微睡んでいた
――夢を見る。
長い長い。夢を、見ている。
途方もなく幸福なのに、どうしようもなく絶望的な夢を。
「レオン、あなたは暇なんですか? ……ああ、暇なんですね」
記憶喪失(?)になった次の日。私は、寝起きのぼんやりした頭でレオンに吐き捨てた。
……それというのも。昨日、再び眠って起きた時からずっとずっとずっと。レオンが、私が部屋から出ることを許可してくれなかったからである。お手洗いとお風呂は外で見張られてたし。何? 私が逃げるとでも思ってるの?
しかも、ずっと部屋にいたんですよこの男。どう思います? 私としては、ちょっとした軟禁だし、普通に犯罪だと思う。今すぐ逮捕して。
「アナよりも大切なことが存在しないだけだ」
「私を部屋に閉じ込めることよりも大切なことがない生き方って、虚しくありません?」
「満ち足りてるな」
「ええぇ……」
駄目だこの男。私は途方に暮れた。これはもう説得とかそういう次元にない気がする。一度こうと決めてしまったら、レオンは、とんでもなく強情だ。…まあ、私も私で強情だったけど。レオンもレオンで相当だ。
最悪の場合、戦って勝つしか方法がない。力で正義を示すしか。でも、準備もできない上に万全じゃない今は無理。勝てない。詰んだ。
この会話の流れは私にとって不利になる。そう判断して、話をすり替えることにした。
「っていうか、否定しなくていいんですか?」
「何をだ」
「閉じ込める、の部分ですよ」
そうだ。レオンは、私を部屋に閉じ込めていることを否定しなかった。それでいいのか、と視線で問いかける私に向け、レオンは軽く片眉を上げる。
「事実だ」
わぁ、端的! 本気かよ。
「俺はお前を部屋から出すつもりはないし、他の奴等と合わせる気もないし、仕事をさせることもない」
「深窓の令嬢だってもう少し自由がありますよ……」
あんまりにもあんまりな言い分に、軽い頭痛さえ覚えてきた。私が吹っ飛ばした記憶の中で私に何があったというのか。何? 死にかけたのがそんなに駄目だった? 駄目か。駄目だよね。ごめんね。
「……たとえ、貴様が我を憎もうとも」
自責の念に駆られていると、レオンは普段の偉そうな口調で、そう重々しく零した。
「その体を縛り付けてでも。その足を折ってでも。足を切り落としてでも。我は、もう――」
「えっ、物騒」
思わず口に出した言葉のせいで、重い空気が霧散した。残ったのは、何とも言えない顔のレオンの視線だけだ。これ私は何も悪くないですよね? 物騒なのは事実だし。
「どうしてお前はそう軽いんだ……?」
私の反応に文句があるのか貴様。こっちも負けず劣らずな視線を彼に向けつつ、そっと溜め息を吐いた。
「逆にレオンはどうしてそう重いんですか?」
「重い……って」
「重しをつけておかないと、私がどこかに飛んでっちゃうとでも思ってるみたいに、レオンの言葉は節々が重いんですよ」
ちなみに、重さでいうとヴィルさんも相当なものではある。だけど、ヴィルさんの重さはなんかこう……こざっはりしているのだ。そんなヴィルさんとレオンの間にある違いは、自覚的か無自覚かという部分に大きく依っている。
レオンは多分、無自覚だ。ヴィルさんは自覚してる。私を貶すことも罵ることもあるけど、世界で一番可愛いとか平然と言い出す辺り、親……保護者馬鹿拗らせてる感じもするけど。それでも。
全体的に、自分の感情とか執着とかを自覚して、……理解して咀嚼して呑み込んだ上で私と接してるから。まだ健全。今どうなってるかは知らないけど、少なくとも、私の知ってるヴィルさんはそういうお方だったはず。
だけど、レオンは。――今私の目の前にいる、レオンハルトは。
「私とあなたの間に、何があったんですか」
何かが、歪んでいる。
親友という距離感の好意では説明がつかない。でも、決して恋人などの甘い関係のものでもない。淀んで濁って膿んだ執着が、重しのようにのしかかってくる感覚があった。
「……それを、伝えたら」
くしゃり、と。レオンは情けない顔になって俯いてしまう。
「お前はまた、いなくなるんだろ?」
また。いなくなる。
その穏やかではない言葉を聞き、反射的に眉をひそめる。それじゃあ、まるで。私が。
「私は、レオンの前から、いなくなったんですか」
「…………」
沈黙は雄弁な肯定だった。なるほど。私が感じていたレオンの歪みは、多分……そこにある。私がいなくなったから。こうして不安定になって、私を閉じ込めだしたということだろう。納得納得。
(でも、いなくなった……というのは)
それは、どういった形だったのだろう。
それは、こんなにも引き摺る程、悲しい別れだったのだろうか。
疑問は尽きない。だけど、私を閉じ込めているくせに自分が追い詰められているようなレオンを見ていると、問い詰める気もなくなってしまった。
「でも、今はここにいますよ」
苦笑して、レオンの頬にそっと触れる。やっぱり、なんか痩せた気がするんだよなぁ。でも、昨日の夕食は沢山……以前よりも沢山、山のように食べてたし。どうして痩せたって思うんだろう。
首を捻る私を、睨むような強さで見据えて。レオンは、呻くように吐き捨てる。
「嘘、だ」
今度は私が動揺する番だった。
「えっ……。嘘なんですか!?」
私がここにいるのは嘘だったと……? それじゃあ私は誰だよ。アナスタシア・エヴェリナ・ダフネじゃなかったら誰なんだ。記憶が曖昧だから、そういうことを言われるとすごく怖い。
「……お前がここにいるのは今だけだ。お前は、俺を置いて行くだろ」
あ、そういう話ね。私の記憶ではつい先日に当たるあの会話に決着がついていなかったことを察し、少しだけ遠い目になる。
「まあ、置いて行きますよね」
「だから、軽いんだよ……!」
そんな文句を言われても。私が人間である限り、死ぬのは避けられない。レオンが龍である限り、別れは定められたものだ。
それでも。
「でも、今はいます」
それだけじゃあ、駄目なのだろうか。
「ここに、今、レオンの目の前に。確かに私はいるんです」
私は馬鹿だから。頭が悪いから。いつも、真っ直ぐに目的だけを見据えて、そこに向かうことしか知らなかったから。
だから、分からない。解らない。
どうして、レオンはこんなにも苦しそうなんだろう。
どうして、この心臓は、私に間違いを突きつけるようにうるさく鳴り響いているんだろう。
「確かに。……いつか、私はいなくなります。そうしたら、レオンは私のことを、悲しい記憶として思い出すのかもしれません」
私のことなんて忘れる、ってことも有り得るけどね。それならそれでいい。私がいなくなった未来の先ででも、レオンが楽しくて幸せなら、私としては万々歳だ。だけど、もしも。
(もしも、レオンが私のことを忘れられないまま、永遠を過ごしていくというのならば)
それは悲しいことだ、と思う。悲しいことだと、思うのに。
「でも、今の私は、ここにいるんです」
本当は、ずっと。……忘れないで、と言いたかった。
「レオン、私はあなたの隣にいたい」
それが永遠ではなくても構わないから。それが、あなたの傷になるとしても、……構わないから。今だけでいい、隣にいたい。
ああ、なんて強欲なのだろう。
「嘘、だ」
つらつらと重ねていった私の言葉を全部否定して、レオンは顔を覆った。
「私の気持ちを嘘にしないでくれますか」
「……俺の隣にいたいなら、いてくれればよかったじゃないか。俺のことを少しでも好きなら、村から出なければよかったじゃないか。……こんな国、救わなければよかったじゃないか」
顔を覆ったまま吐き出されたそれは、きっと呪詛だ。胸のうちに留め続けていた、絶望によく似た何かが濁って凝って沈殿していったもの。
「俺は、お前が愛したこの国が嫌いだよ」
だから、その言葉を聞いて、私は思わず笑ってしまった。
「でも、私はこの国が好きですよ」
「……なぜだ」
「えっと……。昔はね、好き嫌い以前にどうでもいいっていうか滅べばいいとは思っていたんですけどね?」
そういえば、最初のきっかけについては、誰にも言っていなかった。あまりにも些細なことだったから、思い出すこともしていなかったけれど。そうだ、あの日。
私は、人間の国から逃げ出して来た『弟』と出会った。
「人間ってね、弱いんですよ」
私のせいで、母は死んだ。私のせいで、あの塔は燃えた。誰かの怨嗟を知っている。誰かの呪詛を知っている。どうして産まれたのか。どうして生きているのか。そう呪う声を、覚えている。
人間が嫌いだった。
私を嫌う、人間が嫌いだった。
「弱いから、誰かを憎むし、強さを呪う。それに、自分と違う存在を恐れて虐げも、します」
なのに。どうして私はこの国を救おうとしてしまったのだっけ。この国を、愛してしまったのだっけ。
……大丈夫。思い出せる。この記憶は、曖昧ではない。
私は、アナスタシアはあの日。龍族の隠れ村のある山で出会った、彼に。
――姉上、と。
そう、呼ばれたのだ。
「それでも。私はたくさんのものをここに置いたまま、あなたに救われてしまいました。私のせいで不幸になった、たくさんのものを捨て置いたままに」
あの瞬間、私は思い出してしまったのだ。私はどう足掻いても人間で、この身体に流れている血は、この世界を憎んで止まないあの男と同じなのだと。思い出して、気が付いて。
「ああいえ。別に、この国を救ったのは……血の責任とか。人を不幸にした贖いとか。そういうものではなくて」
それなのに。私が化け物だと分かっているはずなのに、彼はただ心配していた。私を、姉と。家族だと呼んだあの王子様は。私に向かって言ったのだ。
――姉上、王があなたを見つけました。直に、この村へと兵が送られます。
「私は多分、自分のことを強くて、誰かを救えるような人間だと。そう、思いたかったんです」
私はあの時、レオンに。一つだけ、嘘を吐いた。
「弱いから。強くなりたくて。多分、弱いから、優しくあれるんだと。……国に戻った時。髪と目を隠した私に対して、あんなに追い詰められていたはずの人々は、沢山優しくしてくれた」
この村のためだなんて言葉は一片も、私のせいで龍族の平穏が崩れるのが怖いなんて一言も。大事なことは何一つ言わないまま、国のためだと嘯いた。
祈るように、偽ったのだ。
どうか私の傲慢に気が付かないで、と。……脆弱な人間風情が、龍を守りたかったなんて不遜、知らないままでいて、と。
「この国は、膿んで、病んで、もう崩れ落ちる寸前だったんですけどね。それでも、優しい人は優しくて。誰かを救いたいと一生懸命な人もいて。……それが、暴虐王と呼ばれるあの男の権力とか憎悪とかで踏み躙られるのが、許せなかったんです」
嘘。隠し事。
人間らしい卑怯さで、私は笑った。
「レオンはこの国のこと、嫌いかもしれませんけどね」
「ああ、さっき、嫌いから大嫌いに変わったな」
「悪化した!?」
一瞬で驚愕の表情に変わった私は、こめかみを押さえながら呻く。レオンはもう手遅れかもしれない。よく分からないけど、もう駄目な気がする。
「……だが、アナの願いは、叶える」
「そんな、サラダを食べたら中に青虫が居たみたいな顔しなくても……」
「どんな顔だ」
「鏡見ます? ……ってあれ?」
会話の流れで鏡を探し――そこでふと気が付いた。私の部屋にあったはずの、鏡台が無い。手鏡もない。ついでに、窓ガラスも反射しない素材に変わっているみたいだ。なんだこれ。
「鏡、……鏡?」
「今日の朝食は何が食べたい?」
うっわぁ、話の逸らし方が雑。何年生きてるんだよって思うくらい雑。ここまで雑だと、逆に騙されてあげてもいい気がしてきた。鏡が無い理由とか、窓ガラスに私の顔が反射していない理由とか、まあ。
「……サンドイッチで」
今は、誤魔化されてあげよう。
この緩やかな軟禁生活も、彼の言動の不安定さも、彼が隠している何かに関しても。
……今だけは、見ないふりを、しよう。だって。
(私だってまだ、微睡んでいたい)
頭の裏側で、黒い髪と黒い目の見知らぬ女の子の姿がちらついて、なかなか消えてくれなかった。
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