第134話・街が言祝ぐ日々 その5

 やってきたのはお馴染みの街の中央広場。道行くひとにブルークさんがどこで説教してるのか聞きつつ辿り着いたのでした。

 そしてわたしたちは、流石に人目をはばかって、広場に臨時に置かれた街中の復旧に使う建物の材料の山から、説法の場を覗き見してます。幸いそういった資材は山ほど積まれていて、結構広い広場であっても隠れるところに不自由はしないのです。ゴゥリンさんでも少し屈めばブルークさんからは見えなそうですしね。

 そうです。監視対象はちょうど、広場中央にて演説をぶっていました。どーいうわけか得意の絶頂、って感じでは無く、なんか広場ではしら~っとした空気が流れてるのが少し不思議だなー、と思いましたけど、毎日やってて飽きられているのでしょうか。


 さて、どんな話をしているのか、聞き耳を立ててみましょう…って立てるまでもなく、がなり立てる声がイヤでも耳に入るのですけど。


 「…知る者は多しと言えどもその御業に触れるは慶事なるぞ!この街に住まう諸氏には周知ではあろうが、聖遺物が残されしはく在るためだった!有史以前より人々を苦しめし太古からの呪いは今こそ!解かれ、我らを在るべき地位へと導くのだ!!事ほど左様に、針の聖女はまこと世を救うべく遣わされた救世の使徒たり得るのである!」


 「……いきなり全速でぶっちぎってくれてますね」


 どこで調達したのやら、どこから見ても上半身が見通せるほどの高さの演台を持ち込み、真っ赤な顔して身振り手振りを交えて、言及されてるわたし自身が「わー、なんだかとてもえらいひとのお話してますぅ」と感激しそーな演説をぶっておりました。いやほんと、誰の話をしてんだ。


 「蒙昧もうまいなる民草にもその聖業の尊きことは理解出来よう。聞くがいい!魔獣の如き災厄は魑魅ちみとも言い、魍魎もうりょうとも伝う。我らの知る術も無き異界から攻め来たるに対し抗するは、教義に云う異界、魔獣と生まれを同じくする異種に他ならない。諸人もろびとよ、まつれ。異種を怖れるな!祀り、あがめ、戴けばこそ、恐るる必要は無い!」


 「…なーんかさ、あの言い方だと、異世界の救世主ってよりもさ…」

 「………」


 ですねえ…。魔獣とおんなじモノなんだけど魔獣を倒せる道具にしたいから、おだて上げて使え、って言ってるよーですねえ……ま、当たらずといえども遠からず、なんですが。


 「異界の聖女は斯くのたまうであろう。『我が聖業の光を見届けよ。人を導く我が後に続け。しかして後、我が背を乗り越えて世界をまとめよ!斯くして救済は成るのだ』、と!」


 「…アレ、誰のこと言ってるんだと思います?」

 「さーなー。少なくとも私の会ったことないひとのことだろーなー」

 「………」


 まー、無駄にややっこしい言い回ししてるせいか、それとも毎日同じこと言ってるせいなのか、あんまり興味をもって立ち止まってるひとは少なそうです。直接に話をした感じでは、衆目集めてのぼせ上がるタイプに見えましたので、この状況はいい気味…もとい、いたましいことですね。あっはっは。


 「で、どうする。止めるか?それともほっとくか?」

 「………アコが決めればいい」

 「と言われてもですねー」


 言葉ばかり大仰でその実中身に乏しい演説ですから、特に感銘を受けるひともいないでしょうし…これならほっといてもいーんじゃないですかね、と言おうと思った時でした。


 「ようよう、毎日同じ話ばっかしてっけど、いつになったら面白くなんだよっ!」


 ブルークさんがその声のした方向を睨み付けます。

 わたしも同じように、そちらに目を向けますが、都合のいいことにブルークさんを挟んでちょうど反対側。こちらと同じように資材の積まれた一画で、その資材に腰掛け口元に手をかざしてる人影が、目に入りました。


 「…なんか見覚えあるよーな」

 「………あの男か。うむ」

 「……あー、あの人確か、戦いの前にアプロとわたしがここで演台に上がったとき、ヤジ飛ばしてたひとですよ」


 カルナテさんに窘められて黙ったおじさんですよね。ええと…ガスなんとかさん。たぶん。


 「ガスタンとかいったっけ。アコの知り合いになんかやり込められてた」

 「………そうだったな」


 うん、三人の記憶が一致したんなら間違いなさそーです。

 にしても、あのひと、やることあんま変わらないんですね、あの時も今も。まあ正直言って今回は止める気にはなりませんけれども。


 「不遜な口を利くものではない、無明むみょうともがらよ。貴様が如き知無き者の蒙をひらくも我が務めなれば説きもしようが、汚き言葉にて我が説法を汚すとあらば容赦はせぬぞ!」

 「お、それも講談の一部なのかい?いやいや、三日ほどまえから聞いちゃあいるけどな、盛り上がりっちゅうもんが欠けてていつになったら面白くなるんだい。ほらこの通り、おひねりくらいは用意してんだから、そろそろ投げてもいいやって俺に思わせてくれないかい?」

 「そのような端金を投げようとはミネタの尊き教えを愚弄する気か!!」

 「いや教えとか言ってもな、針の嬢ちゃんをネタにした講談じゃなかったのかい?これ」

 「貴様、講談などと下衆なものと我が派の長きに渡る教えを混同するなど、罪深いにも程があろう!」


 「…なんか風向きが怪しくねーか?」

 「…ですね。ブルークさん武器とか持ってなければいーんですけど」

 「………止める用意だけはしておこう」


 ていうか、わたしをもとにした講談とかいう発想、どこから沸いて出るんですか。本当にありそうで怖いんですけど。


 ともかく、半ば以上本気で言ってそーなガスタンさんと、その一言々々で激昂の度を高めるブルークさんという図は、説法には無関心でいた通りすがりの興味を無駄に惹くところとなり、次第に顔を真っ赤にして憤る一方と、それを煽る野次馬という図式になっていたのでした。

 なるほど確かにこれは、フルザンテさんの言った通り、説教としてはお話になってませんね。まるきりマジメに捉えられてないみたいですし。


 で、もちろんわたしとしては無責任な盛り上がりを見せる広場の馬鹿騒ぎに同調する気にもなれず、かといってブルークさんを庇うつもりももーとー無いため、しばらくそんな光景をぼーっと眺めた後に。


 「…そろそろ帰りません?」


 と、二人に提案しました。うん、わたしの今日一日で最も前向きな提言です。

 そしてそれはアプロにも、ゴゥリンさんにも正しく伝わったようで、


 「………そうだな」

 「…うん、まったくもってアコの言う通り。帰って呑み直そっか」

 「ちょい待ちアプロ。これ以上昼間っからお酒だなんて許しませんからね」

 「ちえー」


 まあそのー、一部ヨコシマな願望も混ざってしまったり、してはいましたけど。

 ともかく、さー退散退散、と三人並んで踵を返したときの、ことでした。


 「で、ではこちらから問おうではないか!そも針の聖女なるは何者也や!」


 言い負かされての論点ずらしか、それとも逆ギレしてかは知りませんが、いー加減抑えも聞かなくなったヒステリックな声に、思わず帰りかけた足も止まり、わたしは振り向いて、一体何を言い出すのやら、と再び広場の揉め事に見入ります。


 「何者なりやー、とか言われてもな。大体、針の聖女ってな誰のことだい。知らねえ相手について話すことなんざあ何一つないぞ?」


 ガスタンさん、言う言う。煽り上等の趣です。本人にその気があるのかどーかは分かりませんけれど。

 そして一方、不遜もここに極まるか!…とか天を仰いで嘆くよーな醜態を見せるブルークさんでした。


 「斯くも無知蒙昧の輩が跋扈ばっこしようとは…ッ!ああ、悲しきかな、悔しき哉!針の聖女よ御覧じよ!救世の使徒の足下は暗き闇に覆われているのだっ!」


 見てますかー、針の聖女さーん。あなたの足下って歩くのも覚束無いほど真っ暗らしーんですけど、心当たりありますー?


 「…というかさ、うちの住民をあげつらって無知蒙昧とは言ってくれるじゃねーか、あのハゲ」

 「まだ禿げてはいないと思いますけど。ああもうほら落ち着いてください。怒る気持ちは分かりますけど、あなたが本気で怒ったら洒落にならないんですから」


 ガマンもならなくなってきたのか、飛び出していきそうなアプロを抑えにまわるわたしでした。


 「………立ち去った方がよかろうな」

 「ですね。アプロ、帰りましょう?文句ならあとでマリスの前で、ね?」

 「むー…」


 「大体よ、針のなんちゃらってなあこの街じゃあ針の嬢ちゃんのこったろうと思うが、ありゃあ聖女なんてありがたいもんじゃねーだろ?」


 ぴくり。

 向こうでまだ続いていた会話の展開に変化。わたしが肩を掴んでいたアプロと、わたし自身の動きが止まります。

 それに不穏な気配でも覚えたかゴゥリンさん、あちゃー、とでも言わんばかりに片手で顔を覆って空を見上げてます。

 やだなー、そんな心配しなくたってとんでもねーことになんかなりやしませんて。


 「最近の嬢ちゃんの姿知ってるか?そりゃあもう、領主さまと並んでふにゃふにゃだぞ?いや微笑ましっちゃあ微笑ましいけどな、女同士でそんな様見せられても冷やかす気にもならねえくらいにベタベタでさぁ、あれ見て聖女だのなんだの言い出すアホはこの街にいやしないっての」


 …は、ははは……そ、それは確かにアプロが忙しくて顔合わせる機会の少なかった分、一緒にいるときはその分取り戻そうとしてたことは否定しませんけ、けっど……そこまで言われる程かってひうと……あ、あはは……。


 「領主さまにしてもなあ…まあよくやってくれてるんだけど、仕事の時とそうでない時の落差が激しくて、ま、そこが可愛らしいっちゃあ可愛らしくてな?ああそういや、あんたもいたから分かるだろうけどな?解放のお祝いの宴会の時に針の嬢ちゃん引っ張って抜け出してった時の様子は今でも語り草らしいぞ?いや希に見る愛らしさで、衛兵連中も微笑ましーく見送ってたとかって話さ。あ、もちろんその時の針の嬢ちゃんも見物だったってえ話だからな、俺も見てみたかったもんだ」


 ……わたしの手がぷるぷるしてるのは、手を置いてるアプロの肩が震えてるせいでしょうか、それともわたしが震えているせいでしょうか。


 「ああそういや嬢ちゃんが領主さまと並んでるところは微笑ましい限りなんだけどさ、ひとつだけ残念なことがあってな…領主さまも最近えらい背がのびて二人が隣り合ってるとな、ついつい見比べてしまうんだけどさあ、嬢ちゃんももう少し出てるとこが出てると見劣りしない…」

 「それ以上言ったらぶっ殺しますよっ!!」

 「おわぁっ?!」


 ………あー、なんか気がついたら、ガスタンさんの姿がわたしの前に。何が起きた一体。


 「なっ、なんだよいたのかよ!」

 「いたのかよ、じゃねーですあなた黙って聞いてたら何言ってくれるつもりだったんですかええそうですねわたしアプロに比べたら随分慎ましいって評判ですけどねでもそれをこんな外から来た人に熱く語るとかあなたもどーいう神経してるんですかいっぺん地獄見ますか?見てみますか?!ええ送ってやりますよ口は災いのもとって格言その身に刻み込んでやりますよどうですかっ?!」

 「お、落ち着けって嬢ちゃん!涙目でくってかかる顔はなかなかかわいいとこあるなと思うけど首絞めるのだけは……」

 「やっかましいっ!」


 わたしの今やるべきことは、この要らんことばかり言うひとの口を塞ぐことですっ!


 「アコ、落ち着けって。そのおっさんの首絞めたってアコの胸はおっきくならないんだからさ」


 というかいきなり飛び出していくもんだから止める間もなかったよー、とアプロが笑いながらガスタンさんの首にかかってたわたしの腕をとって、放します。うう、あやうくわたし殺人者になるところでした…。

 ……ところで今なんと?


 「はいはい、細かいこと気にしなーい。おい、おっさん大丈夫か?」

 「げほげほっ…あー、死ぬかと思った…ってか領主さまもいたのかい。お二人揃っているところに出くわすのは眼福だけどな、助けるならもーちょい早くだな…」

 「おっさんも余計なこと言わなければそんな目に遭わねーっての。ま、でもアコのことを良く言ってくれたのは嬉しいよ。ありがとな」

 「お、おう、どういたしましてだ……いや別に良く言ったつもりはないんだけど…」


 丸く収まるんだからそーいうことにしとけ、とガスタンさんの頭を小突いてアプロは、ブルークさんに向かって歩いていきます。

 わたしも、ガスタンさんの介抱はゴゥリンさんに任せてその後を追い、並んで相対したところでアプロはニヤリと不敵に笑い、こう言いました。


 「ま、大体分かっただろ?アコはあんたらの言うようなお偉い聖女さまなんかじゃねーよ。ガスタンのおっさんの言い分が街の総意だとは言わねーけど、この街であんたの説教をありがたがる大人がさっぱりいねー割にさ、ほら、今の周りの状況見てみ?」


 青ざめた顔のブルークさんが、この騒ぎで集まってきたひとたちの姿を見回します。わたしもつられて同じよーにしてみましたけど…。


 「よー、針の嬢ちゃんもなかなかいいご身分じゃないか!」

 「ガスタンの方が正しい!けど俺は小さいのも嫌いじゃねえぞ!」

 「アコちゃん、あんたはわたしたちの仲間だよ!あんまりえらくならないでおくれ!」


 …とかまあ、けっこー勝手なことを言われていました。

 でも不思議とそんな光景は、わたしの胸の辺りをほっこりとさせるもので、自信と誇りみたいなものがこみ上げてきて思わず顔をほころばせずにはおれないのです。


 「…と、まあそんなとこだ。悪いことは言わないから、もうアコを担ぎ上げてミネタ派の神輿にするような真似はやめとけって」

 「わ、私はそのようなつもりは…これは、これは確かに神託を正しく世に広めるための…」

 「その神託だよ。きっとそりゃあどっかで悪だくみしてるヤツがさ、あんたたちをいいように扱おうと思ってそれっぽいことを言っただけなんじゃねーかな。私はそう思うよ?」

 「なっ……そ、その、ア、アプロニア姫殿下とも思えぬ仰り様はっ、い、言って良いことと悪いことがございますぞっ?!」


 うーわ、話になんねー…とは思うのですけど、きっとブルークさんにはブルークさんなりに大事にしてるものはあるのでしょう。かといってそのためにわたしが迷惑こーむるのは許せませんけど。

 でも、アプロはきっとそういうところはちゃんと呑み込んだ上で、なんだかいろいろ上手いことやっちゃうんだろうな、って。


 「うん、まあ気を悪くしたんなら謝るよ。でもあんたがこの街で語ってる言葉でアコは迷惑してるんだし、この街の住民だって良い気分じゃないんだよな。私はアコが大好きで、街の皆もそれぞれにアコのことが好きなんだ。その好きなひとを、本人のこともよくしらない街の外から来た人間が、あれこれ勝手に言ってたら、どう思うんだろうな」

 「ですが、教義の正しい解釈の流布は間違い無く人類普遍の義務であり…」

 「そう考えた結果が、ミネタ派は分裂し内部で殺し合い、結局人類どころか隣で肩を並べてた人間すら守れなかった、って結末なんだろ?まー、あんま難しく考えるなって、おっさん。アコのことなんかこう酒でも呑みながら、あー、もうちょっと日中でも優しくしてくれると嬉しいんだけどなー夜はいつもめちゃくちゃ優しいけどー、とか言うくらいでちょうどいあいたぁっ?!」

 「あなたは言うに事欠いて他人に何を言ってるんですか」


 思わず後頭部にツッコますには居られないわたしです。もっともこのタイミングで戯けるのも計算尽くなんでしょうけど。


 「いてて…アコー、ちょっと激しすぎない?激しいのは臥所ふしどのなか…」

 「それ以上言わせるかぁっ!!」


 …本当に計算尽くなんでしょうね?天然じゃないんですよね?




 「まあ納得はしてねーだろうけど、押しつけがましい真似だけは控えてくれるんじゃないかな、あの調子なら」

 「だといいんですけどねえ…」


 その後、アプロだけじゃなくて野次馬の応援も得て、なんとか明日からは説法自体を見合わせる、ということに同意してもらえました。

 アプロだけじゃなく、街のひとたちが口々に「いやそりゃ違うだろ」と言っていたのがかなりこたえたんでしょうね、きっと。


 「にしても、疲れましたぁ…」

 「そりゃ野次馬の方ばっか構ってれば疲れもするだろー」


 うるさいですね。謂われの無いひぼーちゅーしょーを駆逐してただけじゃないですか。誰が『母なる大地の平面』ですか。意味不明だってんですよ。


 「意味が分かんないならほっときゃいーのに。まあでも、みんなアコがかわいいから構うんだって。アコだって弄られて満更でもなさそーだったじゃんか」

 「あれが満更でも無いってどーゆー目をしてるんですか。わたし夜叉の如き形相で無責任な観衆をちぎっては投げちぎっては投げしてたじゃないですか」

 「………困った顔して力なく追い回していただけ、ではないのか」


 ゴゥリンさんまでそんなこと言いますか、もー。

 でも、根負けしたというか最後は苦笑になって街のひとたちの言い分を聞き入れてたブルークさんの顔を見れば、わたしにそう悪いこともないんじゃないでしょうかね。

 ほんと、街のみんなに感謝です。わたしの背中を押すどころか、わたしを追い越して声を上げてくれてなければきっと、話もまとまらなかったでしょうから、ね。


 「ん、アコがすっきりした顔になったところで。一杯やりにいくか?」

 「結局あなたはそれですかー…あー、どもども。さっきはありがとうございました…いえいえとんでもなーい……あー、でもあんまりいじめないであげてくださいね、別に悪いひとじゃないと思うのでー」


 広場を後にしたわたしたちは、特にあてもなく街中をブラブラしています。

 とにかく目立つゴゥリンさんが一緒ということもあってか、声をかけられることも少なくないのです。けれどわたしは、その一つ一つにとても気持ち良く返事を返していたものですから、必然的に歩みはノンビリしたものとなり、いつの間にか夕暮れも近い時間になっています。


 「…お腹空きませんか?」

 「さっき昼食べたばっかだと…思ったら、もう結構遅くなってんのな。ゴゥリン、どうする?ていうか今日は付き合えよ」

 「………そうだな」


 おや、珍しく付き合いのよいゴゥリンさんです……と思ったら、わたしたちの向かっていた先を指さし、こう言いました。


 「………あれをなんとか出来たら、だがな」

 「あれ?」

 「って?」


 アプロとわたしがその指さす先を見やると。


 「…本日のご用の向きは終えられましたか、アプロニア様」


 そこには、氷鉄の如き笑みを浮かべる、フェネルさんの姿がありまして。

 その表情から受ける酷薄な印象って言ったら。


 「……あ、ああ。うん、上手く片づいた片付いた。もー、なーんにも心配することはねーぞ?」


 あのアプロが思わず尻込みしてわたしの後ろに隠れ、ぎこちなく言い訳するほどなわけでして。


 「なるほど。ではもう気の済んだことでしょうから、今からお仕事に戻りましょう」


 「あ、あーいやー…そのな、フェネル?うん、上手いこといった記念にこれからみんなで呑みにいこー、って話になってだな」

 「なってませんて、そんな話。アプロ一人で言ってただけですよ」

 「アコひどいっ?!」


 だってここでアプロを売り渡しておかないと、わたしとゴゥリンさんにも累が及ぶじゃないですか。


 「ふふっ、フェネルさん。アプロも今日はたっぷり息抜き出来ましたから、きっと今からぶゎりぶゎり働いてくれますよっ」

 「………うむ。何せ昼間から呑んでいたほどだからな」

 「てめえゴゥリン!アコならまだしもおめーまで裏切るとは許せねーぞ!」


 ゴゥリンさんに逆ギレかまし、飛びかかっていくアプロではありましたけど。


 「なるほど。奥様のお許しが出たということなら是非は無いことでしょう」

 「へ?奥…さま?」


 わたし、わたし。アプロの奥様ってそれ、わたし。

 なんとなく、そーしないといけない気がしてアピールするうちに、何故かアプロはふにゃふにゃと軟体動物のようになっていきます。

 フェネルさん、今の状態なら持ち運びに不自由しませんから連れてっちゃってください、と言うまでも無く、わたしたちに丁寧な一礼をしたフェネルさんは、「おくさまー…アコが、わたしのおくさまー……えへ、えへ、えへへへへ……」と、不気味に笑ってるアプロを引きずって去って行きました。


 ……い、いーのかなー。


 「………何にせよ、だ」


 若干不安を抱きながら二人を見送ると、ゴゥリンさんは妙にすっきりした顔で、わたしを見下ろし言います。


 「………いい休暇になったのは、アコも同じことではないのか?」


 …うん、確かに。

 わたしのやってきたことが間違ってなかったって思えて、それはきっとアプロだけじゃなく、街のひとたちのお陰でもあって。

 でもわたしが一番感謝を捧げるのは、わたしの愛しいアプロにですからね、と、もう姿の見えなくなった恋人のことをそう想ったのでした。


 おやすみ、アプロ。いー夢みてくださいね。

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