第122話・アウロ・ペルニカの攻防 終話
早朝。
大自然の空気が匂い立つ中、大きなストライドで地を蹴る、わたし。
呼吸は、静かに、深く、早からず。自分を責め立てない勢いを維持して、でも気がつけば肺が濃い酸素を求めて喘いでいます。
足下に目をやると、朝露に濡れた短い草がまとわりついています。
絡みつくような緑がちぎれる度に、新鮮な空気を濡らしてわたしの疲れた体に染み入るようです。
…ぶっちゃけた話。
「おい、追いつかれる心配があまりねえのはいいけどよ!……いつまでこうしてなけりゃならねえんだ!」
「僕が知るわけないだろっ?!……アコ、本当に穴は塞げないのかいっ!」
「わっ、わたしが直接石に語りかけれられるのはぁっ、はあ、はあ……魔獣が、現れてないときっ、だけなんですぅ……」
足を止めたら多分いろいろお終いなジョギングを楽しめるはずもなく。
「おっ、おかしい、だろっ?!……ぜぇっ、ぜぇっ……さっ、さっき、やってたじゃ……ねえかっ?!」
んなこと言われましても。
第三魔獣を伴う時に限って、その第三魔獣の穴を塞いだ後なら魔獣が出現中でも穴を塞げる、ってことなんですからー。
「……ううっ」
わたしは後ろを振り返り、わたしたちを付かず離れず追いかけてくる魔獣の群れに目をやります。
最後の最後で二種の魔獣がまとめて出現。いずれも大型の、コモドドラゴンみたいなでっけえトカゲ。
走る速さこと大したことないのですが、転んだところにのし掛かられたら体重だけで圧殺されそうです。
「と、とにかくっ……はぁっ、はあっ……いちど、魔獣を全滅させてっ……はあ、はあ…布を、顕さないとっ……」
「つまり…いつも通りの……やり方で、ってこと……なわけだ……はあ、はあ……」
マイネル正解。
ただ問題は、わたしたち三人はもう魔獣の一頭を押し返す力すらないことでして。
「…だったら、そろそろ……ぜぇ、ぜぇ…街の連中が、気付いて……げほげほっ」
「…だね……駆けつけてくれると……いい、んだけど……はぁ、はぁ…」
です。
だからわたしたちは、追い立てられながらも必死に、街を目指して走って…あー、走るってスピードじゃないです、どうにかこうにかヨタヨタと前進してるのです。
そして。
「わぁっ?!」
「マイネルっ?!」
とうとう、一番後ろを走ってたマイネルが、転倒しました。
「はやくっ、手を貸してっ!」
当然見捨てられるはずもなく、わたしは駆け寄って引っ張ろうとしますがその間もトカゲの群れは距離を詰めてきて…。
「くそ、急げ!…ああ、いいから立て!走るぞ!」
「ご、ごめん…今……くそっ、足が動かないっ!」
「あああ、男を抱き上げる趣味とかねえんだけどよ…ッ!!」
言いながらもマイネルを担ぎ上げるグランデア。あなた火事場の馬鹿力にも程があるでしょうに…。
「ごめん、僕のせいで…」
「いいから黙ってろ!おいアコ、これ持て!」
「はいっ!」
槍をわたしに預けてグランデアは、顔を真っ赤にして走り…いえ、歩き出します。
わたしに出来ることなんかこうなったらもう……。
「…どっせぇぇぇぇぇぇいっ!!」
「押すんじゃねえ、転けるだろうがぁっ?!」
そうはいってもこうでもしないと…。
もう、魔獣たちが地面を踏む音が地響きにすら思えるくらいに近くなり、わたしはしても無駄なことと知りつつ振り返り、唇を噛んで内心アプロに別れを告げようと、思った時でした。
ヒゥルルルルゥゥゥゥ………。
長く鋭く響く、何かひとの気配を懐かしく喜ばしく思わせる音。
それがひとつ、ふたつ、みっつ。それぞれに音色は異なりましたが、それでも何かの意志を感じさせるタイミングで鳴ったそれに、グランデアは動きを止めて辺りを見回しています。
「ちょっ、ちょっとグランデア!立ち止まったらあぶ…」
「こっちだ!来い!」
「えっ?!」
「グ、グランデア…?どこに…」
マイネルを担ぎ、わたしの腕を引っ張って走る方向を勝手に変えたグランデアは、確かに何かを得たように、最後の力を振り絞るように、本当に駆け出したのでした。
足の先にその顎を開こうとしていたトカゲとの距離は開き、もしかして今までわたしやマイネルの足に合わせていたのだろうか、と思えるくらいのスピードで、グランデアは「ぬぉぉぉぉぉ!」とか叫びながら、街の方角とは違う方へ走ります。
「ちょっ、と…そっちには何も…」
慌てたわたしの戸惑う声に反応することもなく、わたしの腕を引っ張り、揺さぶられて喘ぐマイネルを気にとめることもなく、ただただ必死で走る背中に、わたしはもう何も言えなくなってただ付いていくだけしか出来ません。
そしてそんなスピードがいつまでも続くはずもなく、グランデアは突如燃料が切れたようにガクリと崩れ落ちると、肩に担いだマイネルも転げ落ち、わたしも腕を引っ張られたまま地面に倒れ込んでしまいました。
「グランデアっ!大丈夫ですか?!マイネルっ!!」
多分ひとりだけ身動きとれるだろうわたしが二人のもとに這っていくと、グランデアの顔色は赤から青くなっていて、喉が破れるような勢いで必死な呼吸を繰り返しています。
「…くっ…今度は、僕が…」
マイネルの方はどうにか起き上がって、グランデアの大きい体を引きずっていこうとして…。
「……ぐぁっ!」
それも叶わず、力尽き倒れました。
「あ、ああ、あああ……ここまで、ここまで来たのにぃっ!!」
わたしが二人を…だなんて無理な話です。
それでも、泣きながら倒れて動けない二人の腕を引っ張って立ち上がろうと…。
「かかれぇぇぇっっっ!!」
え?
灌木の生い茂る中から、決して大人数ではないですけど力強い男の人たちの、叫び声。
何が起こったのか。
わたしは顔を上げてその声のした方を見ると。
「アコ殿!!」
あ、ああ。ああ……こんなときに、こんなところで…なんで、なんであなたたちが、いるんですかぁ……。
「三人を囲んで守れ!魔獣の数、さほど多くは無いぞ!逃げ出したままなどという不名誉、今こそ返上するぞ!!」
そこには、アプロと意を違えて街を去ったとばかり思っていた、エススカレアとプレナ・ポルテの援軍のひとたちがいて…。
「アコ殿!無事か?!」
「はっ、はい!グランデアが無茶して…じゃなくて、そっち頼みます!お願いします、魔獣を全部、やっつけてくださいっ!!」
「言われるまでもない!さあ、針の英雄の道を拓きますぞ!」
…こんなときですけど、わたしは、ひとの力というものを本当に、心強く思ったのでした。
・・・・・
「げほっ、げほっ……」
「ああもう、ほらあ、慌てて飲むからですよ」
わたしたちを追いかけてきてた魔獣は、二つの街の衛兵さんたちによって全滅させられ、わたしはそれで顕れた布を縫いとめて、アウロ・ペルニカを襲った魔獣は全て、退けました。
マイネルは少し落ち着くとどうにか立ち上がることも出来るようになり、グランデアは、ようやく体を起こして水を飲めるようになっていました。
「ぐっ、ぐん……………ぷっ…はぁぁぁっぁ~~~……ああ、死ぬかと思った…」
「あなたここ数日で何回死にそうになってるんですか、ってまあわたしのせいもありますけど…」
「……ったくだぜ…おい、二度とこんな無茶な真似すんじゃねえぞ?」
それは無理ですね。わたし、これからきっと、もっと無茶するでしょうし。
…とは命の恩人の手前口に出来ず、ただ静かに微笑んでやっただけのわたしです。
「…アコ殿、申し訳なかった。街と、アプロニア様と…あなたを見捨てていっては、我々は生涯後悔に塗れて過ごすことに、なったでしょう…本当に助けられてよかった」
プレナ・ポルテのクレモナ・バチスさんが、そんなわたしたちに声をかけます。
「いえ、結局助けてくれたじゃないですか。それに、皆さんが最後手伝ってくれたから、わたしたちはやり通せたんです。本当に、ありがとうございました」
「そんな…武勲はまずアコ殿でしょう。それにあなたを守ったその二人も…」
「…今さら手の平返しですか。みっともない話ですね」
「マイネル!そんな言い方しなくてもいいでしょう?!」
どうにかこうにか、という態でわたしの側にやってきたマイネルが、そんな言わずもがななことを言います。ほんっと、性格悪いですね、こいつわー……。
「…と思ってたんだけどね。アコがいいっていうんなら、僕も気にしないことにするよ。…バチス殿、無礼をお許し下さい」
「……こちらこそ。不様を晒しました。カリウ殿も兵の取りまとめを終えたらこちらに来ます。挨拶はその時改めて…」
「…それにしても、今までどちらにいたのですか?」
「ああ、そのことでしたら…」
と、バチスさんはアウロ・ペルニカを出てからのことを説明してくれました。
なんでも、ケガ人を抱えて早々に移動出来るはずもなく(ここでマイネルが気まずそうに目を逸らしてました)、そして街から遠くは離れていない場所で、最悪の場合に備えて待機していたそうです。
わたしたちが近くに来たのは偶然で、ですが見捨ててもおけないと自分たちのところに魔獣をおびき寄せて待ち伏せにするつもりで、衛兵さんたちの間での指示となる、鏑矢を打ち上げたということでした。こちらへ来い、と。
グランデアはその意味を分かっていたから、わたしとマイネルを引っ張って待ち伏せしてたバチスさんたちの方に向かった、ということだったようです。
「…ケッ、つまり美味しいところ総取りするつもりだった、ってことじゃねえか。もっと早く出てきてりゃあ、いらねえ苦労をすることも無かったのによ」
と、グランデアは嘯いてましたけど、まあいいじゃないですか。バチスさんたちもケガ人ほったらかしに出来なかったり、わたしたちがいることに気付くのが遅れただけなんですから。
「…まあおめえがそう言うならいいけどよ。マイネル、おめえもいいか?」
マイネルは、肩をすくめて苦笑するだけなのでした。
「…さて、落ち着いたようでしたら、アウロ・ペルニカに戻りましょう。アコ・カナギ殿、グランデア、マイネル殿。あなたたちの凱旋ですな」
途中から話に加わったバンギニア・カリウさんは、疲れた顔ながらも満面の笑みで、そう言いました。
わたしは目立つことは嫌い…なんですけど。
「いいんじゃないかな。そろそろ皆も起きて、僕たちがいないって騒いでる頃だろうし」
地平線から顔をのぞかせた陽の光で眩しそうな顔になりながら言うマイネルの言葉で、少し考えを改めます。
何よりも、アプロに見せるのは疲れ切った顔なんかじゃなくて、やり遂げたことを誇りたいって、思うんです。
「…そうですね。みんな、どんな風に迎えてくれますかね」
「へっ、きっといいとこ取られたってえ歯ぎしりして悔しがるだろうさ」
「僕は…ま、まああまり考えないでおくよ…」
でしょーねえ。マリスがどれだけ怒るか…いえ、ただ怒るだけじゃなくて、泣いてマイネルを叱ることでしょうね。ふふっ、楽しみです。
「勘弁してよ、アコ…大体きみが無茶言わなければこんなことになったりは…」
「いいじゃねえか。結果は上手くいって、街も守られた。オレも魔獣殲滅の力になれた。満足だよ」
「僕が言いたいのは個人的なことなんだけどね…」
そしていつの間にか仲良くなったというか、ゲラゲラ笑いながらマイネルの肩を叩いているグランデアと、いくらか困ったようにではありますけどいつもよりも明るい顔をしているマイネルを見て、男のひとってこーいうあっけらかんとして起伏の激しい友情築けていいなあ、とぼんやりと思ったわたしでした。
わたしとアプロ、となると…そういえばケンカっぽいケンカって、あんまりしたことないですよね。その…は、はじめての日とかも…わたしが悪いって分かってたから、謝っておしまいでしたし。
…うん、なんかそんなこと思い出してたら、アプロとくっつきたくなりました。
街に帰ってすぐに、とかは無理でしょうけど、いろいろ片付いて、みんな静かになったらしよう、ってそう約束しましたからね…って、ううう、なんか堪らなくなってきました。はやくっ、はやくアプロに会いたいですっ。
「よし!じゃあ…みなさん、帰りましょうっ!!」
唐突に立ち上がってそう宣言したわたしを、その場にいた皆は最初ぽかんと見てましたけど、それぞれに思うことは同じなのか、エススカレアとプレナ・ポルテのひとたちも同意するように、おおーーーっ、っておっきな声で応えてくれたんです。
エススカレアの衛兵のひとが先触れに立ってくれたお陰か、アウロ・ペルニカの城門がハッキリ見える頃にはその前にいて、わたしたちを出迎えてくれた街のみんなの姿も確認出来ました。
もちろん、その中心にはアプロの姿。
ケガは大事無かったのでしょう、しっかり鎧を着込んで、こちらを見ています。
ふふっ、アプロの胸に飛び込んだらなんて言うんでしょうね。
『もー、アコは…心配させんなよー』
とかでしょうかね。きっと怒ってはいると思いますけど、でも最後には、無事に、そしてちゃんと街を守れたことを一緒に喜んでくれるんです。
「……っ、アプロ───っ!!」
わたしはたまらず、街に向かう一行の先頭に立って、そう叫びます。
手を振って、そして駆け出そうとして…。
「あいたぁっ!」
…転けました。どんくさいにも程がありますね、わたし。
「ったく、何やってんだかおめえは。おら、連れてってやるから、おぶされ」
「え?」
走りだしたわたしが危なっかしく見えたのか、グランデアがわたしの前で背中を向けて、しゃがんでいました。
むぅ、最後の最後でこのひとの手を借りるのも面白くはないですけど…ま、しかたないですね。正直なところ、気が抜けて足腰に力が入らなくなってたのも事実ですし。
「…しょーがないですね。手伝わせてやります」
「最後まで可愛げのねえ女だったな、おめえは」
うっさいです。アプロ以外に可愛いと思われたって嬉しくなんかありませんっ!
と、わたしはグランデアの背中に飛び乗り、それ行けー、と前方を指さします。
「ちょ、おいこら暴れるなっての!」
いいからはよ走れ、この馬っ!アプロのところへ、行くんですっ!!
「あはははーっ!」
わたしを背中に乗せたグランデアは、諦めたようにしぶしぶと、でも半ばやけくそのように駆けました。
前に見えるアプロの姿が、ぐんぐんおっきく、なってきます。
わたしのアプロが。すぐそこに。
「ただいまーっ!」
「おわぁっ?!」
そして声も行き交う距離になると、わたしは馬の背中から飛び降りて、自分の足で、アプロに「ただいま」を告げました。
「アプロっ、わたし、わたし…全部やっつけてやりましたよっ!ほら、わたしたち、街を守って……」
そのとき。
パァァァンンン…………。
乾いた空に、それに相応しく乾いた音が、高く、遠く、響きました。
「え?」
それが、アプロがわたしの頬を張った音だと気がつくのに、どれくらいの時間がかかったのか。
わたしを見るアプロの顔は厳しく、唇を真一文字に引き絞り。
「………うそつき。アコの…うそつき」
わたしの予想もしなかった言葉が、そこから放たれたのです。
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