第135話・見えない絆

 今日は午後から裁縫教室があり、わたしはお昼ご飯を作るのをサボって屋台で済ませようとベクテくんの屋台にやってきました。


 「こんにちは、調子良さそうですね」

 「あ、アコさん!こんにちはー、お久しぶりです」


 お昼のお客さんの列に並び、自分の番になるのを大人しく待ってあいさつしました。

 ベクテくん、列の一番前になってようやくわたしに気がついたようで、まったく、忙しいのはいーんですけど師匠としては寂しい限りです。


 「ベルが新作を差し入れしてくれまして。美味しかったのでそれを下さい。甘じょっぱいタレのやつです」

 「あ、甘タレですね。これ人気なんですよ、アコさんの伝手の調味料に一工夫してみたんですけど」


 と、覗かせてもらった加工前の樽の中には、確かに醤油のよーな黒々した液体が入ってました。醤油のよーな、というかほぼ醤油なんですが。

 穀物を発酵させて作る調味料は、この世界でもそこそこ発展してますけど流通の問題でこの街のような辺境にはなかなか届かないんですよねー。なので、わたしが王都で見つけた良さそげなものを、片っ端から送らせたんです。幸い、アプロのお陰でこの街は物資が街に入る時の税が抑えられてて、取り寄せたわたしのお財布に優しく味の開拓が出来るというものです。


 「創意工夫は結構なことです。また良さそうなものが作れたら教えてくださいねー」

 「はい!ありがとうございました……ハーナさん、ちょっと調理代わってくださーい!あ、いつもありがとうございます!………」


 屋台を離れ振り返ると、ベクテくんと同い年くらいの女の子がコテを握ってお好み焼きを焼いていました。

 ふふ、ひとを雇ったって聞いてましたけど、あの様子じゃそれだけでもなさそーですね。ファルルスおばさんにもそのうち嬉しい報告がいきそーです。




 部屋を早めに出たことで時間的にも余裕があり、わたしは街を眺めながらお腹を満たすという、買い食いの醍醐味を一緒に味わいながらサルダーレ商会へ向かっています。

 裁縫道具の購入でお世話になっているサルダーレ商会は、材料の方で力になってもらっているベンネットさんの勤めているカンクーロ商会とは違って、この街での扱いは今のところそれほど大きくはありません。

 ただ、交易の中継点であるアウロ・ペルニカを軽視してるわけではなく、東方向けの取扱いの拡大を図ろうと今は街の中での知名度の向上を図っているところのようです。


 わたしはそんなところに目を付けて、裁縫教室の場所を借りるなどの協力を得る代わりに、教室の生徒さんたちにサルダーレ商会の取扱い品の宣伝をしているのでした。ちょうど教室で針や鋏といった道具も要りますからね。地味にサルダーレ商会で取り扱ってる道具が、いーもの揃いなんですよ。


 そして生徒さんたちは主に、街に拠点を置く商人さんの奥さんや娘さんたちです。特に娘さんたちには、裁縫の腕が良いといい縁談が来やすい、ということでなかなかありがたがられてるわたしでした。


 そうそう、裁縫とは切っても切れない、型紙の製作。

 細かいことは省きますが、衣服の設計図とも言える型紙の製作は、勘と経験に頼って感覚で作ってしまうのがこの世界流。いえきっと昔の地球でも似たようなものだったと思いますが。

 ですが、効率よく、一つのデザインでいろんなサイズのものを作ろうとしたらどうしても数字の勘定が必要で、わたしもこの世界に来てから算盤の使い方を思い出しつつやっていまして、それを人に教えられるレベルになったかなー、というのも実は裁縫教室をする切っ掛けだったりします。


 生徒さんを最初は主に商人さんの家族に絞ったのも、数字には身近に接しているだろうなあ、という読みからです。

 ただ、経理と幾何学の違いは思ったよりもあったみたいで、今のところ算盤の使い方を説明する必要が無い、以外にはあまり関係してないのですけどね。


 それでも、街には他に裁縫を専らに教える教室が無いこと、わたしの異名が裁縫針の代名詞みたいになっていること、あとはまあ、わたしがこの街ではそこそこ有名人ということで、始めたばかりとはいえ、謝礼を頂いて開く教室としてはまずまず順調でしょうか、と思っている今日この頃なのでした。




 …ちょっと話が逸れまくりました。


 その日、教室を終えて部屋に戻る時、来る時に通ったベクテくんの屋台の前を通ると見慣れた金髪の姿が目に入り、わたしはとある人物を想像してつい足が止まってしまいました。


 「…って、勿体ぶってもしょーがないんですけど。ベルー?何してるんですか?」

 「アコ?」

 「はい、アコです。ベクテくんも。お昼ぶりですね」

 「あ、こんにちはアコさん。今度は晩ご飯のご用命ですか?」


 ふふっ、なかなか言うじゃありませんか。


 「流石に一日二回は多すぎですって…いえ、試食会の時はそんなものじゃなかったですけど。それよりベルはどうしたんですか?」

 「新作の試食。アコも、どう?」


 あら。すっかりベルの舌も信頼されてるようで。


 「新作って言ってもベルさんにいろいろ指導受けて作ったものですから、僕の手柄じゃないですよ。はい、どうぞ」

 「そうなんですか?あ、折角だからいただきますね」


 ベクテくんに渡されたのは、串に巻いたお好み焼きでもなく、たこ焼きの舟でもなく、少し深い木皿でした。それにお匙がついてます。

 受け取ってみると、木皿の中にはスープにたこ焼き状のものが二つほど浮いています、ってこれ明石焼き…ですよね?見た目は。


 「ではお味の方は、と……へぇ、これベルの発案?」

 「この形は。味はベクテが研究してる」


 一口スープを頂くと、嗅いだことはあるけどあまり馴染みのない風味です。

 明石焼きなら和風出汁でしょうけど、動物性の、鶏でも牛でも豚でもなく……。


 「あ、これ羊ですね」

 「正解」


 なるほど。お肉はよく見かけますけど、スープにするというのはちょっと意外。街中で出される料理でも羊の出汁はあまり食べたことがありませんでした。


 「で、具の方は、と……ほぼたこ焼きですね、これ。まだ味の方はこれから、ってとこでしょうか」

 「ですね。汁に合わせた味の方向性をどうしようかって相談してたところなんです」

 「なるほど。でもこれ、屋台料理にはちょっと……あ、もしかしてベクテくん、お店持つことを考えてます?」

 「はい!…人を雇って屋台の方は任せて、僕はお店を中心にやろうかって。その……」


 と、隣にいた女の子をチラと見て口ごもるんですから、実にほほえましーものです。


 「うふふ、皆まで言わずとも結構ですよ。ごちそうさまです」

 「あ、あのあの、僕まだ何も…」

 「ベクテは奥手だと思ってたけど。意外と手が早かった」

 「ベルさんまで何言ってるんですかっ?!」


 ベクテくん、真っ赤です。

 そして隣にいた、えーと確かハーナさん、ってお名前でしたよね。フェネルさんと同じような、この街では珍しい黒い髪を結わえ上げたハーナさんは、片付けの手を休めて時折ベクテくんの方をちらちらと見て、その度になんだか顔が赤くなっていくようです。

 うんうん、初々しいわこーどが照れつつも仲睦まじい姿を見るのは何よりの喜びですよね。


 「…アコ、おばちゃんみたい」


 なんだと。




 「ところでベルは最近何してるんです?」


 ベクテくんの屋台でしばし駄弁ったのち、わたしは晩ご飯のお買い物にベルを付き合わせて、途中まで並んで家に帰るのでした。

 夕食を一緒にどうですか、と誘ったところ、「アプロに悪いから」と振られてはしまいました。じゃあアプロが一緒の時にどうですか、と水を向けたら、「その時は喜んで」と本当に嬉しそうに言ってくれたのがまたベルのかぁいいところですよねー、ってそれはともかく。


 「ん、あまりやることない」

 「そうですか。遊びに来るのは大歓迎なんですから、暇でしたらアプロのところにも顔出してくださいね」

 「そうする」


 なんだか素っ気ないですね。

 いえ、そんな顔のしたにいろいろな感情があるようには見えますけど、今日のベルは静かになると、なんだか考え事というか口にしづらいことでもありそうな、そんな様子です。


 「…心配事でも?」

 「問題ない。それよりアコの方が心配」

 「わたし?いえとくには……ああ、そういえば…」


 と、ここしばらくわたしの頭を悩ましていたことを聞かせてあげたのですけれど。


 「…というわけで、まあ今は妙な騒ぎを起こされることもないんですけどね、って難しい顔してどーしました」


 なんだか妙な顔…というか、上唇を突き出して不満でもありそう、という、ベルにしてはヘンな顔をしてました。

 具合でも悪いんでしょうか?と心配になってじっと横顔を見ていたら、わたしの視線に気付いてか慌てていつものきれいな顔に戻り…あーいえ、やっぱり少し強張った顔で、


 「…なんでもない。そのブルークって男はただの道化だから。アコは気にする必要ない」


 他人を強い調子で誹謗するという、なんともベルにしては珍しいことを言うのでした。


 「別に気にはしていませんて。上手いこと大人しくなってくれましたし。あー、でもベルはブルークさんのこと知ってるみたいな口振りですけど…」

 「…?!……そ、その、街で話してるのを聞いたから……?」

 「?……えーと、なんで疑問形……あ」

 「え?」


 あー、なんとなくからくりが分かっちゃいました。わたしの推測もそれほど外れてなかったってわけですね。


 「なるほど。そーいうことならベルが口ごもるのも当然ってことですよね」

 「アコが何を言ってるのかわかんない」

 「いーですよ、分かんなくて。わたしとベルの間でする話じゃねーってことです。だからこの話はお終い。いいですね?」

 「……うん」


 ベルもなんとなく察してくれたのか、静かに頷いて、でも話を続けることに何か躊躇いがあるのか、そのままわたしたちの間に会話もなく、やがてわたしの部屋の前に辿り着きます。


 「…じゃあ、アコ。私はこれで」

 「はい。今度はいつ来られますか?アプロも誘って遊びに行きません?」

 「領主をそう軽々しく遊びに誘うのはどうかと思う…」


 今さらアプロもそんなこと気にしたりしませんって。その気になればフェネルさんを出し抜くくらいやってのけるんですから。


 「ふふ、そんな気の使い方はベルらしくないですよ。もっと好きに振る舞ったって、わたしもアプロもベルのことをキライになったりしませんから」

 「私は傍若無人なことにかけても右に出る者のいない女…」


 そこまで卑下しなくてもいーでしょうに。天真爛漫とかでも。


 まあそんな感じで、なんだかいじけたような、不満でもありそーな、ちょっとご機嫌斜めな感じのままベルとは別れたのでした…けれど。


 わたしはベルの背中を見送って、独りごちます。


 「…ガルベルグの狙い、神託に名を借りてわたしの周囲を掻き乱し、それで何をやるつもりなのか……考えたって分かんないんですよね。ベルに聞くわけにもいきませんし」


 そう、わたしは結局、ベルのことを大事にしてるつもりで、その実どこか線を引いていた…いえ、信じていなかったのかもしれません。

 ベルとわたしは、姉妹のようなもの。わたしは自分でしかと認めたつもりでいて、この時はまだ何かに縋っていたのでしょう。


 そしてそう思い知らされてしまうまでに、それほど時間はかからなかったのです。

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