慣れなかった


「お待たせ致しました」


 深い色のローブを頭からすっぽりと被り、目まで覆い隠す。これで完璧。髪も目も見えない。

 うっわぁ……。みたいな顔をした男の顔を見上げながら、口元だけで笑みを描いた。


「……あれ? 止めます?」

「止めないけど。……お願いだから、そのローブだけ先に買い替えさせて」

「は? このローブに文句があるんですか」

「むしろどうして文句がないと思ったの?」


 シスターが夜なべして作ってくれたこのローブのどこが悪いというのだろうか。理解に苦しむ。確かにちょっとだけ地味かもしれないけどさ。女の子が着るには大きいかもしれないけどさ。……そこも味でしょ。


「目的は達しているではありませんか。目も、髪も、これで見えないんですから」

「そんなに気になることかなぁ。そして、そのセンスは気にならないものなのかなぁ……?」


 気にするし、そんなに気にならないですね。多分永遠に平行線な気がするから、そんな反論は飲み込んでおいた。代わりに、誤魔化すような笑みを浮かべてみせる。


「あはは。……それで、どこに行くんですか?」


 残念なことに、私は一般的なデートで行く場所というものをよく知らない。エスコートを求めているわけでもないけれど、行き先くらいは決めてもらわないと困る。


「君はどこに行きたい?」


 なのに、さぁ。聞かれても分かんないんだから聞くなよ。そもそも王都に何があるのか知らないんだから。

 ……なんか急にどうでも良くなってきた。もう自分で返そっかな。嫌だけど。


「……止めますか」

「そのやる気のなさ、一周回っていいと思うよ」


 なお、彼としては止める気などなさそうだ。ごく自然な仕草で手を引かれ、当然のように裏の門から出ていこうとしている。溜め息を飲み込み、ちょっと目を細めた。


「正門から出ないんですね」

「見つかったら困るでしょ?」


 困るのか。見られたからといって、何かが動くなんてことはないと思うのだけれど。

 少しだけ首を捻って、まあいいかと放り捨てた。


「……私、王都に何があるのか、知らないんですよ」


 話を元に戻す。彼は私が嘘を吐いているとでも思ったのか、訝しむような顔をして私を見下ろした。


「だから、おすすめの場所をお願いしますね」


 その顔に気づかないふりをして、私はただにっこりと微笑む。私の手を引く彼の手が、一瞬だけ跳ねた。しかし、すぐに輝くような笑みを浮かべてみせる。


「そう、分かった。じゃあそうしよっか」


 いやぁ、取り繕うのがお上手なことで。警戒心は見えないように隠しながら笑い合う私たちの、なんと白々しいことだろう。ふふ、なっつかしいなぁ。……アナスタシアは、城での私は。こうやって自分を取り繕って騙して隠して生きてきたのだから。


「はい、よろしくお願いしますね」


 この男が私の何を知りたがっているのかは分からないが、いくらでも探ればいい。


 ――どうせ、何も、変わらないんだから。




「――うっわぁ、人が多い」


 我ながら、実に嫌そうな声だなぁ。喧騒、人ごみ、垣間見える日常の風景。店が人を呼び込む声。車輪の回る音。実にありふれた幸福な日々が目の前にあって、鼓膜を強く揺さぶってきて、慣れない賑やかさに軽く目眩がする。

 彼はちらっとだけ私に視線を向けてきたかと思うと、柔らかく微笑んで握り締める手に軽く力を込めた。


「はぐれないように気をつけてね。ここは人が多いから」


 そう言いながら、視線から庇うような仕草で、彼はさらっと前に出る。視界から入ってくる情報が制限された。そのことで少しだけ気分が落ち着いて、……そんな自分に少々腹が立つ。


「子供扱いしないでくださいません?」


 ……いや、イヴリンは子供だったかもしれない。十四歳は子供、か。ならば仕方がない。


「ああごめんね、君は立派なレディだったか」

「その言い方も中々に馬鹿にしてますね」


 それに、……この気遣いは、有り難いと思わなくもない。人の視線や、人が多い場所は、少し苦手だから。こうして庇ってくれることは、まあ、うん。


「ですが、気遣いに感謝はします」

「――え?」


 視線を下げ、後ろをついて歩く。引かれた手の体温は、レオンのように冷たくもヴィルさんのように熱くもなく、ただ在るだけのような。そんな、どこか曖昧な温度だ。


「ありがとうございます、ニコラス様」


 これは、別に気を許したわけではない。あくまでも礼儀として。あと、少しでもいい印象を与えるために。それだけの礼だ。


「きみ、ってさ」


 そんなこと分かっているだろうに、なんでちょっと動揺したんだろう。首を捻り、彼の顔を見上げる。


「私が、どうかいたしましたか?」

「さては、結構な悪女だよね」


 ……何という失礼な男だろうか。軽く彼の脛を蹴り、視線を下に戻した。私のどこが悪女だって言うんだ。アナスタシアならばさておき、今の私は割りと純朴な田舎娘だというのに。失礼極まりない。


「……失礼なお方ですね」


 軽い否定を最後に、会話が途切れた。気まずいようなそうでもないような空気の中、ただ彼の後ろをついて歩いていく。


「そうだ、君……甘いものは好き?」

「好きです!」


 ……ちょっと、勢いよく肯定しすぎたかな。彼は少し驚いたように目を瞠ったあと、柔らかく破顔した。


「そう、ならよかった。ローブを買い替えてから、甘いものでも食べようか」


 あ、ローブは諦めてなかったんだ。乾いた笑みを漏らしながら、そっと自分の着ているローブを見下ろす。雪に落ちた影みたいな灰色、模様も何もない布地。簡単な作り。……いいと思うのになぁ。シスターが作ってくれたという贔屓目もあるかもしれかいけど。


「買い替えなくていいですよ」


 手を引く。軽く息を吸って、強く彼の目を睨み上げた。


「私は、これがいいんです」

「…………君、女の子らしくないね」


 言うに事欠いてそれか。軽く顔をしかめ、繋いでない方の手を振る。


「着飾るのって好きじゃないんですよ。必要性も感じませんし」

「必要性の有無の問題じゃないんだけどな」

「必要性の有無の問題ですよ。私にとっては」


 つくづく意見の合わない男だな。溜め息を飲み込み、視線を逸らす。それと同時に上から溜め息を吐く音が聞こえてきて、多分彼も意見の相違を感じているんだろうな、と思った。



 しばらく人通りの多いこの道を歩いていると、不意に彼が足を止めた。それに続き、私も足を止める。なんだ、着いたのか。そう思って彼の視線の先を見ると、年頃の女の子が並んでいる屋台があった。ここが目的地だった、のかな。


 問いかけようと口を開いた矢先、彼もまた口を開く。


「君は」

「はい?」


 屋台を見ながら聞き返す。なんとなく気がついていたが、頑なに私の名前を呼ぼうとしないなこの男は。どこか複雑な感情の滲む視線で私を見下ろす目を見ながら、その事実を脳裏で反芻した。


「レオンハルトのことを、どう思う?」


 そして。最終的に聞きたかったのはこのことだろうか。再び足を動かし、列の最後尾に向かいながら、頭を回す。嘘を吐くか、正直に言うか。ほんの少しだけ考えて、すぐに結論を出した。


「好きですよ」


 今嘘を吐くことに、意味はない。

 そう思って吐き出した声は、思ったよりも弱々しかった。駄目だなぁ。まだ何も、過去にできやしないなんて。


「……そう」

「……本当に好きなんです、どうしようもないくらいに」


 顔を上げた。笑顔のまま、蜂蜜色のきらきらした目が、どこか悲しそうに私を見つめている。そっか。……警戒する意味、あんまりなかったのかも。


「ニコラス様は、レオンハルトのことが大切なんですね」

「……君になにか関係ある? それ」


 彼の笑みに苦味が混ざる。それを見て、私はちょっと笑った。


「いいえ、なにも」


 レオンのことを大事に思ってくれる存在が沢山あるなら。レオンがひとりぼっちにならないなら。私がいなくてもきっと平気。大丈夫。私がこのままレオンの側からいなくなっても。


「……レオンハルトが最近変なのは、君のせいだと思ったんだ」


 静かな声と同時に、自分たちの順番が来た。すぐに彼は表情を取り繕い、笑いかけてくる。


「ジェラート。なんの味が好き?」

「あ、じゃあ……ショコラで」


 ここ、ジェラートの店だったのかぁ。先に言え。じっとりとした視線を向けると、綺麗な笑顔を返された。さっきまでの雰囲気微塵もないな。まあ、そのほうがいいや。


「はい、美味しいって評判なんだよ、ここ」

「……お金、出します」

「ここは男に出させて。せっかくのデートなんだし、ね?」


 彼は片目を閉じ、自分の魅力を最大限活かすような笑みを見せつけてきた。プレイボーイ感が強い。一切ときめかない自分も自分な気がしてきたが、現時点では玄人っぽさに感心しかしてない。乙女心とはなんなのか。


「では、デートが終わったら返しますね」

「つれないなぁ」

「借りを作るのって、あんまり好きじゃないんです」


 苦笑を向けながら、彼はジェラートを手渡してくる。彼の分を見ると、淡いピンク色をしていた。なんの味だろうか。まあいいか。


「夏も、もうすぐ終わりますね」

「……そうだね」

「じきに、涼しくなって寒くなって、今年が終わる」

「そうかもね」


 そう考えると、ジェラートを食べるのは今年最後の機会だったかもしれない。そう考えながら、一口食べる。……うん、美味しい。評判になるのも分かるな。

 頬が勝手に緩むのが分かる。今だけは視線も気にならない。フードにつかないように気をつけながら食べ進めていると。


「君は、あまり人間らしくないね」


 そんな、わけの分からない言葉が降り注いできた。食べるのを一旦止め、先を促す。


「僕は、龍族の中ではちょっとばかり特殊でさ。彼等よりもよっぽど人間について知っているんだ」

「はぁ、それで?」

「君は、富にも名誉にも興味がないように見える」


 確かに、ないなぁ。頷いて、食べるのを再開する。大した話じゃなさそうだ。


「さらに言えば、僕の優しい言葉もどうでもよさそうに聞いていた」

「まあ、はい。そうですね」


 優しい言葉……? あの、耳触りだけはいい甘言のことか。アナスタシアだった頃に聞き飽きるくらい聞いたし。心の籠もっていない褒め言葉に心を震わせることもないかな。


「……だから、どうしたらいいのか」

「どう、とは?」

「君が、富や名誉のためにレオンハルトに近づいていたのなら、僕は迷うことなく排除できた」


 それ本人に言う話かな。軽く首を捻りつつ、口を開く。


「巧妙に取り繕っているだけかもしれませんよ」

「いや、ないでしょ」

「ないですけど」


 ほんの一欠片もないんだけど。私は必要以上の金銭は持ちたくないし。名誉とか権力とは離れた場所にいたい。本当にやだ。人前に立つのは、人の上に立つのは、もうやりたくない。頼まれてもしない。


「……ないん、ですけどね」


 何もいらない。何も求めない。私自身のための何かなんていらない。そう思っているのは嘘じゃない。だって、ほら。もう全部救われたし報われたし、私の願う未来はここにある。

 そのために、どれだけのものを犠牲にしたのか、覚えているんだろ。アナスタシア!


(忘れていられたら幸福だったのか、忘れられたなら幸福なのか。……私が、本当にただのイヴリンだったならよかったのか)


 なーんて。どうだって、いいか。


「だったら、僕には君をどうすることもできない」


 ああ。ジェラート、溶けちゃったな。


「僕としては、レオンハルトが元気になってくれればそれでいいからね。君が私利私欲のためにレオンハルトに近づいたんじゃないなら、別にどうもしないよ」

「……そうですか」

「だから、そんなに落ち込まないで」


 顔を上げる。困ったように眉を下げて笑う顔は、普通の青年のものにしか見えなかった。そう。まるで、人間みたいに。


「落ち込んでいるように、見えますか?」

「なんとなくね。それに、君はもしかしたら……レオンハルトから引き離してもらいたかったのかとしれないとも、思ってさ」

「……まあ、避けてますからね」


 視線を、町並みに向ける。手を繋ぐ歳の離れた二人は親子か。照れたように語り合う男女は恋人同士だろうか。三人で固まっている女の子は、友達かな。その顔に憂いはなく、恐怖もなく、ただ幸せそうな日常だけがそこにある。


「私ね、レオンハルトが好きなんですよ」


 ここにあるこの国の今は、私が繋げた未来だ。それだけでよかった。それだけが救いだった。アナスタシアの人生に意味はあったと。私は生まれなかったほうがいい化け物なんかじゃなかったと。今、私が思えるのなら。


「だから、もう。私のせいで悲しんでほしくない」

「……アナスタシア・エヴェリナ・ダフネの願いは、それ?」


 気づかれていたのか。蜂蜜色を見上げ、目を細める。レオンには言っていないのか。誰かから伝えられたのか。一瞬考えて、まあいいやと振り払った。

 アナスタシアの願い。私の祈り。今の私が、何かを望むのなら。ふ、と息を吐き、フードを深く被る。


「はい。それだけですよ」


 ぐしゃり。手の中の器を握り潰し、微笑んだ。

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