第7話 ただの人間だということを誇りに①

 白い鎧。サムライの鎧のようなデザインで、しかし全身は鋼鉄に包まれている。

 右腕だけがスケルトンに透き通っていて、黒い機械の骨が見える。

 濃紺のマント。緑色に輝く電子の目が、エメラルドのように瞬いた。


 薄金、と名乗った。等身大の、ロボットさん。


 あなたは私の味方ですか。

 それとも、怖い人ですか。


 その人はなにも言わない。ただ光る眼で立っている。


 風が吹く。花びらが舞う。私は、そして私達は、これからどうなってしまうんだろう。


 変ですね。運命のタロットを与えられているのに、明日のことがまったくわからないなんて。


 薄金さんは、なにも言わない。


「んむ……」


 葛城佳乃は、夢から覚めた。起き上がって見えるのは、自分の部屋の風景だった。

 時計は深夜の0時。小鳥のエミは、枕元で可愛らしく寝息を立てている。


 テレビの音がしたので、リビングへ行った。


「あら、佳乃ちゃん起きたの。なにか飲む?」

「リン酸……」

「おやまぁ、珍しい。疲れちゃったのかしら」


 植物用の栄養剤が目の前に置かれる。パックの口を切ると、ストローを挿して飲んだ。美味しいというより、身体に必要なものが充たされていく感じがする。


「テレビ、なにやってるの?」

「ふふっ。お昼からずっと同じニュースよ」


 言われて、画面を見る。キャスターとコメンテーターが、映像を指さしながらあれこれとコメントしている。


『田園調布駅前でハザードと交戦した、薄金と名乗る、その……これはロボットなんでしょうか?』

『どうでしょうねぇ。人間が装着しているように見えなくもないですが』

『でも右腕がどう見ても機械ですよ』

『しかしUSFはいつ、こんなものを作ったんですかねぇ。日本の税金がいくら使われているかわかったもんじゃない』


「ゆー……えすえふ……」


 佳乃の手から、栄養剤のパックが落ちた。


「そうよ。USFみたいなのよ、薄金さん」

「そんな……」


 佳乃の体が、震える。ラ・デエースの3人で、USFの部隊員と戦ったことを思い出す。

 戦ったのに、守れなかった。あの人はUSFに殺された。

 そのことを思い出して、泣きそうになる。


『それにしてもひどい戦い方ですねこれ。中身小学生ですか? 薄金は、一歩間違えたら一般市民に損害が出してましたよ』

『なのにUSFは詳細な説明をしてませんからね。やむを得ない状況だったので、緊急の対応を行ったって。こんな説明で納得させるつもりですかね。日本人を舐めてますよ』

『そもそも自衛隊じゃ駄目なんですかね。警察のSATもいるでしょうに、なんで外国の特殊部隊を、血税を払って……』


 テレビの声が、耳に入らない。


 仲間だと思った。乱暴だけど。もしかしたら、助けてくれるかもしれないと。

 でも、駄目だ。駄目だった。やっぱり運命なんかじゃなかった。


「おばあちゃん、どうしよう。薄金さん、USFだった……どうしよう」

「おやおや。また泣きそうになって」

「だって……だって……。怖い人だけどお友達になれるかもしれないって、ちょっと思ったのに……」

「そうねぇ……USFなら、ちょっといろいろ難しいかもしれないわね」

「あのね。スートの子たちに、ひどいことしてたの。やっぱり、やっぱり悪い人なのかな」

「どうかしらね」


 助けたい。みんなを。

 そう話してくれた単純で素敵な言葉は、人間の世界では通用しない理屈だと、あの日の姫様は笑っていた。

 そのタロットの通りの、太陽ソレイユのような笑顔で。


「あのね、佳乃ちゃん。佳乃ちゃんはちょっとラ・デエースを休んでもいいと思うの」


 その言葉は、唐突だった。


「休む……?」

「そりゃあ心配なのはわかるのよ。でも、人間だって無力じゃないの。他のお二人が居なくなってね。昨日の佳乃ちゃんもぼろぼろで……。おばあちゃんもう見てられないの。だから、休んでもいいと思うのよ」

「……でも」


 運命フォルテューヌとしての、力。それがなければ、出来ないことがある。


「自分を大切にできない子は、他の人を大切に出来ないの。昨日だって、あの薄金さんが来ないとどうなってた……?」

「うん……。やられちゃってたかも」

「だったら、もういいんじゃないかしら。無理をすることと、勇気があることは、違うのよ」

「……」


 目を閉じる。思い出すのは、冷気と共に降り立ったあの姿。

 すべてが、圧倒的だった。

 あの人は、薄金という存在がその気になったのなら、病神ペストもスートも、たやすく砕いてしまうのだろう。

 そして多分、生命を奪ってしまうことを、ためらわない。USFというのなら、なおさら。


「おばあちゃん」

「なに?」

「私達がやってきたことは、全部無駄だったのかなぁ。みんなが、みんなが無事に戻れるようにって、誰も死なないようにって、頑張ったのに。なのに」

「佳乃ちゃんは、どうしてそう思うの?」

「だって、次に薄金さんが来たら、誰かが死んじゃうよ。USFだもん。きっと、ハザードさんたちを許さない。それから、人と天国セレストの、喧嘩になっちゃうかも……しれない……」

「……そうね。それも、あり得ないとは、言い切れないものね。あなた達ラ・デエースは、人が思う以上に、慎重にすべての事を運んできた。あの姫様の心配りは、おばあちゃんもびっくりするほど素晴らしかったわ。悲しいけど、USFはあなた達とは違う。ハザードを、合理的に排除するでしょう」

「やっぱり、そうなのかな……」

「でもね、佳乃ちゃん。見てご覧なさい」テレビを指差す。映像が流れている。薄金が戦う姿だった。正確には、一方的に銃弾の雨にさらされている姿だ「彼……彼女かもしれないけれど、あなたを守るために戦ってるわ。不格好だけどね」


 確かに、そうだった。どうしてそう、大切なことを頭の隅に追いやってしまうのだろう。

 薄金は、自分を助けるために現れ、そのために戦った。


 運命は、必ずあなたの味方をする。


 最後に送られた預言を思い出す。そして、薄金は舞い降りた。


 あなたは敵? それとも味方?


 そうだ。どうせなら、探しに行こう。






太陽ソレイユちゃんのために98……女帝ランペラトリスちゃんのための……99……ぬっぐ……運命フォルテューヌちゃんに捧げる……100!」


 強烈な筋肉痛に耐えながら、100回目の腹筋運動を鉄心は終えた。


『依然、USFは薄金と名付けられた兵器についての説明責任を果たしておらず……』

「ったく、マスコミって悪口しか言えねぇのかよ」


 流してたテレビのニュースに、苛立って切った。

 自宅の自室で、特にやることもないので、新宮鉄心は筋トレをしていた。薄金になったあの日以来、源一郎がしてきた連絡は一つだけで、英会話もトレーニングも休めという内容だった。おかげで、鉄心は暇を持て余すことになった。


「なにがいけなかったんだ」


 逆立ちをする。バランスを取り、両腕にかかる負担に耐える。

 ずっと、源一郎が薄金を任せてくれない理由を考えていた。自分があんまりいい戦いが出来なかったのは、わかっている。ただ、屋上で腕時計を渡してくれた源一郎からは、信頼を感じた。薄金を任せていいという信頼を。

 ただ、USFに戻って時計を取り上げた源一郎には、どこか失望があった。鉄心は、それが何日も気にかかっている。


 あの戦いの、なにかで源一郎は鉄心に失望したのだ。だがなにについて。


 鉄心は逆立ちをやめ、プロテインバーをかじりつつパソコンを起動する。ニュースサイトを回っても、ハザードやラ・デエースについて新しい情報は無かった。


 それにしても、USFの評判はつくづく悪い。コメント表示機能付きのニュースだと、USFに対する揶揄、批判、皮肉に嫌味、大量のいいねがついている。

 薄金に関しても似たようなものだった。ポジティブな意見はほとんどない。


「一作目の、ランボーの気持ちがわかるな。お国のために戦って、石投げられるのが現実ってか」


 イスにもたれかかり、息を吐いた。悪口にも陰口にも、鉄心は慣れている。気分が良いものではないが、腹を立ててなにか解決するわけでもなかった。どれだけ腕を振り回そうと、届かない相手には届かないのだ。


「お、懐かしいな」


 ネット広告に、仮面ライダーWの、無料配信が流れていた。子供の頃見ていた懐かしさで、ページに飛ぶ。

 愛する街を守るために、戦う男たちの物語が流れる。まっとうに、正義のために戦うこのライダーが、鉄心は好きだった。することもないので、記憶をなぞるように視聴する。


 しかし、自分はなにが駄目だったのか。悩みは、べっとりと張り付いたまま頭の中から消えない。


 サイクロン、ジョーカー! 「「さぁ……おまえの罪を……」」


「これだ!」


 鉄心は思わず、手を叩いた。当たり前のことが自分には欠けていた。

 変身ポーズと決め台詞が無かったじゃないか。なんてことだ。いくら初めて変身したとはいえ、ヒーローのお約束を忘れるとはなんたる失態。


「そりゃあ、ゲンさんもガッカリするよな」


 早速、ノートにペンを走らせる。それっぽい台詞を並べてみる。


「『正義の名にかけておまえを倒す』……。いや、別にオレ正義じゃないしな。ボツ。『伝説残しにただいま参上』……。ちょっと大げさすぎるか、ボツ。『ラ・デエースへの愛を込めて』……。戦闘前の決め台詞じゃないな、ボツ。……ボツ。ボツ」


 1時間ほど、考える。長く使うものだから、もう少し悩みたかった。シンプルに行くか、詩的に行くか、迷うところだ。


 いくつかに候補を絞ってから、次はポーズの練習に取り掛かった。装着の手順を思い出す。それに、空手の型を組み合わせる。サンチンから、始動


「ここで装着して、こう、相手に向かってビシッと。ビシッと……」足を踏み込む。両腕を突き出し、収める「ここで決め台詞!」


 そんなことを、何時間も繰り返す。途中、母親にうるさいと怒られる。


「フッ、こんなもんか」


 気づくと、夕方になっていた。

 ポーズと、決め台詞が決まる。これでいつ薄金になってもいい。


「っしゃあ、いつでもかかってこいハザード共!」


 ベッドに寝転ぶ。そうすると鉄心の目に、壁に貼ったラ・デエースの、3人のポスターが目に入った。戦っている最中の写真を、切り取ったものだ。

 運命フォルテューヌを見る。


 USFに入ったら、ラ・デエースと戦うんだぞ


 源一郎の声。耳をほじって、かき消して、意識の外に追い出した。


「しっかし、暇だァ……」ずっとトレーニング漬けだったので、いざ時間を与えられるとなにをしていいのかわからなかった。源一郎からもらったバイト代も、ほとんど手を付けていない。「バイト代か……」


 思い立って、外出した。鉄心の自宅がある川口から、池袋に向かう電車に乗る。


 駅へ降り立つ。ラ・デエースと初めて出会ったのも、池袋だった。そんなことを思い出しながら、サンシャイン60へと向かう。この、地上60階の高層建築物は、地上3階までが商業エリアになっている。その一角に、とある専門店がある。


 ラ・デエース、専門グッズショップである。


「フフ……大漁……」


 ベンチに座って、紙袋の中身を確認する。大量の、ラ・デエースグッズが、ぎっしりと詰まっている。

 バイトを始めた甲斐があった。下敷きに缶バッジ、写真集にいろいろ手に入った。もちろん、3人全員、平等に買い込んでいる。


 ぺらぺらと、写真集をめくった。運命フォルテューヌ。可憐で清楚で、神秘的な彼女。黒髪がはらりと揺れ、桜色の花びらが舞っている。

 薄金をまとった日、出会った彼女。ただ1人、無事なラ・デエース。元気だろうか。


「薄金がUSFだって知っただろうし、嫌われっかなぁ」


 好かれることを諦めているつもりでも、それでも鉄心の心のどこかに、嫌われたくないという想いはある。とはいえ、デビュー戦の印象も、あまり良くなかっただろう。


 ラ・デエースは、スートを保護するために戦っている。もしかしたら、病神ペストに対してもそうなのかもしれない。

 自分を害してくる相手まで、守ろうとする。だからあんなに、傷ついてしまうのだろうか。


「オレも他人の心配している場合じゃ、ねぇけどなァ」


 スマホを取り出す。源一郎からの連絡は、無い。まさかこのまま、二度と薄金になれないのではないかという、不安も感じる。


「えっと、こっち……この辺……」


 ふと、可愛らしい声が聴こえた。


「いつかの、巨乳小学生……」


 先日、絡まれていたのを、助けた娘だった。

 手には、風水師が使う羅盤を持っている。真ん中に方位磁針が置かれ、子、丑、寅と方位が描かれているものだ。土地の吉凶を知るために使われる。年配の風水師が使いそうな羅盤を、持ち歩いている女子小学生の姿は、どこかアンバランスでおかしかった。

 彼女は前も見ず、風水羅盤に目を落としたまま歩いている。


 転ぶんじゃないかと思ったが、あえて鉄心は目をそらした。少なくとも、自分に見つめられて喜ぶ女性がこの世にいるとは思えない。


「ひゃん!」


 少女は鉄心の目前で、つまずいた。問題は、鉄心が買ったラ・デエースグッズの詰まった紙袋に足を引っ掛けたということだ。


「うぐっ」


 盛大に、紙袋の中身がぶちまけられる。自分の趣味を恥じるつもりはないが、さすがに公衆の面前でグッズがさらされるのは恥ずかしい。


「あ、あああ……ごっ、ごめんなさい! ごめんなさい!」


 少女が、倒れた格好のまま、何度も頭を下げる。


「べっ、別にいいって。ほら、これ」


 若干の羞恥に耐えながら、鉄心は、床に落ちている風水羅盤を拾い上げた。方位磁針の針が、くるくると回っている。


「ありがとうございます……」


 大事そうに、少女は羅盤を胸に抱いた。その姿に、若干の違和を感じる。

 この子は、普通だ。そこが異常だった。顔が壊れた男と接しているのに、態度が普通すぎる。


 鉄心が、無言でぶちまけられたグッズを拾う。すぐに、少女も同じように拾い集め始めた。ここもおかしい。普通の人間なら、すぐに立ち去って関わりを断とうとするはずだ。そこに、幼さは関係ない。


「これで最後、です。ごめんなさい」

「壊れているのが無かったから、気にすんなって。引っかかる場所に置いてたオレも悪い」

「あの、ラ・デエースお好きなんですか?」


 じっと、少女が鉄心の目を見つめてくる。


「ああ……まぁ、な」

「良かった。ありがとうございます」


 なぜ、礼を言うのだろう。その疑問は、すぐ頭の中でかき消えた。

 なんとなく照れくさい想いだけが残って、目をそらす。少女はもう一度、ぺこりと頭を下げると、歩き出そうとした。


「あ……ほら、見てエミちゃん。羅盤の反応がすごい、近いよ!」


 唐突に、その足を止める。


「本当ですな。ええと、この表示だと半径30メートル以内には居るということですね、薄金本人が」

「記録して、エミちゃん! すぐ!」


 なにか、少女が話している。話し声が聞こえるのだが、内容が頭に入ってこない。まぁ、別にそれはおかしなことではない。


「いやしかし、この人混みでは……候補者はおよそ40名です。どうやって絞りましょうか」

「明日、もう一度やって絞り込めば……」


 なにか忙しく話している少女に背を向けて、鉄心は立ち上がった。すでに時計は17時を過ぎ、夜が近い。今日中に連絡がなければ、こちらから源一郎へ連絡を取ろうと思い、紙袋を背中に引っ掛けて歩き出した。


『ほう、薄金を見つけたのだな』


 唐突に、声がした。


「薄金……?」


 鉄心が顔をあげると、視界がぐにゃりと歪んだ。世界が、急速に色彩を喪失していく。サンシャインシティの専門店街が、白黒のモノクロームに書き換えられていく。

 自分の目に異常が起きて、色盲になったのかと、鉄心はうろたえる。しかし、周囲の人間も慌てているようで、鉄心だけに起きている異常では無いようだ。


 世界の色が、完全に白と黒に変わる。ただ、生きている人間には色が残っていた。


「これって……エミちゃん!?」

「いけません! 病神ペストが持ち出した、聖物ルリケールの一つ、影絵シルエットです!」


 少女が、なにかを話している。


『そのとおり』


 唐突に、鉄心の目前で影が立ち上がった。それは軍靴の音を響かせて少し歩き、見たことのある人影になる。


「あいつ、ラトゥール……!」


 金髪碧眼の、軍服を身にまとった美青年が姿を見せる。ただし、その姿は陽炎のようにゆらめいていて、実体が無いようにも思える。


 人々がざわつく。先日、暴れまわったハザードの姿は、有名だった。


「愚かな人間の皆様、そしてその中にいるであろう薄金殿。私の招待を受け入れていただき光栄である」ラトゥールは慇懃に敬礼すると、にやりと笑った「賢明なる皆様はもう察しておられるだろうが、あなた方を影の世界に閉じ込めさせていただいた。忌々しい薄金殿もここにおられると思うが……」


 殴りかかろうとする自分を、鉄心は抑えた。薄金になれない状態で暴れるのは、自殺行為である。


「なんだ!? なにが目的だ!?」


 誰かが、叫ぶ。ラトゥールは薄ら笑いを浮かべている。


「ここにいる人間の絶滅」

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