変わっていった


「――会いに来ましたよ! ヴィルさん!」

「よーし、さっさと帰れ」

「にべもない!」


 そういえば、色々と問い詰めることが残っていた。そう思い至ってヴィルさんに会いに来た昼下がり。部屋の扉を開けた瞬間に、すごく嫌そうな顔が目に入った。……相変わらず顔が怖い。

 まあ、今更そんなことで怯む私ではない。っていうか、ヴィルさん相手に遠慮してたら何もできない。堂々とソファに腰掛け、話をする体制に移る。


「……人間じゃないってことが発覚して心がズタボロな養い子に向ける親切心はないんですか?」


 嘆息すると、ヴィルさんは話をしてくれる気になったようで、私の横にどっかりと腰掛けた。


「ああ、やっぱりな」


 ――ん?


「…………やっぱり?」

「っあ"」


 ヴィルさんらしくない失言を突っ込むと、やべぇって感じの顔をして彼は硬直した。へぇ、ふぅん、そうなんですか。

 まーた隠し事か。ヴィルさんに向ける視線が冷たくなるのが、自分でも分かる。この保護者、いくつ隠し事を抱えてるんだよ。怒るというか最早呆れたような心持ちで、じっとりと隣にある顔を見つめた。


「……いや、これはだな。てめぇにとって、面白くない話、だったから」

「で、何を隠してるんです」


 しどろもどろな言い訳を、ざっくりと切る。ヴィルさんはしばらく頭を抱えて考え込んでいたが、ちゃんと覚悟を決めたように口を開いてくれた。


「まず、俺は……イヴの両親を、殺そうかと思っていたんだが」

「いきなりぶっこんできますね」


 すごく軽率に人を殺そうとしてる。ヴィルさんは本当にもう……そういうところですよ。どうせ、黒髪黒目だからって子供を捨てるような奴なんていらないってところだろう。

 だけど、苦い顔が、それだけで終わったわけでは無いと示している。


「いなかったんだ」

「……は?」

「いくら調べても、どれだけ漁っても。イヴを産んだ人間は、存在していなかった」


 どんな顔をすればいいのか分からなくて、結局、引きつったような笑顔になってしまった。いや、だって……ねぇ。私を産んだ人がいなかったなんて、そんな。

 でも、ヴィルさんがこんな嘘を吐くはずない。それに、ヴィルさんがいくら調べても、と言ったということは。本当に、この世界のどこにも、私と血の繋がった相手はいないのだろう。


(……なんでだろう、悲しいとかは、ないけど)


「わりぃな、……そういう顔をするだろうから、黙ってたんだよ」

「……天涯孤独だとは思ってましたけど、そこまでだとは」


 軽口を叩こうとして、失敗してしまった。ヴィルさんは、痛ましげな目で私を見ている。……駄目だ。しっかりしないと。人間じゃないっていうのは、もう分かったことなんだ。

 だから、私を産んだ、人がいないのは――むしろ僥倖だ。

 そう思う。そう、感じた。だってそうでしょう。


「よかった、です」


 エーファのような、悲劇は、どこにもなかったんだ。

 産み落とした子を見て、狂った母は。どこにもいない。

 よかった。……本当に、よかった。


「私は、捨てられたんじゃ、なかったんですね」


 苦しんで、悩んで、狂って。私を捨てる選択をした人はどこにもいない。それに、ただひたすら安堵した。今までの人生も、そうだったのだろう。親に捨てられてばかり、だったのではなく。――親なんて初めからいなかった。

 ヴィルさんは、なんかちょっと理解し難いものを見る目で私を見ていた。


「てめぇは、怖くねぇのか」

「何がですか?」

「血の繋がった家族が、どこにもいねぇんだぞ」


 首を捻る。そもそも、アナスタシアは血の繋がった父母を自らの手にかけたし。それ以外の人生には、血の繋がりは必要なかったし。……怖くないか、と聞かれても。


「でも、私の家族はもういますから」


 シスターがいる。ヴィルさんがいる。龍族の皆がいる。――そして何より、レオンがいる。

 故に、私は私を定義できるのだ。なにも、怖いものなんてない。


「確かに、どうやって産まれてきたのかは不思議ですけどね。私が化け物だろうが何だろうが、レオンは気にしないらしいので。私も私が何だろうが気にしないことにしました」

「……惚気か?」

「えっ、惚気けていいんですか!」

「やめろ!!」


 うわすっごい拒否された。そんなに私の惚気が聞きたくないのか。まあ、聞きたくないか。よく考えたら、私もヴィルさんが誰かとそういう仲になって惚気けてくるって考えたらちょっと嫌だな。微妙な気持ちになる。こう……身内の恋愛についてはそこまで知りたくないな。

 とかいうどうでもいい思考を振り払って、……そこでふと。疑問が生まれた。


「……というか、私に両親がいないということは。さては……龍族と同じ産まれ方をしてますか?」

「そうなる、な」


 独り言のような疑問に、ヴィルさんが肯定を返す。そこらへんどうなってるんですかね。多分、前代未聞の自体だから、何がどうなって私がこうなってるのか全然分からない。

 分かるのは、たった一つ。


「じゃあ、きっと。次に生まれ変わる時も、全部覚えていられますね」


 レオンを独りぼっちにしなくて済む、という。それだけだ。

 安堵したように呟く私を見て、ヴィルさんは緩やかな笑みを浮かべる。


「……よかったな、イヴ」

「はい」


 私も、笑った。心から。憂いが一つ、消えたように。




 ――と。まあ、穏やかな会話はここまでにして。ヴィルさんを問い詰めるという作業がまだ残っている。なんかヴィルさんってばもう会話が終わったような雰囲気を醸し出してるけど。私の本題ここからだから。


「で、聞きたいことがあるんですよ」

「……癇癪を起こすなら、先に言えよ。結界張るからな」

「ヴィルさんの結界は信じられないので、私が張ってあげますね!」

「先に言え、つってんだよ……!」


 はい。嫌です。でも、今日の私は癇癪を起こしに来た訳ではない。単に、残っている隠し事を暴きに来ただけだ。


「赤い死神」


 ここに来てから二三度聞いた、不穏な呼び方を口にする。ヴィルさんは、実に面倒くさそうな顔をして私を見た。


「どういう意味なんですか?」

「それは、てめぇには関係な――」

「――私のための隠し事には、もううんざりなんですよ」


 頑張れば私でもヴィルさんに傷の一つくらいはつけられる。その意志を込めて、じっと目を見つめる。


「……別に、面白い話じゃねぇぞ」


 根負けしたのは、ヴィルさんの方だった。呆れたような呟きに、笑顔で承諾を返す。面白さとか今回求めてませんからね!


「あぁー、っと。まず、前提として言っておくが。これは、普通なら絶対に起こらねぇ事態の話だ」

「はい」

「分かったな。てめぇは、ただ……無関係な過去の話を聞くだけだ」


 そう前置きをして、ヴィルさんはちょっとだけ遠くを見るような目をした。


「……あれは、確か。千四百年、くらい前だったか」

「あっ。この国ができた時あたりですね」

「そうだ。……まあ、面倒くせぇから簡潔に言わせてもらうが」


 なんの気負いもなく。なんの、躊躇いもなく。ただ、昔読んだ面白くない本の内容でも語るように。


「俺は、同胞を殺したんだ」


 ……馬鹿げたことを、告げた。


「――は?」


 龍族に、死の概念はない。そのはずだ。なのに、何を言っているんだろう。うまく理解ができなくて、言葉が何も出てこない。そんな私を見て、ヴィルさんは目を細めた。炎が、揺れる。


「だから、同胞殺しの赤い死神だ。ほら、面白くもなんともねぇ話だろ?」


 面白い、とか。面白くない、とか。

 そういう次元の問題じゃないと、彼は理解していないのだろうか。


「龍族は、死なないんじゃ」

「死なねぇよ。本来はな」

「じゃあ、どうして……」


 ふ、と。馬鹿にするみたいに、笑う音がした。


「奴は、人間の女に恋をした」


 ……それは。

 それは、『誰』の話だろう。


「アレは、白い龍だった。この宮殿にも絵があるよな。あれだ。あの白い龍が、人間の女を愛して、その女を看取って――死を望んだ」


 きっと、私達の前にも、有り得る未来だ。それでも、無関係な過去のことだと、ヴィルさんは語る。


「俺は、龍王の次に強い龍だ。だから。……いや、きっと詭弁だな。奴が死を望んで、俺はそれを叶えた。その結果、俺は死神扱いだ」

「どう、やったんですか」

「奴の存在を魂ごと、燃やし尽くした。それだけだ。――ただ、きっと、もう二度とあんなこたぁできねぇよ」

「どうして」

「あれは、俺がやったんじゃねぇ。……アイツが、俺にそうさせたんだ」


 ただ疑問を垂れ流すだけの私に、ヴィルさんは苦笑しながらも応えてくれる。……だって。だって、怖い。

 レオンがいなくなる可能性があることが、ひどく、恐ろしい。それに。


「……同胞が、死んでたのに」

「あ?」

「どうして、龍族は、その死を引き摺ってないんですか!?」


 私の喉から吐き出されたのは、悲鳴のような不安だった。どうして。私の死は、こんなにもこんなにも引き摺っているのに。同胞の龍族が死んでいたということを――おくびにも出さずにいられたの!?

 そう、叫ぶ私を見て。ヴィルさんは、困ったように頭を掻いた。


「……てめぇには、理解できねぇだろうな」

「――っ」

「俺達はいつだって、永遠に飽いていた。龍族は、いつも、停滞という緩やかな地獄にいたんだよ」


 だから。と、ヴィルさんは続ける。私にとって、ひどく痛い真実を。


「一刹那しか生きないような人間に恋をした、あの同胞の死を。――俺達は悼みながらも、ただ受け入れたんだ。永遠の停滞から抜け出した奴のことを、内心では羨んでな」


 レオンは、私が本当に消えてしまったら、死を選ぶのだろうか。その死は、痛みとして刻まれることもなく、忘れられてしまうのだろうか。それは、嫌だな、と。傲慢に、そう思った。


「……お前の死とは、違うんだ。お前の存在は、一瞬だけの閃光でも、しっかりと刻みつけられてしまった。鮮烈すぎた。愛しすぎた。儚すぎた。自ら死を望んで、勝手に満足して逝った奴とは違うんだ」

「……でも、ヴィルさんは、引き摺ってますね」


 皮肉でも言うような調子で、私は彼の言葉を遮った。ヴィルさんはちょっと鼻白んだように口を噤む。


「ようやく、分かりました。ヴィルさんは、その方を殺したから、ずっと自分を責めていたんですね」


 彼の心のどこかにある、贖罪のような雰囲気は。きっと、そのためだ。


「……ねえ、今度は私があなたに聞きます」

「んだよ」

「あなたはまだ、あなた自身のことが嫌いですか」


 ヴィルさんは、言葉を探すように、何度か口を開いては閉じてを繰り返した。そうして、しばらくが経ってから。


「……分からねぇ」


 弱音でも吐くみたいな声で、呟いた。


「よかった」

「何がだよ」

「分からないならきっと。……いつか、許せます」


 レオンが死ぬ未来を、少しだけ想像した。でも、きっと。それは、私がもうどこにもいない未来だ。魂としても、私が存在しない程の未来。だったら。彼が、もしそれを選ぶ日が来るとしても。

 ……優しい思い出で満たされていてほしい、と。そう思うのは、傲慢だろうか。


「てめぇ、変わったな」


 なんだか呆然としたような声に、私は笑顔で返す。変わった。ええ、そうでしょうね。だって。


「幸せボケってやつ、かもしれませんね!」


 私はようやく、自分のことを許せそうなんだから。

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