第166話・野望の徴 その3

 お見合いとか縁談とかややっこしい話は終わり、わたしたちはアプロの部屋に戻ってきました。

 ここから先は、とてもシンプルな問題に直面するのです。

 アプロの、折れた剣をどうするのか、という。




 「じゃあ、見させてもらいますね」

 「ん。お願い」


 わたしはアプロから鞘ごと受け取った剣をテーブルの上に横に置き、両手を鞘に当ててその奥にあるものを探ります。

 鞘に入れられたままで分かるのか、って話となると、実はアプロの剣って鞘とセットで打たれたものなので、特に問題は無かったりします。よーするに、鞘も剣の一部ってことなのでして。


 「…なにか分かる?」

 「うーん、すぐに分かるものでは…ていうか、焦らせないでくださいってば」


 目をつむって手元に集中はしてますが、今のところ分かっているのは鞘の中ではやっぱり刃の部分でぽっきり折れてることくらい。そんなこたー現場にいた誰もが知ってますっての、鞘の中で勝手にくっついてるんでもない限り。


 「………」


 アプロの心配そうな視線を手元に受けつつ、わたしは手のひらを右に左に動かしてみました。指の先に触れる見えないもの、手のひら全体を通じてわたしの中に直接働きかけてくるもの。

 あるいは、耳を通さずにわたしにそのまま「聞こえて」くるもの。

 そんなものがないかしばらく手を動かしていましたが…。


 「…ダメですね。何も応えるものがありません」

 「………そっかあ。なんとかなりそう?」

 「わたしよりアプロの方がこの子との付き合い長いんですし。そのアプロがまだ手応えがある、って言ってるんですから、少し腰を据えてやってみたいとこですね」


 こういう時に焦れながらもあからさまに失望はしないでいてくれるアプロがすごく頼もしく思えます。

 だって、どう考えたって気が急いて、徒手空拳でもいいから今すぐにでも飛び出して行きたい、って思っても仕方ない状況じゃないですか。

 それはアウロ・ペルニカでの時のように、明日の朝にも危機が押し寄せてくる、って時でもないですし、わたしたちが万全の体制でいないことで時間を稼げる、ってことがあるにしても、こうして長く連れ添った大事な相棒をわたしに任せて、それでじっとしていられるなんてなかなか出来ることじゃないですよ……。


 「アコ、んっ」

 「わぷっ」


 って、剣にかざしていた手をおろし、体を起こした瞬間、アプロの顔がわたしの正面にあらわれて、くっつくところにくっつけてきてました。

 おとなしーな、と思ってたら隙をうかがってましたね、このコ……。


 「…あのですね、んなことしてる場合と違うでしょーに」


 まあ本音はうれしいわたしでしたけど、ここでほいほい乗っかっては女が廃るのです。

 わたしは年上の威厳を見せつつ、たしなめてみました。


 「んー、でもさ、やっぱ……さ?」

 「くっ…そーしてめちゃくちゃかわいい仕草されたって…」


 ただしそんな仮面もアプロのおねだりの前には大した防御力を示せないのです。

 わたしはにやける頬を必死に押し止めながら、それでも隣で屈み気味の上目遣いになってるアプロから目が離せないのです。


 「アコー……だめ?」

 「だめなわけないじゃないですかっ!」


 そして負けました。どちくしょー、ただでさえ今日は凜々しいところからお姫さまのように嫋やかなところまでアプロにあてられっぱなしだってのに、夜になってこんな甘えた顔と声でゆーわくされたら逆らえるわけないじゃなですかっ。えーもう今晩はかわいがったりかわいがられたりしてやりますからねっいーからいますぐいきましょそーしましょもう服を脱ぐ間だって惜しいですからっ!


 …と、ふたりして立ち上がり、わたしはおもいきりアプロの胸に顔を埋めた時でした。

 今わたしたちは、ヴィヴットルーシア家を辞して聖王堂教会に戻り、マリスたちに一通り報告を終えてから、二人して泊まってるアプロのお家に帰ってきたところです。

 食べ物なんかは、王都も大変な時期なので贅沢できるものでもなく、マリスんとこから分けてもらったものを持ち込んだだけでお腹いっぱい、というわけにはいきません。お酒はわたしがダメと言ったので、せめてアプロ秘蔵のお茶をいただくくらいが楽しみなんです。だったら、なんかこお、雰囲気に流されてくっついたり吸ったり吸われたりするくらいいいじゃないですか。


 だというのに、もお。


 「……アプロ、お客さんとか来る予定ありました?」

 「……あったらアコといちゃいちゃしよーなんて思わない」


 それもそうですね。ということは、今玄関のドアノッカーを叩いてるのは、睦事の邪魔をする不粋者ということですね。成敗してくれます。


 「そーいうのは私の役目だと思うんだけどなー。アコも時々暴走するもんなー」

 「うるっさいですね。アウロ・ペルニカ出てからご無沙汰だったんですからよくぼー滾らせるくらい構わないでしょ。ええい、これからって時に邪魔しよってからに、誰ですかっていうかもう誰でもいーから出て行きなさい……ってゴゥリンさんじゃないですか」


 勢い込んで玄関まで行って扉を開けると、そこには見慣れた獅子身族の巨漢の姿がありました。

 わたしは遅ればせながら「こんばんは。よい夜ですね」とてきとーに誤魔化しつつ、後についてきたアプロに場所を空けます。


 「ゴゥリン?なんだよそっちから家に来るとか珍しい。どした?」

 「………少しな。邪魔だったか?」


 ええ、とても。


 …っていくらなんでもゴゥリンさんに言えるはずもなく、けど口を尖らせて上目遣いで睨んでしまったものですから、ゴゥリンさんには看破されてたことでしょうね。愉快そうに笑ってましたもの。


 「いいとこだったんだけどなー。まあでもいいよ。話があるんなら上がりな」


 一方、アプロの方はわたしなんかよりもよっぽど明け透けで、けれどカラッとしてます。脇から無言で「むー」とか恨めしげにするしか出来ないわたしとはえらい違いです。いえまあ、個人の資質ってーやつですから今さらどうにも出来ないんですけど。


 「………うむ。済まないな」


 ゴゥリンさん、わたしの前を通り過ぎる際に、ぽん、と軽く頭に手を乗せていきました。相変わらずの肉球の感触…いえ、ちょっと堅くなってましたね。きっと武器を握る時間が長く続いているからなのでしょう。わたしは獅子身族の肉球の評価にかけても定評があるのです。多分世界のどこを探しても、他にそんな評価をするひと居ないでしょうけど。



   ・・・・・



 「はい、お茶です。落ち着きますよ」

 「………ありがとう」


 いくらいーとこ邪魔されたからってお茶のひとつも出さないのでは、嫁の名折れです、ってのは冗談として、普通に持ち込んだ中で一番いいお茶を出してます。

 これ、疲れたアプロのために、体を休める効果がある、とアウロ・ペルニカで聞いて買っておいたものなので、ちゃんとしたものだと思います。あの街でわたしに怪しげなもの売りつけるような人いませんでしたからね。


 「で、何の話だ?おめーがふつうに遊びにくるとかタダ飯食いに来るわけねーし」

 「あのですね、アプロ。タダ飯云々はともかく遊びにくるくらい普通にあるでしょうが」

 「こんな時でなけりゃあ、タダ飯どころかタダ酒だって呑ませてやるよ。そんなことはゴゥリンだって分かってんだから、よっぽど重要な話なんだろ?」

 「………だな」

 「明日まで待てないくらいの話か?それともマリスたちの前では出来ない話だとか」

 「………どうかな。ただ、思い出したらすぐに誰かに話してしまわねばならん、という気になっただけかもしれん」

 「それは……人恋しさで話がしたいだけ、かもな」


 そうだな、と苦笑するゴゥリンさんです。

 実際にそうなのかはともかくとして、一人でいることの多いゴゥリンさんがそんな気分になることがあったとしても不思議ではないと思いますよ、わたしも。

 だから、ちょっとしんみりした空気の中で、ゴゥリンさんが口を開くのを待つことにわたしもアプロも何の異議も無いわけで。つい今し方まで目が血走りそーな会話をしてたことなんかぽーいっと投げ捨てて、そしてゴゥリンさんの始めた話に二人並んで聴き入るのでした。




 いつか聞いたことがあります。

 ゴゥリンさんは獅子身族の集落で次代の長として産まれた身でありながら、仲間のもとを離れて大陸中を旅することにしたと。

 その理由は、集落で暮らしていた頃に幾人かの男の人たちを助けたことに因るそうで。

 彼らはこの世界のものとは思えない言語を話し、身なりも当時のゴゥリンさんの知る限りでは見たこともない姿で、集落からは大分離れた…今はアウロ・ペルニカのある辺りで出会ったとか。

 今も昔も獅子身族の人たちは外の人間を歓迎はしないものでしたから、どこの誰とも知れない彼らを集落に招き入れることは諦めたものの、行く当てもない人たちを見捨てる気にもなれなかったゴゥリンさんは、雨風をしのげる場所を探してやり、彼らが狩りなどをして生きていけるまで親身になって世話をしていたとのことでした。

 言葉の問題、といっても長く接していれば意思の疎通も出来るようになるものです。

 いつしか彼らはゴゥリンさんから言葉を習い、街道を行き交う商隊とも交流を持つようになり、やがてひとまとまりになって遠くへと旅だって行ったのでした…体を悪くしてその旅についていけなくなったひとを一人、ゴゥリンさんに託して。


 「………その男はジョージ、といった。頑強ではないが聡明な男だった。彼の仲間はどうにか連れて行こうとしたのだが、足手まといになるからと残ることにしたのだろう」

 「長生き出来ないだろう、って悟ったにしても、最後を看取ることくらいできなかったんですかね?」

 「アウロ・ペルニカのある辺りは今でこそ街が栄えてるけどさ、雨期の雨もあるしゴゥリンの若い頃ってーと…百五十年くらい前か?まだなーんにも無くって、そこでずっと生きてくなんて無理な話だよ、アコ」

 「………うむ。出会ったのは雨期の明けた頃だった。次の雨期の始まるまでにはどこか人の住まう地へ行かねばならなかった」


 そういうものですか。けどまあ、一年足らずで言葉を覚えてしまうというのも大したものですよね…。


 「………彼らの中に一人、言葉をる学者がいた。その男が導いたのだろう」

 「なるほど。で、その残ったひとはどうなったんです?」


 珍しく喋り通しだったゴゥリンさん、二杯目のお茶を飲み干して続けます。


 その男のひとは、これまで世話をしてくれたゴゥリンさんに感謝をして、このままうち捨ててくれて構わない、と言ったそうなのですが、ゴゥリンさんがそんな真似をするはずもありません。

 共に暮らすというわけにはいかなかったものの、集落にもっと近い場所に住処を移し、やっぱり何くれと無く世話を続けたのでした。

 そうしているうちに、それまで頑なに出自を明かさなかった男のひとは、体が弱ってもう起き上がれなくなった頃に、彼らがどこからやってきたのか、という話をしてくれたそうなのです。


 「………その話を聞いた時は信じられるものではなかった。だが、アコ。お前が稀にする異界の物事の話を聞くにだな、その時のことを思い出すようになった。あまりにも似た話が、少なくなかったのだ。つまり…」

 「…そのひとたちは、異界…いえ、地球からこの世界に紛れ込んだんじゃないか、てことですね…」


 うむ、とゴゥリンさんは頷き、そのジョージさん以外の、別れたひとたちの名前を挙げていきました。そして、そのどれもが、わたしの中の神梛吾子が知る、外国人の名前に近い響きを持っていたのです。


 「それは…アコみたいに、その…ガルベルグの仕業、みたいなもんじゃないのか?」

 「ガルベルグがそんなことする理由がわかんないですよ。それにアプロには前に言ったことありますけど、覚えてます?神梛吾子のいる世界にはあるっていう綿花を、ベルが持ち込んだってこと」

 「えー…じゃあつまり、そのチキュウっていう世界とこの世界は行き来…なのか向こうから一方的にやってくるだけなのかはわかんねーけど、人間が移動してくるってことがあり得るってことなのか?」

 「おそらくは。もしかしたらベルはその方法を知っているのかもしれません」

 「あんにゃろの思わせぶりなところはそれが理由なのかもな。ゴゥリン、それでその男はどうなったんだ?」

 「………程なく死んだ。ただ、今際の際に言い残したことがあった」


 それはなんです?とわたしもアプロも、もう話の先が気になってしかたないのです。


 「………虹の柱を通って、やってきた、と。あるいはベルニーザが我々の前に姿を顕した時のようなものかもしれん」

 「………」

 「……」


 わたしもアプロも、もう言葉もありませんでした。

 ベルが強大な力を保ってこの世界に姿を見せる時には必ず見られた、あの柱状の虹。

 最初の頃、たいした力もなくわたしやアプロの前に姿を見せるときはもっと静かに来る、みたいなことを言ってた覚えがあります。もしかしたら、ベルが持つ力が大きいと、小さい穴では通りきらないとかそういう仕組みなのかもしれませんけど…。


 「…なんかもー、さ。ベルをとっ捕まえて聞き出した方が早い気がするよな。今さらだけど」

 「ほんと今さらですよ。なんかアプロだって、アウロ・ペルニカでベルと通じ合ってたよーなこと言ってたくせに、何も分かってないじゃないですか」

 「別に分かってたことなんかねーよ。あいつもやらないといけないことがあるみたいだったからさ。っていうか、アコもしかして妬いてる?」

 「妬いてませぇん。むしろ恋敵が遠ざかって気味が良いくらいに思ってるのはアプロの方じゃないんですか?」

 「おーおー、あん時わんわん泣いてたくせにアコもよく言うー。何て言ってたっけ…?確かー…」

 「ちょ、それ言ったら戦争だって知ってますかっ?!いーでしょう、受けて立ちます!そうですね、先に泣いたら負けってことなら今晩はわたしが先攻でいーですねっ?!」

 「へん、アコの攻めなんか怖くねーし!」

 「………その辺にしておけ」


 ゴゥリンさんの無感情な声に、頭が一気に冷めました。ていうかどさくさに紛れて何を言ってたんですかわたしたち…。


 「…わり。話戻してさ、とにかくその男たちが本当の異界からやってきたとして、事故か何かだったのか?」

 「………そこまでは分からん。ジョージも自分らの意志ではなかった、としか言わなかったしな」

 「となると巻き込まれたとか、何かの突発的な事態だったとか、そーいうものだとして…あの、それでゴゥリンさんはどうしてそれで旅に出ることに?」

 「………そうだな。ジョージが最後に残した言葉が引っかかって、だな。彼は、『もっと知りたかった』と言っていた」

 「知りたい?…って、何をです?」

 「………それは分からん。自分が想像しただけのことでしかないが…何故こんなことになったのか、自分の仲間たちはどこに行ったのか、今どうしているのか。それから今にして思うのは…彼らにとっての異界たる、この大陸がどんな世界であるのか。いくらでも知りたいことはあったのだろう」

 「……だろうな。それが遺言みたくなるのは、きっと心残りはあったんだろうな」


 同情的、というのとはちょっと違って、アプロの言いようはそのジョージさんに仮託して今のわたしたちの状況を嘆じているようにも思えます。わたしの僻みかもしれないですけど。


 「でもそれがゴゥリンさんの旅に出た理由になるんですか?」

 「………そうだな。ジョージの無念を晴らしたかった、というものとは少し違うだろう。彼が『知りたかった』というものを、自分でも思うほどには知らなかったから、というのが正しい気がする。我らは狭い集落に引きこもり、基本的には外と交わることが少ない。そのように身を処すると定めた歴史があり、それは一概に否定されるようなことではないかもしれないが、別の道もあるのではないか、と思ったのは事実だ。それが故に旅に出て、それが故に族長の地位を継ぐことを捨てたのだとは思うがな」

 「なるほどなー…」


 二度ほど訪れた獅子身族の集落で、グラセバさんが言っていたことを思い出します。

 ゴゥリンさんは族長としての立場を捨てて、集落を離れたのだと。

 でもそれは捨てたというよりは、獅子身族の向かう道が別にあるんじゃないか、それを探すのもまた長たる身に要請されることの一つなんじゃないか。なんとなくそう思うわたしです。


 「グラセバさんにも分かってもらえるといいですね、ゴゥリンさんの旅の意義が」

 「………うむ、いずれは良い旅路を、彼奴らの前に示せる日が来ると思う」

 「…へへ、気取っちゃってまあ…ゴゥリンなんか集落に戻って自分の子供の顔見てニヤニヤしてる姿だってお似合いだっての」


 それを言うな馬鹿者、と少し照れた様子のゴゥリンさんがアプロを小突いてました。

 まー、聞いた話だけでも子供を大事にしてるのは分かりますからね。わたしだってそんなゴゥリンさんの姿は悪くないって思いますよ。


 「で、話はそれで終わりか?別に今私たちに語らないといけない内容ってわけでもなさそうだけど」

 「………敏い奴め。だがその通りだ。その旅の間に見知ったことのうち、ガルベルグの…いや、この世界に『神』たる存在の意味に疑問を持ったことがあった。少なくとも神託だの予言だのといったものに疑義を抱く今、意味のある話になるとは思うのだがな」


 お代わりを、とでも言いたげにわたしにカップを差し出したゴゥリンさんの目には、鋭くもひどく理知的な光がたたえられていたように思いました。

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