第160話・魔王、出来 その3
「……なにしてたんです?」
フィルクァベロさん、マイネルに続いてわたしとゴゥリンさんが部屋に入ったとき、そこには意外な光景が繰り広げられていました。
即ち、ソファに体を預けて何とも言えない表情でいたアプロと。
…えと、その顔に見覚えがあると思ったら、南方から届いた新しいお酒の見本をくすねてきたっ!…と喜び勇んでわたしを巻き込みカップ一杯を一息で飲んだときの顔ですね。蜂蜜を発酵させたお酒だったんですが、甘すぎて胸焼けが三日ほど収まらなかったそーです。
で、もう一方は、両手で自分の顔をはさんで、いやんいやんと腰をツイストしてるマリスです。その割にはアプロの方をチラチラと、真っ赤な顔を向けているんですからこれはもう言いたくて言いたくて仕方がな……あー、何があったか分かりました。力一杯惚気られてたんですね。
でもまあ、わたしとアプロが結ばれたあと、マリスが逆ギレするくらい惚気てたわたしたちのことですもの。それくらいは受けても仕方が無い報い、ってものでしょう。わたしはご免こうむりますが。
「あ、アコ?聞いて下さいなっ、お兄さまったらこう、わたくしの腰をやさしくぎゅって抱いて、それから熱い瞳でわたくしを見つめてですねっ!………………………………おはようございます、バルバネラ師。お越し頂いて助かりますわいたぁいっ!」
それは流石に無理がありませんか?とわたしがツッコもうと思った瞬間、フィルクァベロさんの杖に頭をいわされてるマリスでした。アプロじゃなくてマリスが相手でも容赦ないんですね…。
そしてまあ、何があったか瞬時に理解出来たので、わたしはアプロの介抱に回りました。
「大丈夫ですか?アプロ」
「…なんか、喉の下からくそ甘いげっぷがこみ上げて…」
「気持ちは分かりますけど表現が下品に過ぎますて。ほら、お水でももらってきましょうか?」
「んや、いいよ…この気分を晴らすにはより一層の甘い空気で対抗するしかー…あこー、いちゃいちゃしよ?」
「個人的には魅力的なお誘いですけど、フィルクァベロさんとゴゥリンさんが呆れてますからやめておきましょってば」
というか、フィルクァベロさんの杖がこっちに向かったらアプロも困るでしょーに、と、マリスが部屋に戻ってきたマイネルに吶喊してるのを横目で見ながらそう諭すわたしなのでした。
結果、各々への説教は避けられなくなった模様です。
マリス、マイネル、アプロの三人を並べてクドクドと繰り広げられたお小言は、なんかマリスの「わたくしとおにいさまの方が『らぶらぶ』ですっ」という発言に無駄に対抗したアプロのせいで、余計に長引いたりしてましたが、その間わたしは他人の振り…ではなく、ゴゥリンさんと情報交換をしてたりしました。わたしの方が、ベルやシャキュヤに関わる事情を話し、ゴゥリンさんの方は主に王都や陛下の周りの状況についての話をしてもらうかたちで。
それによれば、アプロと話し合った通り、やっぱり直接王都が第二魔獣、または第三魔獣に襲撃されたことなどはなかったとのこと。
ただし経済活動に影響を与える魔獣の穴や、実際に街の周辺の街道を移動していた兵隊さんが襲われたりとかはしているので、危険が迫っているという認識であることは確かですしわたしもそれは間違ってはないと思いますけど。
そして一方、わたしの話した内容でゴゥリンさんが思うこともあったようで。一通り話し終えるといくらか痛ましげにこんなことを言います。
「………それで、そちらはどうなのだ」
「まー、シャキュヤのことなら吹っ切った、ってほどじゃないにしても今はさておきますよ。ガルベルグの顔見たらブチ切れしそーですけど」
ゴゥリンさんドン引きしてました。そんなに物騒な顔してましたかね、わたし。
「………お前の本心を止め立てするつもりなどない。だが、思い詰めないように、な」
「……えーと」
でもそう心配そうに言われてしまいますとね、普段から朴訥としてそう踏み込んだことを言わないゴゥリンさんからですから、わたしも省みるところがなくもなくてですね。
「…出来る範囲で気をつけますね」
「………そうしろ」
つい、本心からそう返事をしてしまう、わたしでした。
聞き分けのいいことでもわたしは定評があるのです。いえ、好きなひとに対してはそうありたい、と思ってるだけですけど。
「…わかりましたかこの不埒者共!!」
「…うぁい」
「……はぁい」
「………はい」
で、ちょうどあちらの方も一段落したよーですね。
この三人が並んでせっきょーされてる場面なんかもうお目にかかれないかもしれませんよ。要領だけはいいマイネルをここまでやりこめるんですから、フィルクァベロさんの手腕ときたらもう尊敬せずには……。
「あ、あの…なんです?」
「…じー」
「……うぅ」
「………あとでおぼえてなよね」
何故か三人に睨まれていました。ちょっとー、あなたがたが叱られてたのはじごーじとくじゃないですか、とフィルクァベロさんに救いの手を求めようと目を向けたら。
「…自分でなんとかなさい」
「そんなっ?!」
…わたしがひとり叱責を逃れたのはわたしのせいじゃなというのに、この三人の恨めしげな視線は何なんでしょ。反省が足りませんよ、あなたたち。
「………一蓮托生から一人だけ逃げ出したのでは無理もあるまい」
あ、あら?ゴゥリンさんにまで…もしかしてわたし、孤立無援?
・・・・・
「話の大筋は分かりました」
その後、わたしの身に降りかかったなんやかんやは省略するとしまして、とにかくわたしたち四人にマリスとフィルクァベロさんを加えた六人で、ひとまず情報共有とこれからどうするかを話し合いました。
もっとも情報共有といいましても、わたしとゴゥリンさんの会話にフィルクァベロさんもきっちり聞き耳立てていたらしく、お歳の割にはお耳が達者ですね、と言ってよけーなお叱りを受けたりはしましたが、それを除けば一同の認識を共有することには成功した模様です。
その結果。
「現状を根本的に打破するための方策に専念したいと。そういうことですか」
教会権奥と陛下へ、わたしたちは周辺から事態の収拾に取り組む任につくことを、要請する運びとなったのです。
「そーいうこと。そりゃ確かに私たちが出張れば第二魔獣を一時的にでも減じることは出来てもさ、次から次へと魔獣が出てくるんじゃあ、いつか数で押されるぞ。王都だけ守れればそれでいいならともかく、大陸中が同じようなことになってるんじゃあ…」
「メイルン、相変わらず政治には疎いことですね。いえ、興味を持とうとしない。好むと好まざるに関わらず、あなたはそれらに接することを要請される身である、そう教えた筈ですがね」
「…どーいう意味だよ、ばばぁ」
けどまあ、予想外というか逆に予想通りというか、こーいう時に願った通りに事が運ぶことの方が少ないもので…。
応接間の六人分のソファには、気色ばんだアプロが腰を浮かせかけてフィルクァベロさんに食ってかかるところをわたしが止めている、という図になっているのでした。
「アプロニアさま。あなたとアコの力を思えば、それを自身の身を守るために使役したいと考える勢力があるのは、考えられたことですわ」
「…以前に比べれば彼らも物わかりがよくなったとは思うけどね。そもそも、彼らは彼らの権益のためにこの国に来たという由来を思えば、そうそう協力的になると思えないよ」
「二人ともゴチャゴチャとうるせーよ。何が言いたいんだ、端的に言えって」
「アプロ…わたしでも分かることを分からない振りなんかしないでくださいって。中興の貴族たちは、アプロの力で王都を守らせたいんだって、最初からそのつもりでわたしたちは呼び寄せられたんじゃないですか」
「そんなもん大した問題じゃねーだろ」
「ほう、メイルン。なかなか言うじゃありませんか。それが根拠無き自信でないという証しを立てられるとでも?」
マウリッツァ陛下もヴルルスカ殿下も、アプロとわたしをアウロ・ペルニカに留め置くつもりでいたと聞きます。けど、それを許さなかった大半の中興の貴族たちは、陛下に圧力をかけてわたしたちをアレニア・ポルトマに呼び寄せました。
テラリア・アムソニアを守るためでもなく、大陸全土を守るためでもなく、そのつもりでわたしたちは王都に呼びだされたんです。そういう話だったはずです。
…ぶっちゃけ、政治の話とかじゃなくて、我が身かわいさでわたしたちを体よく利用しよう、ってだけじゃないですか。なんかそう考えるとアプロの方が正しいよーな…。
「あのな、ばばぁ。もーろくするにもほどがあるぞ?」
でもいくらなんでもそれはちょっとなー、と思ってフィルクァベロさんの顔を見たのですけど。
「…ふふ、続けなさい」
言われたご本人はむしろ満足そうに、そう先を促します。
「どーせ答えなんか分かってんだろ」
「それはあなた次第というものでしょう」
まるでテストの採点を待つみたいに気まずそうなアプロの顔を、やっぱりフィルクァベロさんはニコニコと見つめていました。
「…しゃーねえなあ。アコ、マイネル、ゴゥリン。わりーけど、明日から何日か王都の周りで一仕事するぞ。いつも通りやりゃいーよ」
「え?なんでまた。それはわたしたちじゃなくて、王都の衛兵さんたちに任せればいーんじゃないですか?」
「私たちを呼び寄せた連中を納得させるためだよ。無視されてないと思わせとけば、こっちの都合で動いてもそれほど文句はねーだろ」
あー、なるほど。一応顔を立てた上で、わたしたちはわたしたちの仕事をする、ってことですね。面倒ですけど、陛下にご迷惑をかけないためなら仕方ない、ってことですか。
「そーいうこと。まあ派手に二日もやりゃちっとは大人しくなるだろ。魔獣も貴族の連中も」
「はは、アプロにかかればどちらも同じ扱いってわけか。いいよ、僕も付き合う。そういうつもりならそれほどやる気も削がれないしね」
「私はそこまで悪し様に言うつもりはねーよ。一緒にすんな」
それは魔獣と貴族のひとたちを一緒にするな、という意味じゃなくて、自分とマイネルを一緒にすんな、って意味なのでしょう。アプロは苦虫をかみつぶしたような、って感じの顔をあらぬ方に向けて、マイネルの皮肉を聞き流しているのでした。
「アプロニアさま、わたくしはどうしましょうか?」
「あー、マリスは権奥の伝手使って、今の第二魔獣の動きを整理してて。怪しい動き…そーだな、何らかの意図的なものが無いかどうか調べてくれると助かる」
「承りましたわ」
「ゴゥリンは…王都の連中から離れてこっちに合流出来るか?」
「………問題無い。もとよりお前たちが来るまでの約束だった」
「よし。マイネルは当然こっちな。マリスの側で色ボケさせとく暇なんかねーからな」
「謂れの無い誹謗だよね、それは。でもアプロのその口の悪さもなんだか久しぶりだし、懐かしくなってくるね」
言ってろバーカ、と毒づいてアプロは、にわかに活気づいてきた部屋の中を見渡すと、なんだか体を押さえきれない、って調子で「兄上に報告してくる!」とさっさと部屋を飛び出していってしまいました。ほんと、元気なことです。
「…フィルクァベロさん、あれで良かったんですか?」
置いて行かれた感じのわたしは、早速動き始めたマリスたちを見送って、一緒に部屋に残っていたフィルクァベロさんにそう聞きます。
「成すべきことが明確になっているというのは、悪いことではありませんよ。動いている中でこそ見えてくるものもあるでしょうしね」
「分からない話ではないですけど…」
「何か心配事でも?」
「心配事っていうか…」
わたしは、フィルクァベロさんと共にソファに座り直して、フィルクァベロさんたちがアウロ・ペルニカを出て行った後に起こったことで、今ほどの内容より突っ込んだ話をしました。
それは未世の間で見たシャキュヤの亡骸のこと、力を失った聖精石がどうなっているのか、とかです。その中にガルベルグの狙いなども、わたしの推測混じりに伝えてはみましたが、そこには簡単に同意されることもなくって、ただ、権奥にしか伝わっていない神託の一つをわたしに教えてはくれました。
曰く。
『異界からの文物や軍隊が、いずれこの世界を救うことになるだろう』
だ、そうなのですが。
わたしはふと、ガルベルグがそれをもたらしたとして、この世界で彼は何になろうとしているのかを思い、我知らず戦慄したのです。
「…ガルベルグが異界からそれらをもたらすというのですか?どうやって?アコ、あなたも実は異界から訪れたのではなく、未世の間で生まれた、この世界の住人に他ならないのではないですか?」
「いえ、無いわけじゃ無いと思います。綿花…ええと、ベルにもらってわたしがこの国で研究をお願いしている農作物がありますが、どうもそれは『神梛吾子』のいた世界からもたらされてものなんじゃないかな、って。だから、規模の大きな何かによって、その異界から人や物がやってきたとしてもおかしくはない、って思うんです」
「それ自体は悪いことではないと思うのですが」
「そうは言いましてもねー…例えば異界の軍隊によってこの世界の魔獣を滅ぼして、ひとの住みやすい世界になる、なんて単純な話で済むわけないんですよ。逆にこの世界の、聖精石みたいな力を異界に持って行かれたりすると、かえって世界を回す力の減少を促進させかねませんし」
「…随分とひとの悪い発想をするものですね」
「わたし、捻くれ者なので」
フィルクァベロさん、苦笑。
しゃーねーですよね、わたし、腹黒いことでも一部で定評ありますし。
「分かりました。ただ、権奥の内部でもこの神託は扱いが微妙なのです。信頼出来る筋にアコの今の話を伝えてはみますが、力になれるかどうかは分かりませんよ」
「わたしの力になれるかどーかはこの際置いといてください。この世界をどうするか、より良き世界にするために教会の教義はあったんですから、そのつもりで動いてもらえればきっと上手くいくんじゃないかなって」
「それは捻くれ者の発想ではありませんよ、アコ」
叱るような窘めるような、そんな調子で言われて首を竦めるわたしです。
まーね、アプロを除けばわたしの事情を一番知っているフィルクァベロさんにそう言われてしまっては、ヘソを曲げるわけにもいきませんて。
「では私はこれで。早速動いてみることにします」
「お願いします。ふふ、動いている中でこそ見えてくるものがある、ですね」
生意気を言うものではありません、と笑いながらフィルクァベロさんも出て行きました。
わたしはとりあえず…ここに残って皆が帰ってくるのを待つことにします。
そうですね、わたしは皆に守られて、その上でしかやれることが無いんです。
それでも、フィルクァベロさんの行った通り、まずは目の前にあることをひとつずつ解決していくことで届くだろう、って、久しぶりに四人揃っての活動に、ワクワクもするわたしでした。
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