呪いだった
例えば、何度も読み返してボロボロになった本とか。何度も作り直した形跡のあるベッドとか。貼り直したのか新品同様になってる壁紙とか。そういうもの。
途方もなく長い時間が流れたのだと、私に突き付けてくるものが、この部屋の中には溢れている。
(――さて。レオンは出掛けてしまったけれど、私はどうしよう)
あの男、私をこの部屋に閉じ込めるくせに結構外出しやがるから、その分だけ私は暇を持て余す。軟禁するなら娯楽を用意しろ。軟禁する者としての美学がないよ美学が。軟禁における美学ってなんだよ。
なんて、そんなくだらない思考が頭を満たすほど、暇なのだ。暇は人を殺せるって言うけど、あれ本当だね。心が死にそう。
取り敢えず、内容を覚えきっている本を一冊だけ手に取った。魔術を行使した際に魔力がどのような変化をするのか、に関する研究書。
人体の保有する魔力はそのまま放出されると生物などに対して毒になるが、魔術として放出されると無害になる。その変化がどのようなエネルギーの移り変わりによって生じるのかを綴った、興味深い一冊だ。
そもそも論として、魔力とは何かを正しく理解することは難しい。肉体を持たない一部の生命体にとっては、魔力そのものが己自身となり。人間にとっては、身のうちにあるただの力であり。龍族にとっては、……何だろうか。
とにかく、魔力とは何かについては、接している存在によって解釈が分かれることが多い。単純に魔術を扱うための燃料だとするような考え方もあるが、……私としては、それは違うと思う。
この黒髪黒目は、途方のない量の魔力がこの身体に内包されている証である。逆を言えば、魔力の存在が、私の身体に影響を及ぼしている。身体の中を血流のように巡っているこの不可視の力は、色彩を通して存在を主張してきているのだ。
魔力は、魔術を扱うことでしか放出されない。……という訳ではなく、魔力そのものの形でも放出は可能だ。しかし、この本にもあるように、人間の保有する魔力は、毒になる。
分かりやすい例が、枯れ果て森だろうか。これは、この宮殿にも絵画が飾られている、白い龍と黒髪黒目の少女の――結末だ。お伽噺でさえ語られることのないその果てで、何があったのかは知らない。ただ、少女の莫大な魔力がそのまま放出された結果。木々は枯れ果て、生き物は死に絶え、そのままになった森が、この国の片隅に存在している。
黒髪黒目が、あるいは、黒い目のあの男が恐れられていたのは、これも理由になるのだろう。
死に絶えたのは、森一つだ。そして、何百、何千年経った今でも、生き物の気配は存在しないという。それは、悍ましいに決まっている。
……何を考えていたんだっけか。ああそうだ。魔力の毒性についてだ。この毒は、一般には、保有する魔力の量が多いほどに強くなると推定されている。つまり、私が魔力を放出した場合、王都くらいは滅ぶということだ。我ながら怖っ。
他に、有名どころというと……魔力過剰による肉体崩壊だろうか。もっとも、これは毒としての作用とは少々異なる。魔力としてではなく、魔術としての形態をとっていても、肉体の崩壊は起こり得るのだ。
人間はそれぞれ、その肉体に保持が可能な魔力の量が定められている。容量を超えた瞬間に、崩れ落ちる。魔術としてでも、それが魔力なのには変わりなくて。だから。えっと。
それで。
(……ああ駄目だ。頭が痛い)
人間という種族そのものに規定されている魔力の上限。外から加えられる魔力ではなく、元々身体に保有している魔力が、肉体の崩壊を及ぼすほどに増えたなら。それは、どうなる。
(あたまが、いたい)
――嫌な思考を振り払うように、本を開く。鈍く痛む頭には内容なんて入ってこなかったけれど、どうせ暇潰しだし、いいか。
ぱら、ぱらと。私が頁を捲る音ばかりが部屋に響いていく。その手は段々と速くなっていった。
しかし。不意に、一文だけ目に止まった。手を止める。一度だけ強く瞬きをしてから、もう一度読み下した。今度は、言葉に出して。
「……龍族が魂を巡らせるのは、その特異な魔力が、魂に刻まれた記憶の消去を妨げているからだと考えられる」
頭痛がまた一段と酷くなった。頭を押さえたまま、本を放り投げる。
龍族の魔力が世界にとって毒にならない理由は、彼等の魔力が世界そのものに満ちている魔力と同質だから。その魔力が理由で、記憶を保ったままの転生が果たされる。
なぜか、そのありふれた考察が、妙に頭から離れてくれなかった。
「死者の言葉っていうのは多分、すべてが呪いになるんですよ」
夢を見ている。これが夢だと確信できたのは、この光景が現実ではもうありえないものだったからだ。
血に濡れた玉座に座る男。血の繋がった、私の父親。この国にとっての敵。誰もに死を望まれていた、この世界を破滅を望んだ人間が、生きていた頃と同じ姿で私の目の前に存在していた。
この世界のすべての絶望をごった煮にしたような闇色の瞳が、私を見下ろしている。それを睨み上げて、私は無理矢理に口角を上げる。そうでもしないと、気が狂いそうだった。
「ねえ、アナスタシア。だからきっと、これも、呪いになりますね」
かつて暴虐王と呼ばれた男は、愉しそうに嗤う。まるで、この世界のすべてを呪うように、昏い目をしているくせに。
「私は――俺は、あなたのことを愛しているけれど、憎んでもいますよ」
子供の頃、私に絵本を読み聞かせたのと同じ声で。
「エーファを殺したあなたが、憎い」
穏やかに穏やかに、呪詛を吐く。
「彼女がいなくなったなら、俺にはもうあなたしかいないのに。あなたは私のことまで殺すんですね。ひどい娘。憎たらしい娘、……俺の娘」
自分の手を見下ろした。真っ赤な血に濡れていた。ああ、そうだ。そう、だろうなぁ。
殺した。私が殺した。私がエーファのことを殺したのだし、私が暴虐王を……アルフレッドを、殺したのだ。両親共に私の手にかけた。覚えているし、忘れないし、……ちゃんと背負っている。
「死者の言葉が呪いになるとしても、あなたの言葉なんかには呪われませんよ」
これは、ただの追憶だ。だから、……私が勝手に、彼の言いそうな言葉を創造して、勝手に傷ついているだけ。
「私は多分、あなたが本当は……エーファのことを愛してたんだと。そう、思いたいだけなんです」
産まれるべきではなかった、と囁く声の優しさを覚えている。ねえ、エーファ。私は、あなたのことを母とは呼べなかったけれど。きっと、永遠に、本当の家族の温かさなんてものは知らないままなんだろうけど。
あの閉塞した日々は、ちゃんと、私の人生だ。
「家族を家族と呼びたかった。……私はあなたのことも、父親だと呼びたいと思っていた時期が、あったのですが」
魔力を練り上げる。彼は、微笑んでいた。なぜか、受け入れるように優しく。……ああ腹が立つ。こんな夢を見る自分に、腹が立つ!
「もういらない。私の家族は、もういるから」
こんな夢には呪われない。あの日と同じ魔術で、王の首を切り落とした。床に、微笑んだままの顔が転がる。……あの日とは、違う顔。見ていられない。
反射的に踏み潰しそうとした瞬間、崩れ落ちて、その首は肉片として床に散らばっていった。
「……死者の言葉が、呪いになるなら」
あんな男のことはどうでもよかった。零れ落ちていく夢の中、頭を抱えて蹲る。死者の、言葉は、呪いになる。
じゃあ、いつか死ぬ、私の言葉は?
――死んでしまった、私の言葉は。
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