第154話・ここで見つけたもの その6
「どういうことです?」
気色ばんだわたしの姿勢にもアプロは一切怯むことなく、机に片頬杖ついたまま見返してきました。
そりゃまあ海千山千の商人さんだの貴族だのを相手にしてきたアプロにしてみれば、わたしなんか役者不足もいいとこなんでしょうけど、それでも軽く見られてるみたいで面白くはないのです。
「どーいうもこーいうも。そのまんまだよ。同時多発的に魔獣の穴が各地に出没。第三魔獣らしいのも多数見つかってる。今のところ大っきな街が丸ごと壊滅した、なんて話は来てないけど、時間の問題だと考えるひとも日毎に増えている。そして、アレニア・ポルトマの周辺でもこれまで見たことのない魔獣が何種類も発見されてる。マリスが頭抱えてるらしいよ…自分の知識や知恵が何の役にも立ってない、って」
「……それで、わたしたちにどうしろって」
「だから、私とアコで、アレニア・ポルトマに行く。陛下や兄上はそれには及ばない、と言ってくれてるけど、中興の貴族の連中が私たちを呼べって強く主張してる。かなりビビってるっぽいな」
「じゃあ行く必要ないじゃないですか」
「…どういうわけか分かんないけどさ、この街の周辺だけなんだ。異変らしいものが起きてないのは。実際、ここ数日街に来る商隊の連中…っても雨期だからいつもみたいにドカドカってわけじゃないけど、危なそうな場所を避けてたらこの街に辿り着いたって連中が多いんだよ。で、そいつらに話を聞くと、その度にヤバそうな雰囲気が増してる。もしかしたらこの街以外はもう……って思ってしまったこともあるんだ」
「………」
わたしは唇を噛んで、固い意志を決して崩そうとしないアプロの瞳を見つめます。
フェネルさんに連れられてやってきたアプロの執務室には、わたしとアプロの他にひとはいません。夜も更けてきたこんな時間、屋敷の中は、もう休んだひともいるのでしょうけど、わたしの気のせいでなければ、どこか緊迫感のような張り詰めたものが漂っているようにも思えます。
「…アコ。私は行きたい。陛下や兄上が来るなと言ったって、あの人たちを助けたいと思う心に嘘はつけない。それから、自分で背負うと決めた『勇者』という肩書きに恥じない働きもしたい、って思う。一度救えなかった街の人びとに、背中を向けないでいるために。アコがひとりで助けてしまったこの街の皆に胸を張るために」
……それを言われると、返す言葉もありません。
アプロとの間ではもう片の付いた話ではありますけど、彼女の自負を毀損する理由がわたしにあるはずもないんですから。
ただ。
「そして、もう一度言うけど…アコにも一緒に来てもらいたいんだよ。私が出来ることは少なくないって思うけれど、私はアコと一緒にいればもっとたくさんのことが出来る。一人でやるよりもずっとたくさんのひとを助けられる。そう思っているから」
もちろんアコと一緒にいたいから、ってのが一番だけど、と少しはにかみながら言うアプロの様子には、普段のわたしだったらもうとろとろのメロメロになっていたことでしょうけれど…。
「…この街はどうなるんです?」
それだけで、アプロと並んでアレニア・ポルトマに向かう決断が、わたしには出来ないのです。
「今回は私とアコの二人だけで行くよ。マリスやマイネル、ゴゥリンも先に行ってるしさ。アコ、明日の朝には出発しよう。二人で行くなら飛んで行ける。今の私なら三日もかからずに…」
「待って下さいっ!……その、もう少し、時間があると…」
「アコ。アウロ・ペルニカでやりたいことをやればいい、って言ったのは確かに私だけどさ、一番大事にしないといけないことから逃げ出すために、そう勧めたわけじゃない。アコが分かってないはずないと思うんだけどな」
「………」
きしり。
わたしにだけ聞こえた音はきっと、わたしが歯を噛みしめた音だったと思います。
もうアプロの顔を見ていることは出来なくて、俯いたわたしを諭すように、優しく、丁寧な言葉をアプロは重ねます。
「アコ。ベルのこととか、世界を回す力が失われていることとか、ガルベルグのこととか……それから、アコ自身のこととか。順番をつけられるようなことじゃないけどさ、優先することは出来なくても、逆に
わたしが誓った、アプロと一緒にやり遂げる、という決意を。
「だから、一緒に行こう。私と一緒に、いろんなものを守ろう、アコ。私はアコと一緒にいれば、たくさんのことが出来る。アコは、どうなの?」
「わた、わたし……だって、大好きなアプロがいれば…いてくれるから、この街を守るために何だって出来たんです。だから、アプロが守りたいものをわたしも一緒に守れるのは……」
喜びなんです、と言い切れず、わたしは裏切ってはいけないものを裏切ってしまったような面持ちを、アプロにはけして見せられないものを、俯いて隠します。
わたしは、こわいんです。
この街で見つけて、この街で手に入れたものを手放すのが、怖いんです。
世界が滅びたってこの街があれば、わたしがここで見つけたものは守れる。そんな絶望的な希望に身を浸して、最後までアプロと共にいれればそれでいいって。
…一瞬そう言ってしまいそうになり、わたしは辛うじて息と一緒に言葉を呑み込みました。
「アコ?」
「いえ、何でもないです。でも……あの、アプロ?一日、出発伸ばしてもらえませんか?きっと長くなるでしょうから、わたしあいさつとかしておきたいですし」
「んー……」
そして、どうにか誤魔化すように絞り出した申し出にアプロは、視線を上げて考え込む仕草をしてみせた後に。
「…わかった、いいよ。一日くらいならなんとかなると思う。私も明日は残る連中への指示出しとかしておくからさ。……一緒に行こうか?」
「いえ、大丈夫です。ひとりでやれますから」
「うん。じゃあ、明後日の朝に、ここに来て」
きっと彼女なりの気遣いを込めた承諾で、応えてくれたのでした。
その夜は大人しく自分の部屋に戻り、旅に出るための仕度を夜遅くまで、時間をかけてやりました。
そこまでやる必要があった、というよりも、少しでも決断する瞬間を先延ばしにしたかっただけなのかもしれません。
わたしは、きっと、今回の旅のあとこの街には戻ってこられない。
そんな予感があります。
いえ、この街を守るための戦いの最中、自分が何者か知ってからいつかは来ると思っていたものが、とうとうやって来た。そんな思いからか、荷造りの手が震えています。
「……何もかも半端なまま終わっちゃいそうですよね」
聖精石の灯りが揺らめき、壁に映った自分の影も揺れ動く中、そう独りごちます。
この世界で、この街で何かをやったという証しが、欲しい。そのための時間が残り少ない…というよりほとんど無いままだった中、それから目を背けていつもの通りに過ごしてきた。
だから、自業自得ってものです。仕方ねーんです。諦めちまえ、カナギ・アコ。
「…ま、しゃーないですよね。明日は…ご近所に留守の間をお願いして、あとはベクテくんの屋台で買い食いでもして…そんなとこですか」
翌朝すぐに出立することに対して抵抗したことなんかどこへやら。
わたしは乾いたため息を漏らし、結局荷物なんかは割とてきとーなまま、なかばふて寝するような具合で寝台に潜り込み、早々に寝入ってしまったのです。
・・・・・
翌朝。
別にいつまでも寝ていたって構わない気分でいたのに、不思議といつもより早くに目が覚めてしまいました。
二度寝する気にもならず、わたしは半目の顔でほとんど自動的に起き上がり、肩からずり落ちた寝間着を戻しながら、今日一日何をしてようか、あまり回らない頭で考えてみました。
いち。このまま引きこもる。
……無理ですね。既にお腹空いてますし。
に。アプロのところに転がり込む。
……昨日自分の言ったことを思い出すと、流石にそれもどうなのか。
さん。作りかけのドレス(アプロとベルとわたしのお揃いです)の続きをやる。
……間に合うわけないでしょーが。
仕方ないですね。本来やるつもりでいたことでもしましょうか。
と、何をやるにしても最初にやらなければいけないこと。着替え…の前に顔でも洗ってこよっと。
「あ、おはようございますアコさん」
「おはよーございます、ベクテくん。今朝はえらく早くから屋台開いてるんですね」
「ええ。お店の場所が決まって屋台ももうすぐしたら畳むことになるので、少し長めに営業しようかな、って」
「おー、それはおめでとうございます。何をやるんですか?」
「アコさんに教えて頂いた、チュウカ料理の手法をいろいろ工夫してみて。凄いですよね、あの調理法。今まで使ってた食材も全然違う料理になるんですから」
「なるほど。じゃあこの屋台ももうすぐお別れですかね。では記念に一枚、お願いします」
「はい!今日最初のお客さんですね」
いつものお好み焼きの屋台で、ベクテくんは誇らしげに胸を張っています。
ハーナさんが一緒にいないのはどうしたんでしょうかね?と、手際良くわたしの朝ご飯を焼く屋台の店主に聞いてみたならば。
「…その、ハーナさん、実家に帰ってまして…」
「ご実家に?なんでま……あ」
「その、子供を、ですね…あの、その…」
おーけい、皆まで言わずともよろしい。それにしても二人ともわたしより年下だと思ってたんですが、ひとの成長は早いものです。
照れまくってふにゃふにゃになってるベクテくんは、いつぞやアプロにお尻を叩かれるよーにして屋台のお店を始めた頃の面影なんか全く無い、一人前の男の顔になっていました。
「おめでとうございます。じゃあ新しい家族とお店と、順風満帆じゃないですか」
「ありがとうございます!ほんとうに、あの時アコさんに助けてもらったから今の僕たちがあるんです。子供が産まれたらハーナさんと一緒にあいさつに行きますからね!」
「そんなのいいですよ。奥さんと子供さん、大事にしてあげてください。わたしこそ今度お祝いに……あ…」
「…アコさん?」
急に顔の曇ったわたしを怪訝に思ってか、ベクテくんはお好み焼きを焼く手も止めてこちらを見ていたのですが、そのためにソースが焦げる匂いが立ち込めてきました。
「ベクテくん、焦げてますって。わたしの朝ご飯なんですから失敗したら許しませんよ?」
「わぁっ?!…と、ごめんなさいやり直しますね…」
「いいですって。他のお客さんも待ってますし」
実際、ソースの焦げた香りで朝食をとらずに出かけてきた人たちが集まってきましたしね。それを差し置いてもう一枚作ってもらうほどわたしは神経太くないのです。
「…ほんとうにすみません」
わたしのうしろの方から向けられる視線の圧に負けたのか、ベクテくんは恐縮しながら割り箸に巻き上げたお好み焼きをわたしに手渡してくれました。
お詫びにと奢りにしてくれよーとしたベクテくんでしたけど、これから物入りになりそうな彼から奢られるなんて真似が出来るはずもなく、わたしは代金を押しつけるようにして、早速熱々のヤツを口にくわえながらその場を後にしたのでした。
初っぱなからめでたい話を聞いてわたしの気分もいくらかよくなったのでしょう、それからしばらくは、顔見知りに会っても愛想良くアイサツを交わし、まだ仕込みの最中のフルザンテさんのお店を覗いたら果物を頂いてデザート代わりなんかにもし、そのうち本来の目的を思い出しては世話になってる商人さんにところへ赴いて留守を頼み、それ以外の顔馴染みにも思いつく限り、時間の許す限り顔を出して。
…そして最後にやってきたのは、実際に来るのは二度目になる街の外れに近い、おっきなお屋敷。
「……いるといいんですけどね。ごめんくださーい!アコ・カナギですけどー、メリルダさんいらっしゃいますかーっ」
この街では珍しく、木石の組み合わさった家屋ではなく石だけで組み上げられた、三階建ての建物を見上げながら、わたしは玄関の前で大きな声で、会うべきひとの名前を呼びました。
…まあ、ノリとして「あーそびーましょー」なニュアンスがあった理由が、少しヤケになっていたから、というのは否定しますまい。
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