第93話・ふたりの払暁 その3

 わたしの部屋のはずなんですけど、なんだか知らない場所のようでもあります。

 この場にいるのはわたし、それからベル。部屋でベルと二人きり、なんてこれまで何度かあったんですが。


 「えと、そうですね。さっき話した、ローイルっていうヘビのよーな変わった魔獣…さん?を相手にして帰って来てからのことです。わたし、お休みってことでアプロと二人でだらだらしてたんですけど…あれ、どーいう話の流れなんでしょうかねー…アプロにお礼を言いたくなって。あ、いえいえベルにだってお礼を言わないといけないことはあるんですけどね。何なら今からでも思いつく限り言いましょうか?…あ、いいですか。じゃあ続けますね。それでいっぱいお話したら、アプロがすごく…まあそのー、可愛く見えてしまって。あ、ベルも……え、構わないで先に進めって?もー、少しくらい気を遣わせてくださいよー、って話戻しますね。いえ戻すっていってもそれで大体終わりなんですけど。で、気がついたらアプロは帰ってしまってました。後で話し合おう、みたいな書き置きはありましたけど、他は何もなくて。何も無いどころかそれ以来アプロ、わたしに会いに来ようともしませんし。え、わたし?わたしはそのー、まーいろいろ手元不如意といいますか、あそうだ、雨が降ってたのでちょっと外にも出られずに。はい。まあそんな感じです」


 「………」


 …えー。

 沈黙がなんか重たい。

 ベル、怒ってます?


 「怒ってはいない。呆れてただけ」

 「…今の話のどこに呆れる要素がー」

 「だってそこまで言っておいて、まだアコが自覚してないなんて、鈍すぎてアプロが気の毒になる」


 え、ベルがアプロに同情するレベルて。わたしそこまで言われるほど酷いことしてるんですか。


 「別に酷いことをしてるわけじゃないけど。…アコ、一つ一つ思い出して。アコはアプロに何を感謝したのか。多分それでアプロの態度の意味も分かる」


 ベルにしては珍しく押しの強い口調に、わたしは軽く気圧されます。


 「お願い、アコ。あの時決めた私の心を裏切るような真似をしないで。お願い」

 「それはベルにそこまで強く言われれば否も応も無いですけど…仕方ないですねー…」


 なんでベルにお願いされる立場になってるんでしょう、わたし。まあいいですけど、と腕組みして考えます。

 アプロにお礼したいこと…じゃなくて、ベルの言いたいのはわたしがあの時アプロに何を言ったのか、ですよね。

 ええと、まず穴塞ぎの時に助けてくれることと、部屋に遊びに来てくれることと、それからこの街でのことでお礼を言いました。王都に行った時のことも、それから二度目に言った時の、お姉さんのことについては…わたしもまだ消化しきれてない感あります。

 で、この世界に連れてきてくれて、ありがとう、って。アプロにしてみればわたしにまだ何か引け目を覚えてるみたいでした。でもこの世界に連れてきてもらったわたしは、いろんなひとと出会って、自分が出来ることを見つけて、みんなと繋がったって自覚出来て。

 だから思ったんです。わたし、この世界に来て良かった、って。自分と自分以外の誰かとの距離を測りかねて、何も出来ないでいたわたしが初めて自分に対して自分を誇れるようになったんだ、って。

 だから、アプロにそのことの礼を言って………言って?

 あ…ああ………あ────。


 「アコ、どうかした?」

 「ど、どうかしたもこうしたも……わたし、とんでもないことを…」

 「うん。それはなんとなく分かる。で、どうしたの?」

 「なに他人事みたいにゆってんですかっ!あなただって当事者でしょーがっ!」

 「うん。そうだね」


 だからなんでそんなに儚げに嬉しそうなんですかぁ…。

 そんなベルの顔を見ていると、わけもなく泣きそうになる、わたし。

 あー、だめだこれ。自分の感情をコントロール出来なくなる前兆だ、コレ。


 「だって、わたし二人に約束してしまって、わたし、自分を好きになれたらきっと、誰かを好きになったって胸を張れるって…だけどアプロに言ってしまったこと、絶対に取り消したくもないって…ベルは、だから、わたしは………ごめ…んなさ…い……わたし、やっぱりアプロが、アプロと……」


 涙が涙腺の堤防を決壊するのを止められないまま、わたしは思い出しました。

 アプロと、ベルと、三人でお酒を呑んだ日のこと。

 二人は、いつになったら二人のうちどちらに決めるのかー、って迫ってきて、わたしは酔いの回った頭でそれでもしっかり考えて、こう答えたんです。


 『わたしはわたしを好きになれるんだと思います。だから、そうなったとき、わたしはわたしの思いを伝えます。アプロとベルと、今は二人とも好きですけれど、それを一人にしないといけない好きが出来たら、きっと伝えます。だから、待っててください。わたしの好きが育つのを、待っててください。きっとそれは、もうすぐなんですから』


 だから、わたしは、自分を好きになれたこと、真っ先に感謝したいひとに、好きを伝えたいんです…。


 やっぱり優しげにわたしを見てるベルの視線がとても辛くって。こんなこと、ベルに顔向け出来ないって分かってるのに、でもベルはわたしに優しくて…いっそ泣き喚いて、わたしを罵って、裏切り者とかベル自身の気持ちを捨てていくのかとか詰ってくれたりした方がわたしは楽になれるのに、けどベルは静かに笑ってわたしを見つめて、それだけで。


 「ベル……ごめん、なさい…わたし、やっぱり、アプロのこと、が………好きなんです…」

 「うん、知ってた」


 もう、視界はぐちゃぐちゃで、きっとわたしのことを穏やかに見つめているだろうベルの顔も見れなくなって。

 わたしはベル以外には絶対見せられないような泣き顔で、子供のようにいつまでも泣きじゃくるのでした…。


 ベル。こんなわたしに付き合ってくれて、ありがとね。




 「いいものをみた」

 「…そーいう言い方はないと思いません?…ぐすっ」


 …だからといって、いつまでもわんわんと喚いてるわけにもいかなくて。

 いー加減涙も涸れた頃にようやく見れたベルの顔は、わりとにやにやした人の悪い笑顔なのでした。てゆーか、ベルのあからさまな笑い顔って、珍しい…。


 「…涙は心の汗」

 「それどっかで聞いたことがあるよーな…でもこれからわたし、どうしたらいーのやら…って、なんでアホを見るよーな目で見るんですか」

 「アコは往生際が悪い」

 「だってー…わたしこんな気持ち抱えて今まで通りアプロに接したり出来ませんよぅ」

 「アコは年甲斐が無い」

 「そりゃベルやアプロより年上ですけどそんな言い方…って、そういえばベルってわたしより年下だと思ってたんですが、実際いくつなんです?」

 「女に歳を聞くのは失礼」

 「それを言う女性って一般的に歳を聞かれたくない年頃に差し掛かってるよーな…」

 「じゃあアコはいくつなの?」

 「多分十九じゃないかとー…そういえばこの世界の時間感覚って地球とあんまり違わないみたいなんですが、その辺どうなんです?」

 「世の中には聞いてはいけないことがある」

 「ベルに歳を聞くよりいけないことなんですか、それは……って、なんでこんな話してるんでしょうかね、わたしたち」

 「ふふ、気が紛れた?」

 「…おかげさまで」


 いつもの、無表情の奥にいろいろなものを込めてる、ベルの顔でした。

 そうですね、まあ、いろいろ踏ん切りはついた気もします。

 だから、一応は言っておきますね。


 「…ベル。ごめんなさい、わたしはあなたの気持ちには応えられません。わたしが好きなのは、アプロなんです。謝るのはきっとわたしの自己満足なんでしょうけど、でもあなたの気が済むことがあるのなら、好きにしてください。わたしは何だって聞き入れてみせます…アプロを諦めろ、ってこと以外なら、ですけどね」


 ベル、とても満足そう。

 わたしはベルに、謝るばかりでありがとうは一言も言えてませんけど、それでもアプロに言ったのと同じくらい感謝はしています。

 …そんな意を込めてじっと見ていたら、ベルは微かに揺れる表情の向こうに、悪戯っぽい色を浮かべて、こんなことを言いました。


 「…大丈夫。私はちゃんと、アコから大事なものをもらったから」

 「大事な…もの?何です、ソレ」

 「それはもちろん、」


 と、優雅な手付きでベルは、向かいに座るわたしの唇に人差し指を軽く当て、言葉を継ぎます。


 「…アコの、初めての口づけ。これは未来永劫、アプロが私に勝てない勝負」

 「………あ、あ、あ…あのですね~~~~~っ?!」


 …そういえば、そうでした。

 


   ・・・・・



 そして今、わたしはアプロの屋敷の前に立ってます。

 ベルはわたしの背中を押して…いえ、全力で蹴飛ばしてくれました。

 わたしにもう怖いものはありません。


 …アプロ。覚悟していなさい。

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