第3話 そういう意味じゃなくて

「つまり、姉ちゃんは、そのエビやくの眼鏡店員が好きなんだな?」


 念を押すように尋ねると、姉ちゃんの顔はさらに、ぼっ、と赤くなった。それが答えだとでも言わんばかりに、今度は頷くこともなく、ただ気まずそうな顔をしている。


「俺、覚えてないんだけど。そいつどんな感じ? 身長は? 俺よりデカい?」


 身を乗り出し、顔を近付ける。耳まで真っ赤になっている姉ちゃんが熱を発しているように見えて、ちょっとたじろいだ。姉ちゃんの方はというと、特に引くわけでもなく、ただただ赤い顔のままじっとしている。


「背は……ようの方が大きい、かな。そんなに低いわけじゃないけど」

「俺より小さいのは駄目だ」

「ちょっと、何で陽が決めるの!?」

「そんで? 厚みは?」

「あ、あつみ? 何の?」

「身体の。まぁ仮に俺よりちょっとくらい小さいとしても、だ。がっしりしてんの? どうなんだよ?」

「えぇ? 何それ。でもすらっとしてる人だから。そんなにムキムキしてないと……思うけど……?」

「ブブー、そんじゃ不合格ー」

「だから何で陽が決めるのよ!」


 小さな手をぎゅっと握ってテーブルを叩く。もちろん手加減はしてると思うけど。まぁ最も、彼女が全力で叩いたところで、テーブルが割れるわけでもないし、その衝撃でカップが倒れるなんてこともない。


 その手も昔はそりゃ大きく見えたものだ。子どものうちは――っていまもまだ子どもだけど――男だから身体が大きいとかそんなことはなく、姉ちゃんは『姉ちゃん』と呼ぶにふさわしいほど大きかった。

 だけど、小学校に入って、俺が4年生、姉ちゃんが5年生になった辺りから、急に逆転したのである。


 姉ちゃんの成長が特別ゆっくりだったわけでも、止まったわけでもない。とにかく俺が急にデカくなったのだ。追い越したのは姉ちゃんだけではなかった。クラスメイトもどんどん追い越し、全校集会の整列の際もどんどん後ろに回されるようになった。


 で、気づけば一番後ろ。

 現在177cm。そんでもって、もちろんまだ伸びてる。姉ちゃんは155……くらいかな。小さいように見えるけど、女子高生の平均身長ってところだろう。

 でもまだまだデカくならなくちゃ。隣のクラスの岸田は180越えてるし。それから、身体も鍛えないといけない。上下関係とか拘束されるのが嫌で運動部には入らなかったから、自主的に鍛えないといけないのだ。


 それもこれも全部姉ちゃんを守るためだ。

 姉ちゃんを安心して任せられるやつが現れるまでは俺が守らなくちゃいけないんだから。



「お前がそれになろうとは思わないわけ?」 


 親友にその話をした時、そいつは呆れたような顔でそう言ってきた。


「それに? 何に?」

「だから、その彼氏が出来るまでのツナギとかじゃなくてさ。お前が彼氏になれば良いんじゃねぇの、ってこと」


 学年一背がデカい岸田は、窮屈そうに身体を丸めて机に肘をつき、牛乳をごくごくと飲んでいる。1リットルのパックにストローを差して。以前直接口をつけて飲み、派手にこぼして母親から直飲み禁止令が出たらしい。

 

「何でだよ」


 そうか、やっぱり1リットルは飲まないと駄目なんだななんて思いながらそう反論すると、

 

「いや、逆に何でだよ」


 やはり呆れた顔で返してくるのである。


「姉ちゃん姉ちゃん言ってるけど、ガチの姉ちゃんじゃないんだろ?」

「まぁ、ぶっちゃけただのお隣さんだからな」

「好きなんだろ?」

「そりゃ当たり前だろ」

「当たり前の意味わかんねぇけど」

「お前も姉ちゃんいるじゃんか、好きだろ?」

「まさか。全然好きじゃねぇわ。家族だから一緒にいるってだけだし。むしろうぜぇ。いらねぇ」

「は? まじかよ」


 俺はその時知ったんだ。

 兄弟姉妹への『愛情』ってやつは、標準装備されているものではないらしい、ということを。そりゃ個人差くらいはあるだろう。だけど、それはツマミが『弱』か『強』かの違いってだけで、まさか『0』や『マイナス』があるなんて思っていなかったのである。


「お前のその『好き』は絶対じゃねぇ。ガチなやつだって」


 と、何か腹立つ顔のままきっぱりとそう言い切られた。


 その時俺は言い返したんだっけか。そんなことはない、とか。それとも、言い返せなかったんだっけか。それは覚えてない。

 だけど、何か頭がぐわんぐわんってなったのだけは覚えてる。よく小説なんかで『頭を鈍器で殴られたような』なんて表現があるのを「そんなわけねぇだろ」って笑ってたのに。あぁ、これがそうなのかなんて思ったりして。


 生まれた時から一緒にいるんだ。

 本当の姉弟みたいに育ってさ。どっちの家も共働きだから、どっちかの家で一緒に留守番してた。偶数月の月水金は俺ん家で、火木が姉ちゃん家、奇数月はその逆、とかって決めてさ。

 ここだけの話、そこそこ大きくなっても一緒に風呂に入ったりもしたしさ。俺が小3、姉ちゃんが小4だ。よくおじさんおばさんが許可したと思う。


 別に異性として意識したわけじゃないし、毛が生えたとか、胸が膨らんできたとかそんなんでもないけど、何となく一緒に入らなくなった。


 たぶん見たいテレビがバラバラだったとか、そんな理由だったと思う。俺がロボットアニメを見てる時に姉ちゃんが風呂に入って、そんで、姉ちゃんが好きなアイドルの番組を見てる時に俺が入る、みたいな。そうこうしているうちに別に一緒に留守番しなくても良くなって――、って。


 でも、姉ちゃんは頭良いからさ、テスト前とか宿題とかだいぶ助けてもらったけど。


 な? だから俺は『弟』で、姉ちゃんは『姉ちゃん』なんだって。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る