第153話・ここで見つけたもの その5
新作が出来上がったので雨が上がった隙を見計らって裁縫教室に届けてくると、帰りの道は意外にも晴れわたった良い天気なのでした。一方で考え事が頭から離れることは無く、天気ほどに晴れない頭を抱えて部屋に帰る途中、わたしに声をかけるひとがいました。
「針の嬢ちゃんじゃないか。どうしたい、難しい顔して」
街で研ぎ師を営むカルナテさんでした。
ていうか、難しい顔…してましたかね?わたし。
「してたしてた。仕事が無くて明日のメシにも事欠く職人みたいなツラしてたよ。最近あんたも忙しそうだからそんなこたあ無いんだろうけどさ」
「おかげさまでやることはいっぱいありますからね。カルナテさんは?」
「あんたと一緒だよ。こちらもお陰さんで食いっぱぐれは無さそうで結構なことさ」
そう言って豪快に笑い飛ばすカルナテさんです。景気の良いことでいいですね。まあ雨期も始まっているので、多少は空元気もあるとは思いますけど。
ただ、カルナテさんは実際仕事は早いですし腕は確かですし、料金は組合準拠なので特に安いってわけじゃないですが、女職人ということで敬遠されがちなのが残念なくらいに丁寧な仕事をしてくれます。わたしも教室の生徒さんには道具の手入れをする時には勧めているので、小口の仕事ならそこそこ入っていると思うんです。
「そうだねえ、嬢ちゃんのお陰で町家の女の人からは仕事任せてもらえて助かってるよ」
「皆さん結構道具の手入れはぞんざいでしたからねー…手入れの行き届いた道具ですると仕事も捗ることを知ってもらえてわたしも嬉しいです」
「そりゃそうだ。道具の大事なことは職人に限ったこっちゃないさ」
そうしてしばし世間話に興じて、カルナテさんとは別れました。仕事があるというのは間違いないようで、時間を思い出して慌てて帰って行くカルナテさんもかわいいとこありますよね。わたしより十歳以上年上ですけど。
そしてわたしはまたひとりに戻り、部屋への帰路につきます。
思い出すのは途中まで考えていた、力を失った聖精石のことです。
マウザプさんの大事な仕事道具を壊してまで得られた知見、といっても、力を失った聖精石にはまだ何か世界に働きかける力が残っている、ということだけでしたし、それがわたしを悩ませていることの解決の助けになるのかは……と、いうところまで考えたところで、この短い時間で二人目の声がけ。
「おねえさまっ!」
うげー、と思っても顔には出さないわたしです。こう見えてもわたしは年下への面倒見は良い方なのです。定評が無いのが残念ですけど。
「おねえさまってば!ここでお会いしたのも何かの縁ですから今から結婚しましょうっ!!」
……定評無いのは幸いでした。一切躊躇い無く年下への面倒見の良さを返上することが出来そーですし。
「一体どんな縁があればたまたま街中で会った場から結婚式場に直行することになるんですかあとわたしとあなたは同性だから結婚出来ませんしああいえアプロはまあそのわたしにとっては特別ですからもうあなたの入る余地は無いんです、っていうか一緒にいるならわたしに声かける前に止めなさいってば。役に立たないひとですねー」
振り返ってひとしきり文句を言ったわたしでしたが、走って喋って物騒なものをぶっ放せる迷惑娘と同道していた顔見知りの存在にも気づき、そちらに声をかけます。
「おっ、おめえオレが今どういう状態か分かってそういうこと言うかぁっ?!」
どういう状態と言われましても。
右足を抱え左足の一本立ちでケンケンしながら、まだわたしの腕に取りすがってあっかんべーをしてるシャキュヤを睨み付けてるところを見ると。
「…シャキュヤにおいたをしようとして手酷くしっぺ返しを食らったところ?」
「なんでそうなるんだ!おめえの姿見かけるなり巡回中だってのに駆け寄ろうとしたところを止めたら脛を蹴り飛ばされたんだよッ!!」
あらまあ。そういう事情があったとは。ごくろうさまです、ぺこり。
「あたしとおねえさまの逢瀬を邪魔しようとする不埒者にはお似合いですっ!」
「グランデアが不埒者っていうのは否定はしませんけど、あなたも大概不埒なことに違いはありませんからね、もう。ほら、離しなさいってば」
「ああん、おねえさまのいけずぅ…」
腕から胴に腕を回し、わたしの胸に顔を埋めようとしていたシャキュヤの顔を片手でぐいぐい押し返しつつ、わたしは乱れた着衣を直します。まったく、新作のコートがしわになるじゃないですか。
「…ところで二人ともお仕事中ってことですけど…私生活どころかお仕事も一緒とはえらく仲の良いことですね。何があったんですか一体」
「仲良くなんかありませんよぅ。フィングリィ副隊長が…」
「あー、納得。苦労が絶えませんね、フィングリィさんも」
言うこと聞かないシャキュヤの教育係に、全く教育者としては不向きなグランデアを組み合わせてしまう辺り、きっと何をやっても無駄だったんでしょうね。最後の手段としてやけくそになったフィングリィさんの顔を想像して、わたしはひとり含み笑いを洩らしてしまったのでした。
「…ったく。おい、双方納得したんならとっとと仕事に戻るぞ。今日中にあと三箇所回らねえといけねえんだからな」
「あたしは納得なんかしてませんけど。あ、でもおねえさまもご一緒なら…」
「行けるわけないでしょ。わたしはこれでも忙しい身なんです。ていうか衛兵の格好ですよね、それ。なかなか似合うじゃないですか」
「え、そうですか?おねえさまに褒めていただくのは嬉しいですけど、あたしあんまり好きじゃないなあ、これ…」
と、シャキュヤは体を揺すって、革の上衣の要所要所に金属板をあつらえた、アウロ・ペルニカ衛兵隊仕様の鎧をガシャガシャと鳴らします。
基本的なデザインは一緒なんですけど、個人の識別のために飾りをつけたりするのはむしろ推奨されてるんですよね。
グランデアは体の前後を覆う前掛けですし、シャキュヤは今日の青空のような鮮烈な色合いのスカーフを首に巻いていました。悪くないですよ。
「…え、えへへ…おねえさまにそう言われるとあたしもそう悪くないかな~、って…」
「うんうん、じゃあ機嫌も直ったことですし仕事に戻りなさい。ほらグランデアもそろそろ復活したみたいですし」
「おう、ご協力に感謝するぜ。おらとっとと来い半人前。魔獣相手にドンパチするだけが仕事じゃねえって叩き込んでやる」
「おねえさまの前だからって先輩面しないでくださいっ!」
シャキュヤはぎゃーぎゃー喚きながらでしたが、それでも一応はグランデアに引きずられることなく自分の足で後に付いていきました。
二、三歩ごとに振り返ってこっちを見たりしなければ普通に感心してたところですけど、ま、あのコのそれを期待するのは現状では無理ってとこ……。
「ちょっ、ちょっと待ってください二人とも!」
「ん?」
「え?あ、もしかしておねえさま一緒に行き…」
ちげーですよ、そんなことじゃなくて。
去り際に見えたシャキュヤの腰のもの、それがわたしの考え事に引っかかるものがあったからです。
「シャキュヤ、あなたの腰に帯びてるそれ、こないだ使ったアレですよね?」
「これですか?」
とてとてと近寄ってきてこちらに見せたのは、飾り気のない短剣です。
二人とも衛兵の標準の武器として短めの剣を持ってはいますが、それとは違う個人的な持ち物のようです。
「ええと、確かにあたしの術はこの剣の聖精石から放たれますけど」
「ちょっと見せてもらえません?」
「……あの、おねえさまのお願いでもそれはちょっと…」
よほど大事にしているものなのか、わたしから隠すように胸に抱いてしまいました。
シャキュヤの家庭の事情を聞かされてしまっては無理強いも出来ず、わたしも諦めようとしたら…。
「…おー、そういやそろそろ休憩の時間だな。食堂の巡回もあったから、ついでに一休みしていこうか。アコ、それに付き合うくらいなら別に構わないだろ?」
「そうですね。わたしも少し喉が渇きましたし。あ、シャキュヤはそのままお仕事続けてくださいねー」
「……ひどくないですか?」
ひどいですねー。でもそういう搦め手に関してはグランデアの方が上です。勉強だと思って巻き込まれてみるのも悪くないですよ。
ひとのわるい笑顔が二つ。左右から見つめられてシャキュヤも流石に観念したようなのでした。
といっても午後の、これから夕方になろうって時間帯です。わたしも一度か二度入ったことのあるお店は、他のお客さんも少なくて、衛兵が二人入ってきたところで物々しくこっちを見る視線もなく、いいとこ「サボってやがんなこいつら」的な給仕のおじいさんに出迎えられただけです。
「で、何がしたいんだ?」
「…言っておきますけど、おねえさまだから見せるんですからね」
「わかってますって。お礼に首巻きでも作ってあげますから」
「ほんとですかっ?!」
テーブルにつくと、渋々という態で短剣をその上に置いたシャキュヤを懐柔する一言は、あっさりと仏頂面をいつもの爛漫な笑顔に変えてしまいます。そこまで喜ばれると少し罪悪感がわかないでもないですけど。
「じゃあ、ちょっと失礼して」
やろうとしたことはごく手短に済ませられることです。
わたしは鞘から剣を抜き、アプロのものとは大分異なる刀身の表面の艶を眺め、それからそこに存在を感じるはずの聖精石に語りかけようとして…。
「…あの、シャキュヤ?この剣聖精石は使われてないみたいなんですけど」
「ええっ?そんなはずないですよぅ、あたし生身であんな技使えたりしませんもの」
「そりゃそうでしょうけど…」
もっともなことを言うシャキュヤの視線を横顔に受けながら、もう一度確かめるように刀身に語りかけます。心の中で。
その存在を当然のもののようにではなく、いるかいないかを最初に問い、そして何の反応もないことを訝しみながら、剣を鞘に収めて「ありがとうございます」とシャキュヤの前に置きました。
「…何か分かったのか?」
「いえそれが、さっぱり。聖精石の存在が感じられるかな、って思ったんですけど」
「あの、それで何か問題あるんです?」
問題っていうかですねー。シャキュヤがどーいう理屈であんな物騒なものぶっ放せるかって新しい問題が出現したんですけど、まあそれはいいです。
「まあ今は気にしても仕方無いので。それより二人にちょっと聞きたいことがあるんですけど」
「なんだよ、改まって」
「ですよぅ。おねえさまとあたしの仲じゃないですか」
そーいうのいいですから。
頼んだ飲み物が届くのを挟んで、わたしはここしばらく気になっていた、力を失った聖精石というものがどうなるのか、二人に聞いてみました。
「…といってもなあ、オレはそっちの専門家じゃねえし。ただ、そうなった石を集めてる業者がいるって話は聞いたことがあるけどよ」
「この街にもいるんですか?」
「さあな。加工の組合が回収はしてるらしいが、そこから先がどうなってるかは知らねえ」
聖精石の加工組合ですか。ゴゥリンさんの伝手で話を聞けそう…あー、そういえばゴゥリンさん今いないんでしたっけ。まあ仕方ないです。必要があればアプロに話つけてもらいましょう。
「で、そのなんだ。像を保存する道具?ってのにその聖精石の残骸を加工したものを使ってたってことなんだろ?だったらそういう風に作り替えてる職人とかがいるんだろ」
「まあ普通にそう考えればそうなんですけどね…。シャキュヤ、あなたは何か知ってます?」
「え?あたしはー…その、東にいた頃に聞いたのは…石を再生する技が教会のどこかに伝えられてるとかって…」
「詳しく!」
「きゃっ?!…あのあのおねえさま?そう迫られるとあたし身も心もたまらなくなってしまって…」
「冗談言ってる場合じゃないんですよ!そこすごーく大事なとこなんですから知ってること全部話しなさいっ!」
身を乗り出したわたしの顔の間近で、シャキュヤが常に無く目を白黒させてました。
「そ、そんなこと言われましても……あたし教会になんか近付きたくないですし、知ってることっていったってそれくらいしか……」
…あー、そうでした。教会に関係することでこのコに突っ込んだ話させるわけにいきませんものね。
わたしは「ごめんなさい」と囁くように謝罪して、もとの席に戻ります。シャキュヤは、「いえ、こちらこそお役に立てなくて」と申し訳なさそうにしてましたが、今回ばかりはわたしの失敗です。マフラーを作ってあげるって約束だけは、お詫びも込めてきっちり果たしてあげようと心に決めたのでした。
結局、話としてはそれくらいのものです。
巡回の途中でいつまでも駄弁ってるわけにもいかないグランデアたちは早々に仕事に戻り、わたしはもやもやしたものを抱えたまま、自分の部屋に戻ってきました。
人間の道具としての役割を覆えた聖精石。
それを集めているひとがいる。それから、実際にそうして集められたものを違う道具として再生したものが、存在する。
マウザプさんのカメラのレンズに語りかけたとき、魔獣の穴塞ぎの時のようなはっきりした形ではありませんが確かに石の主張のようなものが、わたしには感じ取れました。
だから、ガルベルグの言った通りに、用を為さなくなった聖精石がもうその本来の力の発揮の在り方とは遠いところにある、とは必ずしも言えないんじゃないか。
…それはあるいはわたしの願望でしかないのかもしれません。ですが、滅びの道を辿っている世界を救うための、微かではあっても希望なのではないか。
わたし自身の知見として得られたものからは、そう思わずにはいられないんです。
「……あとはー、シャキュヤのことですよね…あのコもなーんかいろいろ謎が多いとゆーかー…フィルクァベロさんも何だか含むところあったっぽいですしねぇ…」
結局慌ただしくアウロ・ペルニカを出立してしまったフィルクァベロさんからは、その辺の細かい話を聞くことは出来ませんでしたので。
でもまあ、わたしの知らないことであれこれ考えても仕方ないかとは思います。別に悪い子じゃないんですし、でももう少しわたしには控え目に接してくれれば可愛い妹分として扱うのもやぶさかじゃないんですよね。
「……ま、いいか。明日もお仕事はいっぱいありますし」
そうです。わたしにはこの街でやりたいことが、まだまだいっぱいあるんです。
考えないといけないことは沢山ありますが、やりたいことを後回しにするつもりもないのです。
そんな風に気を取り直したタイミングで部屋に辿り着いたわたしを、誰かが待ち受けていました。
「…お帰りをお待ちしておりました」
「……フェネルさん?」
アプロの忠実なる執事、フェネルさんです。
ちょうど天気も崩れてきて、夕方ではありますが既に暗くなってきていた、歩き慣れた細道で、フェネルさんは真剣な顔をしてわたしを待っていました。
暗がりのこととて顔色までは分かりませんでしたが、カナギ様、とわたしを呼ぶ声はひどく固く、あるいはただならぬ事態が起こったのではないかという思いを振りほどけないわたしでした。
「あの、なにかあったんですか」
「はい。すぐに出立のご用意を」
出立?雨期もただ中だというのに、どこかにいかないと行けないんですか?
マリスに伝えられた不吉な予言を聞いて以来、わたしが無意識に目を背けていたこと。
それが容赦なく襲ってきたという事実を、この時のわたしは呑気にも想像すらしていませんでした。
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