第2話 手作りクッキーと牛乳で

「美味ぁ……」


 姉ちゃんが焼いてくれたクッキーは、なんていう名前なのかはわからないけど、ココアとプレーンの2色がチェックになっているやつだ。甘いプレーンとほろ苦いココアが同時に楽しめて、食感もサクサク。姉ちゃんは昔から何かあるとすぐこのクッキーを作るのだ。小さい頃はおばさんと作っていたのだが、6年生くらいになるともう1人で作るようになった。


「たくさん食べてね。たくさん作ったから」

「言われなくても」


 手作りのお菓子っていうのは、どうやらたくさん出来てしまうものらしい。姉ちゃんは、やれバレンタインだ、誰かの誕生日だとその度にどっさりと作り、その残りすべてを俺にくれるのだ。処理班、なんて言葉もよぎったし、実際に言われたこともある。だけど別にそれで構わない。クッキーは好きだし。なんたって姉ちゃんが作ったやつなんだから。


「そんで? 何があったんだよ」

「何よ」

「さっき。元気なかったじゃん」

「別に元気なくなくないもん」

「だからそれだと結局元気ないってことになるんだって」

「ええと……、元気なくなくある」

「どうしてその『元気なくなく』にこだわるんだ」

「ううううるさい!」

「俺うるさくねぇし。声デカいのは姉ちゃんの方だからな」


 クッキーをさくり、とかじる。姉ちゃんはふくれっ面のまま俺のカップにとくとくと牛乳を注いでいる。いつの間にか俺専用になっている、ちょっとリアルな牛のイラストが描かれた白いカップだ。牛乳ばかり飲んでいるからか、俺の身長はクラスで一番デカい。


「昨日、見たの」


 自分のカップにも注ぎ、パックを、とん、とテーブルに置いて、姉ちゃんはぽつりと言った。その続きを語る前に、注いだばかりの牛乳をちびりと飲む。姉ちゃんも牛乳は良く飲んでいるはずなのに、なぜか小さい。


「何を」


 そう促すと、姉ちゃんは、ちょっと口を尖らせて「急かさないでよ」と不満気な声を漏らしてからカップを置いた。フランス語かイタリア語か、とにかく英語じゃなさそうな言葉で何らかの文章が書かれているデザインのカップだ。


梧桐ごとう先輩っているんだけどね」


 その言葉にどきりとした。その先輩って男か? と聞きそうになって止める。姉ちゃんは女子高に通ってるんだぞ? 先輩だって女に決まってるだろ。


梵天町ぼんてんちょうのゲーセンの前でね、男の人と歩いてて」

「ふうん」


 ほら、やっぱり先輩は女だった。


「手繋いでて」

「彼氏とだったら手くらい繋ぐだろ」

「そうかもだけど……」


 そう言って、姉ちゃんは、ぷくりと頬を膨らませた。


「私、繋いだことない」

「だって姉ちゃん彼氏いたことないじゃん。――口の端っこにカスついてんぞ」


 不服そうに頬を膨らませている姉ちゃんの口の端をティッシュで拭うが、それを嫌がる様子もない。ちょっと潤んだ目を細めて俺から視線を外し、されるがままになっている。


「陽はあるの?」

「あるよ」

「彼女いたの? いつの間に!?」

「別に彼女はいねぇけど」

「彼女じゃない女の子と手繋いだの?」

「彼女じゃなくても手くらい繋いだって良いだろ」

「お姉ちゃん、そういう不真面目なのは許しません!」

「急に姉ちゃんぶりだしたな。良いじゃん別にキスしたわけでもないんだし」

「キッ――!? ちょ、ちょっとぉっ!?」

「だから、してないって。落ち着けよ姉ちゃん」


 真っ赤な顔で抗議する姉ちゃんの前に牛乳のカップを置くと、彼女は、さっきまでちびちび飲んでいたそれを一気に飲み干し、たん、と気持ち強めにテーブルへ戻した


「いや、俺のことは良いんだ。それで? その梧桐先輩が彼氏と手を繋いでたのがショックだったってだけ?」

「まぁ……そうなんだけど……」

「そんで、昨日の話がいまになって効いてきたってわけか」

「うぅ……」


 おーおー、随分と繊細なことで。

 成る程、その梧桐先輩とやらがどんな人かはわからないけど、姉ちゃんはアレだ、つまりは男女の交際っていうのがもっと清らかなものだと思ってたんだろう。それにまだ学生だしな。そりゃその年で何も知らないってことはないんだろうけど、少なくとも未成年のうちは――くらいは思ってたのかもしれない。いやいや手くらい良いだろ。繋がせてやれよ。


「その梧桐先輩はそういう人だったってことだよ。嫌なら姉ちゃんはしなきゃ良いってだけの話だろ」

「違うの」

「何が違うんだよ」

「梧桐先輩、先週は違う人と付き合ってたの」

「うん?」

「それで、先々週はまた違う人で」

「え? ちょ?」

「さらにその前は――」

「ストップストップ! は? 何? どういうこと? とっかえひっかえってこと? それとも……まさか同時進行じゃないよな?」


 その問いに、姉ちゃんは目を泳がせた。成る程、同時進行パターンか。


「ええと……、つまり、アレだな? その梧桐先輩がまた新しい男と歩いてたのがショックだったってことだな?」

「……それもちょっと違うの」


 皿の上のクッキーはもうだいぶ少なくなっていた。

 すっかり空になっているカップに残りの牛乳を注ぐ。


「梧桐先輩の相手の人。『エビやく』のお兄さんだったの」

「エビ薬? どこの」


 エビやくというのは、『エビス薬局』という名前のドラッグストアチェーン店だ。市内に3店舗くらいある。


「学校の近くの花園店」

「花園のエビ薬かぁ……」


 高校生のアルバイトかな。いたかなぁ、男の学生バイト。それとも正社員か……。いや、そもそも『お兄さん』なわけだから、高校生じゃないのかもな。


「登録販売者さんでね、バイトなのか正社員なのかはわからないんだけど。黒い縁の眼鏡をかけててね、それで……」

「何だ、やけに詳しいな」


 そこで姉ちゃんは、ぐぅ、と喉を詰まらせた。

 皿の上に残っていたクッキーを一枚とり、それを口の中に放ると、鼻の穴を膨らませながらもごもごと噛み、牛乳をごくりと飲んだ。


「もしかして姉ちゃん、そいつのことが……?」


 と、恐る恐る尋ねると――、


 姉ちゃんは真っ赤な顔でこくり、と頷いた。


 

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