第11話 土用の泥鰌の日
土用の丑の日にうなぎを食べる。これは、勘違いから始まった習慣だ。一説には、平賀源内が嘘を広めたとのこと。二百年以上前の人間のフェイクニュースに騙されているなんて、日本人ってどうしてこんなに感化されやすいのだ?
正しいことを教えよう。本来は丑の日に食べるのは泥鰌だったのだ。えっ? 聞いたこと無い? そりゃそうだ。東北の一部の習慣だったからだ。
泥鰌は元々、土壌から来ている。田んぼの土を耕す。豊穣を期待する。そんな風習が丑の日に食する泥鰌だったのだ。しかも、泥鰌の食べ方は一種類だけではない。夏祭りとして、村の人々が泥鰌を持ち寄って色んな種類の料理を作り酒を飲む。
それがあるべき習慣だった。そして、その祭りはお見合い的な意味合いも持っていて、祭りの中で気があった同士、そのまま夫婦になるというのが通例だった。
泥鰌が精をつけるのだから、理に適っていると言える。料理を一緒に食べ、元気になったところで夫婦となり、気付いたら翌春に子供が生まれるって話だ。
だから、この地方の誕生日は二月、三月が多い。今では風習は残ってはいないが、慣習とでも言うべき生活様式はそのまま引き継がれているのだ。
さて、この風習を現代にも蘇らせよう。そう発案されて政府開発援助が投入されたのが昨年のことである。男女共同参画センターからの支援と揉めたと権益争いで揉めたとか揉めないとかは一悶着あったようだが、そのことはどうでも良い。
楽しそうな祭りではないか。そう思い参加した。ええ、目立って参加したはずだったのに、誰とも意気投合することは出来なかった。否! 意気投合したさ、お互いに独り身だった男性らと。別に、女だけが人生じゃないって話し合ったね。やっぱり、意味ないな。丑の日なんて。結論づけたのさ。みんなで。
えっ? 泥鰌の日にそれじゃどうじようもない? お粗末さまでした。
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