忘れていたかった
「わたしのかみさま」
「夜を紡いだ糸のお洋服と宝石を散りばめた髪飾りとふわふわのぬいぐるみ。優しいものだけで満たしたお部屋で、今日も明日も笑っていて」
「ねぇ、**」
「笑って」
「わたしは何も間違ってないんだって、言ってよ……!」
「夜の女神様は孤独だから、美しいの」
「あなたもきっとそう。誰にも理解されず、誰のことも理解しようとしない」
「孤独だから、綺麗なの」
「アプリコットのジャムを塗ったスコーン。砂糖をまぶして漬けた果実。クリームたっぷりのケーキに、甘い甘いチョコレートのクッキー」
「どうして何も食べないの? 甘いものは好きでしょう?」
「どうして、そんな目でわたしを見るの」
「ああ、そうなのね」
「あなたは、かみさまじゃなかった」
人は、弱い。
弱いから、何かに縋る。弱いから、何かを憎む。だからきっと、
どうでもいいはずの、もう忘れてしまうはずの、小さな記憶を拾い集める。
孤児だった私は、貴族の家に拾われて、お嬢さんの話し相手になった。お嬢さん。ああ、あの可哀想な女の子は、なんて名前だったっけ。
思い出せない。思い出したくもない。もう忘れた。どうでもいい。
「あなたは、わたしのことなんて見ないのね」
この国が、幸せに満ちた国であればいいと願っていた。祈っていた。叶えたはずだった。道半ばだった?
亡霊はまだ生きている。産まれ落ちて、死に絶えた、もうどこにもいないはずの私は、それでも生きている。
そう、叫んでいた。心の中で、大切なものは心の中だけに抱き締めて。ただ、ただ。
「黒い髪。黒い目。お話に聞く英雄と、おんなじ色なのに。……あなたは」
抉り取られた片目の闇色と、目が合う。『それ』を宝物みたいに抱き締めて幼く笑う
「あなたは、全部どうでもいいみたいに笑うのね」
――そんなことは、ありませんよ。
**と呼ばれていた私は、微笑んでそう答えた。
「気味の悪い子」
「あんなの引き取るんじゃなかった」
「でも、魔力は多いから何かには使えるんじゃないか」
次の私。どこにも馴染めず、何も動かせず、ただ呼吸だけをしていた私。
「あの子、すごい魔術使えるんだって」
「えー、でも、なんかちょっと怖いよね」
「分かるー! なんかさ、こっちのこと見下してるみたいでさぁ」
次の私。力を振るい、人を遠ざけて、ただ逃げ続けていた私。
「愛されたことがないのは、僕も同じです」
「なのに、あなたはいつも、何かに恋い焦がれるような目をしていた」
「――僕は、あなたが羨ましい」
「なによりも、あなたに愛されているものが、憎い」
次の私。誰のことも愛さず、誰のことも憎まず。ただ、過去に帰れないことだけを嘆いた私。
「この化け物、……っアンタが死ねばよかったのに!!」
「どうしてあの子が死ななければならなかったんだ。どうして、どうして!!」
「この化け物!」
次の私。これは思い出したくない。石を投げられた頭が、血の入った目が、蹴られた腹が。痛い。
だけど、解っている。……私は化け物だ。
「悍ましい化け物め。二度と帰ってくるな!」
「アタシは分かってるよ。アンタがやったんじゃないって」
「どうして、どうして……っ。どうして、アンタがこんな目に合わなきゃいけなかったんだ!?」
次の私。救い難いほどに愚かで、無力で、臆病だった私。
「……ねえ、****。わたしね、いつか王都に行ってみたいんだ」
また、次の私。
「どうして、って。だって、王都ではね! ****の髪も目も、怖いものじゃないって解ってもらえてるらしいの!」
何者でもない、何者にもなれなかった、私。
「なら、一緒に王都に行こうよ。こんな糞みたいな場所捨てて、一緒に行こう!」
約束をすることさえできなかった、私。
「だって、わたしは****の友達だもん」
――嘘吐き。
全部、私だ。
記憶を失っても、魂は確かに覚えている。私は罪深くて。私は愚かで。私は臆病で。私は無力で。――でも。
本当に、辛いだけだった?
本当に、その記憶は、消してしまいたいだけのものだった?
ねえ、英雄王アナスタシア。
あなたは、本当に……そんなにも私のことを、殺したかったの?
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