第8話 ただの人間だということを誇りに②

 白と黒で構成された廊下の空気が、冷える。

 色とりどりの、店舗のディスプレイがモノクロームに変わった情景は、寒々としたものを鉄心に感じさせた。


「察しの良い諸君のことだから、わかっていると思うが、君たちは閉じ込められた。この、影の世界にな」


 陽炎のようにゆらめく、ラトゥールが、そう宣言する。


 数十人が、サンシャインの噴水広場に集められていた。

 ラトゥールによって、この場に呼び寄せられたのだ。ほとんどの人間は、現実感がない様子で、ぽかんとした表情をしている。緊張感にも欠けていた。


 薄金になれれば。ラトゥールを睨みつけながら、鉄心はそう思った。

 ただ、あの影をぶっ飛ばせるのかどうかはわからない。


「先に宣言しておく。諸君の中に薄金が居る。私の目的は、彼の殺害である」


 この野郎。


 わめきそうになる自分を、鉄心はかろうじて抑えた。

 

 同時に、恐怖が足元から、冷気のように押し寄せてきた。狙われている。正体が知られれば、殺される。

 

 考えろ、と言い聞かせる。今の新宮鉄心は、少々人より喧嘩が強い程度の、ハナタレに過ぎない。病神ペストどころか、木人にすら勝てないだろう。いま、どうするべきなのか。


「諸君の中にといま言ったが、どういうことだ? USFは、薄金は試作中の兵器であるとして、人であるともなんとも話していない。なぜあなたが、薄金が人間であると断定できる? まして、ここに居るとなぜ確信している?」


 がっちりとした体格の、20半ばぐらいの男が進み出て、そう言った。


 少し、鉄心はその言葉に意表を突かれる。その通りだ。正体がバレているなら、新宮鉄心だけを狙えばいい。


「説明するつもりはない。だが、1つだけ話してもいい。薄金の正体がわかったのは、運命フォルテューヌのおかげだ。彼女が私に教えてくれたのだ」

「んなッ……!?」


 思わず、鉄心は声をあげた。


「ほう。そこの、面白い顔の少年。それほどおかしいかね?」


 ラトゥールが、鉄心に笑みを向けてくる。


 殺される。薄金になっていたときには屁でも無かったむき出しの殺意が、心臓を掴む。


「面白いは余計だクソが! それよりふざけんじゃねぇ! なんで運命フォルテューヌさんが、薄金の情報をてめぇらハザードに売らなきゃならねぇんだ!」


 殺すなら殺しやがれ。小便漏らしそうな恐怖と付き合いながら、鉄心は開き直った。震えたまま死ぬよりは、意地はって死んだほうがマシだ。


「諸君は知らないだろうが、USFとラ・デエースは対立関係にある。つまり、彼女たちにとって薄金も敵。手を組める箇所というのは、あるのだ」

「んだとテメェ……。あんな優しい人達が、そんなことするかよ!」

「狂信者かね君は。ずいぶん、ラ・デエースが好きなようだが。あるいは、君が薄金だったりするのかな」

「ハッ、かもしれねぇぜ!?」

「まぁどちらでもいい。ここに居る者には、全員死んでもらう。今更、犯人探しをするつもりはない」


 興味を失ったように、ラトゥールが鉄心から目をそらす。


 さらになにか言ってやろうかと思ったが、服を引かれていることに気づいた。


「駄目……駄目です……。もうなにも言わないほうが良いです……」


 鉄心の服を引っ張っていたのは、先程の少女だった。

 10歳ぐらいだろうに、ひどく色気があるようにも見えてどきりとする。そんな彼女が、蒼白な顔で首を振っている姿は、なんとなく心にくるものがあった。


「ああ。そうだな……ありがとよ」


 急速に、怒りが冷えていく。裏返しに、恐怖がやってくる。


 なにをやっているんだ。こんなところで、意地を張ってもしょうがない。

 言いたいことがあるなら、薄金を装着してから、いくらでも言ってやればいい。今は目をつけられるだけで、逆効果だ。


 オレの理性は、小学生以下か、と。苦い自嘲を噛み潰す。


 気づくと、周りの人間も、冷え冷えとした視線を鉄心に向けていた。鉄心の醜さに驚いたのか、何人かが眉間にシワを寄せていた。今までの人生で、嫌というほど向けられた、侮蔑を籠めた視線。慣れていた。


「どちらにせよ、こちらに居る薄金に宣告する。苦しんで死ね。さらばだ」


 ラトゥールは、一方的にそう宣告すると、砂のように崩れて消えていった。


 場にいた人間が、ざわつく。ただ、やはり切迫感はなかった。


「なにがしたいんだ、あのハザードは?」


 誰かが漏らした声。それに関しては、同感だった。

 何人かが、寄り集まって話し合いを始めた。鉄心はそれに参加する気にはなれず、目を閉じた。


 運命フォルテューヌラトゥールに、薄金の正体を教えたという言葉が気になる。そんなことをするはずないと、根拠なく思うが、事実としてUSFとラ・デエースは敵対している。

 新宮鉄心を、薄金を、あなた達の味方だと、ラ・デエースに信じてもらう方法はないのか。しかし、依然として新宮鉄心は、USFですらない。土俵にすら、立っていない。


 周りに目を向けた。噴水広場の水は、触れる。建物の壁も、特におかしなところはない。ただ一点、すべてのものの明度が低く、影のようになっている。その中で、生きている人間や、その衣服だけが、現実の鮮やかさを持っていた。

 照明も光っている。ただ、影絵の世界に迷い込んだような薄暗さは、どうしようもない。


 監禁されているのだろうが、一度、出口には行ってみるべきだろう。ここで考え込んでいるよりは、マシだった。


「君、一緒に来てくれ」


 先程ラトゥールに話しかけた、20半ばの男だった。

 鍛えこんでいるのだろう。全身が、盛り上がっている。目つきだけがどことなく暗いが、黒い短髪とも相まって、精悍な男だった。


「オレっすか?」

「二人一組で分かれて、建物を調べたい。とにかく状況を把握したいんだ」

「押忍」

「女性陣は動かず、ここで残っていてくれ。それぞれが各階に分かれて探索する。60分以内には、噴水広場に戻ること。スマホの電源は、必要ないなら切っておいてくれ。長丁場になるかもしれない」


 てきぱきと、男が指示を出す。なんとなくという形で、皆がそれに従っていた。なんとなく、慣れた感じがある。


 集団の7割は、女性だった。全体的にみな若い。なんとなく、鉄心には苦手な雰囲気ではあった。


「行こう。俺たちはB1出口に行って、戻る」


 男と並んで、鉄心は歩き出した。


 建物の中は、ほとんど人の気配が無かった。照明がついているのに、ホラーゲームのような薄暗さが、静寂に拍車をかける。影の世界に、足音だけが響いた。


「おじさん、名前なんて言うんスか?」


 静寂に耐えきれず、鉄心は話しかけた。


「名前を尋ねるなら、自分から名乗るもんだ」

「オレの名前は知ってるんじゃないスか?」


 言うと、男が足を止めた。こちらを値踏みするような、視線を送ってくる。


「ただの馬鹿じゃ、ないようだな。USF日本支部所属、影井草介、上等兵曹だ。どこで気づいた?」

「1人だけ、状況がわかってるって感じでした。やばい状態だってわかってて、それでいて冷静になろうとしている感じがあったんで。でも、確信を持ったのは、オレを指名したことッスね。こんなツラしたのを、影井さんみたいないい男が、声をかけるのは理由がなきゃおかしい」


 嗤いを、噛み殺す。

 人間の印象は、最初の5秒で決まる。そして、人は見た目で印象を決める。そう言ったクソ野郎は、誰だったのか。


 どちらにせよ新宮鉄心は、集団のリーダーになってしまっている影井のパートナーとしては、あまりに不自然だった。


「そうか。いろいろ、考えてはいるんだな」影井が、懐から拳銃を一丁取り出し、それを鉄心に渡してきた「P226だ、持っていろ。銃を撃った経験は?」

「……ないッス」

「なら、人がいる場所では撃つな。たとえおまえが死ぬような状況でもだ。素人は、味方を撃つ可能性を無視できない。たった1人だけで、必要になったときだけ使え。もっとも、ハザードの化け物には気休めだが」


 影井の言うことは、簡潔だった。どこか崩れている源一郎と比べると、いかにも軍人らしい。


「拳銃は両腕で持て。上から見て、二等辺三角形になるような感じで、しっかりと腕を伸ばせ。その姿勢を維持して、狙いを定めろ。それから……」


 歩きながら、レクチャーを受ける。ただ、合間合間に、よほどの場合以外は使うなと、何度も念を押される。

 拳銃の銃口は、いかにも小さかった。一時、国会でUSFが使う銃弾の大きさがどうのと話題になっていたが、こうやって触れるとわかる。こんな小さな銃では、ハザードには通用しないだろう。群れをなしている木人ですら、倒せるか怪しい


「いてっ」


 出口の近くまで来ると、鉄心は見えない壁のようなものにぶつかった。


「行き止まりか」


 影井が、慎重に通路を調べる。

 よく見ると陽炎のように通路が歪んでいて、見えない壁を形成しているようだ。


「やっぱ閉じ込められてるんスかね」


 通路の先に、地上への出入り口があるが、暗く外の様子は見えなかった。


 影井が、近くに転がっていたモップを拾うと、それを何度か見えない壁に叩きつけた。影井は徐々に叩く力を強めていったが、やがてモップの方が耐えきれずに折れた。


「十分だ。一度戻る」


 影井の冷静さは変わらなかったが、切迫感が増した。また、2人並んで行った道を戻る。


「あの、影井さんはなんでここに居たんスか?」

「新宮鉄心の護衛を、任務として命じられたからだ。本岡中佐からな」

「ゲンさんが……」

「中佐は、こうなることをどこかで予想していたのかもしれん。自分以外に、もう1人付いていたが、ここには居ないようだ」

「……なんで、オレが薄金だってわかったんですかね」

「わかってはいない。ただ、対象を絞り込んだだけだ。わかってるだろうが、薄金だと悟られるような行動は慎め」

「ウス……すいません」

「新宮鉄心。君を五体満足で家に帰す。それが私の任務だ。君もそれを忘れるな」


 影井草介。やや暗い印象だが、精悍ないい男だった。

 そういう男が、新宮鉄心の護衛についている。少し前までは、考えられないことだった。


「これから、どうなるんスかね」

「わからん」


 影井の返事は、短い。しかしコミュニケーションを拒んではいない。


「わからないッスか」

「ただ、取り乱さないことだ。現状、40人近い一般市民と、異常な状況で共同生活を営むことになる。パニックになれば、悲惨なことが起こる。我々は、感情を殺して冷静でいることだ。40人が無事帰れるかどうかは、まずそこからだ」

「ウス」


 影井草介という男を、なんとなく鉄心は好きになり始めていた。余計なものを削ぎ落としている雰囲気が、小気味よい。

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