其之序 再会

 時を千八百年ほどさかのぼる――――。

 大陸の東の海に浮かぶ島国は、その当時、〝〟と呼ばれていた。

 その倭の国(日本)のある地域に〝邪馬台国やまたいこく〟という古代国家が存在した。

 そして、その国を治めていたのは〝卑弥呼ひみこ〟という名の女王であった。卑弥呼の素性すじょうは謎に満ちており、女王になる以前は巫女みこであったという。

 この頃の倭国には、幾多の小国家が乱立しており、武力による衝突が絶えず、互いに争い合って混乱を極めていた。一方で、祭祀による国家運営が行われていて、神々や霊魂の存在を信じ、国の方針は神や精霊と通じた祈祷きとう師や占い師の託宣たくせんもとづいて決定された。

 それは必然的に国家の中枢に身を置くこととなった彼らの権威を増大させ、国政に大きな影響力を与えるようになった。邪馬台国は男王の下で戦を続けて国が乱れ、カリスマ的巫女であった卑弥呼はそのような事情で女王に選ばれたのだ。

 卑弥呼が邪馬台国を治めていた時代、中国は約四百年続いた漢王朝が倒れ、しょくの三国が鼎立ていりつしていた。中でも一番勢力が強かったのが、国土の三分の二を治めていた〝魏〟である。魏は歴史に名を残す稀代きだいの英雄・曹操そうそういしずえを築き、息子の曹丕そうひによって西暦の二二〇年に漢の禅譲ぜんじょうを受けて建国された。

 それから十余年、すでに初代皇帝の曹丕は亡く、二代目の曹叡そうえいの時代となっていた。

 倭国では早くから中国に朝貢して、王印を授けられた王が強権を以って統治することが行われてきた。大乱の今こそ、強権と統治の正当性を振りかざして、これをまとめなければならない。祈祷師の託宣を受けて、卑弥呼は倭国で長く続く戦乱の時代を終わらせるため、魏に使節団を派遣することを決めた。


 倭は周囲を海に囲まれた島国であり、倭国の人々は高度な航海技術を持っていた。卑弥呼の使節団が海を渡り、〝弁韓べんかん〟や〝馬韓ばかん〟といった朝鮮半島の国々を経由して、魏の最東端、帯方たいほう郡に入ったのは景初けいしょ二(二三八)年の春のことである。

 帯方太守は劉夏りゅうかといい、使節団を丁重ていちょうに迎えて歓待してくれた上に魏の都まで護衛の兵と嚮導きょうどう(道案内)の役人を付けてくれた。太守とは、郡の長官のことである。

 倭国からやってきた使節団はまげった髪型とまとった衣装こそ独特であったが、彼らの顔立ちは自分たちとそっくりであり、流暢な漢語を話し、意思疎通に支障がない。それらが劉夏の印象を良くしたことは間違いなかった。

 漢魏の時代、先進的だった中国に引き寄せられてやってくる外国人はそれほど珍しい存在ではなかった。西域からはシルクロードを通じて、遥々通商に訪れるイラン系商人たちがいたし、仏教を広めるためにインド方面からやってきた僧侶たちもいた。

 後漢の延熹えんき九(一六六)年には、大秦だいしん国王安敦あんとんの使者が日南郡に到達し、献上品をもたらした。安敦とは、ローマ帝国の第十六代皇帝、マルクス・アウレリウス・アントニヌスのことである。

 当時、世界の中心は西のローマ帝国、東の漢帝国であった。

 一方で、さらに東の国々からやってきた外国人の記録も残っている。

 それは、建武けんぶ十三(五七)年に倭奴わど国からの使者が洛陽らくようまで赴き、後漢の初代皇帝・光武帝こうぶていより、「かんの委奴国王」の金印を授けられたというものである。直後に光武帝は崩御した。

 また、安帝あんてい時の永初えいしょ元(一〇七)年には、倭国王帥升すいしょうが後漢に朝貢ちょうこうしている。

 邪馬台国の卑弥呼が使節団を魏に派遣した目的の一つは、それら先例にならって、魏の皇帝・曹叡から金印を授けてもらうためである。

「もう遼東りょうとうが近いようですな」

 その白髪しらが交じりの頭をした異人は鼻をくんくんさせながら、流暢な漢語で呟いた。

「よくお分かりで」

「以前いだ遼東の海の臭いがする」

「もうしばらく行けば、海沿いの道に出ます。そう言えば、あなたは以前にも海を渡って来られたそうですね」

「思えば、あの時から遼東は不穏であった。この先どのように進むつもりですか?」

「遼東情勢が不穏なせいで、ここ楽浪らくろう郡も安泰ではありません。太守の鮮于嗣せんうし殿も着任したばかりで、まだ公孫淵こうそんえんの影響がぬぐい去れておりません。ゆえにできるだけ街には立ち寄らずに抜けたいと思います。遼東には〝運漕うんそう〟という海運業を生業なりわいにした民間人がいますから、その船を利用して青州へ入る予定です」

 護衛兼嚮導役を務めることになった梯儁ていしゅんという名の武官が行程を簡潔に説明した。

 倭の一行が乗船してきた船は帆が折れ、浸水もひどかった。それは彼らの航海が死と隣り合わせであったことを物語っていた。そのせいもあって、楽浪郡からは陸路を行く隠密行おんみつこうである。兵士たちも皆、鎧兜よろいかぶとではなく、平服に身を包んで偽装している。

「なるほど。しかし、どうしても遼東を抜けることになりますな」

 倭国の使節団の代表である白髪の難升米なそめがそのルートを頭に描きながら言う。

 難升米は中国来訪は初めてではないし、梯儁が説明したルートもよく知っていた。

「幸い公孫淵は前年から魏の討伐軍と対陣中ですから、遼東の兵は襄平じょうへいに集まっております。この隙に間道を伝っていけば、無事に抜けられると思います」

「そう願いたいものです。今回は公孫氏は素通りですからね。見つからないことに越したことはない」

 梯儁の言葉に答えたのは、都市牛利たしごり。使節団の副代表だ。

 実はこの時、遼東半島一帯を支配していた公孫淵が魏から独立して、〝えん〟という国を打ち立て、反乱状態にあったのだ。楽浪郡もその影響下にあった。

 公孫淵、あざな文懿ぶんい。遼東郡襄平の人で、公孫氏は地元の名族であった。しかし、祖父・公孫度こうそんどが遼東太守となった時代から中央政府に対する不服従の姿勢が見え始め、中央の混乱に乗じて、半ば独立国のように振る舞い始めた。

 倭国の使節団が上洛する場合、経路として必ず遼東を通過することになるのだが、この頃から公孫氏に抑留よくりゅうされ、漢への朝貢を代理するといって、朝貢品を取り上げられることが続いた。以来、倭国の使節団は公孫氏に朝貢品を納め、公孫氏は漢王朝、あるいは魏王朝の代理として、勝手に「倭国之王」の王印を偽造して、倭国の使節に下賜かしした。

 それから三十余年、孫の公孫淵の時になって、ついに独立を宣言し、反旗をひるがえした。帯方太守の劉夏が護衛兵を付けたのはそういう理由からであった。

 ところが、その甲斐もむなしく、遼東郡に入って間もなく斥候せっこうの兵が走り戻ってきて、五百ほどの公孫淵軍が向かってきていることを伝えた。自身の予想があっけなく破られて、梯儁はそれが本当なのか、向かってきているのは公孫淵の兵なのか、斥候兵に問いただした。

「楽浪郡に対する国境警備兵でしょうかな?」

 危機迫る渦中にあっても冷静な難升米がかんを働かせて言った。

 魏は公孫淵対策のため、公孫淵に加担する楽浪郡に鮮于嗣を派遣してこれを籠絡ろうらくし、後方をおびやかそうと手を打った。しかし、難升米たちにはそれがわざわいしたということだ。

「皆様はお下がりください。我等がお守り致します」

 緊張が走る。梯儁は剣を抜いて、戦闘も辞さない構えだ。難升米がそれを制して言う。

「お待ちあれ。戦いになれば、勝ち目はない。ここはおとなしく降りましょう」

「ですが、あなた方を無事に上洛させるのが私の役目……!」

「生きてさえいれば、また機会はあるでしょう。我等は今までずっと公孫氏に朝貢してきました。此度こたびもそうだと言えば、殺されることはない」

 苦渋くじゅうの決断。難升米の説得に梯儁は低くうなって、剣をさやに戻した。


 公孫淵は拘束した一行に倭国の使節団がいると知って、以前と同じように自分に朝貢するものだと思った。使節団の代表の難升米が機転をかせて、持参した朝貢品を公孫淵に差し出したので、使節団の一行はその身柄を安堵された。

 とはいえ、戦時中で厳戒態勢が敷かれていたために解放はされず、燕の都である襄平の官舎に留め置かれてなかば軟禁状態にある。都市牛利が心配事を口にする。

「朝貢品を全て召し上げられたとあっては、無事解放されて洛陽へ赴いたところで、目的が果たせぬかもしれませんな」

「全てではない。ここに一つ残しておいた」

 その問いに難升米が言って、腰にぶら下げた小さな革製の袋に視線を落とした。

「おお、邪馬やま烏薬うやくでございますか。でかしましたな」

 使節団の一人である伊声耆いせいきがそれを認めて顔を明るくした。

「うむ。翡翠ひすい瑪瑙めのうなどの宝玉に目がくらんで、これの真の価値は見抜けなかったようだ。こっそりこうして腰に付けていたが、見咎みとがめられることもなかった」

 邪馬烏薬。それは難升米の更なる機転で収奪をまぬがれた財宝以上の価値を持つ霊薬だ。

 しん始皇帝しこうていの時代、東海上に浮かぶ神の山に不老不死の霊薬があるという伝説にもとづき、徐福じょふくという方士がその探索を命じられて、航海に出た。その時、徐福が求めた霊薬というのが、〝天台てんたい烏薬うやく〟という植物だという。根を乾燥させたものが薬になるのだが、中国北部の天台山産のものが特に効果が高いということで、その名が付いた。強壮剤として効果があるものの、もちろん、それを摂取したところで、永遠の命を得ることはできない。始皇帝は神の山に生えるそれこそ不老不死の霊薬のもとだと考えたのかもしれない。が、結局、徐福は帰らず、始皇帝も不老不死を得られずに死んでしまった。

 漢魏時代の名医・華佗かだの処方に‶屠蘇散とそさん〟、または〝屠蘇延命散〟というものがある。〝蘇〟と呼ばれた悪鬼をほふるという意味で名付けられたそれは、山椒さんしょう白朮びゃくじゅつ肉桂にっけいなどの生薬しょうやくを数種類調合したものである。この知識は五十年以上前に倭に伝わった。

 難升米がぶら下げているのは、徐福が求めたという神の山で採れた烏薬を屠蘇散に加え、酒に浸した薬酒、屠蘇酒である。

 神の山は「不死の山」とも呼ばれた。〝不死〟と〝富士〟はリンクしている。

 彼らは神の山原産の烏薬を入手して、生薬に加工した。それが邪馬台国産の烏薬、邪馬烏薬である。倭国製屠蘇酒に邪馬烏薬は欠かせない。

 それが本当に不老不死の効力があるのかどうかは難升米たちにも分からない。

 だが、邪馬台国の女王・卑弥呼はこの屠蘇酒を日々服用しており、すでによわい七十を迎えようとしている。この時代の人間の寿命を考慮したなら、人生二人分を生きている最中だと言ってよい。さすがに乙女のようなとはいかないが、依然として瑞々みずみずしい若さを保っているし、その美貌は健在、健康にも問題はない。

 その事実を考えたら、卑弥呼自身が特別な存在であることを差し引いても、この邪馬烏薬の屠蘇酒は確かに不老不死の効果があるのではないかと難升米には思えてくる。

「これがあれば、念願は叶うであろう」

 難升米が革袋に手をやって、自信気につぶやいた。

「確かにその屠蘇酒は、今や我が国一番の宝と言ってもよいですからな」

 伊声耆が頷いて、難升米に同意した。

「……しかし、鬼門きもん淵藪えんそう火見ひみ様がおっしゃっていたが、このことであったか。我等はふちにはまり、やぶに絡まって動けなくなった」

 都市牛利が脳裏に刻まれていた言葉を思い出し、納得したようにうなずいた。

 難升米たちは倭国を出発する前に火見という巫女の占断を受けていた。

 今回の使節団の派遣について卑弥呼が吉凶を占わせたのだ。

 その占断は、「鬼門に見えざる淵藪あり」という一句から始まる。火見は炎を使った占卜術せんぼくじゅつけていて、わずかながらだが、未来を見ることができた。

 おぼろげながらに見える幻想的かつ断片的なイメージを筋道の通った言葉に起こすのは難しく、火見自身にもそのイメージが何を示唆しさしているのかはっきりと分からないこともしばしばだったが、その特殊能力を買われて、火見は卑弥呼政権の重要なアドバイザーでもある。

「この地は鬼門なれど、決して厄災やくさいの地ではない。火見様の予見術も間違いがない。ここは慌てず騒がず、おとなしくしておこう」

 難升米は動揺する使節団の一行に振り向いて、冷静に言った。以前の経験から、難升米は「鬼門の淵藪」という一句を公孫淵関連のものだろうと何となく予測できていたのだ。

〝鬼門〟とは東北の方角をいう。陰陽道では、陰気や邪気が集まり出入りするところとされる。確かに魏の都・洛陽から見れば、遼東はまさしく東北の方角に当たる。

「確かに。後は静平に努めておれば、道は開けるのでしたな」

 伊声耆が言った。火見の占断には続きがあった。

 ――――淵に神亀しんき潜み、藪に神馬じんば隠れる。よく亀をなだめれば、頓足とんそくすべしも、静平を得れば、馬走り来たる。亀と馬の加護ありて、霊験れいけん授かれり――――。

 つまり、吉である。思うようにはすんなり運ばないが、慶事があって、最終的には目的を果たせる。火見のその予見があったからこそ、卑弥呼も使節団の派遣を決定したのだ。

「……しかし、亀も馬も何のことかわからない。誰か人のことを言っているのだろうか?」

 都市牛利は新たに生じた疑問、いや、ずっと前から気になっていた疑問を呈した。

「そうだとしても、この地の太守ではないことは確かだな」

 難升米が言った。一行の身柄を安堵されたとはいえ、太守の公孫淵が態度を一転させて厚遇したり、帯方太守の劉夏のように護衛兵や嚮導を付けて一行の上洛を助けてくれたりはしないだろう。公孫淵の顔にはいかにも傲慢ごうまんで野心的な色が見て取れた。

の者は邪気にあてられて、このようなことをしているのでしょうか?」

 伊声耆が公孫淵の反乱劇を非難するように言って、周りに持参した清めの塩をいた。これはわざわいはらう彼らのまじないである。

「確かなことは分からないが、昔も同じようなことがあった」

 官舎の窓から外を見つめ、難升米は脳裏に昔日の出来事を思い出しながら言った。

 それは今から三十年前のことだ。若き難升米は三十年前もこうして遼東にあった。

 当時の遼東太守は公孫康こうそんこうといって、公孫淵の父だった。ちょうどその時も戦乱が遼東に迫って、難升米たち倭国の使節団の一行は遼東で足止めを食った。

「その時に我等を助けてくれたのは曹操そうそう様だった。此度我等を救ってくださるのは司馬懿しばい様のはずだ」

 勘がえる難升米が過去の記憶を鮮明にしながら、とある人物の名を口にした。

 司馬懿、あざな仲達ちゅうたつ河内かだいおん県の人である。知謀軍略に長けた俊傑しゅんけつで、魏の太尉たいい(官僚の最高職である三公の一つ。軍事の最高官)の地位に座る男である。

 海を渡り、外国からやってきた難升米が魏国の動向を知るはずもないのだが、難升米のその言葉どおり、この時、司馬懿の大軍がすぐ近くまで迫っていた。


 司馬懿が公孫淵討伐の勅命を受け、四万の兵を率いて遼東に到達したのは、景初二(二三八)年六月のことである。緒戦に大勝して遼東郡内に侵攻した魏軍であったが、遼水りょうすいの渡河を前に長雨が続いて、一月ひとつきも増水した川を渡れずにいた。

 司馬懿は遼水西岸に陣を設け、将軍の胡遵こじゅん幽州ゆうしゅう刺史しし(幽州の長官)の毌丘倹かんきゅうけんを呼んで軍議を開いていた。そこに胡奮こふんが入ってきた。胡遵が精悍せいかんな顔を向け、息子に聞いた。

「どうした?」

「報告致します。川の水位がどんどん上がっており、このままですと、数日中にも氾濫はんらんして、ここも水没してしまいます」

 胡奮、あざな玄威げんい。涼州安定郡臨涇りんけいの人で、胡遵の子である。

 司馬懿は実戦経験を積ませるために、胡遵や牛金ぎゅうきんら歴戦の将軍の他、胡奮など次世代の将軍たちを従軍させていた。これはかつての主君、曹操がよくやっていたことである。

「水没か……」

 司馬懿は何かを思い起こすように呟いた。長雨で、辺りは陰気で覆われている。

 そんな中にあるせいか、ここのところ昔日に思いが巡る。過去とは、陰。

 毌丘倹が司馬懿に尋ねた。毌丘倹、あざな仲恭ちゅうきょう河東かとう聞喜ぶんきの人で、幽州刺史となって、北方異民族の烏桓うかん鮮卑せんぴを破る功をあげたが、前年、公孫淵の討伐に失敗していた。刺史は元々は州の巡察官であったが、反乱などが生じた際に特別に軍権を付与されることもあった。毌丘倹もまた有能な中堅武官だ。司馬懿に尋ねる。

「このままここに留まるのですか?」

「当たり前だ。誰が退くと言った」

 司馬懿は安易に退却を口走る若き将軍に不退転の決意を見せた。

 戦況の趨勢すうせいを冷静に推し量り、戦場の機微を間違わず見分けてこそ勝利は得られるのである。曹操は実にその能力に長けていて、司馬懿はその軍略に教えられることが多かった。今度は自分が次世代の将軍たちにそれを教える立場だ。

 すでに曹操に従って戦の経験を積んだ将軍たちのほとんどが世を去り、魏軍の中にその軍略を知る者は少なくなっている。

「しかし、この異常な天候はどうも我等に天運がないと言われているようで……。 長雨のせいで病兵が増えております。昨年もこのように長雨が続き、病兵の増加と河川の氾濫で進軍がはばまれました」

 弱気の毌丘倹が空を暗く覆う雲のように顔を曇らせた。

「病まで流行はやり出したか。益々あの時と似てきたな……。だが、決して天運がないのではない。向こうに地勢があるだけのことだ」

 司馬懿は特に感慨なく言った。結末が見えた戦いである。

 幕舎の中で毌丘倹と対していた司馬懿は屋根の際まで歩いていくと、そこから手を出し、雨の感触を確かめた。しとしととした霖雨りんうである。豪雨の激しさはない。

「いかに地勢があるとはいえ、所詮しょせん、公孫淵は大海を知らぬ井の中のかわずだ。蜀の昇龍とは比べ物にならん……」

 司馬懿と共に対蜀戦線で戦った胡遵が司馬懿の隣に立って、無言で頷いた。

 司馬懿が思い出しているのは宿命のライバル、蜀の丞相じょうしょう諸葛亮しょかつりょう孔明こうめいのことだ。神算鬼謀しんさんきぼうの軍師であり、経世済民けいせいさいみんを貫いた清廉実直の政治家――――。

 司馬懿は人生でたった二人、自分より才覚が優れていると思った人物と出会った。その一人が諸葛孔明である。その英才を〝龍〟と例えられた孔明は一足先に天へ昇った。四年前のことだ。

 良きライバルを失った司馬懿はこのところ感傷的になって、昔を懐かしむことが多かった。あの頃は自分も若く、敵味方問わず、周囲には才覚にけた者たちが多くいた。今よりもずっと刺激的であったように思う。

「戦が長引けば、呉の孫権そんけんが援軍を派遣してくる可能性も考えられます」

「おお、孫権か……」

 毌丘倹の懸念けねんに司馬懿がその名を呟く。が、司馬懿が頭に思い浮かべるのは、やはり、若かりし頃の孫権だ。呉の皇帝となった孫権は海路を通じて公孫淵に接近し、反乱を援助して、南北両面から魏を挟撃する戦略を画策していた。

 孫権の真意を見抜いていた司馬懿は毌丘倹の提言を一笑に付す。

「奴も馬鹿ではない。ひつぎに片足を突っ込んでいるような公孫淵を本気で助けるはずがない。孫権が公孫淵に近付いた真の目的は公孫淵が持つ宝を狙ってのことよ。公孫氏に朝貢している倭国の人間と接触を持とうという魂胆こんたんもある」

 呉の黄龍こうりゅう二(二三〇)年、孫権は将軍の諸葛直しょかつちょく衛温えいおんに兵一万を与え、州とたん州を探索させた。どちらも東海上にあるとされる未知の土地で、夷州が今の台湾、澶州が沖縄か種子島たねがしま辺りを指していたと言われる。かつて秦の始皇帝が不老不死の霊薬を求め、方士の徐福に海の向こうにそれを探させたという故事にならったのだ。ただ、この時孫権が求めたのは不老不死の薬ではなかった。

 残念ながら、両将軍は何も発見できずに帰国し、怒った孫権は二人を処刑した。

「倭国の者とですか?」

「まぁ、詳しく知らずともよい」

 司馬懿は説明するのを避けて、胡奮に命じた。

「陣営を回り、兵を落ち着かせよ。公孫淵は兵をき集めたはいいが、人心を得ていない。兵糧ひょうろうも足りていない。あとほんの少し待つだけで、天運はこちらに傾く」

 老獪ろうかいな司馬懿は敵の自滅を待った。彼にとって、じっと待つことこそ天運を引き寄せる最良の方法なのだ。


 前年と同じ様に、長雨にたたられて撤退するに違いないと決め込んでいた公孫淵は一向に撤退する様子を見せない魏軍に焦りを募らせ始めた。

「こんなはずでは……」

 司馬懿の強気が公孫淵の弱気を誘う。これは司馬懿と公孫淵の精神力の勝負だ。

 青ざめた顔の公孫淵は明らかにそれに負けていた。唯一の希望に視線を落とす。

神器じんぎの力だけでは駄目なのか?」

 公孫淵が大事そうに両手に抱えるのは、亀をあしらった黒曜石こくようせきすずり

 所有者に地勢の加護を与えるという神器の一つ、玄武硯げんぶけん

 だが、神器の力が霖雨となって発揮されても、公孫淵がこもる襄平の城内ではそれが逆効果となって返ってきていた。城内にわずかに残る食料がかびに侵され、腐ってしまったのだ。

 公孫淵は神器の力に頼るあまり、城内に十分な兵糧さえ蓄えていなかった。

 それらを口にしながら、なお頑強に籠城を続けていたが、今度は病気が蔓延まんえんし始めた。兵士がばたばたと倒れ、死んでいく。そのうち食料も尽きて、生き残っている兵士は仲間の死体をむという崩壊寸前の事態に陥っていた。こうなっては、もう公孫淵の統制も限界だった。

「もう、おしまいだ……」

 生気を失った公孫淵は弱弱しく言って、こうべを垂れた。

 そもそも公孫淵が燕を建国し、魏から独立するという判断に至ったのは、所有者に加護を与えるという仙界の秘宝を手にしたゆえの過信からであった。

 万策ばんさく尽きた公孫淵は人質を解放し、倭国から受け取った朝貢品と自らの野望の象徴といえる神器を差し出して、講和を願った。だが、

「反逆しておいて、何が講和だ。戦には五つの選択肢がある。戦意がある時は戦い、戦意がない時は守る。守れなければ逃げる。あとは降るか、死ぬかだ。遼東の蛙にはそのようなことも分からんか。降伏しない公孫淵には死あるのみだ。帰ってそう伝えよ!」

 司馬懿は乱暴に玄武硯を奪い取ると、罵詈ばりを浴びせて公孫淵の使者を追い返した。代わりに連れて来られたのは解放された人質たちだ。帯方太守の劉夏が付けた護衛兵と倭国の使節団である。梯儁が簡潔に事情を説明して、倭国の一行を紹介した。

「お久しぶりでございます。司馬懿様」

 難升米が司馬懿の姿を見て、中国式の挨拶、拱手きょうしゅの礼を取った。

「ん?」

 司馬懿が怪訝けげんな表情をして、難升米の顔をのぞき込んだ。

「お忘れでございますか? 倭国の難升米でございます」

 難升米は流暢な漢語で司馬懿に語りかける。見覚えのあるその顔に司馬懿は思わず目を見張り、厳しかった表情が緩んだ。

「驚いた。本当に難升米か」

「覚えておいででしたか?」

「もちろんだ。大分人相が変わったようだが、忘れるはずがない」

 司馬懿は旧友に接するようにそう言って、難升米の手を取り、再会を喜んだ。

「無理もありません。あれから三十年の月日が経ちました。司馬懿様もすっかり年を取られた」

「そうだな。わしもそなたもあの頃はまだ若かった……」

 司馬懿は懐かしそうに言うと、難升米の白髪交じりの頭を見ながら、自分の白く伸びたひげでた。司馬懿はもう六十の高齢である。

「ところで、そなたどうして遼東におったのだ?」

 ようやく現実の話題になって、難升米は魏に朝貢に向かう途中で難に遭い、襄平で拘束されていたことを話した。

「そうであったか。火見は壮健でいるか?」

「はい。今は女王・卑弥呼のもとで、まつりごと輔弼ほひつに当たっております」

「そうか。あの時の少女が立派になったものだな……」

 司馬懿はまた昔の情景を思い出しながら、感慨深げに呟いた。

「話は尽きませんが、また後ほどに致しましょう。司馬懿様はお忙しそうだ」

 主将の胡遵が今や遅しと攻撃命令を待っている。難升米が気をかせて言った。

「ああ、済まんな。すぐに片付ける故、ゆっくり待っていてくれ」

「はい。ご武運をお祈りいたします」

 難升米が言って辞去した。倭国の使者たちがやってきて、天運ももたらされたようだ。長雨が止んだ。川の水も引いた。玄武の加護が失われた証拠だった。

 司馬懿は最後の仕上げに取り掛かり、燕の都・襄平を包囲した。そして、わざと公孫淵に逃げ出すチャンスを与え、公孫淵が逃亡したところで襄平を電光石火に制圧した。

 逃げ出した公孫淵は捕えられて殺され、燕は建国僅か二年で滅びたのである。

「東のかた碣石けっせきに望み、って滄海そうかいる……」

 司馬懿が自分より優れていると思うもう一人の人物が、かつての主君・曹操である。玄武硯を手にしながら、司馬懿は曹操が三十年前に遼東のすぐ近くまで遠征したことをんだ詩を口にして、曹操に自分を重ねていた。それが近年の司馬懿のくせである。司馬懿は曹操を目指し、曹操に近付こうとしているのだ。

 太陽であった曹操が没した後、月である自分の威光が国を照らしている。

 しかし、陽光に比べると、月光はあまりにも弱く、心もとない。それでも、やらなければならない。

 戦後処理。司馬懿は鬼の所業を断行するために襄平に入った。

 遼東は長年公孫氏に支配され、独自の法が敷かれていた。それを一新しなければならない。司馬懿は布告文を書かせるために虞松ぐしょうを呼びつけた。

 虞松はあざな叔茂しゅくぼうという。陳留ちんりゅうの人で、若き能書家である。

ふる筆硯ひっけんを改める。叔茂よ、この硯を使って城内に魏の法を布告せよ」

「は……これは何とも見事な硯でございますな」

 司馬懿から玄武の硯を受け取った虞松がそれを見て思わず感嘆した。

 玄武硯は神器というのを抜きにしても、芸術品として一級の文宝ぶんぽうであった。

 不軌ふきはかりし者は死罪――――。それが魏の法だ。

 反逆に加担した兵を全員処刑し、敵兵の死体を集めてうずたかく積み上げた上で、油をき、その死体の山に火を付けさせた。巨大な炎が上がり、強烈な熱気と肉が焼ける臭いが辺りに充満した。過去のことがある。灰にしなければ、安心できない。

 その様子を検分していた司馬懿は再び難升米を呼んだ。難升米もその炎に目を向ける。

「難升米、思い出さぬか? 儂は炎を見る度にあの光景を思い出す……」

「そうですな。あれはたいへんな戦でございました……」

「昔、火見に言われたのだ。あの大火の光景を忘れるなと……」

 司馬懿の記憶が再び三十年前にさかのぼる。その時、巨大な炎が漆黒の夜空を焦がしていた。それは天にも昇る大火であった――――。




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