第155話・ここで見つけたもの その7

 家は大きくとも中にいるひとの数はそれほどでもなく、何度か名乗りを上げたあとにようやく、中年男性の家令のひとが扉を開けてくれました。

 わたしは改めて名乗り、来意を告げると含むところのあるような顔を一瞬されましたが、訪問そのものを断られることはなく、普通に中に招き入れてはもらえます。


 そして、仄暗く薄寒い廊下を通り抜け、屋敷の大分奥にある一室に連れて行かれ、こんなことを言われました。


 「お見えになられたらお通しするよう仰せつかっております。どうぞご随意に」


 この屋敷で彼女がどんな扱い受けてるか容易に知れてしまう物言いにわたしは鼻白んで、皮肉の一つでも言ってやろうかと思ったものですが、明日にはこの街からいなくなってしまうわたしが言っていいことでもないですしね、と思い直して何も気付かなかった態で、案内してもらった礼を述べるだけに留めました。まったく、メリルダさんもいくら出戻りで立場が難しいとはいえ、もう少し待遇改善とかに動いた方がいいんじゃないでしょうか。


 「…って、それこそよそ者のわたしが言ってもしかたねーんですけどね。メリルダさーん、アコですけどお邪魔していーですか?」

 『先生ですか?どうぞどうぞ、開いてますから入ってきてくださいな』


 いつも通りの、おっとりしながらも不思議と安心感のある声が聞こえました。

 招きに応じてわたしもゆっくりと、重い扉を開けて部屋の中に入ります。


 「こんにちは。急に済みませんね」


 前に一度入れてもらった時と同様に、広いけれどモノの少ない、質素というよりも愛想のない部屋に入ると、部屋から受ける印象からはほど遠いにこにことした上品な女性が迎え入れてくれました。

 メリルダ・メイヨーシャさん。わたしの裁縫教室の師範…というよりも、わたしなんかよりずっと先生っぽくて、ここしばらくは教壇を任せっぱなしです。わたしは新作が出来たときに教室に持っていって説明をするくらいで。

 メリルダさんは、若い頃に王都の古い貴族の家に嫁いでいき、子供も生まれましたがお家が没落して一家離散してしまったため、もう自立していたお子さんたち(言うてもわたしより年上らしーですが)を王都に置いて、ひとりご実家のこの屋敷に帰ってきて家を継いだお兄さんの世話になっているそうなのですが…このお兄さんというひとがですね……って、やめておきましょう。身の上話を聞いたとき、憤慨したわたしを静かに窘めてくれたメリルダさんのお顔を思い出すと、あまり悪くも言えなくなってしまいます。


 「ようこそ、と言いましても自分でお茶の用意もしないといけない身ですけれど…今何か用意してまいりますね」

 「あーいえいえ、約束もなしにお邪魔したのはこちらの方なのでお構いなく。いえホント、用事済んだらすぐ帰りますから」


 わたしが止めるのも構わず部屋を出て行こうとしたメリルダさんを引っ張るようにして、広い部屋の中央に置かれたテーブルの席にわたしたちは着きました。実際、もうゆっくり出来る時間でもないですし。


 「おもてなしくらいはさせて頂きたいのですけどねぇ。でも先生もお忙しい身でしょうし、お引き留めするようでは却って申し訳ありませんね」

 「いえいえ、本当ならメリルダさんとお話出来るのなら何時間だって居座っちゃいたいくらいです。いえこれ本気で」

 「あらあら」


 本当に楽しそうにころころと笑うお顔は、フィルクァベロさんとかファルルスさんのような、わたしが懇意にしてる他の年上の女性とも違って物静かな中に沢山の感情を感じられて、なんだか放っておけない感じになります。いつまでもお話していたい、と思うのは心の底からの本音でした。

 でも。


 「えと、それで…今日お邪魔したのはですね。教室の方、本格的にお任せしたいなー、と思って」


 この街でやり残したことの無いよう、なるべく事務的に気ざっぱりと話を切り出して、それでお終いにしないといけないんです。

 わたしは明日、アプロと一緒に旅立って、多分この街に帰ってくることはないと思います。そうしなければならない理由がある、ってのとはちょっと違って、わたしの予感に過ぎません。

 だから誰にもそうとは告げられず、告げたいとも思いません。全部わたしの中でのこととしないといけないんです。


 「……それは、何か理由がおありなのですか?先生」


 だから、そう痛ましそうな顔で尋ねられてもわたしは正直に全て告解するわけにもいかないんですよ。メリルダさん。わたしが最後に会っておこうと思ったあなたであっても、です。


 「ちょっとしばらく留守にしないといけなくて。その間教室お休みにするわけにもいかないので」

 「いつ頃お戻りになります?」

 「ちょっと分かんないですね。だからいつまで、ってのはなしでこれから先もお願いしよーかなー…って……あの…」

 「……理由を聞かせてもらえません?いつまで、何処に行くのかも。それを聞かないうちは引き受けることは出来ません」

 「あのー、そこまで難しい話じゃないんです。ただ、わたしがやるよりメリルダさんの方が向いてるかなー、って。わたしはまあ、自分がやりたいこと優先したいってのと…えーとですね、わたしやっぱりひとに教えるのって向いてないと思うんですよ。いえまあお裁縫は好きでやってますし、同好の士が増えるのは嬉しいってのはありましたから教えること自体は結構好きなんですけどね。だって新しいこと知って出来るようになった生徒さんたち、みんないい顔してるじゃないですか。わたしよりメリルダさんがやった方がそういう子いっぱいになると…」

 「ほら」

 「え?」


 我ながらいいわけがましくて次第に早口になっていったわたしの言葉を遮って、メリルダさんは穏やかでひとのいい笑顔でわたしを見つめて言います。


 「先生は、誰かに教えることが嫌いなのではないのでしょう?新しいことを知る喜びを知り、ご自身がその喜びを誰かに伝えることを好きだと仰ったでしょうに」

 「それはまあ……そうです。教えることがキライだったら教室を始めたりなんかしません。でもそれとこれとは別のことで、わたしが教えるよりももっと上手なひとがやればいいって…」

 「大事なことは」


 再び、わたしの口上を抑えたメリルダさんが、今度は物わかりの悪い生徒を、つまりわたしのことですけど、窘めるような口調で続けました。


 「先生がご自身のなさりたいことをやり、同じように喜ぶことの出来る子たちが身の回りにいることです。私も同じことですよ。先生の教室に参加させて頂いたときの驚きと、そこから生まれる喜びは、嫁ぎ先があんなことになってからずぅっと塞ぎ込んでいた私の生活に光明をもたらしてくれたのです。だから、アコさんは私の先生なんですよ。どんなに嫌がってもこれだけは譲れません」


 メリルダさんが教室を見学に来てくれた時、わたしよりも丁寧な手先に驚いてわたしを先生と呼ぶのはやめて欲しいと、二人になった時にお願いしたことを思い出します。

 でも人当たりのよい上品なご婦人と思っていたメリルダさんは、この点だけは何度言っても聞き入れてくれませんでした。メリルダさんにとってわたしは「先生」であって欲しいって強硬な申し入れがあって、でもわたしはどこか据わりの悪い思いはあっても結局それを受け入れて、代わりに師範をお願いして、今ではなんとなくこれで良かったんだな、って思えるようになっています。

 だから、わたしの「生徒」さんが「先生」のわたしにこうあって欲しい、という願いに応えないわけにもいかず、でもわたしはとっくにこの街を後にする決意はありましたから、どうしようもなくなってきっと泣きそうな顔に、いえ実際に泣いてしまっていたのです。


 「先生。何があるのかは分かりません。それを教えて頂くことことも先生のご事情で出来ないのかもしれません。なので、これは私のお願いになります」


 はい、と手渡されたハンカチを、どうして?と思いながら受け取ったわたしの手に零れるものがありました。何だろうと思って、それが自分の涙だと知ると慌てて借りたハンカチで目元を拭うのでした。


 「お願い?」

 「ええ。約束して下さい。いつかこの街に戻ったときにはまた、先生の作った教室で先生をやってくださると。それであれば…私は先生のお留守の間、大事な教室をお預かりします。そうでなければこの話はお受けできません」

 「それは……その…」


 約束?

 そんなもの、わたしが出来るわけないです。

 これから先のことは、わたし自身にも分からないんです。なのに約束なんて確かなものを交わして、結局それを破ることになるのはガマン出来ないんです。


 今日一日、会ってきたひとたちとの会話を思い出します。

 しばらく留守にするから、という名目で後事を託したり、いつものように暮らしの中のどうでもいいことを話したりしました。

 でもその中では一度たりとも、わたしが帰ってきてからのことなんか話しませんでした。その後のことを約束するような話題にはしませんでした。

 だって、一つでもそんな真似をしたら、わたしはわたしの大好きなこの街を裏切ることになるじゃないですか。

 だからわたしは誰とも約束なんかしません。メリルダさんだって例外じゃないんです。絶対にいやなんです。


 「…泣かせてしまうほど酷なことを言ったつもりはなかったのですけれど…ごめんなさいね、そのように深く悩ませてしまうことになって」

 「……いいえ、大丈夫です。でもメリルダさんにお願い出来ないのじゃあ、わたしは安心して旅に行けません。だから、勝手なお願いだとは思いますけど…わたしの大好きなこの街のために、引き受けてもらえませんか」

 「………」


 もう一度、お願いしますと頭を垂れるわたしでした。


 「お願いするのは私の方だと思ったのですけどねえ…」


 顔を上げられないままでいるわたしの頭の上から聞こえる声には困惑の色が残ったままでした。

 そんなこと言われても、後事を託すのがこちらである以上、やっぱりお願いするのはわたしの方ですよ。

 そんな気分でいたわたしがちらと上目遣いでメリルダさんの顔を覗き見ると、目が合って、それで彼女は何かを納得したように、困り顔から一転してにこりと笑って、では、と明るい声で言いました。


 「では、約束というのは無しにしましょう。私が勝手に、先生のことを待ちます。先生の重荷にはなりたくないですからね。お帰りをお待ちして、大事な教室と生徒さんたちをお預かりします。それではいけませんか?」


 どうなんでしょう。結局やることは同じな気もしますし、果たせないことが分かってる約束を交わすこともないなら、わたしにとっては万全の仕度になるんでしょうけど…。


 『アコはさ、この街でやりたいことをやればいいんじゃないかな』


 わたしのやりたいことって、一体何なんでしょうね。

 裁縫教室を始めて、わたしの持つ技術とか知識とかを他のひとたちに伝えたり、美味しいものを流行らせて心もおなかも満足させたり。

 仲の良いひとたちが出来て毎日が楽しくて、でもそんなことがいつまでも続くわけじゃないって分かってたから、どこかわたしは冷めてたのかもしれないです。


 アプロ。

 わたしはあなたに、あの闇から引き上げられて、光溢れるこの街で生きました。

 そして明日、その光に背を向けて何かになろうとしています。

 後悔したくないから、約束を何一つしないで去ろうとするわたしを、この街のひとたちは許してくれるんでしょうか。


 わたしがこの街で見つけたもの。

 それが今わたしを苛んでいる。


 「大事なことは」

 「え?」


 想い倦ねていたわたしの意識を引き戻したのは、しっかりとしたメリルダさんの声でした。

 声をかけられたことに一瞬遅れて気付いたわたしは、幸せも辛いことも見てきて、蒙の中にいるわたしにかける言葉を探して、真摯に語ろうとしているメリルダさんの顔に思わず見入ります。


 「…大事なことは、何を残したのか、ではないかと思いますよ。先生が蒔いた種は必ず芽吹いて、この街に何かを残します。もしアコさんが、私たちに告げられない事情でこの街を去ろうとしているのでしたら、私は強いることは出来ません。あなたが残したものを大切に守り、育て、それでいつか見て頂ければあなたにも私たちにも幸いというものなのではないかと。そう思いますよ」

 「メリルダさん……」


 あなたはあなたのやるべきことをやれ。残したものは大事にする。気が向いたらそれを見に来てくれればいい。


 …ざっくり乱暴に言ってしまえばそんな風に言われたように思うのは、わたしの性格が雑なせいだと思いますけど。

 でも、今はそれくらいの言い方がわたしにはちょうどいいのかもしれません。不思議と悪い気分はせず、そしてわたしは自分の残したものを見届けることが出来ない悔恨を呑み込んで、やっぱりメリルダさんには教室のことをお願いするのでした。

 そして今度はメリルダさんも固辞することなく、わたしを安心させようとするかのようにニコリと笑い、それを機にわたしはこの街での最後のあいさつを終えました。


 どうか、わたしの関わったひとたちの前途に、少しでも光溢れる世界が待っていますように。

 わたしはそのために明日、この街を旅立ちます。

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