演じていた


 反乱が起きるのは、今に不満があるから。未来に希望がないから。望む未来を手にするために、例え英雄がいなくとも、人々は立ち上がり武器を取るのだ。

 英雄がいなくても。強いたった一人がいなくても。人間はちゃんと立ち上がれる。立ち上がり、前を向き、力を合わせて暴力に立ち向かうことができるのだ。

 そう。私なんていなくても、この国は救われてたのかもしれない。でもね。


 ――忘れるな。その手に握った武器は、覚悟の証だという事実を。




「ねえレオン。これ本当にいけます? 大丈夫ですか? 私殺されませんよね?」


 人々の、怒声が聞こえる。その視界からは入らない位置にいることを確認して、私はレオンの手を引っ張っていた。武器を持つ人々は、城門を突破しようと勢い込んでいる。

 ……こんなに多いなんて聞いてないんですけど。ねえ。助けてシスター。あっ駄目だ記憶の中のシスターが首を横に振った。これはもう駄目ですかね。


「土壇場で怖気づくな」

「冷静に考えると、本当に何なんですかこの作戦。これで騙されるような民衆、私は嫌ですよ」

「大丈夫だ。お前ならできる。お前に不可能なんてない」


 慰めが雑。レオンも緊張しているみたいで、手汗がすごい。……じゃあ、しょうがないか。私もレオンも、これがうまくいくかなんて分かってない。それでも、ここまで来たらやるしかないんだ。

 ドレスの裾を整え、髪飾りの位置を確認して、私は一度だけ深呼吸をした。


「……ねえ、ちゃんと、手は握っててくださいね。絶対に離さないで」

「ああ。死んでも離さないから安心しろ」

「すみません、死んだら離してください」

「死体を引き摺ってでも離さないからな。永遠に離さないからな!」

「そこまでいったら離してください。何でそこで謎の執念を発揮しようとするんですか……!?」


 こんな時でさえ軽口を叩く私達はもう駄目かもしれない。そう考えるとなんだか笑えてしまって、少しだけ緊張が解れた気がする。


 ――よし、大丈夫。行こう。


 あなたと一緒なら、不可能なんて何もないはずだ。

 幼い盲信に似た思いを胸に、一歩前に踏み出す。瞬間、太陽の光が目を刺した。同時に、民衆の視線が私を射抜く。視線が人を殺せるなら、私は今、何百回と死んだのだろう。それほどの、質量があった。

 かつて、暴虐王を殺した時、民衆の前に姿を現したあの場所だ。集まった民衆からよく見えるこの場所に、私は再び立つ。あの時とは違う、視線を受けながら。


 胸を張って。背筋を伸ばして。何も怖いものなんてないような、笑顔を作って。

 アナスタシアのように。英雄みたいに。

 アナスタシアの、格好をして。


「――静まりなさい、皆の衆」


 罵声が。怒声が。憎悪が。私の声で、一気に掻き消えた。代わりにそこにあるのは、困惑と混乱と、……ほんの僅かな期待だ。英雄なんてどこにもいない。英雄王と呼ばれた彼女は死んだ。だというのに、民衆はまだ、お伽噺の姿に希望を見る。


「英雄、王……?」

「そんなわけ無いだろ。だって、あれはお伽噺で――」

「でも、あの髪と眼、は」

「偽物だろ……!」

「待って。あれ……龍王じゃないか」


 だって、この国は、英雄を望んでいた。

 あの時も。今も。……助けてくれる誰かを、願っていた。強くて、身勝手な希望を背負えて、ただ誰かのために立ち上がれる存在を。希って、でも、それがいないから、自分達が武器を手に取るしかなかった。

 あの時は、私がいた。レオンがいた。何よりも、分かりやすい悪が、いた。今は違う。英雄はいない。この国を覆う歪みには、確かな悪意なんて存在しない。だから、人は足掻くのだろう。


 幸せになるために。

 死にたくないから。

 愛する人を守るために。

 誰にも死んでほしくないから。


 ――弱くても、立ち上がることができる。その強さが、ただ、眩しかった。ただ在るだけの弱さも強さも、罪じゃない。ただ、その振るい方だけだ。そう私は知っている。人間の弱さに迫害され、龍族の強さに救われた私は。人間の弱さも龍族の強さも愛している、私は。そう思う。だから。

 両手を広げて、舞台の上にいると意識して、大仰に。私は声を張り上げる。


「私は、アナスタシア。英雄王と呼ばれていた者です」


 ざわめきが、広がった。


「死者が何を言うのか、と思われるかとは存じます。ですが。私は今のこの国の在り方を認められません。……どうか、今だけは。武器を下ろして、ただ、私の言葉を聞いてください」


 息を吸って、吐いて。ただ、言葉を続けていく。


「……かつて、この国には、憎しみに囚われた王がいました。暴虐王と呼ばれていた彼は、その権力を使い、人々を絶望と恐怖に陥れ。……そして。この国は、誰も幸せになれない国となりました」


 しゃら、と。髪飾りが耳元で鳴った。そんな音さえ大きく耳に届くほど、今は静寂が広がっている。


「私は、彼を排し、この国の在り方を正したはずでした。しかし、今のこの国は、かつてのように……強過ぎる力によって、支配されています」


 隣に立つレオンを見上げた。力の象徴のようなあなた。誰よりも強くて、恐ろしいあなた。……人間にとって、暴力的なまでの力は、きっと恐怖を煽ったに違いない。


「ねえ、あなた達。龍はお嫌い?」


 そういえば。かつて、英雄王のことを、彼は哀れだと言っていた。誰かのためだけの、贖罪のような生き方だと。この国のためだけに捧げられた私の人生が、名前も知らない誰かのための献身が、哀しいのだと。

 今更ながら、確かにそうだな、って思った。誰かのため。贖罪のため。独善的だったけど、私は、自分の人生なんてほんのちょっとだけしか歩けなかったんだから。

 でも。


 『英雄王』を見る、沢山の瞳を見返す。そこには、期待があった。希望があった。理想があった。

 語り継がれる物語に、本当の私なんていないかもしれない。私がこの国に理想を押し付けたように、人々も私に理想を押し付けてきたのかもしれない。そうして、今もなおその姿に何かを望む様は、誰かが言ったように醜いのかもしれない。

 ……でも。私は、それもひっくるめて。


「――でもね、彼等がいなくなったら、この国は滅びますよ」


 犠牲になったのは、私だけじゃない。龍族の皆も、人間の民も、だ。どちらのことも私の理想に巻き込んで、食い潰して、今の今まで利用してきた。レオンやヴィルさんが、私の理想のために人を殺したならば。その果てに、この結末があるのならば。


「この国が戦争をしなくてもよかったのは。この国が他国に侵略されなかったのは。龍族の皆のおかげです」


 この国に軍隊はない。二百年前に、暴虐王が解体してしまったから。なによりも、……戦うことができるほどの強さを持つ人が、いなくなっていたから。

 龍族の庇護下にある限り、人間では手出しができない。この国はそれなりに大きくて、古い体制が残っていながらも、今はそれなりに豊かだ。私が即位したあの時は、国の内部だけじゃなくて外側にも敵が多かった。でも。


「――なら、俺達に諦めろって言うのか。この国の在り方を否定しただけで殺された隣人の死を、受け入れろって!?」

「いえ。……いいえ。そうして立ち上がった、その覚悟を。私は正しいことだと思います。あなた達は、暴力に屈しなかった。それを、尊いことだと断じます」


 この国は、歪んでいる。どうしようもなく。ただ絶望的なまでに。私ではどうしようもできないほど、壊れている。

 それを理解した上で、私はただ微笑んだ。そうだ。笑え、笑え、笑え。人間が信じる英雄を、今だけでも演じるんだ。そういうのは、得意でしょう?


「私は、ね。弱くても虐げられても優しさを忘れない人が、当たり前に幸せだって笑える国が欲しかったんです。こうして立ち上がれるあなた達みたいな人達が、今日も明日もその次も。未来を信じて笑えるような、国が」


 ――あなたは生まれてくるべきではなかったの。

 夜の帳を下ろすように囁く声を思い出した。あなたの言う通りだったかもしれないね。でも、もう、産まれてきたことを罪だとは思わない。


「じゃあ、どうしろって言うんだ」

「……アンタが龍族を殺してくれるっていうのか!?」

「何が英雄だ。どうせ俺達の気持ちなんて分かるはずがない……!」


 隣から殺気を感じて、視線だけをそっと向ける。あ、駄目だ怖い。レオンが怒ってる。何も見なかったことにして前を向いた。


「――あなた達は。どんな明日が、いいですか」


 何も分からないよ。普通の人達がどんな未来を望んでるのか、私には分からない。私が馬鹿だからかな。私が、化け物だからかな。

 問いかけに、ざわめきが広がっていく。その、戸惑いの声を聞きながら。私はそれでも言葉を続けた。


「この国に生きる人、皆が一つの曇りもなく幸せになれる明日なんて、あり得ません。私の理想だって、きっと。……きっと、誰かにとっては悪夢で。忌むべきもので。私を英雄なんて呼びたくない人だっているんだとは思います」

「……お前」

「でもね。理不尽を殺すことはできます。あなた達が今恐れている未来が現実にならないように、龍族によって命を奪われることがないように、そんな明日を作るためにできることだってあるんです」


 私を英雄なんて名前で呼ばないで。叫んでいたのは、きっと、無力で幼くて何も持っていない、子供だったアナスタシアだ。家族が欲しいだけだった、優しい人が幸せになれる未来なんて曖昧な理想を抱き締めていた、あの子供が。私の頭の中でずっと泣いている。……泣いて、いた。

 もういいよ。許すよ。産まれてきたことを、きっと。私を、私が、許すから。


「……だから、武器を置いて、これからの話をしましょう」


 隣を見上げて、笑いかける。レオンも、ちょっと不器用に口の端を上げて笑った。


 ――その、瞬間。


「……っふざけるな!」


 憎悪を限界まで凝縮して詰め込んだような声が、私を耳を、貫いて。


「危ない、アナ!!」


 そして。

 血飛沫が、目の前で、舞った。


「…………れ、おん?」


 赤が。

 鮮烈な、血の色が。地面を染めていく。レオンを、塗り替えていく。私はそれを見ていた。繋いだ左手だけは、離せないまま。ただ、それを。


「……レオン?」


 あなたを。


「よかっ、た……」


 見て。


「――っぁ、あぁ、あああ!!!」


 

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