俺の姉ちゃんは、俺の姉ちゃんではない。

宇部 松清

第1話 お隣に住む俺の姉ちゃん

 春すぎて 夏にけらし 白妙しろたへ

  ころもほすてふ あま香具山かぐやま



 俺の部屋から見えるのは、はたはたと風になびく真っ白なシャツ。

 古典の授業で白い服がどうたらこうたらって和歌を習ったなぁ、なんて思い出す。


 似たような建売の家が立ち並ぶ住宅街に、仲良く並んだ青柳あおやぎ家と、白瀬しらせ家。双子みたいだねって小さい頃のはよく言ったものだ。

 それぞれの玄関ポーチには、近くのホームセンターで買って来た同じ寄せ植えのプランターが置いてある。そんなところまで双子にしなくても良いじゃないかって俺は言ったんだけど、ウチとお隣は母ちゃん同士も仲が良くて、お揃いにしたかったらしい。


 別にやらしいもんを期待してるわけじゃないけど。


 そんなことを考えつつ、爽やかな青空に映えるその真っ白いシャツをぼうっと眺める。あれは、姉ちゃんの通ってる女子高の制服のシャツだ。胸に校章が刺繍されてる。紺色と金色の糸でさ。だからその辺のシャツじゃ駄目なのよ、っておばさんが愚痴ってたっけ。私立の女子高ってそういうとこにも金かかるんだなぁ。


 ――俺? 俺は共学だよ。公立の。大してレベルが高いとこじゃない。姉ちゃんみたいに頭良くないし。いや、頭が良くたってそりゃ女子高には入れないけど。


 といっても、もちろん本当の姉ちゃんではない。

 いうなればただのお隣さんで、単なる幼馴染み。だけど、俺達はどっちも一人っ子で、俺はそのお隣の女の子を『姉ちゃん』と呼んでいるし、その姉ちゃんの方でも俺のことを『弟』だと思っている。


 

 その『姉ちゃん』――白瀬悠月ゆづきは俺より一つ上の17歳だ。髪が長くて、ちっちゃくて、結構気が強い癖に泣き虫で。でも笑うと左のほっぺたにえくぼが出来て可愛い。


 中学の時は俺の周りにも「白瀬先輩って可愛いよな」なんてへらへら言うやつがいたりして、「俺の姉ちゃんに近付くんじゃねぇ」なんて胸ぐら掴んだこともある。俺が認めたやつならまだしも、そいつなんて論外だったから。


「……ブラジャー飛んでこねぇかな」


 そんなことをぽつりと呟く。前に一度だけ、風の強い日に上手いこと飛んできたことがあったのだ。成る程、これが巷で言う『ラッキースケベ』ってやつなんだな、ってしみじみ思いながら、Bの65ってサイズ表記のある、キャラ物のそれをしげしげと眺めたものである。やっぱちっちぇな、って言葉をぐっと飲みこんで「もっと色気のあるやつにしろよ」と言ったら、何かすげぇ怒られたけど。


 そのちっちぇブラジャーの本体の方――じゃなかった、姉ちゃんが歩いてくるのが見えた。

 

 2階から見下ろす姉ちゃんは、何だかいつもより元気がない。気のせいだろうか。


「姉ちゃーんっ、お帰りーっ」


 そう叫びながらぶんぶんと手を振ると、姉ちゃんはびくっと肩を震わせてから、恐る恐る俺を見上げた。


「……ただいまぁ」

「姉ちゃん、元気なくない? どうしたんだよ」

「元気、なくなくないもん」

「なくなくない、って……。そんじゃやっぱり元気ないんじゃんか」

「ううう……、あるもん!」


 2階の窓から身を乗り出す俺と、俺を見上げる姉ちゃん。構図だけ見ればちょっと『逆ロミオとジュリエット』に見えなくもないんだけど、内容はそれとかなりかけ離れている。愛の言葉を囁く代わりに、元気があるだのないだのと叫んでいるのだから。


「いまそっち行くから! そこ動くな!」

「来なくて良いっ!」


 真っ赤な顔でそう叫ぶ姉ちゃんを無視して部屋から飛び出し、階段をかけ下りる。スニーカーを歩きながら履いて玄関のドアを開けた。


 来なくて良いなんて言ってたから、もしかしたらもう家の中に入ってしまったかも、なんて思っていたけど、姉ちゃんはまだそこにいてくれた。真っ赤な顔で、ちょっとむすっとしていて、それで――、


 ちょっと涙ぐんでた。


よう……」

「ちょ、何。姉ちゃん何で泣いてるんだよ。誰だよ姉ちゃん泣かせたやつ」

「別に泣いてないよ」

「泣いてんじゃんか。誰だよ。言えよ、俺がぶん殴ってやるから」

「もう、止めてよ! 陽は短気すぎる!」

「別に短気じゃねぇし」


 心外だ。

 俺はどちらかといえば温厚だと思ってるし、ちょっとやそっとのことじゃ怒ったりしない。こないだ姉ちゃんが俺のプリンを食っちゃった時も「良いよ良いよ」で済ませたの忘れたのかよ。


 腕を組み、ふん、と鼻を鳴らす。だいたい姉ちゃんが泣き虫なのが悪いんだ。姉ちゃんがすぐめそめそするから、俺が守ってやらなきゃなんないんだろ。


「……いまからクッキー焼くけど」

「――うん?」

「食べるでしょ?」


 組んでいた腕を、ぎゅう、と掴まれる。ちっちゃくて、白い手。細い指の先っちょに、うっすら桜色の小さな爪がある。その爪が痛くない程度に食い込んでいる。


「さ、行こ行こ」

 

 さっきの沈んだ様子でも、かといって怒ったような声でもない、ちょっと甘えたようなトーンで、ぐいぐいと引っ張る。もちろん姉ちゃんの力なんて弱いから、振りほどくのは簡単なんだけど、俺はちょっと渋々を装って白瀬家の門をくぐった。


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