其之一 倭の国の火見

 三十年前――――建安けんあん十三(二〇八)年は、まだ後漢の時代であった。

 しかし、各地で割拠した群雄たちが覇権を巡って争い合って漢王朝は衰退の一途を辿たどり、まさに風前のともしびの状況であった。群雄の一人であった曹操そうそうが路頭に迷っていた皇帝を擁立ようりつして以来、その権威は皇帝をもしのぐようになり、天下に号令する立場となった。

 漢王朝最後の皇帝・献帝けんていはもはや傀儡かいらいに過ぎず、丞相じょうしょう・曹操の力によって、かろうじて漢は存続していたのである。

 前年の建安十二(二〇七)年、群雄の中で最大の勢力を誇った河北かほくえん氏が曹操によって滅ぼされた。曹操自らその遠征の陣頭指揮を取り、北へ逃亡した袁氏を追って遼西まで進出して、袁氏に協力していた北方の異民族、烏桓うかんを討伐した。

 この時、遼東に割拠していたのが公孫康で、公孫淵の父である。公孫康ははじめ袁氏に協力していたが、曹操軍を恐れて、逃げ込んできた袁煕えんき袁尚えんしょう兄弟を殺して、その首を曹操に贈った。

 そして、その首と共に曹操が拠点を構えていたぎょう城に見慣れない服装の一団が到着した。白装束しょうぞくは中国では一般的に喪服に使用されるが、皆が全身白を基調とした装束をまとっている。男衆はまげを結い、頭に布を巻きつけており、き出しの腕に入れ墨を施している。そんな奇妙な一団の到着は鄴の人々の注目を浴びた。

 彼らは倭国から朝貢に訪れた遣漢使けんかんしで、その中に若き難升米なそめの姿があった。

「これが漢……」

 難升米に従うように付いていた少女が鄴城の圧倒的な景観を見て、誰に言うでもなく呟いた。自分たちの国、邪馬台国やまたいこくの都よりずっと大きく、雄大で洗練されている。

 鄴城は東西七里(約三キロメートル)、南北五里(約二キロメートル)、格子こうし状に区画割りされた敷地の北部に官府宮殿が、南部に民衆の住居群が集中的に建設されていた。人の多さとそのにぎやかさは倭国の比ではない。百倍はあるように思う。それなのに、整然とした城内の光景に感嘆して、思わずこんな感想が漏れる。

「本当に立派ね」

 うるわしくもどこか影がある十六の少女だ。顔に紅いラインを引いた化粧けしょうを施しており、白の着物に赤いしま模様の入った瑪瑙めのう勾玉まがたまのデザインのネックレスを下げている。余り口数が多くなく、おとなしい気質の彼女がこの時ばかりは興奮したように目を輝かせていた。もの珍しそうにあちこちに目を配る。

火見ひみ、はぐれるなよ」

 難升米は少女をそう呼んで、鄴城内の大通りの人の多さに火見が呑み込まれてしまうのを心配して言った。

「あの奥に皇帝っていう人が住んでいるの?」

 火見は眼前に見える朱塗りの荘厳そうごんな宮門を指さしながら言った。

「いや、皇帝が住んでいるのは許都きょとというところらしい。ここよりまだ南に行ったところにある」

 その難升米の言葉を聞いて、輝いていた火見の顔がにわかに曇った。

 漢王朝の都は代々洛陽らくようというところに置かれていたのだが、洛陽は十数年前の戦火で破壊され、灰燼かいじんと化した。許はその代都である。

 仮の都とはいえ、一応漢の都であるから、漢王朝に仕える多くの官僚官吏たちが集まっている。丞相である曹操も好き勝手できない。

 鄴城はもともと袁氏が居城としていたところで、袁氏を破った曹操がほぼ無傷で手に入れ、そのままここに拠点をえた。曹操の勢力圏内のほぼ中心に位置し、一人の群雄として自由にできる。いわば、曹操の都である。

 許都はこの鄴を南に去ること六百里(約二四〇キロメートル)のところにある。

 途中、河水がすい(黄河)という天険を渡らなければならないし、山賊や反漢的な勢力にも注意しなければならない。

「ええ、まだ南へ行くの?」

「そうなるな。まさか漢の皇帝をこちらに呼ぶことはできまい」

 難升米は当然だとでも言うように火見を見て、言葉を続けた。

「今、丞相にお伺いを立てている。許可さえ下りれば、すぐに出発だ」

「南は不吉だって言ったのに」

「仕方がないじゃないか、火見。役目を果たせずに帰れない。きっと護衛を付けてくれるはずだ」

 火見をなだめたのは、爺禾支やかしという名の三十代の武人である。難升米と同じく漢語が少しできるので、護衛役も兼ねて、この遣漢使の一人に選ばれた。

 しんの始皇帝の時代、徐福じょふくという方士が皇帝のために不老不死の霊薬を求めて、数千人の童子どうじと共に海に出た。結局、徐福は戻ることはなく、一説では、徐福一行は倭国に流れ着いたという。中国からやってきたのは徐福一行だけでなく、その後も様々な理由で大陸から渡って来た者たちが多くいた。彼らはそのまま倭に留まって、中国の先進的技術や思想、知識を伝授した。その子孫たちは倭人となったわけだが、彼らの母語、つまり、漢語も伝承された。そのため、倭人ながら、いくらか漢語を話せる者がいたのだ。中国との関わりを持つに当たり、彼らは通訳、あるいは交渉人として、それぞれ国家の要人となっていた。

 爺禾支は自分のことを徐福の子孫だと公言している。

「その危険に遭遇しないために火見を連れて来たんだ。はぐれるなよ」

 爺禾支もまた火見を注意した。遣漢使の重責をになう彼らにとって、火見はその成否をうらなう大切な存在なのである。それもそのはず、火見は未来を予見する巫女であるとともに、倭国女王・卑弥呼ひみこの娘でもあるのだ。

 火見は卑弥呼の能力を受け継ぎ、占卜せんぼくの術に優れていた。彼女曰く、炎の揺らめきの中にそれが見えるのだという。それ故、彼女は〝火見〟という名で呼ばれている。まだ少女である火見がこの遣漢使の一人に選ばれた理由は、卑弥呼の娘というよりはその能力ゆえであった。火見のその予知能力が異国での危険回避に役立つと判断されたのだ。

 異国を訪れる遥かな旅路である。火見がそれを内心喜べなかったのは無理もない。火見は出発前に火占いを行って、この過酷な旅路に大きな危険が潜んでいるのを知っていたのだ。

 大陸に渡っても、幾度か火占いをしてみたが、やはり見えてくるビジョンははっきりとしない。まるで何重もの透明なベールを通してのぞいているような感じで、最後には大きな闇がそれを覆い隠してしまう。が、その前に見えた一面の赤い光景。

 炎のように揺らめいて、何かが燃えているようだった。それを見た火見の心に不安がよぎった。

 火は方角では南を表す。だから、南へ行くのが不吉だと火見は難升米に忠告した。その忠告は遼東に入った難升米たちを慎重にさせたが、上洛を果たすにはどうしても南下しなければならなかった。そして、その直後に公孫康こうそんこうに拘束されたのだった。

 折しも曹操の進軍によって、運良くその拘束から解放されたので、危機は去ったと安心していた。だが、またさらに南行しなければならないと聞いて、火見の心をまた不安の影が覆った。

「火見、行くぞ」

 火見の抱えるそんな気持ちを察することはできない爺禾支が火見の声をかけた。

「うん……」

 好奇心と不安とがごちゃ混ぜになった火見は、渋々その後に続いた。


 火見が皇帝が住んでいるのかと聞いた宮門の奥に住まうのが、歴史にその名を刻む稀代きだいの英雄、曹操、あざな孟徳もうとくである。

 建安十三(二〇八)年、六月。漢は長年置いていた三公さんこう(三つの最高官職)を廃止し、〝丞相じょうしょう〟を置いて、その座に曹操を据えた。

 軍事・民政・建設の三公の権力を一つに集約させた総司令官である。

 この時、曹操は玄武湖げんぶこほとりに建てられた望楼ぼうろうにあった。鄴に凱旋がいせんし、丞相となってまだ日の浅い曹操であったが、休む間もなく南征の準備に取り掛かった。

 鄴郊外に玄武湖という人工池を作らせ、水軍の調錬を始めたのである。

 曹操はその様子を観察するために望楼に上っていた。赤い衣装のそでが風にたなびく。豊かなひげを蓄え、武人らしい精悍せいかんな顔つき。鋭い眼光は思索しさくを深く巡らせている証拠だ。しかしながら、今の思考は優雅な詩風の中を軽やかに飛んでいた。

「東のかた碣石けっせきに望み、って滄海そうかいる……」

 曹操は類稀たぐいまれな武人であり、有能な政治家である一方、優れた芸術家でもある。

 特に詩歌に才能を発揮し、後世に残る詩をんだ。

 曹操が今詠んでいるのはその一つ、今年の烏桓討伐で北征した時の情景と苦難をうたったものである。

神亀しんき寿いのちながしといえども、なおおわる時有り。騰蛇とうだ霧に乗るも、つい土灰どかいと為る。老驥ろうきれきに伏すも、こころざし千里に在り。烈士れっし暮年ぼねん壮心そうしんまず……」

 神亀は万年を生きる亀。騰蛇は舞い上がる蛇、いわゆる龍である。長寿の神獣であるそのどちらにも命を終えて土に還る時がやってくる。駿馬しゅんめは年老いてうまやに繋がれていても、その志は千里の彼方かなたを駆けている。私の烈しい志操もそれと同じ様に、晩年を迎えても、意気盛んの勢いを失うことはない……。

「何とも見事なうたでございますな」

季珪きけいか」

 望楼で詩想の世界に浸っていた曹操は楼上に姿を見せた臣下を見て、現実に引き戻された。引き戻したのは新たに臣下に加わった崔琰さいえんという者である。

 崔琰は、あざなを季珪という。清河せいが東武城とうぶじょうの人である。元は曹操のライバルであった袁紹えんしょうに仕えていたが、袁氏が滅ぼされて、代わりに河北を支配した曹操に仕えることになった。

「丞相、倭国の使者が親書を携えて到来しました。これが親書でございます」

「ほう。見せてみよ」

 曹操はその親書を受け取った。漢の皇帝にてられたものだが、構わずそれを開く。事前に目を通して、内容を確認するのだ。親書はしっかりと漢語で記されていた。

 今や漢帝は有名無実、漢という王朝を持続させるための飾りに過ぎない。皇帝に代わって、国政の全てを取り仕切るのが漢丞相に任命された曹操なのである。

「なるほど。倭王の承認が欲しいのだな。日見ひみも賢い」

 曹操は朝貢の意図をすぐさま理解して言った。

 倭国の王たちは以前から漢王朝に対して朝貢を行って、倭王の承認を受けてきた。今や倭国も小国が乱立して百家争鳴ひゃっかそうめいの状態にある。それを収拾するためにも、卑弥呼は正統な倭王として、大国である漢の公認が必要なのだ。

 これは曹操のやり方と同じだ。卑弥呼は曹操のように大義名分を獲得して国を収めようというのだ。曹操は皇帝を擁立することで、絶大な権力を手に入れた。

 それは百万の兵に匹敵する武器である。勅令ちょくれいに従わなければ、逆賊と喧伝けんでんされる。民衆の支持を失えば、統治は難しくなり、国は成り立たない。曹操はこれを利用して、服従しない勢力を逆賊として、堂々と討伐してきたのである。

「よかろう。陛下に会わせ、速やかに冊封さくほうの手続きを取るよう文若ぶんじゃくに伝えよ。それから、倭王の金印を造って授けてやるようにとも、な」

 丞相である曹操は独断でそれを命じた。冊封というのは、詔勅によって外国の王を封じることをいう。朝貢を受ける代わりに、権威を正式に公認するのだ。

 親書を閉じて、それを崔琰に渡しながら、曹操は一番気にかかっていることを聞いた。

「それよりもだ……仲達ちゅうたつめ、まだ起きぬか」

 少し前から曹操は天下の奇才と名高い司馬懿しばいを幕下に招こうと試みているが、司馬懿は病気を理由にそれを断り続けていた。

韜光とうこうだけではないようだな。奴が腹に抱えておるのは」

 韜光は光を包み隠すという意味である。才能を外に表さないことをいう。韜晦とうかいと同意だ。物事に達観した者や至才を有する者が時々このようなことをやる。

「私にも仲達の腹は理解できかねるところがあります」

 崔琰が言った。二十歳前の司馬懿のずば抜けた俊才をいち早く認めたのが崔琰である。そして、三十になっていよいよ大器の片鱗へんりんを見せる司馬懿を曹操に強くすすめたのも、また崔琰であった。

 曹操はもともと人材登用に積極的である。評判の高い司馬懿に興味を持ってこれを招聘しょうへいしたところ、司馬懿は二度にわたり、病気を理由にそれを拒否してしまった。そのため、薦めた崔琰自身も気が休まらない。

「そなたが言うには心の病であるそうだな」

「はい。体調も優れないということですが、その才能ゆえ、私のような凡人には理解できないものを心の内に抱えているのでしょう」

 崔琰が司馬懿を擁護するように言った。

「陰気だな」

 それを聞いた曹操がぽつりと答えた。

「は?」

「仲達が心の内に抱えているものよ。大それたことを考えつく自分に不安を覚え、それを見抜かれる恐怖が陰気となってわだかまっているのだろう」

「はぁ……」

 曹操のその説明は崔琰にはいまいち理解できなかった。それは仕方ない。これは曹操にしか分からない奸雄かんゆうの理屈だ。

「理想を頭にせるだけで、現実の障害を飛び越えてゆく気概に欠ける。奴がわずらっているのは臆病おくびょうよ」

「何か良薬がありますでしょうか?」

「ある」

 曹操の眼光があやしく光った。

「司馬懿は老驥よ。志は夢想の万里を駆けながらも、実際に世を駆けることを恐れ、走る労苦を面倒がって惰眠だみんに侵されておる。立てぬのはその髄に精気が足りぬからであろう。そうであるなら、劇薬を処方してやろうではないか。……文挙ぶんきょに死んでもらう」

 その言葉に崔琰がごくりと唾を呑んだ。

 国魯県の人、孔融こうゆうあざなは文挙。孔子から数えて二十代目の子孫で、かつて北海国のしょうを務めた。相というのは国王の代理となって政務をる。郡の太守とほぼ同じである。北海国の政務を任された孔融は孔子の子孫ゆえに儒教の理想主義に固執して、乱世の現実にそぐわない政治を行った。挙句、黄巾賊こうきんぞく討伐にも失敗し、結局は国を乱した。

 政務の才能がまるでないことを露呈してしまった孔融だが、孔子の子孫であるという、そのネーム・バリューと詩文の才能を買われ、引き続き曹操の下で漢朝に仕えていた。曹操が口にした韜光という言葉は孔融の詩から取ったものだ。

 孔融の性格はかたくなである。あくまでも儒教の真髄を貫こうとする余り、革新者の曹操に対しては批判的であった。孔子の子孫であるというプライドもあって、相手が漢の丞相であっても容赦ない。

「――――詩文にのみ才能を傾けていればいいものを……。文挙は口からその才能を吐き捨てておるな」

 曹操が孔融の処刑を考え始めたのは、痛烈な批判が直接的原因ではない。才能を浪費していると思ったからである。

「才能を無駄に使い捨てるようなら、それは天に対する罪だ。役に立たぬなら、殺すまで。文挙の死が仲達の腑抜ふぬけた身に精気を注入する薬となろう」

「はい……」

 崔琰はかしこまって答えた。これは脅しではない。使えない者は殺す。たとえそれが孔子の子孫であろうとだ。儒教全盛の時代、それはタブーに近い。

 だが、曹操はそんなタブーなど気にもしない。寛容さと冷徹さをあわせ持ち、どんな障害も打ち壊して踏み越えてゆく。

 人にできないことをいとも簡単にやってみせる。曹操とはそういう人間だ。

 その上、五経ごきょう兵書に精通し、その知謀は実に臨機応変で機知に富む。特に曹操の奸知かんちは昔から有名なのである。

「だが、薬を飲ませる前に一工夫が必要だな……そうだ。倭の国の火見を呼べ。日見の娘というのなら、占断の才能もあろう」

 曹操が何かをひらめいたように言った。


 急遽きゅうきょ、鄴の宮殿に呼び出された火見は、

「倭の国の火見でございます」

 教えられたとおりに拝礼して顔を上げた。

 曹操の顔つきは五十代とは思えないほど精悍なもので、武人らしく目つきが鋭いという印象だった。それよりも驚いたことがあって、火見は思わず声を上げそうになった。一瞬、曹操の背後に燃え盛る炎の光景が脳裏に飛び込んできたのだ。

「驚いた。日見の若き頃にそっくりだ」

 驚いたのは曹操も同じで、火見の顔を見て、目を丸くした。

「ありがとうございます」

 母に似ていると言われて、火見は思わず礼を言って頭を下げた。再び顔を上げて見ると、もう曹操の背後にあった炎は見えなかった。

「そなたの母は太陽を見て占卜を行い、未来を予言した。火見というその名からすると、そなたは火を見て占断するのだな」

「その通りでございます」

 火見はその曹操の理解の早さに驚いた。日見、つまり、卑弥呼は女王になる前は巫女であったといい、鬼道きどうを行ったという。それは霊魂や精霊を操り、病の治療や占卜をする祈祷きとう術である。

 鬼道は元来、古代中国で行われてきたもので、いわゆる原始宗教である。

 それはやがて黄老道と融合することで新しい形を得た。黄老道は黄帝と老子を開祖とし、黄帝をはじめとする神仙思想と老子の人生哲学が融合して生まれた。主に〝長生成仙ちょうせいせいせん〟を説く。

 それは無為むい清静せいせいに努めて身を修め、自然と一体化することが長寿の実現や仙人へ昇華する道だという考えである。

 黄帝は伝説の五帝の一人で、暦算れきさんや医薬を創造したという。薨去こうきょの際はころもかんむりだけを残し、龍に乗って昇天したといわれる神話上の存在である。

 老子は言わずと知れた古代の賢人であり、孔子と並び称される先哲だ。

 老子の教えとは、〝無為自然むいしぜん〟を理想とし、全てを自然の流れに任せて、それと調和することが最善の生き方だと説いた。

 この黄老道を学び、精気に満ちた自然の中で修行に打ち込む過程で様々な仙術を身に付ける者が出て来た。それが祈祷術であったり、妖術と呼ばれる幻術だったり、延命術や天候操作術であったりした。

 後漢が衰退する大きな要因となった黄巾の乱は太平道という宗教組織による武力蜂起であったが、太平道の主導者であった張角ちょうかくはまじないで人々を治療し、妖術を駆使くししたと言われる。また、同時期に天師道という宗教組織も存在して、その教祖の張陵ちょうりょうは延命術をはじめとする様々な術を極めた仙人であった。

 これら太平道や天師道は今に伝わる道教の原形である。つまり、鬼道も太平道も天師道も大いに共通するところがあり、卑弥呼の時代はそれらがたいへん盛んであったということである。

「日見からの親書を受け取った。善処致すから、安心するがよい」

「ありがとうございます」

 曹操の言葉に火見はまた頭を下げた。曹操が尋ねた。

「ところで、日見は壮健でいるか?」

「はい。多忙を極めておりますが、倭の女王として政務に励んでおります」

「そうか。立派になったものだ。わしが日見と出会ったのは、三十年以上も前のことだ。まだ戦乱が激しい時代であった。あれから年月が過ぎ去り、わしも日見も驚くほど立場が変わってしまった。もう会うことはできないであろうな……」

「はい……」

 曹操が漏らしたその嘆息は時々母が見せるものと似ていた。立場も似ている。

 自由と引き換えに得たものは、国家の大任という重責である。

 卑弥呼は百家争鳴状態の倭を一つにまとめるという、曹操は崩壊寸前の漢王朝を存続させるという重荷をそれぞれ背負っている。

 曹操は昔を懐かしみながら、思い出すように言った。

「昔、日見に占ってもらって助かったことがある。そなたにも占断してもらいたいことがあるのだが」

「何でございましょう?」

「ある馬を御したいと思うが、それが凶馬かどうかだ」

 それから火見は曹操から事情の説明を受けた。はっきりと自覚していることではないが、火見は母を知り、母と同じような苦しみを抱えた曹操にどことなく親近感を覚えた。

 が、それ以上にあるのは倭の女王・卑弥呼の娘としての責務である。火見もまた、その小さな背中に大きな重責を背負っていた。

 倭国の目的を達成するためには、漢王朝の実質的支配者である曹操の頼みを断るわけにはいかない。火見は曹操の依頼を引き受け、崔琰に連れられて司馬家の屋敷へ向かった。


 司馬懿の兄、司馬朗しばろうあざな伯達はくたつという。曹操に仕えて鄴にいた。

 崔琰の良き友人で、崔琰は司馬朗との付き合いの中で弟の司馬懿を知った。

「司馬の兄弟は八人いて、どれも優秀だ。あざなにそれぞれ〝達〟の字があるために、人は彼らを『司馬の八達』という」

 崔琰が通りを歩きながら、火見とその付き添いの難升米、爺禾支に説明した。

あざな?」

 火見が聞き返した。

「簡単に言うと、別の名前みたいなものだ。成人すると、字を持つのが我々の習慣だ。親しい者の間では字で呼び合う」

「では、仲達というのも字なのですか?」

「そうだ。上から二番目だから、仲達。〝伯〟は長男、〝仲〟は次男に用いる。私の字は季珪きけいだが、〝季〟は末っ子という意味だ」

 鄴城内にある司馬家への道程は遠くなく、崔琰が移動の間にそんな説明をしているうちに一行はつつましやかな屋敷に到着した。

 あるじの司馬朗が倹約家なので、以前、袁紹に仕えた誰かの屋敷に入居して、そのまま利用している。崔琰によると、司馬懿は二、三カ月前から兄の家に滞在しているという。

 まず崔琰が屋敷に入って、司馬朗に事情を説明し、その後、火見たちは屋敷に招き入れられた。が、司馬懿と面会するのは火見一人である。

 火見は離れの別室に案内された。司馬懿は相変わらず体調が優れないということで、床に伏せっているということだった。

 一方、丞相からの使者と聞いた司馬懿はベッドから起き上がり、それを迎えようとした。が、現れたのは白装束に身を包んだ奇妙なで立ちをした少女である。

 思ってもみない使者の登場に司馬懿は我が目を疑うと同時に、その姿に込められた曹操のメッセージを深読みして腰を抜かした。孔融の死刑が決定したばかりだ。

 司馬懿は気が抜けたようにベッドへりにへたり込んで、結果的に座ったまま使者を迎えることになった。そんなことはつゆ知らない火見は、

「司馬懿様ですね? 私は倭国から参りました火見と申します」

 拝礼して司馬懿に対面した。うつろに宙を彷徨さまよっていた司馬懿の視線が火見に向けられる。放心したような表情は火見のせいだが、その顔色は確かに病に侵されているかのように血色が悪い。曹操が実年齢より若く見えたのに対して、司馬懿は三十という年齢以上に老けて見えた。

「倭国……? 丞相からの使者だと聞かされたのだが……」

 未だ動揺の収まらない司馬懿が怪訝けげんな様子で聞いた。

「はい。ご病気だということで、ご多忙の丞相に代わり、私が見舞いをおおせつかりました」

「見舞い……? 他に何か丞相からの言伝ことづてはおありか?」

「いえ。ただ話し相手になるだけでよいとおっしゃりました」

「そうか……。それは感謝致す……」

 火見が曹操からの死刑宣告の使者ではないことが分かって、司馬懿は胸をで下ろした。だが、そうなると当初あった警戒心が頭をもたげて司馬懿を悩ませる。

 曹操が使者を遣わした意図は自分の様子をうかがわせるためだと勘繰かんぐっていた司馬懿は異国の少女の登場に困惑した。しかし、こんな年端としはもいかない少女に自分の心の内を読むといった芸当ができるとはさすがに考えにくい。ならば、この少女は本当に話し相手として遣わされたのだろうか。

 司馬懿は警戒をおこたらないようにしながら、未知なる国に興味を覚えて尋ねた。

「倭とはどんな国か聞かせてもらえるか?」

「はい。倭というのは東海にある数多あまたの小国の総称でございます。まつりごとはそれぞれの祭祀と巫祝ふしゅくの占断で行われており、民は質素ながらも平穏な暮らしをしておりました。ですが、しばらく前から漢の文化が入って来るようになり、私たちの生活も少しずつ変化してきました。伝統を重んじる者たちはそれを嫌い、争いの種となっています。それは次第に大きくなって、今や国同士でのもめごとが絶えません」

「……そうか。西と東で風俗は大分異なるだろうが、聞くところ、西域せいいきの混乱と似た感じだな」

 火見の説明を聞いた司馬懿はそんな分析をして言った。

 西域とは涼州敦煌とんこう郡の陽関ようかん玉門関ぎょくもんかん以西の砂漠地帯に点在する国々をまとめて言う。西域は地理的に漢に隣接するので、昔から漢の影響が大きく治政に関係した。

 漢も武帝の時代から西域を支配下に置こうとし、それに従属する国と反発する国とで争いが勃発した。後漢の時代になってもそれは続いたが、董卓とうたくの乱以降の長引く政治混乱と治安の悪化が影響して両関は閉ざされ、以来、西域の情報は乏しい。

「……新しさや異なものはすぐには理解されないものだ」

 司馬懿のその呟きは自分に向けられたものであった。

 自分は曹操孟徳という革新者を未だ理解していないし、受け入れていない。

 兄や崔琰も司馬懿の英才を認めながらも、一方で深慮がちな司馬懿の心理を理解していない。

「私にとっては、この国の全てが新しく映ります」

 その火見の言葉を納得するかのように司馬懿は低くうなると、

「その若さで倭国の使者としてやってきたということは、そなたは巫祝なのか?」

 すぐに思考の鋭さを見せ、訳ありの化粧の施された少女の顔を見つめた。

「はい。未熟ですが、少々巫術を心得ております」

「どのような術かな?」

「火の精霊と通じて占断致します。倭国に古くから伝わる占いです」

「何でも占えるのか?」

「吉凶であれば」

「一つ占ってもらいたいことがあるのだが、よいかな?」

「何でございましょうか?」

「私が丞相にお仕えすることについてだ」

 司馬懿は火見という異国の少女に託し、長年胸の中に抱えた葛藤かっとうに一つの答えを求めた。

「畏まりました。火を用意願いますか?」

「どのような火がよい?」

蝋燭ろうそくの火で構いません」

「それなら、すぐに用意できる」

 司馬懿は召使いを呼んで、燭台しょくだいと蝋燭を運ばせた。そして、火見の指示通り、火見の眼前に燭台を設置し、蝋燭に火を灯す。その対面に司馬懿が座った。

「では、お静かに願います」

 火見は大きく息を吸い込んで、止める。心を清静にして蝋燭に灯る小さな炎を見つめ、その微かな揺らめきを通して、いささか緊張して座る司馬懿を見た。

 間もなくトランス状態になった火見の精神は一瞬だけ、未来へ飛んだ。

 信頼。称賛。栄光。繁栄。そして――――。

 言葉に起こすと、そんな光景を垣間かいま見た。輝かしい未来だと占断できる。

 が、息を整えた火見は表情を変えず、

「大吉でございます」

 一言で占断を告げた。司馬懿が信じるかどうかは分からない。

 火見の占断を聞いて低く唸った司馬懿がもう一つの選択肢を尋ねてみる。

「では、丞相にお仕えしない場合はどうであろう?」

「大凶でございましょう」

 火見は率直に告げた。陰と陽。光の裏側には影がある。光が明るければ明るいほど、その影は濃くなるものだ。

「……よく分かった。そなたと話していくらか気分も晴れやかになった」

 曹操の狙いはこれだったのかもしれない。また司馬懿は深読みして思った。

「それはようございました」

 火見はそれを聞いて、穏やかに微笑んだ。

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