叩き割った
「やっぱり、食べる量ちょっと頭おかしくないですか?」
「そうだな、お前は本当に食べる量が少ない」
「いえそっちではなく、レオンが食べ過――うわぁ……」
山と表現できそうなほどに盛り付けられていた料理は、私が平凡な量を食べきる前に平らげられてしまっていた。怖。
本来の龍の姿ならまだしも、人間の身体でそんなに食べられるとちょっと引く。
「うわぁ、とは何だ」
「ドン引きしてる声です」
言い切ると、レオンは少し傷ついたような顔をした。あっごめん。でも本音だから許して。
正直、ここまで沢山食べる姿を見ると、私の方が胸焼けしそう。何、嫌がらせか何か? そもそも、龍族って、生命維持のために食事とか必要なかったんじゃないの? なんでそんなに食べてるの。ストレス?
「過食症状は、ストレスが原因の場合がありますからね……」
「唐突に何を言い出すんだお前は」
「だって、以前はそんなに食べてませんでしたよね?」
そうだったか? と言いたげに眉をひそめる彼に向け、力強く頷いた。っていうか、そんなに食事を気にしてませんでしたよね。私は覚えている。
「…………ああ、そうか」
しばらく考え込んでいたかと思うと、不意に。何かに思い至ったかのように、レオンは目を細めた。
「飢えている、のか」
「えっ、それ……まずいんじゃないですか」
何がどうまずいのかはよく分からないけど。なんかこう……。いいの? 身体構造に変化が出てしまったとかいう怖い話じゃない?
「……いいや。アナが心配するようなことでは、ない」
「そうですか?」
「ああ」
そう微笑んだ顔が、お手本のように綺麗だったから。隠された本音に触れることさえできず、私はデザートの果物を口に放る。舌が痺れそうなほどに、甘かった。
「幸せなのに、飢えが満たされないなど」
レオンが何かを呟いたような気がして、顔を見る。だけど、誤魔化すような表情は、何も私に曝け出してはくれなかった。
今日も、レオンは私を部屋に放置していく。さては、私がどうせ逃げ出さないと思って油断してるな? 事実ではあるものの、些か腑に落ちない気分にはなる。何日軟禁されてるんだコレ。
「本でも読みます、か――?」
内容を覚えている本を読むのは大分苦痛だけれど、何もしないよりはマシだ。そう思って立ち上がった矢先。ふ、と。机の上に放置されている『紙束』に視線が向かった。
紙束。これは、レオンが先日読んでいた書類じゃないか?
(……いや、いやいやいや。人が隠してたものを暴くのは流石に――でも、放置していた側が悪いし。そもそも、この状況で私に何も教えようとしないレオンに非がないかって聞かれると、そんなことは全然無いし)
脳内で、一人葛藤する。
その間も、視線が書類に縫い留められているあたり、……私の選択は決まっていたようなものだ。はい。
――結論。私は、悪い人間だった。
「ごめんなさい!」
軽く謝って、一番上の紙を手に取る。中央に記されていた文字を見ると、何かの研究の報告書のようだ。何か。えっと……?
「黒髪黒目の人間における、短命の原因解明と改善について?」
……。
……え?
思考が、止まった。ただ、機械的に紙を捲る。心臓の音が耳元で鳴り響いているようで、世界が遠い。
「第一ケース、アナスタシア。享年……25歳」
死んだ時の状況だの、死体の状態だの。様々な情報が記されているはずなのに、頭に入ってこない。なのに、嫌な現実ばかりが突き付けられる。
本当は、分かってた。理解していた。私が『アナスタシア』ではありえないことを、頭では、理解していたのに。
「……ぅっ」
口元を手で押さえ、吐き気を堪える。何これ。なにこれなにこれなにこれなにこれ。
死んだ? 25歳で? 私が。こんな。呆気なく。こんな、糞みたいな、死に方で。
「――う、そ」
本当に決まってるじゃないか。
だって、本当は。ちゃんと、その魂が、覚えているだろ?
脳裏で誰かが、嗤った。
「嫌、……いや」
レオンの顔を思い出す。私が目を覚ました瞬間の、私がレオンをレオンと呼んだ瞬間の、あの笑みを思い出す。ああ、そうか。彼は私がもう死んでいることを知っていたから、あんなに恐れていたのか。
もう二度と呼ばれないはずの呼び方だったから、必死だったのか。
「やだぁ……っ」
……どうしよう。
知ってしまった。もう、今朝と同じようには笑えない。
だって、死んでいる。英雄王なんて、もうどこにもいない。レオンに傷だけを残して死んでしまった。この国を救っておいて勝手に満足して死に絶えた。
それなら、ここにいる私は誰。何を忘れた? 何を失った? 何を、……消したかった?
「たすけて」
弱々しい自分の声に、いっそ笑ってしまいたかった。もう笑えない。
助けて、なんて。誰に? どうやって? 何を助けてほしいっていうんだ。何も救えない。何にも救えない。亡霊の願いは叶わない。
こんなになっても、何も思い出せないなんて。
頑是ない子供のように蹲り、いやいやと首を横に振る。どうして、何も思い出せないの。どうして、私はここから出ていけないの。扉を見る。鍵は掛かっている。結界は、私では壊せない。
今は、レオンと会いたくないのに。
くしゃ、と自分の顔が歪むのが分かった。でも、泣けない。一人ぼっちでは、泣きたくない。余計に悲しくなるから、それは――。
「――てめぇこんなところにいたのかこの馬鹿が!!」
――何かが割れる、音がした。あと、聞き慣れた怒声もした。
沈んでいた思考が、暴風で吹き飛ばされたような錯覚。ああいや、色的には、そう。何もかもを焼き尽くすような炎の熱で、消えていったのか。
衝撃に動けなかった私は、そこまで思考してからようやく口を開く。どうしてここに、とか。私がここにいるのは私のせいじゃない、とか。色々と言いたいことはあるのだけれど。まっさきに言うべきなのは、きっと。
「ヴィルさん器物破損!!」
「この状況でそれかよ!?」
あっ間違えた。いやだって混乱しててつい。これは器物破損どころか、建物が壊されてないか? 修理費どうしよう。
……いや。もう私は王様じゃないから、そんなこと考えなくても、いいのか。
「どうして窓を割って侵入してきたんですか……」
「てめぇがどこにもいねぇから、……どうせあの糞ガキが知ってると思ってな。まさかここにいるたぁ思わなかったが」
「それはそれはご心配をおかけしました」
へらりと笑うと、ヴィルさんは明らかに不審を抱いた顔になる。やだ、顔が怖い。心臓が弱い人が見たら死にそう。
「……誰だ、お前」
なんて、呑気なことを思考していると。ヴィルさんは、絞り出すように問いかけてきた。ああ。
……意識して、笑みを消す。誰、かぁ。そんなの。
「私が知りたいですよ」
窓をぶっ壊して私を攫おうとする、赤い赤い龍に手を伸ばす。その、精悍な顔がぐしゃりと歪んだ。ああ、また。私は彼さえも傷つけたのか、と。記憶の中にはいない『誰か』の背中を幻視する。
「亡霊? 死人? それともただの妄想でしょうか。何も分からない。何もかもが曖昧で、不確かで、まるで水に浮かぶ月のよう」
アナスタシアは、死んだのだと。薄っぺらい紙切れが突きつけてきた。直視するには痛すぎる現実と、もう二度と戻れない優しい時間。それでも、この数日過ごしたあの穏やかな時間は、あれだけは、本当のはずだけど。
「ヴィルさんは、私が誰に見えますか?」
苦しそうに私を見る炎の色が、一瞬だけ揺らいで、瞬いた。
「……俺の可愛い、養い子」
「そうですか?」
「ああ、そうだ。てめぇがどう言おうが、何を忘れようが、……知ったこっちゃねぇ。どんなになっても変わらない、俺の家族だ」
曖昧に浮いていた手を、強く掴まれる。まるで、そこだけが炎で炙られてるかのように熱い。
「……だけどよ」
一瞬の出来事だった。掴まれた腕が引かれたかと思うと、私は赤い龍の背に乗っていた。
「辛い記憶でも、悲しい過去でも、……思い出したいんだろ」
「はい。忘れたままでは、レオンと向き合えませんから」
「ああ、だろうな。てめぇはいつもそうだ。前だけ向いて、盲目的で、一途」
空から、国を見下ろす。ああ、様変わりしたんだな、と。ぼんやり、そんな感想だけを持った。行きたかった串焼き屋は、なんか占い師が店を構えているし。他にも色々。時間の経過だけが、私の眼前に突きつけられる。
「なあ、アナ」
「はい」
「俺は、てめぇだけが可愛い。他の何が傷つこうが知ったこっちゃねぇが、てめぇだけは別だ。辛いなら逃げればいい。悲しいなら捨てればいい。てめぇを愛さなかったものに、価値はない」
そう思うんだ。と呟く声は、何か深い感情に濡れていた。ああ。
彼が人を殺したのは、私のためだけど。私が望まないことだって、彼は私のために繰り返してきたのだけど。それは、きっと。
「私は、ヴィルさんのことを許しはしませんよ」
龍の背が少し震えた。それを宥めるように、ただ強く抱き締める。
「怒ります。叱ります。何やってるんだーって、引っ叩くかもしれません。でもね」
何を忘れても。
何を、失っても。
きっと、変わらないものはあるのだろう。そう思う。そう思いたい。
私が誰だとしても。この心は、変わらない。
「ヴィルさんは、私の家族ですよ」
「てめぇ、何か思い出したのか?」
「……どうなんでしょう。ヴィルさん、私のために人を殺したりしました?」
「一番面倒くせぇところ思い出したな!!」
空を見る。最近ひどかった雨は、少しずつ大人しくなり、今はもうやんでいた。――直に、晴れるかもしれない。
「あはは。……でも、よかった。少しでも、思い出せました」
誰にも定義できないこの私を終わらせるのは、レオンがいいな。そう思った。ありきたりな、どうしようもない、ただの浅ましい願望だった。
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