第159話・魔王、出来 その2
別荘、というにはちょっとこぢんまりというか、ふつーの邸宅というか。
ともあれ、聖王堂教会を出てから向かったのは、アプロ個人に用意されていた、小さな家でした。
アレニア・ポルトマはもともと静かな都市ですけれど、その中でも一際閑静な、言うなれば高級住宅街?のような一画にその家はあり、わたしとアプロは世話をするひともいなくて、その割にはどこかぬくもりを感じさせる建物に、食べ物を持ち込んでいます。ちなみに、お酒はダメですよ、と念を押したら意外なことにアプロも素直に聞き入れてはいました。
「落ち着いて改めて考えるとさ」
「ええ」
今までずっと使ってなかったわりにはきれいだった部屋に持ち込んだ軽い食事を済ませ、わたしたちは早々に布団に入ってます。
ちなみに手入れがちゃんとされていたのは、アプロのいない間も王城のひとが掃除をしてくれてたそうです。アプロは、そんなことしなくてもいーのにな、って野暮なことをゆーてましたが、手入れの指示を出しているのが陛下と聞いたわたしが、きっといつでも帰ってきていいって意味なんですよ、と教えたら半分涙ぐんでました…って、それはともかくとしまして。
「シャキュヤのこと。なんであの時にアコを襲ったり、したんだろ?」
おなかいっぱいになり、身支度整えてさあ明日のために寝ましょうか、って体勢でする話としてはどうなんですかソレ、と思って難しい顔になるわたしです。
「…それ今聞かないといけない話なんですか?」
「そういうわけじゃないけど。でも思い出したら気になってさ」
「そりゃそーでしょうけど」
アプロの口調は軽いものでしたが、一方でひどく真面目で神妙な顔でもありました。きっとアプロなりに、ずっとシャキュヤのことをかかえたままの旅路だったんでしょうね。
「あの子、ガルベルグの道具として扱われてたんですよね、多分」
「…うん」
だからまあ、わたしも真摯に、おちゃらけ無しに応えるのみです。
「これも多分なんでさっき言わずにはおいたんですけど、ガルベルグにとってわたしたちは、必要じゃなくなったのかもしれないです。それで、わたしをアウロ・ペルニカに縛り付けておく役目をさせておいたシャキュヤの任を解いて、自由に振る舞えるようにして。その結果、わたしに執着してたシャキュヤは、その通りに行動して、わたしを許せなくなって、ああするしかなかったんじゃないのかな、って」
「……ん、私もそうなんじゃないかな、って思いたいよ。だってさ、」
「ええ。ガルベルグに操られてわたしたちを襲ったんじゃ、あまりにも救いがないじゃないですか…」
こくり、とアプロが薄闇の中で頷きました。
シャキュヤへの想いが繋がった気がして、今さらですけどあの子が大事にしたかったものを、二人で一緒に認められたような気もします。
それで安心した、ってわけじゃないんでしょうけど…なんだかわたし、もじもじするのです。
聖精石の灯りは絞ってあって、寝る前に消すつもりではいますけど、こーも近い距離でアプロの顔を見つめ続けてるとですねー。マジメな話しててもそのー、なんといいいますかー…だって、ベッドも狭いのが一つしかなくって同じ寝床で横になってるんじゃ仕方ないじゃないですか、もー。
「…アコ?なにごにょごにょ言ってるの?」
「…なんでもないです。アプロはその、夜になるとときどきそのー、女の子みたくなるのやめてください」
「私は女の子だってば。もー、アコがわけわかんない」
「……うー」
アプロがむちゃくちゃかわいくて愛らしくて、こおして側に居ると抱きしめたくて仕方ないんですよぅ。特にアウロ・ペルニカを出てからは夜営と一晩の宿ばっかりで、そーいう気分じゃなかったですし…。
「じー」
「な、なんです?」
口を尖らせ、その口をもにゅもにゅさせてたわたしの鼻先に、アプロの同じく鼻先がありました。
ぶっちゃけた話、おたがいのあつい息がそのままの温度で、頬を撫でるよーな距離です。
わたしは初めて二人で夜を過ごした時のよーにときめき高鳴る胸の衝動を抑えきれず…あーいえ、あの時は割とごーいんに満たされてしまったんでしたっけ。記憶のねつ造ひどいな、わたし。いくらキレーな思い出にしときたいからってアレをときめくぅ、とか胸が高鳴るー、とかありえないですって。
「…アコ、顔あかい」
「うひゅぅ……」
悶々としてるわたしの片頬に、アプロの手が重ねられました。ひんやりしてきもちいい…と、この体勢のまま思わず頬ずりしてしまうわたしです。
「アコってさー、結構……んー、最近かな?子供っぽいとこあるよなー」
「そうですかね…?」
「うん。可愛いとは思うけど…なんだか不安になってくる」
「………ごめんなさい」
盛り上がりかけてたナニか冷めていくのを覚えつつ、わたしは伏し目になって謝りました。そういうつもりはなかったんですけど…。
「別に謝る必要はないって。たださ、私の思うアコから少し…ほんの少しずつだけど、変わっていくのがちょっと…悲しいかな」
「…変わるのは悪いことなんですか?」
「そうじゃないよ。アコが変わっていくことはむしろ嬉しい。私とか、街の連中だってアコと会っていろいろ変わったよ。お互い様、っていうよりそれは、成長ってやつなんだと思う」
「……アプロ…」
「でもさ、」
と、ここでアプロの二つの瞳が、彼女の言った通りに哀しげに揺れて、それを隠すようにアプロは唇をわたしに押しつけます。内心を悟られなくなかったのか。そんな哀しい口づけ、したくないのに。
「…アコが変わっていくところを見届けられないのが、私は悔しい」
「……そんなこと言わなくたって、いーじゃないですか…」
アプロはきっと、知っています。
一緒に幸せになろう、って誓いが果たせなくなる時が来る、って。それは遠い未来のことなんかじゃない、って。
「アコ、私はさ。前も言ったけど…アコと私の子供が欲しいよ。お母さんになりたい、って思ってもいたけど、今はアコの間の子供が、欲しい」
「…ほんっと、わたしにとってはそれだけは出来ない、ってことを要求してきますよねー…それ以外ならアプロの願いは何だって叶えたい、って思うのに」
「うん。悪いと思う」
いっそ男の子として生まれてきてたら、思う存分アプロと愛しあって子供も産んでもらって、この世界で家族として生きていけたのに。
……うん、無理ですね。まがい物の、仮初めの命を持って産み出されたわたしには、かなえることの出来ない願いですよ。
だから、せめて。
「…わたしは、もしこの命の尽きることがあったら、アプロの子供として生まれ変わりたいです」
「アコだって無茶を言うー…それだとさ、私は誰かと結婚しないといけないじゃんか」
「殿下とすればいーじゃないですか。もともとそういう関係だったんでしょう?」
「だめ。今はアコ以外の誰かのことなんか、考えたくない。どんな理由があったって今私の前にいて私が大好きなのは、アコだけなんだから」
「…惚れ直しそうなこと、言ってくれますねー」
なんだか随分昔に、こんな話をしたことがあるような気がします。
アプロはわたしに、惚れ直したか?って自慢げに言って、わたしはそもそも惚れてません、って言い返して。
遠い思い出のようになっていた、そんなつまらない会話のことを思い出して、わたしは鼻の奥がツンとなってしまって、アプロの胸に顔を埋めてむせび泣くのです。
「…アコ、そろそろ寝よっか?」
「でじゅねぇ……ぐしゅっ」
「……アコー、取り縋ってくれるのはうれしーんだけどさ、私の寝間着で鼻かむのは勘弁してくれるかなー…」
…そして、なんともわたしたちらしく、締まらない夜が過ぎていきましたとさ。
・・・・・
「さくやはおたのしみでしたわね」
残念でした。これ以上ないくらい清らかな夜でしたよ、とにっこり反論してから気がつきました。マリスの、ほんのり上気した顔に。
それから、傍らに立つマイネルの戸惑った顔に。戸惑ったとゆーか、自分の感情を持て余してるような顔、ですねあれは。経験あるから分かります、ええ。
「…アプロー?わたしこのロクデナシとちょっと話してきますので、フィルクァベロさん来たら待っててくださいねー?」
「え、ちょっ?!ア、アコ?僕が何をしたってんだいっ!」
襟首引っ掴んで教会の応接間から引きずり出そうとするわたしに、何かを悟ってか必死に抵抗するマイネルでしたが。
「おにいさまっ?!……あ、あのアプロニアさま、わたくしおにいさまの身が心配で…」
「アコが何するかは気になんないのかー。マリス、分かりやすすぎねーか?」
「ええっ……いえあのその、なんのことかわたくしにはさっぱりー」
救いの手はアプロの攻め手にあっさり陥落の有様。うふふ、これで後顧の憂い無く尋問出来るというものです。
「…それで、ナニをしました?吐きなさい」
とはいえそれほど時間の余裕もありませんので、応接間を出て少し離れると、廊下の壁際にマイネルを立たせて問い詰めるだけにしておきます。いわゆる壁ドン、てやつです。いうてもわたしの方が背は低いので様にならねーですけど。
「ナニって。別になにも」
「ウソをおっしゃいな。マリスがあれだけ上機嫌で、しかぁも下世話な冗談を言うほどにくだけるだなんて。ナニかあったに決まってます。あなたたちがアウロ・ペルニカを出てからナニがあったか。残らずスッキリキッパリ全部吐き出しては、どーですか?いえむしろ吐け。アウロ・ペルニカに残されたマリスの親衛隊を呼び寄せても…いいんですよ?」
「………」
柄にもなくマイネル、青くなって震え上がります。
実際そんな真似が出来るはずもないんですけど、そこに思い至るほどの余裕もないとは…これは、マジにナニかありましたね。わたしの野次馬心…もとい、かわいいマリスを妹とも思うアネゴコロがこう、うずくのです。そういうことにしとけ。
「………その」
おや?瞬きする間も与えぬよう睨め上げていると、マイネルも満更でもなさそうな反応です。
まっ、まさか事ここに至って被虐趣味にでも目覚めたとか…これはヤバい。マリスに新しい遊戯を教える必要がっ。
「………あのさ」
「はい?」
…などと我ながら不埒なことを思っているというのに、いつものマイネルらしくもなく、しおらしい態度です。
これはSとかMとかそーいうものではなくて、どちらかというと………フツーに初恋を迎えた少年のよーな反応?…って、マイネルわたしより二つばかり年上だったはずですが。それがこの初々しい反応って奥手にもほどがあるでしょうに。
……じゃないですね。マイネルの場合むしろこういう感情に縁が無かったんでしょう。マリスと婚約者関係だった、といってもとる態度は優しい兄のようなそれであって、本当に伴侶とか恋人とかそういう感情はなくって。
で、わたしとアプロのいない場所でなんやかんやあって、目覚めたと。
…ふふふ、いいおもちゃ見つけましたよー。これはアプロと一緒に弄って楽しまなければっ!
「…なにをしているのですか、アコ」
と、思ったところで聞き覚えのある声。いえまあ、聞き覚えもなにも今日そのご本人に会いに来たのですから忘れるはずもないのですけど。
「あーいえ、マイネルの相談にのってたところで。恋とかそんな感じの」
なんてことを言うんだよアコっ?!…というマイネルの文句は右から左に聞き流し、わたしは、慌ただしかった一別の時に比べて大分お疲れの様子なフィルクァベロさんに向き直り、深々とお辞儀をしました。
「お久しぶりです、フィルクァベロさん。及ばずながら、アコ・カナギ、お手伝いにまいりました」
「…生意気を言うものではありませんよ」
そうですねえ、自分でもそう思います、って答えるとフィルクァベロさんは、強張った顔をようやく解いたような笑顔になりました。
「陛下も殿下も、あなた方に力を振るってもらうことには難色を示してはおりましたが、正直に言えば現場としては助かるところです。無茶にならない範囲で、力を貸してくださいな、アコ」
「はい。そこそこがんばります」
いい返事です、とようやくフィルクァベロさんは本領を発揮するような、不敵な笑みになり、マリスとアプロが何か騒いでる応接間へ先に向かいました。
それを見送るわたしの頭に乗せられた、馴染みある感触。わたしは振り返り、視線を思い切り上に向けて、そのお顔を確認します。
「…ゴゥリンさん」
の、お手の肉球でした。これも久しぶりの肌触りだぁ。
「………哀しいことを覚えた顔だな」
「ですね。割と、いろいろありました」
強がることもなくそう言うと、頭の上でゴゥリンさんの肉球がぐにぐにと形を変えていました。
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