第58話・わたしが居たい場所 その4

 とりあえず、飛行距離がどれほどのものになるか計算してみました。

 えーと、確かあそこから穴までの距離が、歩きで一日。大体一日では六時間くらい歩いてますから、時速四キロとしておおよそ二十キロから三十キロってとこですか。舗装路じゃないですけど、わたしだっていい加減歩くの慣れましたからね。

 …ちなみに距離とか時間は、わたしの日本での感覚を反映させただけですので、念のため。


 でー、今時速何キロで飛んでいるんでしょう?…と思って計算を諦めました。ぶっちゃけ、それを体感から算出する余裕がまっっったくありません。

 顔を前に向けると息も出来ませんし、揺れたり加減速したりはないのでアプロにしがみついていればいーんですが、それ「だけ」をするのにもー、必死こいてます。

 一応は呪言の補助が効いてて、自分の腕力だけでしがみついてる、ってわけじゃないんですけど、気を抜いたらお終い、なことに違いはないですしね。


 「……アプロー、あとどれくらい我慢すればいーのー?」


 無駄とは思いつつ、顔を上げてアプロに問いかけます。

 途端に顔が変形するよーな風圧にさらされました。旅の間は髪をしばってまとめてるわたしですが、とっくにそんなものほどけてバッサバサです。うっとーしいです。髪、切ろうかな、とマジで思いました。


 「……………」


 ただ、そんなわたしに気付いたのか、アプロはこちらを見て何か言います。


 「えー?!なにー、聞こえなーい!」

 「……から!」

 「え?…わぁっ?!」


 言い返したわたしにアプロが何か言った、と思った途端に急に減速し、わたしは慌ててアプロの体にしがみつきます。


 「……速度落とすから、と言ったんだよー。ほら、アコ、そろそろ見えてくるぞ」

 「え?」


 滞空中は高度はそれほどでもなく、いいとこ学校の屋上くらいの高さでしたが、アプロは一旦高度を上げ、ひゃぁぁぁぁっ?!とかびっくりしてるわたしを気にもとめず、ほら、あっち、と首を巡らせて行き先を指し示しました。


 「見えてきた。…けっこーデカいな」

 「お、おおー…」


 残りの距離がどれだけあるのかは分かりませんけど、地面から立ち上がっている穴は、高さにして…さっき飛んでた高度の半分くらいでしょうかね?五、六メートルってとこでしょうか。


 「アコ、ちょっとアレの上周りながら観察しよう」

 「ですね。魔獣がいるかどーかも分かりませんし」


 スピードは大分落ちています。いいとこ自転車を頑張って漕いでいるくらいの風です。まあ時速にして二十キロとかそんなとこですかね。

 …にしても、えらいスピードで飛んできたものですね。十五分くらい…だとすると、二十キロを十五分だと時速八十キロ、ってとこですか。生身で空を飛ぶには大概な速さです。


 「…アプロー。ちょっと気になったんですけど」

 「ん?」


 スピードが落ちたことでちょっとした遊覧飛行の気分、といいたいとこですが、実物を見ると浮かんだ疑問が、どーしても気になります。

 幸い会話をするには支障の無い状態になったことですし、顔を見上げてこちらを見ているアプロに聞いてみました。

 関係無いですけど、よそ見運転してても事故の心配ないっていいですね。


 「前、穴の大きさと出てくる魔獣の強さには関係がある、みたいなこと言ってたじゃないですか」

 「うん。それがどうかしたかー?」

 「あの大きさの穴って、今まで見たのよりも大分おっきいですよね。でもー、魔獣の方はそれほどでもなかったじゃないですか。ほんとにさっきの魔獣の穴なんですかね…?」


 穴が大きいほど、その穴から出てくる魔獣の基本的な強さが強くなる。

 そして、一定量の範囲内で、数とどれだけ遠くにまで行けるかが関係して決まる。

 基本的なルールはそうだったはずです。

 けど、あの巨大ミミズは、グロさはともかく強さはそれほど大したものじゃなりませんでした。マイネルの鋲牙閃とゴゥリンさんが斧槍振っただけで輪切りになってましたからね…って、思い出したらまた気分が悪くなってきました…。


 「…さっきの魔獣が出てきた穴じゃないかもしれない、ってことか?」

 「あるいは、魔獣の強さと出現頻度とか数、それからどこまで行けるかの相関関係の取り方に違いが出てきたとか」


 穴のサイズで魔獣の強さがまず決まり、それ以外の要素が組み合わされる…のではなく、魔獣の強さもその組み合わせにまとめられるようになったり。


 「ええとつまり、魔獣はすんげぇ弱いけど、代わりに数がべらぼうに多くてとんでもなく遠くまで行けるような場合もある、ってことかー?」

 「あんまり考えたくないですけどね。あのおっきさの穴で弱い魔獣がどれだけ出てくるのか、ちょっとぞっとする話です」


 電柱サイズのミミズで埋め尽…止めときましょう。想像だけで死ねそうです。


 「けどそうなると、今あの穴の周りってどういう状況なんだ?見たところ魔獣の姿はねーみたいだけど。まさか全部地面の下にもぐってたりしてな」

 「キモいこと言わないでください!冗談じゃないですよ、もー…」


 それこそわたしが一番怖れる光景なんですから。


 「ごめん。でもさ、いくら飛んでられる時間に制限は…それほど無いっつっても、いつまでもこうしてるわけにいかないだろー?」

 「ですねえ…制限時間あるんですか?」

 「んー、大体朝からお昼くらいまでかな」

 「なんですか、その具体性に欠ける制限は…」

 「お腹空いたら流石に降りたくなる!」


 さいですか。あんまり腹ペコキャラっぽくないアプロにしては、珍しい発言でした。


 「まーけど、冗談言ってる場合じゃないよなー。アコ、一回高く昇るぞ?」

 「え?えーと、それはどーいう…」

 「空から穴を抉るくらいにカマして、地面の下がどうなってるか調べてみる」


 えー…なんかどこかの戦闘機みたいになってきましたね…強力な武器抱えて空飛んでるわけですから、似てきてもしかたないのかもですけど。

 まあ他に手も無いので、わたしとしては「そーですね」としか言いようがないのですけど。


 「なーんか空飛ぶのが楽しくなってきたなー。アコ、街に帰ったら付き合ってくれるか?街を空から眺めたい」

 「それはなかなか心躍るお誘いですけど、この穴なんとかしないとわたしたちお家にも帰れないんですから。まずこっちで頑張りましょーよ」

 「よーし、アコが誘いにのってくれたし。ちゃっちゃと片付けて帰るかー!」


 あー、それ失敗フラグって言うんですよ?

 …と、注意喚起しようと思ったら張り切りモードに切り替わったアプロ、わたしがしがみついていることなど忘れたよーに、楽しそうに急上昇に転じます。

 わたしはミミズは苦手ですが、高所恐怖症とかいうことはありません。むしろ高いところは好きな方なんですけど…さすがにその、足が付かない状態でこの高さはちょっと……。


 「…よし、こんくらいでいいか。アコ?」

 「はい。わたし目をつむってるので何するのか分かりませんけど」

 「あー、ちょうどいいや。そのまま目をつむってて。落ちるから」

 「…はい?」


 いや、予告しておけば何をしてもいいってもんじゃないでしょーに、と抗議する間もなく、支えが失せたようにわたしとアプロの体は落下を始めました。


 「え?え?えええええええっっっ?!」


 要するに、空を飛ぶ力を生み出していた聖精石の剣が、今度は攻撃のための呪言に反応し始めた、ということで。あの、地面に激突するまでに間に合うんでしょうかね?いろいろと。その、一発カマした後、また空飛ぶための呪言を詠唱しないといけない…んじゃないですか?

 とかいろいろ言いたいことはありますが、この状態でわたしに文句を言う権利なんか無いわけでして。

 ただ、攻撃の呪言は時間にして一秒とか二秒で終わりました。


 「顕現せよ!」


 短いアプロの締めと共に片手で振るわれた剣の軌道からは、飛び道具系の呪言によくある、光る矢のようなものが放たれます。

 と、同時にアプロの声で続けざまの呪言が唱えられますが、これは空を飛ぶためのものなのでしょう。顕現せよ、といういつものものを口にすると落下の勢いが落ち始め、いい加減こんな状況にも慣れつつあったわたしは、そういえばさっき放たれた後ってどーなったのでしょう、と思いつつ地面に目を向けます。


 「………」


 見るんじゃ無かった…。


 「アコー、どうなってる?…って、その様子じゃ聞くまでも無いか」


 よいしょ、とアプロがわたしを抱える手を直しながら言います。

 まあね、結構高さありますから、土をほじくりかえしたらミミズがうようよいました、程度で済んでますけど。

 間近で見てたら…やめときましょう。少し気が遠くなりました。

 ただ、あの穴がミミズの原因になっていることだけは、確かめられたよーです。


 「…アプロ?わたしが縫わないといけない穴って、近くの魔獣を全滅させないといけないんです…よね?」

 「まあ、そういうことになってるけどなー。で、どうする?」

 「…あれ、全滅させられるんですか?」


 目を逸らしつつ、というか割と「もう帰ろ?ね、帰ろ?」的な意図を込めてアプロを見上げて言うのです。

 なんせ、魔獣の穴のすぐ側に、アプロが穿った穴には、電柱ミミズがのたくっているのですから…それも、一匹や二匹でなく……詰まるところ、危惧した通りだった、というわけです。

 あの穴のすぐ近くでは、いつどこから襲ってくるのか分からない電柱サイズのアレが、地下で無数にのたくっていると…。


 「落ち着いたかー?アコ」

 「別に取り乱してたりしてませんて。ただ…ホント、どーします?アプロ、全力でぶちかましてなんとかなると思います?」


 しがみつきっぱなしにもそろそろ飽きてきましたしね。

 それと、この後に控えてる仕事のことを考えたら、あんまり腕を疲れさせるのも得策じゃないなあ、と思うので、ホントどーしましょうか…。


 「…しゃーない。一度カマしてみるよ。それでダメなら一回戻ろ?」

 「ですねー…それが妥当ですね」

 「といって、全力でやるとなるとかなり高さないとあぶねーし。アコ、さっきより昇……る………」

 「ん?どしました、アプロ?」

 「……アコ、あれ見覚えないか?」

 「あれ?」


 上昇しようと空を見上げていたアプロの視線の先、雨期らしい曇天の空に浮かぶのは…虹のように何色もの色をたたえた、柱のような光。

 見覚えは、あります。もちろん。


 「アプロ…」

 「ああ。こりゃあ問い詰めてやんないとダメかもなー…関係無いわけないだろ、アイツ」


 ずぅっと上の方にあるはずの光の柱。それが現れて消えた光景はかつて見たものです。だって、それが消えたあとに現れた裂け目から出てきたのって、わたしを迎えにきたとかって言ってた、ベルじゃないですか…。


 「……アコ」


 聞こえるはずのない声が、耳元で聞こえます。

 光の柱はもっと遠くにあって、あれが消えたあとに出てくる裂け目から、あの子が姿を現すというのなら、わたしたちのすぐ隣にいるはずがありません。

 けれど、わたしには聞こえました。聞こえたんです。


 「アプロっ!」


 その声が聞こえないのか。わたしは自分がしがみついているアプロに呼びかけてみますが、魅入られたように上空の虹色の柱に顔を向けたままでした。


 「アコ。こっち」

 「待ってベル!わたし、アプロに…」

 「だめ。来て」


 必死で抵抗しているはずのわたしの腕から、アプロの体がするりとこぼれ落ちるように、離れます。

 いえ、実際はわたしの腕から力が抜けて、引きはがされています。

 ベルの声に引っ張られるようにして、アプロからわたしは離れていくのに、どうしてアプロは気付いてくれないのでしょう?


 「アプロ、アプローっ!こっち、こっち見てアプローっ!!」


 必死に彼女を呼んでも、全然応えてくれません。わたしが離れてしまったことにも気付いていないみたいなのです。


 「ア………」


 そして、何度目かの彼女を呼ぶ声は、唐突にわたしの喉から音を奪ったように掻き消えて、そしてわたしは。


 (アプロ─────!)


 声にならない悲鳴と共に、赤いベルに引っ張られるようにして、背中から堕ちていくのでした。

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