祈っていた


 さて。私の部屋は今、大改装されている最中だ。そして、私はレオンと婚約している。ヴィルさんは、部屋に入れてくれなかった。結論。


 ――結婚前の男女二人は現在、同じ部屋に暮らしている。

 やっぱり頭おかしいな、これ。何でこんなことになったんだろう。大体がレオンのせい。レオンが悪い。私の軽率なプロポーズに大いに喜んで外堀を固めてきたレオンが、悪……私が悪いなぁ! ごめんね!!

 それに、別に軽率なんかじゃなかった。私はレオンが好きで、究極的には、レオンが笑っていればそれだけでいいから。だから、私が隣にいれば大体幸せそうな顔をしてくれるレオンを見ると、もう何でもいいかなって気分になってしまう。結婚でも何でもしてやるよ! もしかしたら私はもうヤケになってるのかもしれない。いや、これはアレですよアレ。愛。愛です。


 そういうことで。あと、これまでの軟禁生活のせいで心理的なハードルが下がっていたこともあって。アナスタシアが住んでいた頃とは違い、寝台が二つになった部屋で共同生活を送っている。

 ……これは、私の希望が通った形だ。レオンは私から離れることを拒否したが、私も流石に同じ寝台は辛い。同じ部屋も固辞したかったが、なんかもう無理でした。


 そんなこんなで。

 私は、長生きするための魔道具の考案を、部屋で行っていた。隣には、暇そうなレオンもいる。隣……隣? ほぼくっついてるけど、これは隣か……? 私と融合しようとしてないか……?


「……婚礼発表のドレスは、どうする?」

「それでいいですよそれで。ほら、その黒いの。レオンの髪の色ですし」

「新しく作ると言っただろ。というか、これはアナに合わせて作ったものだから、お前には合わない。……だが、俺の髪の色は、アリだな。俺の服も黒にしよう。お前の髪の色だからな」

「はいはい。……えっと、この術式とこの術式が反発し合うから、ここはこうして。あと……は、ここの繋がりがおかしいかな。ああ、だったら、ここの順番を入れ替えて、と」

「今度、商人を呼ぼう。そうだな、服と併せて装飾品や靴も揃えよう。お前に似合うものなら、何着でも買いたい。というか買う。金ならあるからな」

「無駄遣いは駄目ですよ。一着でいいです、一着で。……っと、ああ、駄目ですね。魔力の流れが美しくない。ここと、ここと、ここ……。魔力が周囲に拡散され――」

「――おい、イヴ」

「服にお金をかけるのって、あんまり好きじゃないんです」


 レオンに視線を向けることすらせず、作業を続ける。ちなみに、この魔道具は私の短命の改善には役立たない。つまりゴミだ。単に、魔道具作りの勘を取り戻すためだけに作っている。あと楽しい。

 ……先日、私がレオンにプロポーズをしてから。ずっと、こうだ。レオンは私にへばりついて離れようとしない。軟禁されてた時の方が自由があった気がするくらいだ。

 好きじゃなかったら今頃何度か蹴りを入れている。だけど、この世界の全部の幸せを手に入れたみたいな顔を見ると、何も言えなくなるんですよねぇ。これはもうアレだ。幸せボケってやつだな、うん。 


 ――このままでは私、春に死にますがね!! ボケてる場合じゃない。春まで半年を切ってるんですよ……! 考える頭を休めるな。

 だって、死にたくない。というか、死ねない。人間と龍族の関係性のためにもまだ……。何で私は死ねない理由を自ら作ってるんだ……頭湧いてるの? やっぱり英雄王は救い難い馬鹿だったか。


 作業に向かったままの私に、レオンの視線が突き刺さる。やがて、ずっと隣にいたはずの彼は、私の方に頭を乗せてきた。ひぇ、愛しい……。


「おい、イヴ」

「はい?」


 平静を装って彼の方を向く。こちらを見上げる青い瞳には、薄っすらとした怒りが滲んでいた。


「なぜ、俺を見ない」

「私がなんのために頑張ってるのか分かってますか?」

「この国の未来だろ」

「レオンとずっと一緒にいる未来のためですよ」


 レオンは目を瞠る。私は、また手元に視線を戻した。はーやれやれ。私がどれだけレオンのことが好きなのか分かってないのかこの男は。


「私が長生きすれば、レオンとずっと一緒にいられるじゃないですか。だから、私は頑張るんです」


 あなたと一秒でも長く一緒にいたい。そのためなら、多少の無茶くらいはしますよ。

 言い切ると、レオンは照れたように視線を逸らす。そして、話も逸らしだした。


「……そういえば、あの、反乱を鎮めたときの魔術だが」

「死という概念を精神と魂に叩きつけ、そこで受けたショックをそのまま肉体に反映させる魔術です! ちなみに、あの空間から這い出てきた闇が死という概念そのもので……」

「魔術を語る時だけ生き生きしてるなおい。あと、何だそのえっげつない魔術……怖……」


 龍族の王様に引かれた女は私です。本気で恐怖に慄いてる顔止めて。


「……で、あの時の魔術が何か?」

「お前、あの時、魔素の方使ったか?」


 魔素。大気中の魔力のこと? 何を言ってるんだろう。人間にはそんなことできないのに。首を捻りながら、私は答える。


「いえ、私自身の魔力ですよ」

「そうか。……なるほど」


 何かに納得したように、レオンは頷いた。そして、おもむろに口を開く。


「お前は、もう人間ではないんだな」

「――は?」


 今、何を言った。何を、断言した。

 レオンの顔を凝視する。いつも通りの、何も気負っていない、穏やかな顔をしていた。何、それ。そんな顔で、そんなこと、言える?

 冗談だろう、と、笑い飛ばそうと思った。無理だった。だって、レオンが嘘を吐いているかどうかなんて嫌でも分かる。本気だ。嘘偽りない、本当のこと。


「あの時さ、使用されている魔力の波動が、魔素を土台としてたんだよ。だから、あれは人間の魔力じゃない。人間では有り得ない。つまりお前は、もう……人間なんかじゃないんだ」


 歌うように。詩でも諳んじるように。レオンは言葉を続けていく。私の動揺なんて目に入ってないみたいに、ただ、ただ。……嬉しそうに。


「多分、もっと俺達に近い」


 ひっ、と。私は小さく、悲鳴の成り損ないみたいな声を上げた。何が怖いのかなんてもう分からない。

 レオンの瞳が、どろりと蕩ける。彼の抱いている執着とか愛情とか、そういう感情が、私の喉を締め上げるようで。ほんの少しだけ後ずさった。


「何、それ」


 自分の手のひらを見下ろす。血色の悪い、でも、人間そのものの手だ。でも、違うのだろうか。生き物として、根本が、違う。

 じゃあ、私は『何』だ。


「お前は、イヴだよ。俺の唯一の、心の在り処だ」


 頬に、彼の手が触れた。

 なぜか、ひどく、熱かった。


「そして、人間じゃないなら、お前の短命も解決するんだ。お前の体内保有魔力が龍族と同じなんだから、そのままの放出が可能になる。解るな? 前提が覆るんだ。……お前は死ななくて済む」


 死なせないよ、と。レオンは囁いて、笑う。

 まるで、神様に誓うかのような声に、私は笑い返すことさえできなかった。息を呑んで、それから。


「……どうして」


 零れ落ちた疑問の意味が、自分でもよく分からなかった。レオンは不思議そうに目を瞬かせる。なんで。なんで、だろう。


「どうして、笑うんですか」

「嬉しいからだよ」

「何が?」


 何が嬉しいの。私が人間じゃないから。死ななくて済むから。私があなた達にもっとずっと近い存在だったから?

 分からない。解らない。判らない。ただ、目の前にいるのが誰なのか。目が眩んで、一瞬だけ見えなくなった。


「お前と離れなくていい未来があることが」


 私は人間じゃなくて。でも、龍でもなくて。私の定義が崩れ落ちて壊れて消えていった中、レオンだけがはっきりと喜んでいる。

 私が死ななくていいことに。私がすぐに死ぬ人間じゃないことに。ただ、歓喜している。

 ぐらつく足元を意識しないように、一度だけ目を強く閉じた。


「私が、化け物でも」

「お前はお前だろ」

「私が人間じゃないなら、私は何なんですか。どうして生まれ落ちたんですか。龍族でもない。人間でもない。なら、化け物ですよ」


 レオンにはきっと、この恐怖は理解できない。何度化け物だと自分を評しても、根本的なところで私は自分の人間性を信じていた。なのに、人間じゃないなら、私は私の何を信じればいいのか分からない。何も分からない。頭が回らない。


「化け物だろうが構わない」


 なのに。

 レオンの声だけは、いつもいつも、明瞭だ。


「お前は、俺にとって、たった一つの宝物なんだ」


 彼の手が、柔らかく私の頬を撫でる。本当に、言葉通りに、宝物を愛でるように。


「お前が笑って幸せだって生きているなら、何だっていいよ。お前が化け物でも怪物でも、いつか俺を殺すとしても。今、ここにいるお前が幸せだって笑うならそれだけでいい。他の全部のことが無意味で、無価値だ」


 なんですか、それ。笑ってやろうと思った。愛の言葉にしても行き過ぎだと、笑い飛ばしたかった。なのに。


「――っ」


 頬を、熱い雫が滑り落ちる。何度も何度も、頬を滑って、レオンの手のひらを伝って、落ちていく。私ではもう制御できない。嗚咽を漏らさないようにするだけで精一杯だ。


「泣くな」


 幸せだって笑ってほしい。それは、私の願いだった。レオンが、私の隣で幸せだって笑うなら、他の何もかもがどうでもいいの。そう考えてしまうほどの感情を、あなたも私に抱いているなら。

 ……ああ、確かに。何も変わらないかもしれない。私だって、そう言う。レオンが龍族の王様じゃなくっても。レオンが道端に生えている雑草だとしても。私は、レオンがレオンなら世界で一番大切で愛しいって。そう、断言できるから。


「わ、たしが」


 私が私を信じられなくても、彼はきっと私を信じるのだろう。

 そして、私は。……レオンのことだけは、他の何が信じられなくても信じられる。


「わたしが、人間じゃ、なくても。この国を、あいしても、いいですか」

「お前がそうしたいなら、そうすればいい」

「……レオンは。わたしが人間じゃなくても、この国を守ってくれますか」

「お前の望みなら、何でも叶えるよ」


 本気の声音だった。それが嬉しくて、私は泣きながら笑う。レオンも、少しだけ潤んだ目で私を見つめていた。


「だから。ずっと俺の隣にいてくれ」


 何も叶えてくれなくていい。レオンがどうしても嫌なら、守ってくれなくていい。私を傷つけるのも、レオンなら構わない。

 そんなことは言えないから、呑み込んで。私は、レオンの手のひらに頬を擦り付けた。


「信じてもいない神様に、永遠を祈りましょう」

「……?」

「あなたが好きだってことです。私は、レオンがいないと、幸せだって笑えないから。……あなたの隣にいられる今が、永遠ならいいなって、考えたんです」


 何度でも。何回でも。伝えたいなって思った。きっと何回伝えても、本当には伝わらないから。私が龍族ばりに重い感情を、二百年抱え続けてきたことなんて。……きっと、知らないままでいてほしい。


 人間じゃない自分に、動揺して恐怖していたくせに、心のどこかでは安堵していた事実なんて。

 あなたから離れる理由が一つなくなったことを喜ぶ、醜い私なんて。

 ……知らないでね。好きなひとには、綺麗な姿を見せていたいから。


 と、ちょっとばかり恥ずかしいことを言った私を、レオンはまじまじと見つめてくる。何。涙はもう止まりましたけど。


「……永遠、か」


 ぽつりと零された声に、ただ頷いて返す。そう。永遠。そんなものはどこにもないけれど。祈るのならば、願うのならば。……この日々が、どうか。


「俺も、祈っている」


 頬に触れた手が、私の顎を持ち上げた。目の前にレオンの顔が近づいてきて、慌てて目を閉じる。唇に、ほんの刹那。熱く濡れた吐息がかかり。


「――」


 二人きりの部屋で、祈るように。あるいは、誓うように――口づけを交わした。

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