第32話・わんことにゃんこのワンダフルデイズ その6

 わたしを脇に抱えて駆け出したベルは、イヤでも街の人たちの注目を浴びます。ああ、どうかほとんど下着姿の金髪の女の子にお持ち帰りされているのがわたしだと、近所のひとにバレませんよーに…。

 ええ、そうです。わたしはまあ、寝間着に近いゆるーい部屋着姿なのですけど、ベルはショートパンツのような下半身の下着に、貫頭衣みたいな、ローブの下に着ていたものでした。そして裸足です。わりとはしたない格好のよーに思います。

 そして上衣の隙間からチラチラ見えるものはわたしを悩ましい気分に…はさせませんけど、すれ違うひとたちの好奇心を喚起させるにはじゅーぶんらしく、もっともその分、誰もわたしのことに気付かなかったのは良かったんだか悪かったんだか。


 「あのあの、ベルー?そろそろ人のいないところに落ち着いて降ろしてもらいたのですけきゃぁっ?!」


 予告もなしに跳び上がるのはぜひ止めていただきたいのです。いくら人通りが増えて走りにくいからといって…。


 「アコっ!!」


 …どーもそれだけじゃないみたいです。アプロの追いすがる声がします。

 ベルは家々の屋根の上に跳び上がり、上手い具合に壁際というか踏み抜いてしまわないように頑丈なところを選びながらスピードも落とさず駆け抜けていきます。

 こんな状況でなければそれなりに楽しい体験なのかもしれませんが、さっきからベルが一言も喋らないのが気になります。


 「ベル?」


 顔をベルの腕と体の間からその顔を見上げると、うっすらと汗をかいた顔にはさっき見た通りの、真っ赤な双眸が輝いていました。

 その色はわたしになんとも不吉な思いを抱かせます。何だかよくないことが起こりつつある気がします。

 そして何軒目かの家の屋根に飛び移った時でした。


 「…顕現せよ!」


 併走する通りの方からのアプロの声。まさかとは思いましたが…。


 「アコ!こっちに来いっ!!」


 そのまさかです。

 いつぞや見たように、剣を手にしたアプロがこちらに向かって飛んできました。

 そしてこれが文字通り、飛んできた、という感じ。刀身を下に柄を上にし、その柄にしがみついて振り回されるよーな格好ですが、それでも概ね自在に空を飛んでいるようではあります。最早あの剣から何が起きてもわたしはびっくりしませんからね。

 ただ、アプロの呼びかけに応じてそちらに乗り換える、なんて真似はベルが許してくれそうにありません。

 ちらとアプロの方を見たベルは、わたしを抱える腕の力を更に強くして、アプロから離れるように走行の軌道を変えてしまいます。具体的には直角ターンかまして更に奥の屋根の方へ向かいました。


 「アプローっ!先にベルを止めてーっ!!」


 たまらずそう叫んだわたしをアプロは、空飛ぶ剣の向きを変えて追いかけてくるのです。わたしの知る限りあんな使い方をするのは初めてのはずなのに、どーいう身体能力と勘の良さを持ってるんでしょうか、あの子は。


 「くそっ、そんな簡単に言われても…もーいっちょおっ!!」


 簡単に言ってるわけじゃないんですが、ともかくアプロに追いついてもらわないと話になりません。

 少しでも、とわたしは手足をバタつかせてベルの足を緩めようとするのですが、ベルは意にも解さずさらに速度を上げます。

 けれど屋根はいつまでも続いているわけじゃありません。

 行く手に見えた谷のようなものは、この街のメインストリート。馬車が三列に並んでも余裕のある道幅の道路を前にしてベルは…。


 「………!」


 まさかのスピードアップでした。それを見てわたしは「ひゃぁぁぁぁっ!」と力の抜けた悲鳴をあげ、目を覆おうとして腕が自由にならないことに気がつくと目をつむるしか出来ず、一際長い滞空時間の後…。


 「アコ堪えろっ!!」


 追いすがってきていたアプロがベルに衝突した…と思った次の瞬間、気を失いました。




 それからまたしばらくの間繰り広げられたらしい追いかけっこについては、関係者の誰もが思い出したくないでしょうから割愛します。

 後でフェイヤさんに聞いたところ、アプロはベルが壊したものまで含めて(もちろん自分でやらかしたものの方が多かったのですけど)責任をとるよーに頭を下げまくっていたようですし、その後で起こった出来事によるものだとしても、わたしがしばらくつきっきりになるくらいには落ち込んでいたものです。


 まあそういうわけですので、わたしの目が覚めた時から話は再開するのでした………えーと、決して、その後ずぅっとわたしは気を失って何があったか全然分からない、ってことじゃないですからね?




 気がつくと、穴の開いた屋根を見上げて寝転がっていました。けっこーな高さがあります。察するところ、屋根を踏み抜いて落ちてしまったというところでしょうか。

 幸いにして体の痛みもなく、上半身を起こしてすぐにここがどこか確認することが出来ました。

 …どうもどこかの倉庫みたいですね。住宅地から商業区まで追いかけっこしてたのでしょう。

 わたしの体の下は布袋が積まれていて、中身は小麦粉か何かなのでしょうか。この上に落ちたのでケガ一つせずに済んだみたいです。


 「…あ、そうだ……ベル?アプロ?!」


 わたしを抱えて逃げ回っていたベル、それを追いかけていたアプロの姿を探します。

 倉庫の中は整理が行き届いていて、かえってとっちらかった場所は目立ちます。そしてそんな中、麦粉の袋の山の崩れた辺りに、ベルがいました。


 「ベル?ベル、大丈夫ですかっ?!」


 頭を打っていたら大変ですから、体を揺すったりは出来ません。せめて息があるのか、心臓が動いているのかを確かめようと体をまさぐったり耳をあてたりしているうちに、わたしの頭に手が乗せられていました。


 「…ベル?」


 それに気がつき、体を起こして彼女の顔を見ます。


 「………」


 わたしの顔をじっと見つめていました。その瞳は相変わらずの赤い色です。

 でも、濁ったような赤、というよりはどこか輝きとも呼べそうな穏やかな光があり、なんとなくベルの意志がそこにあるようにも思えました。


 「ベル、体は動きますか?」

 「………」


 小さく頷く気配だけでしたが、わたしに無事を知らせようという意図は見てとれます。

 わたしはほっと肩を下ろして、とるものもとりあえず今しなければいけないことを、始めるのです。


 「…いたい」

 「一体何考えてるんですか、あなたは。いきなりわたしを抱えて部屋を飛び出して、アプロと一緒に街のひとに迷惑かけて」


 きっとあの追いかけっこは結構な注目浴びてましたでしょうしね。ひとさまのお家の屋根に上がって駆け回るとか、迷惑以外のなにもんでもないですよ。まったく。

 わたしに鼻をひねりあげられて、ベルは目を白黒…はさせずに相変わらず真っ赤でしたけど、文句を言いたそうな雰囲気なのは分かります。そんなこと言いましてもね、ちゃんとごめんなさいしないといけない相手が、いっぱい出来てしまってるんです。あなたもアプロも。


 「…とにかく理由を聞かせなさい、理由を。なんでわたしごと逃げ出したりしたんです。あとその目はどうしたんですか。ちゃんと見えてはいるんでしょうね?」

 「分からない」

 「分からない、でわたしが納得すると思ってるんですか?」


 思ってないけど、とベルは言い、それから急にわたしの背中に手を回して抱き寄せるのでした。


 「きゃっ…あの、ちょっとベルー?」

 「…でも、アコが無事で良かった」


 無事を疑うよーな真似したのはあなたの方でしょうが、と思って不満に鼻を鳴らすわたしです。

 まあでも、そーやってベルの胸に顔を埋めるのは悪い気分じゃなかったので、しばらくはしたいようにさせておこうと思います。ちょっと汗臭いけど、まあいい香りなんじゃないですかね、これは。そういえば一晩中こんな格好してたよーな気もする…。


 そのまま、しばし時間が過ぎます。

 倉庫の外は…割と静かです。この辺りでは今は荷物の出入りが無いのか、それでも屋根に穴が開くよーな騒ぎであれば、誰かしら確認に来てもいい気がするんですが。

 ベルは相変わらずわたしの背中に手を回したままです。時折撫でさするよーに上下するのがなんとも心地よいです。なんか愛撫でもされてるよーな気分…いえ、男の人にされたことはないのでハッキリとは分かりませんけど。


 しかし一体これはどーいうことなんでしょうかね。

 なし崩し的にベルと同衾…もとい、臥所を共に…これも一緒ですね。あーもー、並んで寝転けて、起きたらアプロが怒ってて。まあこれは当然だとしても、すわ一触即発かと思ったらベルのお目々が真っ赤に染まってわたしを抱えて逃げ出した。

 …うん、意味が分かりません。脈絡がなさ過ぎる。それでベル本人が「分からない」とか言ってるんではどーしよーもありませんて。


 「…ベル」

 「うん?」


 仕方ないですね。だったら、ケジメだけはつけて、今回はお終いとしましょうか。

 わたしは体を起こして、ベルの顔を見下ろす姿勢になります。


 「わたしにはいいですから、アプロには謝ってください。わたしも迂闊でしたから、一緒に謝ります。それでいいですよ」

 「…あいつに謝るのか?それはイヤだ。アコは私のもの…」

 「ワガママ言ってるんじゃありません」

 「いたっ」


 デコピンです。軽めですけど…。


 「ベルは今回困ったことをしたんです。あの部屋はですね、アプロがわたしに用意してくれたお部屋です。だからわたしの一存だけで、アプロが困るひとを入れたら…アプロが怒るのも無理ないんです」

 「……」

 「けど、わたしの部屋でもありますから、わたしがベルを上げるのは悪いことだとは思いません。ただですね、アプロが面白くない気持ちになることは、ちゃんと認めてあげてください」

 「……分かった」


 いい子ですね、とうっすら笑うとベルの赤い目の輝きも少し薄くなったようでした。


 「じゃあベルはどうすればいいか、分かりますね?」

 「ん…アプロに、謝る」

 「そうですね。わたしも謝ります。それでお終いにしましょう?」


 ようやくベルが、その無表情な顔に安堵の色を浮かべるのでした。やっぱり笑うとかわいい子なんですよね。


 「…さて、起きられますか?」

 「うん、大丈夫だ」


 それだけは心配でしたので、確認すると、問題はないようです。

 わたしとベルは立ち上がり、やっぱりあの部屋を飛び出した時のままの格好でいるのに気がついて、さてこれからどうしようかと困り果てるのでしたけれど。


 「アコっ!!無事かーっ?!」


 開いた屋根の穴から飛び込んできたアプロの姿に、そういえば最大の問題がまだ残っていたなあ、と冷や汗の垂れる思いが湧き起こるのでした。

 ぶっちゃけ、わたしとベルが並んで土下座して、アプロがにこやかに二人を許す…なんて事態になるとは、とても思えなかったんですよね…。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る