第8話 ただの人間だということを誇りに②
白と黒で構成された廊下の空気が、冷える。
色とりどりの、店舗のディスプレイがモノクロームに変わった情景は、寒々としたものを鉄心に感じさせた。
「察しの良い諸君のことだから、わかっていると思うが、君たちは閉じ込められた。この、影の世界にな」
陽炎のようにゆらめく、
数十人が、サンシャインの噴水広場に集められていた。
薄金になれれば。
ただ、あの影をぶっ飛ばせるのかどうかはわからない。
「先に宣言しておく。諸君の中に薄金が居る。私の目的は、彼の殺害である」
この野郎。
わめきそうになる自分を、鉄心はかろうじて抑えた。
同時に、恐怖が足元から、冷気のように押し寄せてきた。狙われている。正体が知られれば、殺される。
考えろ、と言い聞かせる。今の新宮鉄心は、少々人より喧嘩が強い程度の、ハナタレに過ぎない。
「諸君の中にといま言ったが、どういうことだ? USFは、薄金は試作中の兵器であるとして、人であるともなんとも話していない。なぜあなたが、薄金が人間であると断定できる? まして、ここに居るとなぜ確信している?」
がっちりとした体格の、20半ばぐらいの男が進み出て、そう言った。
少し、鉄心はその言葉に意表を突かれる。その通りだ。正体がバレているなら、新宮鉄心だけを狙えばいい。
「説明するつもりはない。だが、1つだけ話してもいい。薄金の正体がわかったのは、
「んなッ……!?」
思わず、鉄心は声をあげた。
「ほう。そこの、面白い顔の少年。それほどおかしいかね?」
殺される。薄金になっていたときには屁でも無かったむき出しの殺意が、心臓を掴む。
「面白いは余計だクソが! それよりふざけんじゃねぇ! なんで
殺すなら殺しやがれ。小便漏らしそうな恐怖と付き合いながら、鉄心は開き直った。震えたまま死ぬよりは、意地はって死んだほうがマシだ。
「諸君は知らないだろうが、USFとラ・デエースは対立関係にある。つまり、彼女たちにとって薄金も敵。手を組める箇所というのは、あるのだ」
「んだとテメェ……。あんな優しい人達が、そんなことするかよ!」
「狂信者かね君は。ずいぶん、ラ・デエースが好きなようだが。あるいは、君が薄金だったりするのかな」
「ハッ、かもしれねぇぜ!?」
「まぁどちらでもいい。ここに居る者には、全員死んでもらう。今更、犯人探しをするつもりはない」
興味を失ったように、
さらになにか言ってやろうかと思ったが、服を引かれていることに気づいた。
「駄目……駄目です……。もうなにも言わないほうが良いです……」
鉄心の服を引っ張っていたのは、先程の少女だった。
10歳ぐらいだろうに、ひどく色気があるようにも見えてどきりとする。そんな彼女が、蒼白な顔で首を振っている姿は、なんとなく心にくるものがあった。
「ああ。そうだな……ありがとよ」
急速に、怒りが冷えていく。裏返しに、恐怖がやってくる。
なにをやっているんだ。こんなところで、意地を張ってもしょうがない。
言いたいことがあるなら、薄金を装着してから、いくらでも言ってやればいい。今は目をつけられるだけで、逆効果だ。
オレの理性は、小学生以下か、と。苦い自嘲を噛み潰す。
気づくと、周りの人間も、冷え冷えとした視線を鉄心に向けていた。鉄心の醜さに驚いたのか、何人かが眉間にシワを寄せていた。今までの人生で、嫌というほど向けられた、侮蔑を籠めた視線。慣れていた。
「どちらにせよ、こちらに居る薄金に宣告する。苦しんで死ね。さらばだ」
場にいた人間が、ざわつく。ただ、やはり切迫感はなかった。
「なにがしたいんだ、あのハザードは?」
誰かが漏らした声。それに関しては、同感だった。
何人かが、寄り集まって話し合いを始めた。鉄心はそれに参加する気にはなれず、目を閉じた。
新宮鉄心を、薄金を、あなた達の味方だと、ラ・デエースに信じてもらう方法はないのか。しかし、依然として新宮鉄心は、USFですらない。土俵にすら、立っていない。
周りに目を向けた。噴水広場の水は、触れる。建物の壁も、特におかしなところはない。ただ一点、すべてのものの明度が低く、影のようになっている。その中で、生きている人間や、その衣服だけが、現実の鮮やかさを持っていた。
照明も光っている。ただ、影絵の世界に迷い込んだような薄暗さは、どうしようもない。
監禁されているのだろうが、一度、出口には行ってみるべきだろう。ここで考え込んでいるよりは、マシだった。
「君、一緒に来てくれ」
先程
鍛えこんでいるのだろう。全身が、盛り上がっている。目つきだけがどことなく暗いが、黒い短髪とも相まって、精悍な男だった。
「オレっすか?」
「二人一組で分かれて、建物を調べたい。とにかく状況を把握したいんだ」
「押忍」
「女性陣は動かず、ここで残っていてくれ。それぞれが各階に分かれて探索する。60分以内には、噴水広場に戻ること。スマホの電源は、必要ないなら切っておいてくれ。長丁場になるかもしれない」
てきぱきと、男が指示を出す。なんとなくという形で、皆がそれに従っていた。なんとなく、慣れた感じがある。
集団の7割は、女性だった。全体的にみな若い。なんとなく、鉄心には苦手な雰囲気ではあった。
「行こう。俺たちはB1出口に行って、戻る」
男と並んで、鉄心は歩き出した。
建物の中は、ほとんど人の気配が無かった。照明がついているのに、ホラーゲームのような薄暗さが、静寂に拍車をかける。影の世界に、足音だけが響いた。
「おじさん、名前なんて言うんスか?」
静寂に耐えきれず、鉄心は話しかけた。
「名前を尋ねるなら、自分から名乗るもんだ」
「オレの名前は知ってるんじゃないスか?」
言うと、男が足を止めた。こちらを値踏みするような、視線を送ってくる。
「ただの馬鹿じゃ、ないようだな。USF日本支部所属、影井草介、上等兵曹だ。どこで気づいた?」
「1人だけ、状況がわかってるって感じでした。やばい状態だってわかってて、それでいて冷静になろうとしている感じがあったんで。でも、確信を持ったのは、オレを指名したことッスね。こんなツラしたのを、影井さんみたいないい男が、声をかけるのは理由がなきゃおかしい」
嗤いを、噛み殺す。
人間の印象は、最初の5秒で決まる。そして、人は見た目で印象を決める。そう言ったクソ野郎は、誰だったのか。
どちらにせよ新宮鉄心は、集団のリーダーになってしまっている影井のパートナーとしては、あまりに不自然だった。
「そうか。いろいろ、考えてはいるんだな」影井が、懐から拳銃を一丁取り出し、それを鉄心に渡してきた「P226だ、持っていろ。銃を撃った経験は?」
「……ないッス」
「なら、人がいる場所では撃つな。たとえおまえが死ぬような状況でもだ。素人は、味方を撃つ可能性を無視できない。たった1人だけで、必要になったときだけ使え。もっとも、ハザードの化け物には気休めだが」
影井の言うことは、簡潔だった。どこか崩れている源一郎と比べると、いかにも軍人らしい。
「拳銃は両腕で持て。上から見て、二等辺三角形になるような感じで、しっかりと腕を伸ばせ。その姿勢を維持して、狙いを定めろ。それから……」
歩きながら、レクチャーを受ける。ただ、合間合間に、よほどの場合以外は使うなと、何度も念を押される。
拳銃の銃口は、いかにも小さかった。一時、国会でUSFが使う銃弾の大きさがどうのと話題になっていたが、こうやって触れるとわかる。こんな小さな銃では、ハザードには通用しないだろう。群れをなしている木人ですら、倒せるか怪しい
「いてっ」
出口の近くまで来ると、鉄心は見えない壁のようなものにぶつかった。
「行き止まりか」
影井が、慎重に通路を調べる。
よく見ると陽炎のように通路が歪んでいて、見えない壁を形成しているようだ。
「やっぱ閉じ込められてるんスかね」
通路の先に、地上への出入り口があるが、暗く外の様子は見えなかった。
影井が、近くに転がっていたモップを拾うと、それを何度か見えない壁に叩きつけた。影井は徐々に叩く力を強めていったが、やがてモップの方が耐えきれずに折れた。
「十分だ。一度戻る」
影井の冷静さは変わらなかったが、切迫感が増した。また、2人並んで行った道を戻る。
「あの、影井さんはなんでここに居たんスか?」
「新宮鉄心の護衛を、任務として命じられたからだ。本岡中佐からな」
「ゲンさんが……」
「中佐は、こうなることをどこかで予想していたのかもしれん。自分以外に、もう1人付いていたが、ここには居ないようだ」
「……なんで、オレが薄金だってわかったんですかね」
「わかってはいない。ただ、対象を絞り込んだだけだ。わかってるだろうが、薄金だと悟られるような行動は慎め」
「ウス……すいません」
「新宮鉄心。君を五体満足で家に帰す。それが私の任務だ。君もそれを忘れるな」
影井草介。やや暗い印象だが、精悍ないい男だった。
そういう男が、新宮鉄心の護衛についている。少し前までは、考えられないことだった。
「これから、どうなるんスかね」
「わからん」
影井の返事は、短い。しかしコミュニケーションを拒んではいない。
「わからないッスか」
「ただ、取り乱さないことだ。現状、40人近い一般市民と、異常な状況で共同生活を営むことになる。パニックになれば、悲惨なことが起こる。我々は、感情を殺して冷静でいることだ。40人が無事帰れるかどうかは、まずそこからだ」
「ウス」
影井草介という男を、なんとなく鉄心は好きになり始めていた。余計なものを削ぎ落としている雰囲気が、小気味よい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます