4. (quatre)


 乗換駅で別れる前に、彼女は丁寧に次のホームへの行き方を教えてくれた。私は何度もセンキューセンキューと礼を言い、男の子と手を振り合った。


 今度は無事に乗り換えることができて、パリの地下を南下していく。

 次に東京で道に迷っている外国人を見たら声をかけてあげよう、そんな前向きなことを思って、次の瞬間私は笑い出しそうになっていた。


 次って、次ってさあ。


 まさか、今の自分が「次」みたいな未来志向のことを思えるなんて。しかも東京でとか。ウケる。ビルの上からコンクリートジャングルど真ん中に突っ込もうとしてた人間が。あはは、あはは。


 もっと、未来があると思っていた。


 想像していたのは「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」の絵みたいな世界。

 東京には沢山の人がいるから、毎日が素敵な出会いに溢れていると思っていた。仕事はもちろん頑張って、休みの日には人やアートや、色んなものに会いに行くんだ。


 有名になりたいとか会社を持ちたいとかそんな大層な野心じゃない。少し先にある楽しい未来を見続けるだけの、ささやかな願いだったはずなのだ。


 それなのに、どうして。ダメだ、今日は特に情緒不安定だ。


 なんとか、さっきの女性に聞いた駅で立ち上がって、目元を歪めながら殺風景な地下を歩く。

 上から降り注ぐ光を感じて、そう言えば、駅から外に出るのはこれが初めてだと気が付いた。



 地上に出た瞬間、私の涙腺は決壊した。



 道路の両脇を整然と埋め尽くす、白やセピア色の建物。全てが同じ高さにぴしっと揃っている。もしかして、これがアパルトマンというものだろうか? 全部が石造りで、朝の穏やかな日光にきらきらと笑っている。

 私の行く手には赤い日よけがかかったカフェもあって、朝から多くの人が楽しそうに語らっている。

 セーヌ川の方向に向けて道は少しずつ広がり、東京のような高層建築もないから、青空がどこまでも続いている。


 こんな美しい街が、この世に存在しているなんて。


 せっかくこぼれてくれた涙を拭いたりはしない。

 滲む瞳を通して携帯で写真をぱしゃぱしゃと撮りまくる。おのぼりさんと思われても、知るもんか。ぐじゅぐじゅにメイクが崩れていく。変な子と思われても、知るもんか。


 まるで初めて街に出てきた女の子のように、私はうきうきと美術館の方へ歩いていく。


 踊るような足取りで進めば、今だけは、舞踏会へデビューする少女なのだ。


☆☆☆


 オルセー美術館は、外から見ても立派な建物だとは感じていたけれど、中に入るとあまりの奥行きの広さに脱帽した。

 元々は駅として使われていた建物で、ヨーロッパの古い駅のイメージ通り、アーチ状をした天井にたくさんガラスが貼られていたり、奥の大きな時計が重々しく一つずつ時を刻んでいたり、この建築自体がもはや興味深い。


 こんなに広いとお目当ても分からないので、今度は臆せず尋ねることにした。

 お土産屋さんを覗きがてら、若い男性の店員さんに場所を聞いてみると、にこやかに教えてくれた。


「お嬢さん、オルセーは初めてかな?」

「はい、素敵な美術館ですね」

「そうでしょう。ルノワール、モネ、ドガ、色んな絵に恋ができたらいいね」


 キザな言い方だな、とは思うけれど、それは私も心から思うことだ。

 センキュー、と言いかけて、ああ違う違うここはフランスだった、とようやく思い至った。


「メルシー!」


 私は、精一杯微笑むことができた。

 

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