10 空
週が明けた月曜日の放課後。
都会にあるお洒落なカフェみたいな店内は、期末テストの一週間前という事もあって人影は先週よりも
「つまり、詳しくは話せないって訳だね」
顔よりも大きなパフェをスプーンで突っつきながら、正面に座った
「話せない代わりに、経済的なアタシじゃ絶対に注文しないであろう高級パフェを奢るから、色々と水に流してくれと」
「そう言う事でございますハイ」
「……キャットちゃんから、随分と報酬をもらったんだね」
「いやー、多分あれは口止め料なんじゃねぇかと。そもそも、俺だって衝撃的過ぎて心の整理ができてねぇしよ」
明確な記憶があるのは、
玄関扉に付いているポストからは、一通の封筒が投函されていた。中に入っていたのは十万円分の紙幣と『あーしの事は秘密だにゃん♡』と書かれたメモ。考えるまでもなく差出人はキャット。今回の一件について、あのふざけたネコミミ情報屋の関与を第三者に話すなという警告文だろう。面倒な秘密を抱え込んでしまったと頭を抱えて、しばらくその場に
これは完全な推測になるのだが、キャットは石瀧圭一を使って
何らかの方法を使って、
そう考えれば、一般生徒に毛が生えた程度の力しか持たない石瀧に依頼した理由にも納得がいく。それに口止め料にしては多い紙幣の枚数も、
ソフトクリームに刺さったビスケットを引き抜きながら、探偵事務所の経理担当はじとーっと
「そうやってー、適当な言い訳をしてー、ケー君はまたアタシに秘密を作っていくー」
「だからこうしお詫びの気持ちを表現してるんだろ? なあ頼むから、いい加減に機嫌を直してくれよ」
「パフェ一つで解決できるとはアタシも安く見られたものだねぇ。でも、許してあげようなんて思い始めたアタシもアタシか。ケー君も酷い男だよ。惚れた女の心に付け込んで、都合良く弄ぼうとするんだから」
「被害妄想が過ぎやしねぇか……俺、そこまでクズになったつもりはねぇんだけど」
実際の所、どこまで話していいか判断が付かないというのが本音だった。
ならば、
「(……結局、俺は何もできなかったよな)」
キャットから依頼されていた
あの時、あの場所に、自分は必要ではなかった。
世界にとっての『何者』でもなく、結末に介入できる存在ではなかった。
「どしたのケー君、なんか機嫌が良さそうだけど?」
「……そんな風に見えるのか?」
「うん。なんかすっごく嬉しそうだよ」
「そっか……でも、そうなのかもしんねぇな」
散々な結果だったが、得たモノはあった。
「そう言えば、まだ小林にお礼を言ってなかったな」
「お礼?」
「ありがとう。小林が俺を認めてくれたおかげで、俺は前に進めるだけの自信を手に入れられた。これだけはちゃんと伝えておかねぇとって思ってたんだ」
「え、なになにケー君が急にデレた!? もしかしてフラグが立った!? やっと、やっとだよ! 今までの苦労が報われる瞬間が来たよ!!」
きゃーっと両手を頬に当てて首をブンブンと横に振るう。いちいち訂正するのが面倒になって、一人で盛り上がっているが放っておく事にした。
「(あの一歩。境目を助けようと踏み出した小さな一歩は、今回の一件の確かな成果だ)」
記憶に焼き付いている『赤色』は、やっぱり眩しくて、途方に暮れる程に遠い。だけど、今はその距離に絶望していない。漠然と前に進むのではなく、しっかり自分の現在地を受け入れて、少しずつでも歩き出せるようになったから。
まだ『本物』になれなくてもいい。
今は『
きっとこれからも、『あの人』の真似をして探偵なんて胡散臭い商売をしていれば色々な騒動に巻き込まれるのだろう。その時に後悔のない選択を繰り返していけばいい。そうすれば、いつかは絶対に憧れの背中に追い付ける。今はそう実感できるようになった。
道のりは長い。
まだ歩き出したばかりだ。
そう思いながらコーヒーを飲もうとしてグラスを持ち上げた瞬間――
「……っ!?」
目線を上げた先にいた人影を見て、思わず声を失ってしまった。
顔のラインを隠す程度の黒髪ショートカットに、猫みたいにしなやかで小柄な体。縁のない眼鏡が幼い顔に知的さを加えている。茫洋とした黒い瞳に、透き通った水のように清らかな空気感。美術館に飾られている像よりも整った容姿からは、氷で創られた野花みたいに儚い印象を受けた。
「
「どうしては酷いですね。もう一人の
くすっ、と白魚のような指を添えて淡い色の唇を綻ばせた。
何気ない仕草なのに、名家のお嬢様が社交界で披露するような品格を感じる。それは
死に損ないの神様と自己紹介した
「……一体、何をしに来たんだ?」
「探偵をしているとソラから聞いていましたので、早速様子を見に来ました。お願いしたい事もありましたし」
内側に秘めたモノからは想像できない程に人懐っこい笑みを浮かべて、境目は控えめな胸の前で両手を組む。
「圭一さん、
「は、はあっ!?」
「
「ちょ、ちょっと待ったあーーーっ!!」
スプーンを口に加えたまま呆然と固まっていた小林が、バンッとテーブルを叩いて立ち上がった。欲しいオモチャを前にした子どもみたいに両目をキラキラとさせる境目へズンズン近づいて行って仁王立ち。びしっ、と鼻っ面に人差し指を突き付ける。
「黙って聞いていれば勝手な事を! てか貴女は一体誰なんだいっ!!」
「
「お礼なんて必要ないよ! ケー君なんかに気を遣う必要はないね!」
「おい小林、お前さらっと酷い事を……」
「シャァラアアアップ! ケー君も酷いよ、アタシっていうヒロインがいるのに新しい子を連れてくるんだから!! ハーレム反対ダメ絶対! 立ち上がれ労働者、雇用者の横暴を許すな!!」
「安心してください
「ほおう? なら、その礼儀とやらを態度で示してもらおうか」
「はい。では、これを差し上げます」
「こ、ここ、ここここここれはっっ!!」
境目が持っていた紙袋から取り出したCDケースを見た瞬間、小林は目の色を変えて飛び上がる。ガバッ!! と目にも止まらぬ早さでCDケースを奪い取ると、お宝を発掘した考古学者みたいに天へと掲げた。
「バインドのCD! しかも活動初期に参加した即売会で三十枚しか作成されていない幻の逸品だよ! オークションに出品されたら十万円はするって噂されてるお宝!! い、いいの本当にもらっても!? 絶対に返さないよっ!!」
「問題ありません。実は
「採用っ! ケー君この子は即採用っ! 今この瞬間から空ちゃんはアタシ達の仲間だ!」
「……ちょろい」
「得をする時に得をするのが経済的な判断なのだよ!」
「まあ、丸く収まってくれたみたいで一安心だよ」
呆れ混じりに溜息を吐いてから、真剣な表情を浮かべて境目に向き直った。
「俺も特に反対する理由はねぇよ、一緒に活動してくれるってなら大歓迎さ。事務所って程でもねぇ弱小集団だが、それなりに危ない橋を渡る事もある。だから、ソラの力が必要になる時もあるはずだ。……ただ、正式に加入を認める前に一ついいか?」
「はい、何でしょう? 何でも申し付けてください」
「俺とアンタが同類って、方向性が正反対って、どういう意味なんだ? それだけ教えて欲しい」
「ああ、そんな事ですか。てっきりメイド服を着てアレコレ命令されるのかと思いましたよ。趣味だと仰っていましたし」
「……ケー君、初対面の女性に何を言ってるの?」
「冗談だよ、真に受けるな。場を和ませるために口にしたウィットに富んだジョークさ」
「メイド服が好きなのは本当なくせに」
小林にゴミを見る目を向けられるが、口笛を吹く真似をして視線を逸らす事しかできない。そんな様子を見ていた境目が、クスクスと上品に口許を小さく振るわせた。
「圭一さん、同類とは言葉通りの意味ですよ。
「正反対の、目標?」
「はい。
鈴を鳴らしたみたいな可憐な声で告げた。
「『本物』に憧れる『偽物』の貴方と、『普通』に憧れる『特別』な私。ほら、根っこは同じで方向性だけが正反対でしょ? なかなか会えないのですよ、貴方みたいな人には。貴方と一緒にいれば、
「言いたい事は分かったけど、俺が君に何かをしてあげられる保証なんてねぇぞ」
「問題ありません、ただ一緒にいてくれるだけで良いのです。それに――」
嬉しそうに微笑んだ境目は、ほんの少しだけ眼鏡を下にずらした。
青。
両目に浮かぶ
刹那の輝きでも、その瞳から途轍もない神秘を感じ取るには充分だった。
「せめて『
すっと、
「これから宜しくお願いしますね、
「ああ、こちらこそ」
そう言って。
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