第94話・ふたりの払暁 その4

 「申し訳ありません…」


 まー、その反応は予想出来ましたけどね。

 フェネルさんが不在なため、アプロの内向きの世話をしているラルベルリヤさんは確かに心の底から申し訳なさそーに、わたしに頭を下げてました。

 アプロへの来意を告げ、戻って来るまでの時間から察するに、アプロは即答してラルベルリヤさんが何度か取りなしたけどやっぱりアプロの意志固く、玄関で待つわたしの元に戻ってきた…ってところでしょう。


 ですけどね。

 わたしもこのまんま帰るわけにはいかねーんです。

 ラルベルリヤさんはひとのいい中年女性ですけど、この際多少困らせるくらいのこと、わたしは平気でする覚悟です。


 「…アプロは今どこです?」

 「は、はい、ただ今は私室にこもっておいでで…」

 「どうも。それでじゅーぶんです」


 わたしは応対待ち用のソファーから立ち上がり、アプロの部屋に向かいます。


 「え?あの、あの困りますっ?!わたくしが叱られてしまいます!」

 「ごめんなさい。帰れと言われて帰れる事情じゃないので。アプロにはわたしから言っておきますから」

 「カナギさま、カナギさまっ?!」


 …時々思うんですけど、このお屋敷のひとってわたしのことを「カナギ様」って言うんですよね。他の人たちは皆「アコ」とか「アコ様」って言うのに。なんででしょ?…とか思いつつ、わたしは断固たる足取りでアプロの私室に続く廊下を歩みます。


 「…ですから、ですからっ、わたくしがもう一度お取り次ぎしますので、なんとかお待ちを…」

 「本当にすみません、わたしも今日はアプロの顔を見ずに帰ったら女が廃るので」


 一度逃げ帰るよーに立ち去った分際で我ながらおっきく出たなー、と思わないでもないですが、知ったこっちゃないのです、と轟然と進みます。きっとこれがわたしの人生最大の見せ場。心意気はそれくらいなのです。

 ラルベルリヤさんはもう諦めたと見えます。ちらりと肩越しに背中の向こうを見たら、だいぶ悄げておりました。

 わたしはそんな姿に胸が痛みましたが………って、あれ?

 …ラルベルリヤさん、一転してなんか笑顔で拳を突き上げ、むしろわたしを鼓舞してるよーな…。


 「…カナギさまっ!もうこうなったらあなた様が頼りでございますっ!アプロニア様のことを…お願いいたしますっ!」


 は、はあ…。

 あの、アプロに怒られるとか、そーいう心配しなくてもいーんですかね?これ。

 わたしはなんとも釈然としない思いで、ラルベルリヤさんの応援?を背中に突き進みました。




 「……こらーアプローっ!出てきなさーいっ!わたしが来たんだから顔見せなさーいっ!」


 そしてやってきたアプロの私室の扉は、天の岩戸でした。

 こんのアホ娘、わたしがノックして「来てあげましたから、ここ開けなさい」と言ったら、何も言わずに鍵かけやがりました。どーいうつもりなんですかっ!!

 というか、わたしより前にゴゥリンさんが来てたはずなんですが、そちらはちゃんと応対したんでしょうね?

 こういう時、スマホが無い不便を痛感します。なんかもー、何もかも落ち着いたら聖精石使った携帯電話の研究とかに投資しようと思います、ってそんなことは今はどうでもよくて。

 ただまあ、わたしも勢い任せでここまで来たので、なんか頭に血が上ってたのは否定しません。深呼吸、深呼吸……よし、落ち着いた。


 「……アプロ?あのー、怒鳴ったことは謝りますからー、ここ開けてもらえませんかー?」

 「………」


 返事もなしかいあのガキャ!…っていやいやここでブチ切れてどーする、わたし。

 うん、セルフコントロール、セルフコントロール……おーけー。


 「…あの、アプロ?わたし何か悪いことしました?」

 「………」


 …それでもやっぱり無言です。けれど、扉の向こうで膝でも抱えていそうな気配はします。聞く耳も持たないわけじゃなさそうなので、もう少し頑張ってみましょう。


 「あの、わたしに悪いところがあったら直しますから、開けてもらえませんか?何を怒ってるのか、顔見ないと分かんないですよ。それともゴゥリンさんに何か言われでもしたんですか?」

 「………」


 ダメかー。

 …仕方ないですねー、この手だけは使いたくなかったんですけど…。


 「アプロー?次開けてくれなかったら……わたし、ベルと駆け落ちしま……」


 カチャギィぐいっバタン。


 …一瞬でした。

 一瞬でアプロは鍵を開けて扉開けてわたしの腕を掴んで部屋に引きずり込んで、扉を閉めたのでした。最後に鍵を締めるのだけは流石に一息遅れましたけど。ていうか、ベルの名前効果てきめん過ぎぃ…。


 「………うー!うー!うーっ!」


 そしてアプロは、扉の前でへたり込んだわたしの肩を掴み、泣いたあとの残る顔を隠そうともせず、わたしを睨んで唸るばかりでした。


 「…もー、何があったか知りませんけど、わたしだってさっき散々泣いてきたとこなんですからね。そんなわたしに泣き顔見せるとか、どんだけ当てつけがましいんですか、あなたは」

 「…うーっ……」


 そんなことを言うと、また目から涙をこぼして、力なく唸るアプロです。

 そういえばアプロの泣き顔見るのって、これが初めてだなあ、と思いながらわたしは、「おいで」と彼女の後ろ頭を抱えるようにして、抱き寄せます。


 「…うー……あこぉ…」


 アプロも逆らわずに…いえ、最初だけためらったみたいでしたが、それでもわたしの手に導かれるように、床に座り込んだままのわたしにしがみついて、半分泣き声でわたしの名前を呼び続けます。

 わたしはそんなアプロがなんとも愛おしくて、髪の毛を優しく梳くように頭を撫でてあげるのです。

 しばらくそんな格好でいるうちに、最初は痛いくらいの強さでわたしを締め上げてた腕から力も抜けていき、アプロは…。


 「……こら。起きなさい」

 「あいて」


 …いつの間にか寝てました。なんとゆーか、ふてぶてしいというか図々しいというか…。


 「…アコ、いたい」

 「痛いわけないでしょーが。ちょっと小突いただけですよ」

 「もー…アコは私が大事じゃないのか?」

 「大事に決まってるでしょう。それより機嫌直ったのなら離してください。いー加減腕がしびれてきたんです」


 まだ少しばかり鼻の詰まったような声でしたけど、大分調子を取り戻した様子のアプロは、


 「……謝って」

 「え?」


 今度はしっかり怒気を感じさせる声で、わたしの鼻先に自分のそれをくっつけんばかりの距離で、そう言います。


 「…私に言うこときかせるのに、ベルニーザの名前を使ったことを、謝って。じゃないと、アコのことキライになる」

 「………アプロにキライになられるのはすごく困りますね。ごめんなさい、ベルの名前出したのは間違いでした」

 「うん」


 まだ笑顔を見せてはくれませんでしたが、それでもアプロはホッとした様子でわたしを解放してくれました。

 腕がしびれる、というのは少し大げさでしたけど、アプロっていかにも剣士らしく力は強いですからね。いくら自分が悪いからって、ずっと締め上げられるのは勘弁して欲しいところです。


 「で、何があったんです?確かわたしが来るより前にゴゥリンさんが来てたはずなんですが」

 「…別に」

 「いや、別にってこたーないでしょーが。ラルベルリヤさんまであんなに困らせて。言っておきますけどね、ラルベルリヤさんはわたしを止めましたけど、わたしが振り切って押しかけてきたんですからね」

 「ルリヤのことは怒ってない。私が悪いだけ」

 「…まあそれくらいの分別はあるようで、良かったです。ところで腰掛けてもいいですか?おしり、痛いんですよ」

 「アコはえらそーだ。でもアコのおしりも大事だから。寝台に座ってもいい」


 わたしの尻はわたしのものです、と言うとアプロはようやく、くすくす笑って自分もテーブルの席につきました。

 この部屋、普段はアプロしか出入りしないので椅子が一脚しかなく、わたしは勧められた通りにアプロのベッドに腰をかけます。


 「で、もう一度聞きますけど何があったんです」


 そして、一呼吸置いてからそう尋ねました。


 「…ゴゥリンが悪い」


 って、先程のゴゥリンさんの様子からしてどんな展開になれば、アプロが泣くほど怒る結末になるんですかー。


 「だってさ…」


 わたしの呆れかえった顔にいくらか後ろめたさでも覚えたか、それとも反発してか。

 どちらにしても、アプロはそれだけ言って後は口ごもるだけ。

 …んもー、埒があかないですね。

 とりあえずあったことだけ話してみなさいって。別に怒ったりしませんから。


 「うん…」


 渋々と、という態ではありましたけれど、それでもアプロはゴゥリンさんが来た時のことを話し始めてくれました。


 「…あいつ、獅子身族の集落に一度帰ってさ、なんか子供が出来て跡継ぎの心配なくなったから、グラセバに後を任せてきた、ってえらく晴れ晴れした顔で現れてさ。あ、アコはあいつの子供が産まれたって話…」

 「ええ、聞きましたよ。ちょうどこのお屋敷の前で会いましたので」

 「そか。だったらあいつ、すげー喜んでたの、分かるだろ?」

 「ですね。なんかいーなー、って思いました。あ、落ち着いたらお祝いしてあげません?」

 「そりゃいーや。いっそ集落の方に押しかけてやろーぜ?」

 「いーですね、それ。でも今は話の続きをどうぞ」

 「ん」


 まあ別に誤魔化すつもりも無かったのか、素直に頷いてアプロは続けます。


 「で、さ。あいつ妙に落ち着いた雰囲気になりやがって、だったらそろそろ嫁の一人でも娶って放浪癖をなんとかしたらどーだ、って言ってやったんだよ。そしたらさ…」


 …そしたら?


 「…なーんでか急に怒りだして。何でだと思う?」

 「さあ…ゴゥリンさんにはゴゥリンさんの思惑とかがあって放浪してるのだとしたら、いくら親しい仲でもわたしたちにそれを止められる謂われはないのかも、って気はしますけど」

 「私もそんなとこじゃねーかなー、って思う。でも、怒った理由とかはどうでもよくって、その時にあいつ、私の方こそそろそろ自分の身のことを考えたらどうだ、とか言いやがったんだよ」


 どきり。

 わたしの胸の鼓動が跳ね上がったのにはわけがあります。

 だって、アプロには、共に将来を育む理由のあるひとが、いるんですから。


 「それこそよけーなお世話だ、ってんで言い返したら…アコの話になって」


 でもアプロは、わたしのそんな動揺に気付いた様子もなく話を続けます。


 「アコのことはどうするんだ、って。私がアコのこと、本気で大好きだって知ってて、そういうことを言いやがる。だから、私はアコが好きで、アコと一生を過ごすんだ。そう言ってやった」

 「………」

 「アコ、ヴィヴットルーシアから見合いの話来てるだろ?どういうわけかあいつ、そのことを知ってた。アコにはアコの幸せを追い求める権利がある、私には王族の義務がある。それらを全部一緒にしてそれでも、アコとずっと一緒にいる覚悟はあるのか、って」

 「…また随分とゴゥリンさんも、難しいこと言いますね……」


 わたしはさっき、それなりの覚悟を決めてここに来たつもりでした。

 けど、それはゴゥリンさんのような大人から見れば稚気に属することでも、あるのでしょう。

 アプロもわたしも、いろいろ難しい立場にいるのは間違いありません。でもわたしは、それでもアプロと一緒にいたい、と思うのです。アプロの息づかいを近くで感じ、肌のぬくもりを隣で覚え、そして一緒に大人になって、この世界でもう少しだけ、幸福になりたいんです。

 それは悪いことなのでしょうか。


 「…私は、覚悟とかそういうむつかしいことは分かんない。でもさ、アコの部屋で、私はこのひとを一生大事にしたいって本当に思った。だからゴゥリンにもそう言ったんだ。あいつは、何も言わなかった。多分、私が自分で考えることだと思ったからそうしたんだろう。だからゴゥリンが帰ってから、私は考えた。この部屋で、いっぱい考えた。そしたら…怖くなった」


 それは、どうしてですか…?


 「だってアコには、アコを好きでいてくれるひとがいっぱいいる。わたしがいなくなっても、アコに、自分を好きにさせられるひとがいっぱいいる。だから怖くなった。怖くなって、ひとりで泣いてた。私、ひとりぼっちなんだって思ってしまった。アコが…ベルニーザの名前を出したことが、どうしようもなく、哀しかった………ごめん、アコを、困らせてしまったんだよね…」


 ……そうじゃないですよ、アプロ。

 本当にいけないのは、わたしのほうです。

 アプロがわたしのことを一生懸命考えていたときに、一緒にいられなかったわたしが悪いんです。


 「アプロ」


 だから、思うんです。

 それなら、今からでも一緒に考えよう、って。


 わたしとアプロの前には、考えないといけないことが、たくさんあります。

 それを二人で並んで悩んで、考えて、答えを出していきたいんです、わたしは。


 「アコ…私は、アコと一緒にいたい。アコは…どう?」


 そんなに恐る恐る聞かなくても、いーじゃないですか。

 わたしの気持ちなんか、あの日わたしがアプロにいっぱい感謝した時、知ってしまったはずでしょう?聞かせてしまったでしょう?


 アプロ。だから、ね?


 「はい。わたしはアプロのこと、誰にも渡したくないですよ。そしてわたしも、アプロ以外の誰のものにもなりたくはないですよ」

 「?!……あの、アコ…それは、ベルニーザにも、…なの?」

 「こんな時にベルの名前出すとかどーいう神経してるんですか、あなたは。でもこれでおあいこです。はい、ベルじゃなくてアプロ。わたしは、あなたのものになりたいです」

 「アコ……アコぉ……あ…こー………」


 …先に泣かないでくださいよ、もう。わたしが泣けなくなるじゃないですかー…。


 「だって、だって…アコ、アコが、私のこと好きって…」

 「好きなんてものじゃありません。大好き、です。アプロ、わたしはあなたを、愛してます」

 「アコぉっ!!」

 「ひゃぁっ?!」


 ベッドに腰掛けさせたのはこのためかっ!…なんてつまんないことが頭に浮かぶ勢いで、アプロが文字通り飛びかかってきました。


 「アコ、アコ…アコアコあこぉっ!大好き、大好きだよアコっ!好き好き好きぃ、大好きアコぉ!」


 そしてわたしの上にのしかかり、その度にわたしのあたまを痺れさせる言葉を何度も何度も何度もわたしに告げて。


 「ちょっ、ちょっと待ってくださいアプロぉ?!わたしまだそういうつもりには少し早いというか…んぷっ?!」


 わたしがためらうことを一切許さないように、強引に唇を奪い。


 「んーっ!ん、んんーっ!!ぷぁっ!…アコ、アコぉ、いっぱい、いっぱい口づけしよ?今からいっぱいしよ?一つになろ?アコ、わたしと、しよ?」


 なんかわたしの中からすんごいものを引きずり出すような口づけのあと、歓喜に満ちた泣き笑いのような顔のまま、全力でわたしを求めてきて。


 「だから待ってちょっと待ってアプロわたしそこはまってまってアプ、アプロんんっ?!………………………………………ん、んふ、ふぅ…ん……あぷ、ろぉ……ん、すき、で……す…ん」


 …そしたらわたしは、静かに、はげしく、アプロが欲しくなって。


 「あこ……あこ…ん、すき……ん………」


 いっぽうで、わたしのからだは、アプロのすきなようにされてしまって。


 「ん、あっ……あぷ……」


 わたしたちは、深い海にねむるようにまざりあって、なんどもひとつになって。


 「あこ、も……して……、ね?」


 「ん、あぷろー……」


 「あ、……ん、あこ、あこー……っ!」


 わたしたちはおたがいを好きなんだって、刻んで、刻まれて。




 …だからもう、離れたくないんです。





   ・・・・・




 

 わたし、自分のからだがあんなふうになるだなんて、思ってもみませんでした…。

 一晩中アプロの好きにされてしまって、わたしのからだは自分のものじゃなくなってしまったみたいです…。


 「…あこー、そうはいってもアコだって私のからだを好き勝手してくれたじゃんかー」

 「人聞きの悪いこと言わないでくださいっ!……アプロがしてくれー、って何度もせがんだんじゃないですか…」

 「だってアコにしてもらうと、すんげー気持ち良かったんだもん」

 「…くっ、か、かわいいこと言ったって知りませんっ!」

 「…アコは、気持ち良くなかった?」

 「う……そ、その…めちゃくちゃきもちよかった…です…」

 「ならいーじゃん」

 「……そですね」


 あははは、とアプロのベッドの中で二人、笑い合います。もちろん笑い声の最後は、どちらからともなく触れるキスで、締めたのでした。


 「…ん、なんかいろいろあったけどさー、アコが私のものになってくれてうれしーよ」

 「アプロこそ、わたしのものになってくれて、ありがとうございます」


 現実は、このベッドの中の狭い世界でのことのように簡単にはいかないことでしょう。

 でも、少なくとも今日からは、ひとりで悩みを重ねるようなことは、ありません。

 わたしと、アプロ。

 二人で考えていけるんです。


 だから、おはよう、世界。

 わたしたちは、ここにいます。

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