第164話・野望の徴 その1
魔王、現る。
その凶報は瞬く間に王都アレニア・ポルトマを駆け巡りました。
まあ魔王を名乗る存在が少なくない人々の前に姿を現した、というのは紛う方無き事実なんで、それに対して意義申し立てるつもりもわたしには無いんですけど。
なににせよ、その知らせはアレニア・ポルトマからテラリア・アムソニアの各地へ。当然、大陸全土が知ることになるのも、そう遠いことではないのでしょう。
勇者アプロニア・メイルン・グァバンティンが剣を失った。
その事実と共に。
そしてもーひとつわたしたち、というかマリスを中心とした一部権奥の人たちにとって頭が痛いのは。
「……何故ベルニーザが魔王だ、などという話がまかり通ってしまうんですの…」
「こうなるとことの重大さから話が広まるのを抑えていたことが災いしましたな。ガルベルグの名前に外見まで情報があったのですから、むしろ積極的に流布すべきでした」
「今さらそれを言っても仕方無いよ。ただ、古来の神託と突き合わせてその違いを指摘は出来るだろうね」
「教会の内部についてはそれである程度は誤解も正せましょうけど…市井の民の口にのぼる話にまでいちいち介入するわけにもいきませんし…」
「そちらはもうある程度諦めるしかありませんな。各国の指導層と権奥への周知を進めてまいりましょう」
わたしは、聖王堂教会の一室で繰り広げられてる、マリスとマイネルとグレンスさんのやりとりをぼーっと眺めてます。
放心してるようにでも思われてるのか、時折マリスが心配そうな視線を向けますけど、別に傷ついてたりはしませんよ。ベルが魔王を僭称するのなんて予想の範囲内ですし。
ちなみにアプロは、剣を折られた件についてヴルルスカ殿下に報告に行ってます。
「兄上にしかられるー…」と青い顔してたのでついていければ良かったんですが、マクロットさんが「一人前と認められたくばそれくらい一人でやれ」とアプロをけしかけて…あーいえ、励まして?…いたんですかね、アレ。一国の興亡を左右しかねない武器が失われたにしては、えらく呑気だったような。
「…アコ、あなたはどう思います?」
「んー、ベルが魔王を名乗ってた理由、ですよね、ってなんで驚くんですか」
「だって、アコが心ここにあらずに見えて声をかけたんですのに、まさかちゃんと話を聞いているとは思いませんでした」
実は全然聞いてなかったんですけどね。
けどどーせここでわたしに尋ねることなんてベルのことしか無いでしょーし。
「聞いてますって。こんな時に呆けてるほど抜けてませんよ、わたし」
でも口に出してはそーいうことにしておく図々しいわたしです。
わたしはマリスとマイネル、ゴゥリンさんの他にグレンスさんのいる部屋の中で、長くなりますよ、と宣言でもするかのように唇をひと舐めしてから、話し始めました。
「えーとですね、この際ベルのことは横に置いといていいと思うんです。あーいえ、別にベルに思い入れあって横紙破りしたいわけじゃなくてですね。ベルの動向に目を向けてたら、本当にヤバいことを見失うんじゃないか、って思うんですよ」
「本当にヤバいこと…真の魔王の企みごと、かい?」
「です。ベルがこういう扱いされるのはわたしだって業腹ですけどね、多分ガルベルグの意を汲んでかそれとも強いられてか、どっちにしてもベルがやりたいことをやってるわけじゃないはずです。だから、今は無視してもいいんじゃないですかね」
わたしにしては意外なことを言う、とでも思ったのか、マイネルは目を丸くしてわたしを見ています。
マリスにしても表情は大差無いですが、そこは上に立つ者の習いといいますか、落ち着いてわたしに先を促します。
「なんでベルが前面に出てきたのか、っていうと推測するほどのネタも無いのでそこは触れません。ただ、ガルベルグの目的と無関係じゃない、ってことだけは確かでしょうね。だから、それを調べるというのであれば…それを目的にするのであれば、ベルと接触する意味はあると思います。それ以外なら今は放置を推奨します」
「…またアコも思い切ったことを言いますわね。国軍や貴族たちがそれを許すと思いますか?」
「何事も無ければ許さないでしょうね。でも、今のわたしたちには言い訳があるじゃないですか」
「言い訳、ですと?」
「ええ」
わたしはそこで言葉を切り、テーブルに置かれたカップに手をやります。
ふふふ、思いっきり勿体ぶってわたしの株を上げるまたとない機会…
「………なるほど、折られた剣のことか」
「そうそうその通り、ってなんで先に言っちゃうんですかゴゥリンさんっ?!」
…勿体ぶった挙げ句、美味しいところを持って行かれたのでした。わたしとしたことがー。
「…うー、後で覚えておいてくださいよっ……ま、まあそれはともかく、アプロの剣が折られた今は、わたしたちを前面に押し出すわけにはいかないはずです。魔王に対する切り札を失ったアプロは、今はこの国のお姫さま以上でも以下でもない存在なんですから、いくらなんでも危険を押して魔王と対峙せよ、なんて流れにはならないと思うんですよ」
「ふむ。そして出来た時間で我々が成すべきこと、となると…」
「ええ。その時間を使って、ガルベルグの目的を暴く。どうやって、となるとまた話は別ですけどね。ただ、未世の間という手がかりがある以上、わたしが力を振るえる場面は少なくないはずです」
「…珍しくアコが頼もしく見えるよ」
相変わらず失礼なことを言うマイネルですたが、ふふん、この際負け惜しみも心地よいものです。
斬った張ったで無双するアプロが活躍出来ない今、わたしが主役ですっ!
…なんて、拳を握って凱歌を上げていたわたしでしたが。
「残念ながら、そのような暇はありませんよ、アコ」
「はい?」
案内もなく入室するとはどんな無礼なひとですか、ってフィルクァベロさんじゃないですか。
「ふう、ようやくこちらに顔を出せました。まったく、権奥の役立たずどもに引き留められて困ったものですよ」
「あ、お疲れさまです…って、なんで二人ともわたしの後ろに隠れるんです?」
と、フィルクァベロさんから身を隠すようにわたしの背中に回るマリスとマイネルでした。何があったのやら。
「何もありはしませんよ。昨日小言を言ったので萎縮しているだけでしょう」
そうですかね?マリスはともかくマイネルまでなんだか青い顔をしてるのが不思議なんですけど。
あ、それよりも。
「あのところで、そんな暇がないとか、どういう意味です?」
「そうですね……アコ、あなたは確かヴィヴットルーシア家と縁談の話があったかと」
あー、ありましたね、そんなことも。アプロが断ってくれたって話ですけど、その後どーなったかさっぱり知りませんでした。というか興味も沸きませんでした。
「今になって蒸し返してきましたよ。神託が降った、アコ・カナギを次期当主が娶るように、とね」
………はい?
・・・・・
「今する話じゃねーだろうが!何考えてんだあの家の連中はっ?!」
翌日、聖王堂教会に戻ってきたアプロはひどくおかんむりでした。そりゃまあそうでしょうけど、だからといってアプロが先陣切って乗り込んでいくってのもどーなのかと。
「あ、それより剣の方はどうなったんです?ヴルルスカ殿下に何か言われたりしなかったんですか?」
「それは今はいーよ。還収して大学に預けるかって話もあったけど、アコに言われた通りそのまんま持って帰ってきたし」
ならいいんですけど。
いえね、アプロが言うには剣の形を失ったけれど、聖精石としての力を完全に失ったわけじゃない、ってことでしたし、力を失った聖精石の行く末にはちょっと恣意的というか悪意みたいな流れ感じてたんで、身の回りから離さないほうがいいかな、と。
あと、まあ、周りが考えるほど深刻な状況でもないですし。少なくともアプロの剣に関しては。
なので、フィルクァベロさんから話を聞かされるとすぐ、わたしはアプロと一緒に見合い相手の顔を拝みに…というかアプロ的にはぶっ飛ばしに向かってます。これから殴りにいこーか、って勢いです。嬉しいような、怖いような、複雑な乙女心なのです。
「…アコー、なんか勢いづいてる私がバカみたいに思えるから、そーいう力の抜ける感想は黙っててくれる?」
言うだけじゃなくて歩く勢いの落ちたアプロは、なんだかしょぼくれた背中になっているのでした。
まあでも、わたしのことで怒ってくれるアプロのこと、大好きですよ、と耳元でささやくと、もう誰が見てもわたしより背の高くなっているアプロは、背中を丸めてわたしと同じ高さの目線をぷいっと逸らしてしまいます。こーいうとこ、いつになってもかわいいですよね、アプロ。
「…もー、そんなこと言って茶化さないのー。…けどさ」
「ええ」
それでアプロもわたしも頭が冷えて、考えが回るようになります。そしてアプロの言いたいことはきっと、わたしと一緒でしょう。
「ガルベルグの仕込みだと、思う?」
「でしょうね。というか、もうわたしは予言とか神託の類は全部ガルベルグの仕業だと思ってますし」
「今回はどういうつもりなんだろ」
「さあ、そこまでは…足止め、くらいかな、とは思いますけど。アウロ・ペルニカを出る時のことだって……」
「アコ」
…ですね。わたしを慕って、それからアプロが家族だと認めた女の子のことをそんな風に話すの、良くないです。ごめんなさい。
「いーよ。まあどっちにしてもさ、会ってみなけりゃわかんねーって」
はい。
ヴィヴットルーシアのひとがどーいうつもりなのか、神託とやらをありがたがってわたしにこだわっているのか。
アプロと一緒に直談判しに来た厄介なお貴族様のお屋敷はもう、目の前です。
「ひ……姫殿下…っ?!」
「はい。アプロニア・メイルン・グァバンティン、先触れもなく
ぽかーん。
その、ついさっきまでぷりぷりしながら「あの野郎、ぶっ潰してやるっ!」…って息巻いてた物騒な女の子どこいった。
今のアプロは、装いこそいつもより礼装寄りの小綺麗な軽装の鎧姿ですが、物腰と声色はどこに出しても恥ずかしくない大国の姫君に相応しい様子です。そして、にっこり笑った顔は花の咲くよーな見事な美少女っぷりです。お陰で革と金属で出来た鎧がドレスに見えます。誰だコレ。
「ははははぃぃっ?!いっ、今すぐ呼んできますのでなっ、なかっ、中へお入りになっておみゃひくらふぁひっ?!」
「はい。ありがとうございます」
なんだか主に対してもアプロに向けてもアレな言葉づかいになった門番さんは、駆け出した背中に向けられた「不意の訪問をアプロニアが詫びておりました、とお伝えください」とゆーアプロのお為ごかしにも急ブレーキで立ち止まってカンペキな回れ右をし、「かしこまりましたっっ!!」……とかしゃちほこ張った返答をして、再度屋敷の奥へ駆け込んでゆきました。途中で転んだりしないでしょうね。
「なんか賑やかな家だなー」
「他に言うことあるでしょーが、まったく」
「え?」
本気で分かってなさそうな顔でわたしを見るアプロでした。
けれど本当に分かってないのだとしたら、それは特に気取ったり演じたりではなく、やっぱりこの姿も素のアプロの一部、ってことなんでしょうね。
「…なんだよー、言いたいことあれば言えばいいじゃん」
「そうですね。今みたいなアプロも、わたし結構好きですよ?」
「っ?!……………その、アコ?今晩………どぉ?」
流石にそれはマズいんじゃないでしょうか、と口ではたしなめるようなことを言ったわたしでしたが、自分を抑える自信は…まー、言うまでもないですよね。はい。
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