暦売りの少年

暦売りの少年

 あら、おかえりなさい。まぁ、風花が舞い始めたのね。寒かったでしょう。おばあちゃんのお部屋へいらっしゃい。火鉢で温めてありますからね。

 おばあちゃんね、風花を見るといつも思い出すお話があるの。「暦売りの少年」っていうお話なんだけどね。あら、聞きたくないですって?いやだわ、そんなこと言わずに、おばあちゃんとのお話に付き合ってよぅ。ほら、お茶も入ったことだし。体があったまる迄でいいから、ね?


 昔はね、年の瀬になると「暦売り」っていう暦を売り歩く人が、村まで暦を売りに来たのよ。「暦はいかが、暦はいかが」ってね。暦売りのおじさんが、独特の節を持って、唄うように言うの。その声を聞くと「あぁ、今年もいよいよ終わるのだなぁ」と思ったものよ。

 その年も「暦はいかが、暦はいかが」って声が聞こえてきたの。でもその声が、あんまり高くて、元気よく張り上げた声だったから、村の人たちはびっくりして、暦売りを振り返ったの。家の中にいた人たちも、わざわざ顔を見に出てきたくらい。

 その年、村にやってきた暦売りは、おじさんじゃなくて、まだ幼さの残る少年だったの。木の枝みたいに細い手足で、大きな荷を背負っていたわ。風花の舞う中、寒さで頬は真っ赤だったけど、大きな目をきらきらさせてた。

「おや、見ない顔だね。いつもの旦那よりずいぶん若いじゃァないの」

 畑仕事をしていたおばさんが声を掛けると、少年は誇らしそうに胸を張って言ったの。

「おいら、親方に認めてもらって、今年からこの村の暦売りを任されたんです。まだ見習いだけど、どうぞよしなに」

それから、得意気に一礼して、にっこり無邪気な笑顔を見せたものだから、村の人たちはこの暦売りをすぐに気に入っちゃったの。

 暦売りっていうのはね、「暦師」っていって、暦を作る人でもあったのよ。この暦売りの少年も、暦師になるために弟子入りしたんでしょうけど、勿論、最初から暦は作らせてもらえないわ。親方や兄弟子の作った暦を売りに来ていたのよ。

 それでも、親方から仕事を任されたのが、よっぽど嬉しかったんでしょうね。寒さを吹き飛ばすような元気な声で「暦はいかが、暦はいかが」って呼びかけていたわ。その元気な声に吸い寄せられるように、村の人たちが集まって、少年の周りにはたちまち人だかりができたの。

 少年は、暦をひとつひとつ丁寧に広げていった。白地に黒一色で描かれた素朴な暦。鮮やかな色彩で描かれた絵付きの暦。それから、色とりどりの糸で文様が織られた布の暦。暦といっても色々な種類があったのね。

 誰かが暦を褒めると、小さな暦売りは誇らしそうに笑ったわ。「おいらもそう思います!」って、目を輝かせてね。きっと、自分の親方や兄弟子の暦が認められたのが、嬉しかったのね。村の人たちは、今年はかわいい暦売りが来たもんだと、目で笑い合ったそうよ。

 そんな中、一人の娘が声を掛けたの。

「暦売りさん、この暦をくださいな」

 娘が持っていた暦には、小鳥が沢山描かれていたわ。小鳥たちは生き生きと描かれていて、今にも歌い出すんじゃないかって思うくらいだった。

「家の中が賑やかになりそう」

娘が笑うと、娘の隣にいた村人が気遣うように言ったの。

「あんた、家で一人だもんなぁ」

娘の旦那さまはね、娘が嫁いで来て二月ふたつきで、都に呼ばれて村を離れていたの。

 昔は都に大きな建物を建てる時に、村々の若い衆が駆り出されたものよ。それを「都に呼ばれる」って言ったの。都に近いところでは噂が流れてきて、「あぁ、どうやらじきにお呼ばれされるようだぞ」って、なんとなく呼ばれることが分かったみたいだけど、都から離れていると、ある日突然、軍人さんがやってきて「これこれこういうわけだから、三日以内に村を出発するように」なんて言われて、それに従うしかなかったのよ。突然、村の働き手が居なくなるから、よく迷惑したものだわ。

 まぁとにかく、その娘の旦那さまには、両親も居なかったから、旦那さまが都に呼ばれた後、娘は慣れない土地で一人で留守を守っていたのよ。勿論、村の人たちはいい人達だったから、娘に手を貸してあげていたけれどね。

 でも、それもあと少しの辛抱だったわ。都の建物は完成間近で、翌年の梅雨に入る前に祝いの儀が開かれるって話を、都から来た商人たちが教えてくれたの。建築に駆り出された若者たちは、祝いの儀の前に帰される。つまり、遅くとも梅雨入り前には帰ってくるだろうって。

 その話を聞いた暦売りの少年は、荷の中から白い紙を取り出したの。半紙に墨で書かれた数字が並んでいるだけの紙。誰もが、手習いの練習をした紙だと思ったわ。皆が怪訝そうに半紙をのぞき込むと、少年が得意そうに、

「これは、おいらの試作品!」

なんて言ったから、気の良い村の人たちは、驚いた顔をすまいと必死だったみたい。

「おいら、親方に内緒でこっそり練習してんのさ。まだ始めたばっかりだから、六月までしかないけど。これをあんたにやるよ」

 少年は言いながら、六月の最後の日付に丸印を付けたの。

「いいかい。来年の一月一日から、毎日、その日の日付にバツ印をつけるんだ。二日になったら二日に、三日になったら三日にもバツをつける。そうすると、丸印のところにバツ印がどんどん近づいていくってわけさ。旦那さまを待つのがきっと楽しくなるよ」

そう言って、娘ににっこり笑いかけたの。

 少年も親元を離れて暦師に師事していたから、里のおっかさんが恋しい時は、里に帰れる日をこうして数えていたのですって。この時、この小さな暦売りは十三歳。まだまだおっかさんが恋しくなる年頃だったのね。

 娘は少年の優しい心に胸を打たれて、ありがたく、その暦を受け取ったの。そして少年に教えてもらった通り、年が明けると毎日暦に印を書き加えることにしたのよ。


 年が明けて、六月。都での祝いの儀は華々しく開かれたようで、どこへ行っても、その話で持ち切りだったわ。梅雨になって外に出る人が少なくなっても、その話は絶えることなく、あちこちで囁かれていたの。

 その雨の中、まだ年の瀬にはならないのに、あの暦売りの少年が村にやってきた。娘に渡した暦が六月までだったでしょう?残りの半年分が出来上がったので、親方に買い物を頼まれたついでに、村に立ち寄ったの。暦には、かわいい花の絵が添えられていたわ。きっと、娘に喜んでもらおうと、一生懸命練習したのね。

 娘は家の縁側に座って雨を眺めていた。娘を見つけた少年は、そっと近づいてから、娘の前にぱっと飛び出して、

「暦はいかが?」

って、おどけて声をかけたの。娘も少年を見て、笑い返したわ。

 でも少年にはそれが作り笑いだって、すぐにわかったみたい。きらきらした笑顔を引っ込めて、顔を曇らせたの。

「どうしたの。旦那さまが帰ってきたんじゃないの?」

 少年が尋ねると、娘は笑顔を貼り付けたまま、少しの間、黙っていた。そして、

「あの人、帰ってこないの」

そう、返したの。

 村の若者たちは、春がやって来るのと同時に帰ってきたわ。なのに、娘の旦那さまだけが、帰ってこなかったのよ。若者たちに聞いても、誰もが首を傾げるばかり。はじめは遅れて帰ってくるだろうと思っていた娘も、一月、また一月と経つと、いよいよ待つばかりでは居られなくなった。

 娘は、近くの村々にも出向いて旦那さまのことを尋ねて回ったけど、旦那さまの行方を知る人はひとりも居なかったの。娘もそりゃあ心配したけれど、女一人で都まで行くというのもね、そう簡単ではなかったから。

 そのうち「都の娘といい仲になったから、帰ってこないんじゃないか」なんて噂が、娘の耳に届いたの。都の方が住み良くて、お役人の目をかいくぐって、都に住み着く若者も、時々いたらしいのよ。

「わたしのことなんて、忘れてしまったのかもしれないわ」

 娘は諦めたように苦笑いを浮かべたわ。

「仕方ないわ。だって一緒にいたのは、たったの二月ふたつきだもの。都にいる時間の方が長いんだもの」

 もちろん、娘は旦那さまはそんな人じゃないって思っていたわ。でも、噂を聞いて「もしかしたらそうなんじゃないか」って思ってしまうことってあるでしょう?親切な村の人たちに、そんな弱音は吐けないもの。村人でない少年に、つい零してしまったのね。

 少年は、口を真一文字に引き結んで娘の話を聞いていたわ。そうして、

「これ!」

と、暦を突き出したの。暦は少年が握りしめてしまって、しわしわになっていたわ。

「印、つけよう!」

 少年は大真面目に言ったけど、娘は少年の意図が分からなくて首を傾げたの。

「旦那さまが帰ってきたら見せてやるんだ。こんなにいっぱい待ってたって!バツの数だけ、ずっと、ずっと、待ってたって!それで、一人でよく頑張ったねって、褒めてもらおうよ!」

少年の大きな瞳が、真っ直ぐに娘を見上げていたわ。

 娘は唇が震えるのを堪えてから、

「そうね。ありがとう」

そう言ってほほ笑んだの。

 細めた目から、堪らず、涙がひとつ零れて。後はもう止まらなかった。


 その年の冬。暦売りの少年は、風花と一緒にやってきたわ。少し背丈が伸びて、「暦はいかが」って呼ぶ声も、練習したのか、去年より様になってた。村の人たちに「呼び声が上手くなった」って褒められて、少年は少し恥ずかしそうに、でも嬉しそうに顔をほころばせていたわ。村の人たちは自分の子どもか孫を見るような思いで、少年を見ていたのよ。

 少年の商いが終わるのを見計らって、あの娘が声をかけたの。

「この間は、心配かけてごめんなさい」

娘は穏やかに笑って、伝手を辿って都まで行ってきたことを話した。

「あの人ね、病気で帰って来られなかったそうなの。わたしがもう少し早く、都に行っていれば、最期に、会えたかもしれない……。あの人、村に帰りたがっていたって。それなのに、わたしはあの人を疑って……」

 言葉が途切れて、はらはらと涙が零れたわ。少年が慌てて手ぬぐいを引っ張り出している間に、娘は涙を拭ったの。そうして、悲しみを振り払うように笑顔を見せた。

「大丈夫!これからは私、あの人なしでも生きていくわ。それでね、いつかあの人と逢えた時、よく頑張ったねって、褒めてもらうの」

 娘は笑っていたけれど、堪えきれない涙が次々と零れていったわ。でもね、不安でいっぱいだった半年前の涙とは違っていた。決意の涙だったのね。

 少年は、やっぱり口を真一文字に引き結んで娘の話を聞いていた。そして、ぐいっと、手ぬぐいを娘に押しつけるようにして言ったの。

「おいら、また暦を持ってくるよ!あんたが頑張るんなら、おいらは頑張って暦を作る!あんたが、今日も頑張ろうって思えるような暦、作って持ってくるから。だから、」

 少年の言葉が震えて途切れた。娘が少年を見ると、少年は唇を噛みしめていたの。大きな瞳が濡れて輝いていた。

 娘はそっと、手ぬぐいを握る少年の手を包んで、

「ありがとう。わたし、頑張る。頑張るわ」

そう言ってほほ笑んだの。

 少年がくしゃりと笑って、そのまなじりが煌めいていたわ。


 それから少年は、半年に一度娘を訪ねるようになったの。まだ暦を作ることは許されていなかったけれど、仕事の合間に少しずつ書き足して作っていたみたい。暦に、娘が好きだと言った花や鳥の絵を添えたり、風景画を描いてみたり。絵の具は兄弟子のものをこっそり拝借していたんですって。

 次の年には、いよいよ暦作りを許されたの。内緒で暦を作っているのが見つかってしまって、親方が呆れ半分感心半分に許してくださったそうよ。少年は、親方に教えられたことを、娘への暦に惜しみなく使って、技術をどんどん上げていったの。

 娘は、最初に少年に言われた通り、暦に印を付け続けていたわ。暦を溜め込んで、あの世に持って行って、旦那さまに押しつけてやろうって、少年と笑い合ってた。無邪気に笑う少年と居ると、とても楽しくて、娘も半年に一度の来客を楽しみにしていたわ。


 そうして4年経ったの。少年はいつしか立派な青年になっていたわ。娘を姉のように思っていた少年は、年を重ねる毎に、娘に心惹かれていった。それは村の人たちには、とっくに見抜かれていたみたい。

 その年、彼は一人前の暦師として認められて、師匠の元を去ることになったの。村の人たちは、いよいよこの年の瀬に、婚約を申し込むのではないかと、そわそわしていたわ。娘だけはなんにも知らなくって、村の人たちが時々にやにやするのを、不気味に思っていたの。

 けれど、風花が舞う頃になっても暦売りの青年は村にやって来なかった。年々、暦売りを任される村も増えていたからね。忙しくしているんだろうと思いながらも、村の人たちは若い暦売りを心配していたわ。

 実はね、彼はわざと村に行くのを遅らせていたの。娘に、伝えようと思っていたのですって。好きだと。娘が旦那さまだけを想っていても、そんなあなたが好きだと。……村の人たちの予想もあながち間違いではなかったのね。

 けれど、いざ伝えようと思うと足が止まってしまうものだわ。いつもは真っ先に娘の村へ行くのに、その年は他の村を優先して、娘の村を後回しにしていたの。


「暦はいかが、暦はいかが」

 すっかり低くなった声が響いてきたのは、もう年明けまで片手で数えられる程になった頃だったわ。暦売りの声を聞きつけた村の人たちが、次々と彼の周りに集まったの。

「やっと来たか」

「やれやれ、年が明けちまうと思ったよ」

「心配したんだぞ」

 村の人たちはわざと呆れたような顔をして、かわりばんこに暦売りの肩を叩いたわ。彼は、村の人たちがこんなに心配しているとは露にも思わなかったみたい。申し訳なさそうに首をすくめて、

「……すみません」

って、ぼそぼそと謝ったの。傍に居た一人が、

「商いは後でいいぜ。先に行くとこがあるだろう?」

そう言って、青年の背を力強く叩いた。叩かれた青年はよろめきながら、

「何のことです?」

と、怪訝そうに問い返したの。村の人たちは、訳知り顔でにやにやしていたわ。そこで青年は思い当たって、かあっと赤面して。それを見た村の人たちは、どっと笑ってしまったの。

 村の人たちの半ば強引な後押しを受けて、青年は娘の家を訪ねたわ。一度咳払いをしてから、

「暦はいかが」

いつものように声を掛けながら顔を出すと、

「遅い!」

聞き慣れない、娘の怒った声が返ってきたの。

 娘が青年の前で怒るのは初めてだったから、青年は驚いていたわ。娘が何故怒っているのかも、分からなかったでしょうね。

 娘はすっかり追い越された青年を見上げて、

「心配しました!」

そう言って頬を膨らませたの。

 青年が消え入りそうな声で謝ると、娘はため息を吐いてそっぽを向いた。

「わたし、あの人のことを思って生きているつもりだった。ずっと、そうして生きていくつもりだったの。けれど、いつの間にか、あなたを待ってた」

娘は一度言葉を切って、うつむいて、静かに言ったの。

「お会いしたかったです」

 娘は頬が熱くなるのを感じたわ。あぁ、頬が赤くなっているだろうなぁと思いながら、青年の返答がないのを不思議に思って、顔を上げたの。そうして、青年と目が合った。

 青年は呆然と、娘を見つめていたわ。しばらくそうしていたけれど、やっと娘の言葉の意味するところが分かったのか、瞬く間に顔を赤く染めて、口を開けたり、閉じたりし始めたの。きっと、何か言いたかったんでしょうけど、言葉が出てこなかったのね。

 その様子を見た娘は、思わず吹き出してしまったの。「まるで金魚みたい」って思ったら、笑いが堪えられなくなっちゃったのよ。青年は益々赤くなって、首まで真っ赤になったけれど、最後には照れた笑いを浮かべて、娘と笑い合った。

 そうして青年は婚約を申し込み、娘はそれをお受けしたの。二人はその村で、いつまでも仲良く暮らしたのよ。


 これで「暦売りの少年」のお話はお終い。なかなか面白かったでしょう?

 あら、年下の旦那さまはいや、ですって?そうね、おばあちゃんも、あなたくらいの年の頃はそうだったわ。最初の旦那さまは年上だったもの。でもね、年下の旦那さまもいいわよぅ。とっても、かわいいんですもの。

 あら、どうしたの、お茶を吹き出して。え?後ろ?……あら、おじいさん。お帰りになっていたの。まぁまぁ、どうしたんです?お顔が真っ赤ですよ。首まで赤くなって……あら、今の話を聞いていらしたの?それで真っ赤になっているんですか、うふふ。

 あなたはほんとうに、幾つになってもかわいいわね。

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