのでは?」

「いいえ。丞相は敵が江陵に入る前にそこを押さえようとお考えです。襄陽では休息を取るだけで、すぐに江陵に向かうはずです」

「江陵ですか。まだずっと南ですね。そんなに急がなければならないものですか」

「ただ矛を交えるだけが戦ではありません。食糧の奪い合いもまた戦。十分な兵糧ひょうろうを確保することは勝ちを得るのに重要な要素でございます。かてを敵にり、故に軍食足るべきなり――――『孫子そんし』にも、そうあります」

 江水(長江)沿岸の江陵は荊州の要地であり、多くの武器兵糧が蓄えられている。大軍の曹操軍はここの兵糧を確保しなければ、長期戦はままならない。

 敵国の兵糧を奪い取ることは相手にとっては大きなダメージとなり、自軍にとっては大きなアドバンテージとなる。

 兵糧だけではない。江陵には荊州の水軍が駐屯し、軍船が数多く係留されている。その後の戦を見据え、それをまるごと手に入れる。曹操はそれを計算済みのはずだ。つまり、江陵に入るまで、急行軍を止めることはない。

「――――お前はオレだ」

 曹操に告げられた衝撃の一言。以来、司馬懿は曹操の心を読み解こうとし、自身の方策を重ねてみようとした。

「劉備軍が先に江陵に入ってしまったら、厄介やっかいなことになります。しかし、丞相はそれをお見通しのはず。軽騎兵を急行させて江陵を奪うでしょう。問題は神速を尊ぶがあまり、敵の迎撃態勢が整う前に江東に軍を進めてしまわないかということです」

 司馬懿の懸念けねんはそこにあった。

 この南征の最大の目的は江東の孫権を屈服させることである。荊州の劉表は名声があるだけの儒者で、戦を知らない老人だ。劉備軍の抵抗があっても、労せず荊州は手に入るという算段があった。幸いその劉表が死んで、残された諸官は曹操軍を恐れて一気に降伏に傾いた。戦を要せずして荊州の獲得は成ったわけだ。

 曹操という稀大の英雄が持つ強大な天運がそうさせたと言えなくもない。

「それを危ぶむ先生のお考えが分かりません」

 曹彰は武勇一辺倒の男だ。父の戦に勝利の結末しか見えてこない。

「丞相は私を臆病だと知って登用されました。ですから、私はその期待に応えなければならないのです」

 司馬懿のその言葉は益々曹彰を理解不能にさせた。

 臆病者は常に慎重で、警戒を怠らない。司馬懿は曹操の勝利しか見ないその姿勢に臆病さでブレーキをかける役目を担っているのだと自覚している。

 そのために老驥ろうきは千里を駆けているのである。曹操が孫権との決戦を急いで、水軍を進めてしまった後で火見の見た凶兆を知らせても、もはや手遅れだ。

「火見、これは確かなんだろうな?」

 爺禾支が後方に付く火見に疑問を投げかけた。

「そんなこと、私にだって判断できないわ。私はただ見えたことを伝えただけなんだから」

 火見は炎の中に大火の光景を見た。

 今まで占断の映像ビジョンがぼやけてしまっていたのは、恐らくまだそれとの乖離かいりがあったためだろう。しかし、今回、よりはっきりして見えたのは、南へ移動して、その未来に距離的にも時間的にも近付いたということではないか――――火見にはそう思えた。

 海に浮かぶ数百もの船団が業火ごうかに焼かれている。炎は連なるように重なり合い、火の粉が荒れ狂ったように乱舞する。白煙が充満して視界を包み込む。その周囲には漆黒しっこくの闇夜とそれを映した海原が広がっていて、炎の明かりが暗い夜空と水面みなも煌々こうこうと照らしていた。人々が叫び、逃げ惑うその上空を炎をまとった何かが通り過ぎていった。

『――――いったいあれは何?』

 火見はそれを確かめようとしたが、気力が続かず、正体を見届けることができなかった。しかし、とにかくそんなものを見てしまったものだから、こうして休みなく馬を走らせる羽目になっているのである。

 

 司馬懿の見立ては正しかった。が、英雄・曹操は司馬懿の想像の少し上を行っていた。曹操軍は襄陽に入城した後、江陵へ向かった劉備軍を追撃するために五千の騎兵を出撃させたが、曹操自らその先頭に立った。しかし、そのせいで司馬懿たちは襄陽で曹操に会うことはできなかった。

 襄陽では新旧の将兵諸官が入り混じっており、大きな混乱こそないが、どことなく落ち着かない雰囲気が漂っていた。

 曹操と共に襄陽に入った陳羣ちんぐん陳矯ちんきょう徐宣じょせんなどの文官たちが降伏した荊州の諸官を落ち着かせながら、人事の刷新さっしんに追われる一方、曹仁そうじん曹洪そうこうといった将軍たちは荊州軍を再編して曹操の南征軍に組み込むことに忙しかった。

 火見は襄陽の宿舎に案内されるやいなや、疲れのせいで倒れるように眠り込んでしまった。一方、千里近くを駆けた老驥・司馬懿は疲れも見せず、曹彰を通じて、曹丕そうひに面会を申し出た。

 曹丕はあざな子桓しかんという。曹彰の兄であり、後に魏を興して初代皇帝に就く男であるが、この時はまだ二十二歳の凛々りりしい青年である。

 曹丕は曹操の南征軍に従軍していて、明日にも曹仁や于禁うきん張遼ちょうりょう徐晃じょこうなどの諸将と共に数十万の後続軍を率いて江陵へ進発する予定だった。

「老驥先生、どうぞこちらへ」

 父の曹操がそう呼んだことから、息子たちもその敬称で司馬懿を呼んだ。

 曹丕は騒がしい城内を避けて、城外にある「荊州学府」という学術所に司馬懿を案内した。いくつかの講舎と庭園を持ち、著名な学者や優秀な学生たちが日々学問の研鑽けんさんに励む襄陽では有名な学術所である。今は荊州の混乱のせいか、日が傾きかけた時候のせいか、誰の姿もない。曹丕は荊州学府を歩きながら、

「ここで荊州の賢者たちが集まって天下について談義を交わしていたそうです。こちらの睡虎すいこ先生もこちらのご出身だそうです」

 曹丕の傍らにはある賢者が控えていた。司馬懿よりも数歳年長ながら、外見を気にかけないせいで、風貌ふうぼうは特別際立つものはない。だが、態度はすこぶる落ち着いていて、内面を映し出すかのように堂々としている。

「ここがよろしいでしょう。以前は書法の講義が行われていました」

 その賢者が空となった書道クラスの講堂を示した。

「なるほど。ここなら良い話ができそうですな」

 司馬懿はこのような学風漂う静かな空間が好きだ。自宅の広い書斎も似たような感じで、曹操に駆り出される前はもっぱら書斎にこもる毎日だった。講堂に入って席につき、尋ねる。

「私は司馬懿仲達と申します。よろしければ、先生の名をお聞かせ願いますか?」

「私は潁川えいせん徐庶じょしょあざな元直げんちょくと申します。荊州には遊学で来ておりました」

 潁川郡は予州に属し、許を郡都とする。故郷が曹操勢力の中心地であり、こうやって曹丕と一緒にいるということは、曹丕に召し抱えられたということだろう。

「睡虎先生は噂の臥龍と並び称されるほどの人物だそうです」

 曹丕が徐庶のことをそんな肩書を付け加えて紹介した。

「ははは、お恥ずかしい。私など〝臥龍〟〝鳳雛ほうすう〟と比べれば、取るに足らない路傍ろぼうの石。の二人はどちらも荊州の玉石、天下の秀才でございます」

 徐庶は謙遜して答えた。臥龍孔明とは特に親密だった。

 司馬懿はそこまで評される臥龍という人物に興味を持った。

「その臥龍が劉備に仕えたそうですな。丞相や劉表を選ばず、弱小の劉備を選んだ理由は何だとお考えですか?」

の龍が胸に秘めた雄志は広大無辺、その才能は管仲かんちゅう楽毅がくきをもしのぎます。群雄多しといえども、龍の大才を使いこなせる者は限られます。残念ながら、劉荊州は龍をぎょせる御方ではありませんでした。丞相は天下の英雄であらせられますが、すでにその幕下には知謀の士があふれております。龍が飛び回る余地は少ない。一方、劉皇叔の下には勇将はおりますが、知謀の士はおりません。私のような非才の身ですら、重用ちょうようしていただけました。例えるなら、劉皇叔は大きな雲でございます。その上にさまたげとなるものは何もなく、自由に飛び回れる無窮むきゅうの空が広がっております。折しも荊州に嵐が近付いて、飛び立つのにちょうど良い風も吹き始めました。龍は時節を感じ、風雲を得て、ついに飛び立ったのです」

 徐庶はそう力説して、孔明の気持ちを代弁した。

 管仲、楽毅とは名宰相と名将の代名詞である。管仲は春秋時代、せい桓公かんこうに仕え、桓公を補佐して覇者に押し上げた。楽毅は戦国時代のえんの将軍で、斉の七十余城を攻略した。

 孔明はかねてから自身の才を二人と比肩してはばからなかった。徐庶ら孔明をよく知る者たちはそれを大言壮語だとは思わず、その秘めたる才能を認めていたのである。

 実は徐庶は短い間であったが、劉備に仕えた。そして、その大才を生かすなら、劉備に仕えることだと孔明に薦めた。徐庶は故郷に一人残してきた老母の世話をするために帰郷したいことを理由に劉備の下を離れたが、自分の代わりに臥龍孔明を紹介した。劉備は徐庶のそのすすめもあって、三顧の礼を尽くして孔明を幕下に迎えたのだった。

「父は有能な人材の発掘・登用に関しては誰よりも熱心ですからね。老驥先生のこともずっと諦めきれずにいました」

「そうですか……」

 司馬懿は徐庶と曹丕の言葉を聞いて、溜め息ともつかない吐息を漏らした。

 荀彧じゅんいく荀攸じゅんゆう程昱ていいく賈詡かく……。確かに曹操の幕下には知謀の士が多い。

 いずれも知謀策謀に長けた者たちで、数々の功績があり、曹操の信任も厚い。

 荀彧は許都の留守を預かり、それ以外はこの南征に参加していることでも、それは証明されている。同時にそれは曹操に仕える司馬懿にとっては、ライバルが多いということだ。徐庶の話を聞く限り、孔明の立場は軍師だろう。

 弱小の君主に仕えることになったとはいえ、軍略を立て、それに沿って指示を下せる軍師に抜擢ばってきされた孔明と違って、英雄・曹操に仕える自分に与えられた役目は倭国の使節団の世話だ。聞けば、孔明は自分よりも二歳若いという。

 立身出世をこころざしていたわけではないが、司馬懿はこの立場の差を知って、愕然がくぜんとするものがあった。さらにライバルも増えた。この徐庶がそうだし、蒯越もそうだ。曹操は襄陽に入った時、襄陽という土地を手に入れたことより、蒯越という知謀の士を得たことを喜んだ。

 蒯越はあざな異度いどという。南郡中盧ちゅうろの豪族の出である。中盧県は襄陽のすぐ隣にある。つまり、地元の名士だ。

 劉表が荊州に赴任してきた当時、荊州は平穏とは言い難かった。

 荊州の州都は江水(長江)の南岸、武陵郡の漢寿というところに置かれていたのだが、治安の乱れで赴任できなかった。困った劉表は地元の豪族、蔡氏と蒯氏に協力を求め、彼らは劉表に襄陽に留まって政治を行うように勧めた。劉表はその進言に従って、襄陽を仮の州都とし、足かけ数年、荊州七郡を支配するに至った。

 この劉表の荊州掌握しょうあくに最も貢献したのが蒯越の知略であった。

 暗くなりかけた気分を振り払うように、司馬懿は話題を変える。

「ところで、曹丕様。丞相にお伝えしたいことがあるのですが、お取り次ぎ願いませぬでしょうか。急ぐあまり勝手に許都を離れてきたものですから、曹丕様に一言お許しを頂きたいのです」

「弟から聞きました。先生は天命というものを信じますか?」

「天命ですか?」

「はい。父は新しい世の形を創り上げるのが天命だと思っていて、自分には天の加護があると自負しています。袁紹との戦も圧倒的に不利であったにもかかわらず、勝利を収めました。私も父には本当に天の加護があるのだと思います。ですから、先生の心配は杞憂きゆうだと思うのですが……」

「今でこそ私も丞相にお仕えするようになったことを天命だと受け止めておりますが、そもそも天命というものはおよそ人知では推し量れぬもの。それ故に人には未来が見えぬのでございます。ただ、仙術に通じた者の中には未来が見える者がおりまして、倭の国の火見はそのたぐいの人間でございます」

「ですが、先生。その者が見たという大火の光景は敵の船団が焼かれるものではないのですか?」

「それは分かりません。しかし、思わぬところに落とし穴があるもの。此度こたびの戦のように、最初から大勝を確信したような戦においては特に油断は禁物です。とにかく、このことをできるだけすみやかに丞相のお耳に入れなければなりません」

「余り父の機嫌をぐようなことはしたくないのですが。睡虎先生はどのように思われますか?」

 曹丕が司馬懿の発言に対して徐庶に意見を求めてみる。

「私が申すのも何ですが、以前私は丞相の軍を破りました。それは諸将に油断があったからでございます」

 徐庶が劉備に仕え始めた頃、曹操が荊州を牽制するために一軍を派遣してきた。

 徐庶は劉備軍を指揮して伏兵を配置すると、それを破った。徐庶は丞相の軍と言ったが、この時、曹操自身は北伐を終えたばかりで、ぎょうに留まっていた。

 それを聞いた曹丕は深い溜め息をついた。

「分かりました。我が軍は明日の早朝に進発いたしますので、老驥先生も御同行ください。今夜はゆっくりお休みを」

「ありがとうございます。では……」

 司馬懿は曹丕の了解を取り付けて、荊州学府を後にした。

 すっかり夜のとばりが天を包んで、月明りが道を淡く照らしていた。見上げれば、空には見事な満月が輝いていた。司馬懿はそれを眺めながら、火見たちが休む宿舎に向かった。


 翌朝。司馬懿も曹操と劉備の間に存在する因縁いんねんとその宿命は読み切れない。

「――――劉備は窮鳥きゅうちょうなれど、梟雄きょうゆうです。飼い慣らすことはできません。今、殺しておかねば、後のわざわいとなることは必定ひつじょうです」

 朝靄あさもやが視界をさえぎる中、昼夜兼行の追撃軍を率いる曹操の脳裏に郭嘉かくかの言葉が頭痛と共によみがえる。梟はフクロウのことで、荒々しい性質で、主にも噛みつく。梟雄はそんな英雄をいう。

『奉孝があの世から怒っているのかな……』

 曹操は最近になって片頭痛に悩まされていた。特に昨年あたりから、頻度が増している。

『それとも、オレの命も長くないと忠告してくれているのか……』

 南征を急がなければならない理由――――もう五十を過ぎている曹操には、この頭のうずきが寿命のカウントダウンのように感じる。それが自分を急かしている。

 頭痛の種となっているのは劉備の存在だ。十年ほど昔、劉備が戦いに敗れて曹操の下に逃げ込んできたことがあった。郭嘉は劉備を危険視し、すぐに排除するように求めた。しかし、まだ群雄が各地に割拠かっきょしている時に、自分を頼って逃げ込んできた者を殺していては今後降伏してくる者がいなくなると、曹操はその進言を退けた。

 才能のある人物なら、敵であろうと罪人であろうと気にしない。正しいと思えば、多少情理に欠けようとも断行する。人材集めを好む曹操は逆に劉備を厚遇しながら、わざと自分のやり方を見せつけた。

 劉備は皇帝を傀儡かいらいとするそんな曹操のやり方を認めず、それを知った反曹操派が劉備に接触を試みた。郭嘉はその不穏な動きと劉備の反旗を予見して、何度も曹操に忠告した。その度に曹操は分かっていると言いつつ、なぜか劉備を手にかけることはせず、結果的に劉備が反旗をひるがえすのを許した。

『玄徳に関してだけは奉孝ほうこうもオレの心を理解できなかった……』

 曹操と劉備には断ち切れぬ因縁がある。若き頃は志を同じくして、漢室を助けるために互いに協力し合った仲だ。しかし、漢室再興のためにいくら命を賭けて戦おうとも、皇帝の暗愚ぶりと腐敗した官僚組織のせいで、全ての苦労が水泡に帰してしまう。曹操はそんな腐りきった既存の体制に見切りをつけ、それを一新すべく走り始めた。劉備は皇帝を無視した曹操の大胆な改革を独裁と見て、反発している。

 劉備は漢室再興を公言してはばからない。曹操が諦めた道を愚直に貫こうとしている。それはそれでいいのだ。曹操も劉備も、行く道は違えど、目指すゴールは共通している。

 国に安定と繁栄をもたらし、民に平穏と幸福を享受させること――――。

『玄徳を生かすも殺すも、それを決めるのはオレではない。オレを生かすも殺すも、決めるのは玄徳ではない。全ては天命なのだ……』

 曹操は劉備を英雄だと認めている。英雄の生死は天が決めることだ。

 自分の覇道が認められるのか、劉備の王道が気に入られるのか――――。

『……答えは天のみぞ知る』

 劉備を追撃しながらも、曹操の想いは一貫してそうだ。

 風が吹いて、朝靄が晴れた。なだらかに続く丘の向こう。前方を行く人の群れが見えてきた。間もなく頭痛も収まってきた。

「玄徳、天はオレが正しいと言っているようだぞ」

 曹操は自分が天に愛されていることを確信して言った。

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