第9話 ただの人間だということを誇りに③


 USF日本支部に出動のサイレンが鳴る。

 総理大臣から、出動命令が降りたのだ。


 東京池袋の巨大建造物、サンシャイン60が、突如白黒写真のように色を失った。

 中にいた人々はサンシャインの外へ押し出され、怪我人も出ている。


「くそっ」


 本岡源一郎は、何度目かの舌打ちをした。

 自分の判断は、完全に裏目に出た。


「新宮鉄心というのは、運がいいのか悪いのかわからんな」


 日本支部長の、グラント・コールマンがつぶやいている。


「あの馬鹿、家でおとなしくしてろつったのに」

「だがそのおかげで、状況の把握が迅速に行えた」


 鉄心には、USFの隊員を2人、極秘裏に張り付かせておいた。ハザードに正体が割れていないと思っていたので、そう判断した時は、グラントに過保護だと源一郎は笑われたものだ。

 それが幸いした。張り付いた隊員の報告では、サンシャインが白黒になる直前、小さなブラックホールのようなものに、何十人の人間が吸い込まれるのが見えたというのだ。その中には、新宮鉄心と、USF隊員の影井草介上等軍曹も含まれる。


 鉄心を狙った攻撃かどうかが、源一郎には判断できなかった。鉄心が薄金だと知っていてやったのなら、こんな回りくどいことをせずに、直接攻撃すればいいという気もする。


 腕時計に、源一郎は指先を置いた。薄金へ変質することを許すこの装置の名前は、『天涯器てんがいき』。天涯器は、一度天鎧機甲を装着した者の状態を、記録する。それで、鉄心の生命反応を確認した。


「鉄心は……生きてはいる。深刻な傷を追ったようでもない」

「吸い込まれただけというわけか。とすれば、他の人間も生きている公算が高い」

「手を変え品を変え、ったくとんだマジシャンどもだな」

「源一郎、彼と連絡を取る手段はないのか?」

「無い。スマホは当然通じねぇし、天涯器でわかるのは生存状態ぐらいだ。あの、白黒がどういう原理かわからねぇが、ちょっと厄介なことになってんな」

「人質を、取られた形か」


 グラントが、うめく。


 ハザードを相手にすると決めた時から、彼らの魔術じみた能力は厄介だとわかっていた。

 純粋な戦闘において、薄金の優位は揺るがないが、対処の困難さはどうにもならない。今なお、ハザードの目的すらわかっていないのだ。


 しかし、何故。もう一度、疑問を振り返る。

 あの日の薄金が、新宮鉄心だとわかったのか。そうと知った上で、攻撃を仕掛けているのか。

 そもそもなにを狙っているのか。


 天涯器を渡しておくべきだったか。つかの間、後悔する。しかし、相手がそれと知って鉄心をさらったのなら、薄金を無力化する方法ぐらい考えているだろう。最低でも、戦わなくて済む方法を考えるはずだ。


 陸上自衛隊、特殊作戦群出身の、影井が一緒なのがせめての救いだった。ずば抜けた忍耐力を評価されて、USFに入った男だ。こういう状況で、判断を誤ることはないだろう。


 いつまでも慣れない軍服に、源一郎は袖を通す。USFの司令室では、様々な通信が飛び交っていた。第一陣が、現場に到着するという報告が入り、モニタの一つが切り替わる。

 野次馬が多すぎて、先発のオスプレイは着陸に四苦八苦していた。群衆の整理を行う警官隊も、まだ現場には到着していない。ハザード事件全般に対する、人々の能天気さが、ただ歯がゆい。


 闇から闇にすべてを葬ってきた、十年前とはすべてが違う。敵に対して、すべての力を向けることが出来ない。


 先発隊が、やっとサンシャインの入り口に張り付いた。


『見えない、壁らしきものがあります』


 モニタの先にいる部隊長が、そう報告する。


「群衆を退避させたら、C4を使ってみろ」


 源一郎が言うと、部隊長はかすかにうなずいた。

 ようやく到着した警官隊が、ロープを張り、群衆を遠ざける。奇妙な光景だった。見えない壁に対して、指向性の爆薬がセットされる。


『5……4……3……』


 爆発音がして、噴煙が立ち込める。しかし、自動扉は無傷だった。隊員が建物に近寄るが、やはり見えない壁に阻まれる。


「チッ。ミサイルでもぶちこみてぇな」

「長くなりそうだ」

「せめて内部と連絡が取れりゃな。敵の攻撃を受けている可能性は、低いと思うが」

「源一郎。新宮鉄心の扱いを、君は誤ったな」

「わかっている。俺のミスだ。薄金にした時点で、鉄心をUSFに閉じ込めときゃよかった。言い訳するつもりはねぇ」

「そうではない。責めるつもりもない。もっとも、十年前、君たちを敵と判断した我々に、君を責める資格などないがね」


 グラントは、ゆったりとした笑顔をこちらに向けていた。組織とは不思議なもので、どんな緊急事態でも、ボスが落ち着いていれば冷静さを失わないというところがある。だからこの男は、めったにうろたえない。


「十年前のことはいいんだよグラント。で、なんだ?」

「もう少し、ハザードに身を入れてくれ。現実に起こっている事件に対して、最適な行動を取るんだ。君が十年前からまだ進めていないのを承知の上で言う」

「……参ったな」

「源一郎。君の想念とは別に、この国が攻撃にさらされているのは事実だ。新宮鉄心を、薄金として鍛え上げ、運用することに、君は徹すべきだよ。今の君は、任務に対してベストを尽くしているとは言えない」

「……」

「ハザードに対して、君はきちんと危機感を持っているか? 一般市民ほど脳天気でなくても、彼らを野放しにしても大したことにはならないと、どこかで思っていないか。十年前のような惨状はもう起きないと心のどこかで決めつけているのなら、君はUSFを理解していない。わかっているだろう?」

「ああ……。USFは、十年前の、反省から生まれた」

「なら、これ以上は言わない。これは上司の小言ではなく、友人としての忠告だ。後は、私は私の仕事をするとしよう」


 グラントが立ち上がる。これから、関係各所への調整を行うのだろう。この男の調整力なくして、USFが日本で活動することは不可能だった。


「チッ、グラントのやつ」


 痛いところを、突かれた。ベストを尽くしていないというのは、的を得ている。


「ヒガシ、現場に前線基地を作る。必要な資材と人員を頼む。それと、ありったけのハザードに関する資料も」


 待機していた、隊員に声をかける。


 時計を見た。午後7時。今夜の徹夜は、覚悟しなければならないだろう。


「しゃあねぇ、本気でやるか」




「夢……じゃねぇか」


 鉄心はベッドから、起き上がった。時計は午前6時を指している。

 世界はまだ、影絵のように白黒だ。


 サンシャイン60の、最上階付近にあるホテルである。多分、数万円は取られるような客室も、今は使い放題だった。なにしろラトゥールに閉じ込められた40名以外、この巨大建造物には誰も誰もいない。緊急事態ということで、客室の無断使用も、許されるだろう。


 ただ、40名は同じ階層で近くに固まっていた。カップルや夫婦以外の、男女は分かれている。


 なんとなく鉄心は、葛城佳乃と名乗った女の子のことを考えた。10歳だが、1人で池袋に来ていたという。自分が薄金でであるせいで、巻き込んでしまったという想いもあるが、同時になにをしていたかも気になった。

 子供は、大人よりも残酷さをむき出しにする。それを鉄心はよく知っていた。だが、あの娘は、優しい。それはどちらかと言えば、自分自身を傷つけてしまう優しさのような気もする。そんなこと、新宮鉄心が、気にする筋合いでないこともわかっているが。

 美少女で、あれだけ優しいのなら、クラスの男子はほとんど佳乃に夢中だろう。白黒の天井を見上げながら、鉄心はなぜかそんなことを考えた。


「ったく。オレはラ・デエース一筋だっての」


 ぼやきながら、起きる。


「起きたか」


 同室の、USF隊員の影井草介は、書き物をしていた。


「なにしてるんスか?」

「食糧の計算だ。正確な統計はまだだが、ホテルやショップのものをかき集めれば、40人いても2ヶ月以上はもつ」

「そんなにッスか?」

「食い延ばして3ヶ月。施設は広いし、娯楽もある。だから妙だ」

「妙?」

「薄金を殺すのがラトゥールの目的だろうが、長期生存が可能な環境に閉じ込める理由がない。ストレスも、溜まりにくい状況だ」


 影井が、耳元でぼそぼそと話す。盗聴を警戒しているのだ。


「なにかやってくるってことですかね?」


 同じく鉄心も、声をひそめた。ただ、ハザードは魔法のようなものを使っている。こういうやり方が有効かどうかは、わからなかった。


「直接的な戦闘を避ける方法でな。ラトゥールはあれだけの力をもっていながら、薄金に戦闘力で劣ることを認めている。この謙虚さは、厄介だ」

「うーむ。いまあの野郎に襲われたら、簡単に死にますけどねオレ」

「その自覚は重要だ。薄金になれないことを悟られるな。そして、決して正体を知られるな。ラトゥールが君の装着不能を知れば、直接的な攻撃をしかけてくるかもしれん」

「そうなると、ゲームオーバーッスか……」


 とっさに鉄心は、胸に隠した拳銃に触れた。初めて持ち歩く銃器が、これほど頼りないものだとは思わなかった。


「そうだ。体力を温存し、健康を保ち、待つことだ。USFは必ず救援に来る。それを我々2人は、最後まで信じる必要がある。だから下手に動くな」

「ウス」

「他の40人が、どれだけ絶望しようとも、だ。冷静さを失うな」

「……ウス」


 新宮鉄心にとって、それが一番難しい。

 それを見抜いてた上で、影井も言っているのだろう。


「影井さん。オレに出来ることなにかありますかね?」

「そうだな。力仕事とかあれば、出来るだけ手伝ってやれ。閉じ込められている人間は、女性が多い」

「いや、そういうのも大事ッスけども……。ほら、異変の調査とか、USFとしての仕事があるじゃないッスか。そういうのなにかないんスか」

「ない」

「……またハッキリ言いますね」

「素人がこの状況で、下手に動くものじゃない。救援が来るまで、おとなしくしているのが賢明だ」


 影井の表情は、喋っていてもほとんど変わらなかった。


「かーっ。なにもできねぇ奴は隅っこで震えてろってことッスか」


 苦笑いを浮かべる。すると影井が、少し不思議そうな顔をした。


「なにを言っている。君にはやることがあるだろう」

「へ?」

「監禁状態から脱出したら、君はすみやかにラトゥールを制圧する必要がある。薄金となってな。その大事な任務を忘れてもらっては困る」

「へっ、ヘヘッ……そうッスね」少し、鉄心の鼻がツンとした。USFの隊員に、戦力として期待されているという事実が、なぜかむしょうに嬉しかった。「オレがラ・デエースに代わって、あいつをぶっ倒さねぇといけないッスね」


「そうだ。だから、決して無理はするな」


 影井の無表情は、やはり変わらなかった。

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守護の女神と醜い少年~ただし、彼はヒーローである~ 老亀 @rouki72

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