吹っ切った
「という訳で、帰りますよ!」
客間の扉を叩き開け、私はそう宣言した。呆れ顔でこちらを見たヴィルさんは、いつものかっちりした格好ではなくなっている。あら失礼。
「あ、寛いでました? ごめんなさい。という訳でほら、早く早く」
「謝罪がかっるいなぁおい」
こんな問答してる場合じゃありませんからね。ヴィルさんの腕を引っこ抜くくらいの気持ちで引っ張りながら、視線で訴える。しばらく胡乱に私を見ていたヴィルさんは、少しだけ考えてから、頭を軽く掻いた。
「どういう訳なのか説明……は、しねぇんだろうな! てめぇのことだからなぁ……!!」
「道中でします! 早く帰らないと、……戦争になるかもしれません」
私がとんでもなく深刻な声色で言ったので、ヴィルさんにも伝わったらしい。呆れ気味に顔をしかめてはいたが、すぐに龍の姿に戻り、私を背に乗せてくれた。
「……で、戦争ってなんだよ」
「人間の中で、龍族による支配に対する不満が溜まっています。近いうちに、王都で反乱が起こるそうで……っ」
「んなの、龍族が勝って一瞬で終わる。……っつーのに、てめぇはどうして急いでんだぁ?」
そりゃあそうだ。人間が勝てる道理なんてどこにもない。ぺってすぐに叩きのめされて、それで終わりだ。
それでも、そんなの認められない。だって。風を受けて痛む目を閉じて、息を大きく吸い込んだ。
「――人間と龍族が仲良くなれる未来が、欲しかったんですよ!」
それは。
幼くて、愚かで、叶うはずのない……アナスタシアの理想だった。それでも、私はまだ抱えている。イヴリンも、その願いを持ち続けていた。
私が背負うことじゃない。知ってる。私にはもう口出しする権利も義務もない。分かってる。私はもう英雄王じゃないなんてこと、私が一番よく理解してるんだよ! それでも。……それでも。
「私は馬鹿です。ええ、何度だって認めますしいっそ自分でも言いますよ! 私は頭が悪くてどうしようもない阿呆で気が狂ってます。脆弱な人間のくせに、龍王であるレオンのことを庇って傷ついて記憶無くす馬鹿ですよ!」
この、狂った国は、私が始めたんだ。暴虐王を殺して、英雄と呼ばれた私のせいで国が歪んだなんて、喜劇にもならないけど。……だったら、私が終わらせる。私が正す。
そうしなければならない、のではなくて。――私がそうしたい。
「でも、諦めるのが賢いというのなら、私は馬鹿でいい。だから、私は馬鹿みたいな理想を追いかけ続けます。オフィーリア嬢が今ここにある未来を幸福だと笑ったのなら。レオンが、私との思い出を辛いだけじゃなかったと笑えたのなら。私は未来を紡ぎたい。アナスタシアの呪いを解いて、この国がちゃんと前に進める手伝いをしたい」
記憶を一度失って、何かが吹っ切れた気がする。英雄王の名前を捨ててしまえば、私にはもう、レオンが好きだってことしか残らないんだと気付けたから。そして、……レオンのことが好きだっていうのは。きっと、この国を救う動機にもなる。
理由ではなく。権利ではなく。義務でもなく。……ただの、動機だ。
「そのためには、もう、龍族が人間を殺しては駄目なんです」
ヴィルさんは、呆れたように嘆息した。
「てめぇは、そんなのが本当にできると思ってんのか?」
「できるできないじゃなくて、するんですよ!!」
そうだ。叫んでから、なんだか愉快な気分になって声を上げて笑う。そう、そうだった。アナスタシアは、いつだってそうやって生きてきたじゃないか!
国を救いたい。龍族の皆と一緒にいたい。幸せな未来を、優しい人に与えたい。そんな途方もなくて幼い願いを、理想を、祈りを! いつだってひたむきに、いっそ愚かなまでに真っ直ぐに、できない可能性なんて考えずに前に進み続けたんだ。
あの感覚を、思い出した。
英雄と呼ばれた彼女の、歩き方を。
「ふふっ……あっははは!! ああ、そうですよね。私はそういう人間ですよ! 可能とか不可能とか倫理とか理屈とかは、後で考えることにします! もうそんな正しさは後回しでいい! 私は、勝手にレオンを心配してて、勝手にレオンが好きなだけで……勝手に、理想の幸せな未来ってやつを追い掛けるだけです!」
「とんでもねえ吹っ切り方しやがって……!!」
ヴィルさんは呻くように呟いたが、その声は明るかった。多分、凶悪な面して笑っているんだろう。そして、私も、笑っていた。
「――私らしいでしょう!」
「ああ、くっそ。……てめぇらしいなぁ!!」
……そういえば。私がレオンを庇った時のアレは。もしかして、龍族を恨む人間の仕業だったのかもしれない。だったら、私が記憶を無くしたのは、怪我をした衝撃じゃなくて。
――毒。そうだ。レオンは、毒が塗られていたと言っていた。その、毒のせいで私が記憶を失ったのなら。それは、つまり。
(私が失ったのは、アナスタシア以外の記憶だ。アナスタシアと、それ以外の人生では何が違う? ……決まっている。前の生の記憶があるかどうか、それだけ)
もしかして、私が記憶を失ったのは。……あの毒が、魔力や魂に対して作用するものだったから?
嫌な想像だ。でも、現実味はある。そもそも、普通の武器や毒では、レオンに傷一つつけることはない。それを理解した上で、毒を塗ったのだとしたら。その毒は、龍族にも効くような……。そういった、ものなの、では。
「ヴィルさん、全速力で! 自分に結界を張るので、もう気は遣わなくていいです!」
「っち……わぁーったよ!!」
気が、逸る。
早く、早く――あなたの顔が、見たい。
私のこの心配が、杞憂だと。言ってほしい。
だって、私は……あなたが傷つくのは、もう嫌なんだから。
「レオン!!」
「アナ、お前……っ」
窓から部屋に飛び込んだ瞬間、飛びつくような勢いでレオンに抱き着いた。よかった。無事だろうとは思ってたけど、嫌な想像ばかりをしていたから、彼の顔を見てただ安堵した。
なんか怒ってたけど。すごく怒りに満ちた声を聞いた気がするけど。なんなら、抱き着いた身体がすごく強張ってるけど。そんなことより、まだ無事でよかった。
「……逃げたんじゃ、ないのか」
「はい。ちょっと家出して、記憶取り戻してきました。ただいま、レオン」
「ああ、おかえり――じゃない。は!? 思い出したのか? それなのに、ここに戻って来たのか?」
さらっと伝えた事実に、レオンは笑えるくらい動揺している。ああごめん笑っちゃ駄目だよね。でもすごい顔。レオンの表情筋がかつてないような働き方をしてる。ごめんこれは笑うわ。
私が笑いを堪えていると、レオンは盛大に溜め息を吐く。そして、物言いたげな目でじっとりと私を睨みつけた。
「お前、理解してるよな。俺が、……お前が記憶を取り戻さないよう、ここの結界に細工していたこと」
「いやそれは初耳ですが」
「アナスタシアとしての記憶しかないお前の方が都合がいいと思って、俺がお前をここに閉じ込めてたことも、理解してるよな?」
「そっちは、まあ」
なんでこの男は自分の罪を私に暴露しているんだろう。懺悔かよ。私はシスターじゃないから、許すこともできないんだけど。私が訝しむような目をしていると、頭痛が痛いような顔をしてレオンは頭を抱えてしまった。
「――なら、どうして戻って来たんだ。……イヴリン」
重々しい問い掛けに、私は少しだけ考える。本当のことを言うか、嘘を吐くか、とりあえず後回しにするか。……答えが出るのは一瞬だった。
「あなたと話がしたいから、帰って来たんですよ」
後回しにしておこう。この部屋に敵が入り込んできたことを考えるに、この宮殿は安全とは言い切れない。まずは、どこかに連れ出して。それから。
……それから、本当の話をしよう。
「話? 何のだ」
「そうですね。……未来の、でしょうか」
誤魔化すなよ、と言いたげな視線に、後で話しますよ、と返す。
さて。安全な場所とはどこだろう。人目がなくて、というか、龍目? がなくて静かで真面目な話ができそうな場所。……心当たりが一つもない。駄目だ。引き籠もりでごめんなさい。私には思い浮かばない。
「なあ、イヴリン」
「イヴでいいですよ。なんですか?」
「連れて行きたい場所が、あるんだ」
レオンの目を見る。深い深い青は、凪いだ水面のように静かだった。だけど、その下に、途方もなく大きな感情が隠れているような気がして。私は、そっと頷いた。
連れて行きたい場所がどこなのか、なんて。……本当は、理解しているくせに。
遠い、遠い約束を思い出す。遠い、決意を思い出す。あのね、私、あなたに告白しようとしていたんですよ。内緒だけどね。あなたが好きだって、ずっと好きだったんだって、伝えたかったの。
あの日。アナスタシアが死ぬ三日前の、ようやく訪れた平和な時間に思いを馳せた。
「ええ、私も、きっと……そこに行きたかったんです」
私の言葉を聞いて、レオンは小さく笑う。
薄氷の上の幸せが、崩れ落ちる音がしていた。
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