釣り合わなかった


「……あ、こんにちは。オフィーリア様」


 いつもより早く研究室を出てしまったため、ヴィルさんの姿は見えなかった。代わりに、オフィーリア嬢が歩いているのを見つけたので駆け寄る。……けど。声をかけられたその肩が跳ねるのを見て、歩調を緩めた。


「あら、イヴリン。ご機嫌よう」


 どこかぎこちなく笑い、オフィーリア嬢は丁寧に一度礼をする。友達にはなれないと言われたあの時から、やはり私達の間には確固とした隔絶があるのだろう。ちょっとだけ苦笑して、でもこちらまでぎこちなくなってはいけない気がするから、意識して普通の表情を心がける。


「こんなところで会うなんて奇遇ですね」

「ええ、そうね」


 彼女らしからぬ、淡白な返事だった。会話を続ける気はないらしい。まあ、しょうがないか。


「……すみません」


 やっぱり、声なんてかけなければよかったかな。自分でも笑みに苦味が混ざるのが分かった。オフィーリア嬢にとって私は、異物でしかないなんて。……分かっているよ。ごめんね。


「声を聞きたかっただけなので、もう行きますね」


 小さく会釈をして、踵を返す。……私ってば、本当に学習も反省もしないなぁ。自分を罵倒する言葉を少しだけ頭に浮かべ、一度だけ強く瞬きをした。


「わ、たくしは」


 瞬間。オフィーリア嬢の声が、弱々しく私を引き止める。顔だけで振り返ると、先程と同じ位置に立っている彼女が、なぜか泣き出しそうな顔をしているのが見えた。


「……まだ、怖いの。ごめんなさいね」

「……いいえ、オフィーリア様が謝られるようなことなど何も」


 笑顔を作り、今度こそ振り返ることなく足を進める。……少しだけ気分が軽い、なんて。現金だなぁ。そんな自分をちょっとだけ笑う。

 そのまま、自分の部屋に続く方の角を曲がって。


「――ちょっといいかな、君」


 瞬間、目の前に見知らぬ男が立っていて、軽く後ずさった。龍族の皆さんはちょくちょく気配消すのやめて……。びっくりした。そして誰だ。私はこの男に見覚えがない。アナスタシアにとっても知らない男だ。

 唐突に声をかけてきた男は、私の訝しむような視線を受けても動じることなく、ただ軽く微笑みを浮かべる。自分の魅力を分かっている者の表情だ、と思った。気に食わない。なんかこう……気に食わない。


「どちら様ですか?」


 とはいえ、相手は龍族だ。金髪なんてものは、龍族にしては珍しい色ではあるけれど……。彼の魔力から察するに、かなり強い。機嫌を損ねたら、私くらい一瞬で殺せるような。


「ああ、名乗りもせずに不躾だったね。ごめんごめん。僕はニコラスっていうんだ。君は?」

「……イヴリンと申します」


 警戒を押し殺し、控えめに笑う。さっさと要件を言ってどこへなりとも消えてくれたらいいんだけど。……なんか、嫌な予感がする。

 やっぱりこのまま逃げようかな、なんて。

 

「イヴリン、可憐な君にお似合いのいい名前だね」


 …………やっぱりこのまま逃げたいな、なんて、さ。鳥肌立ったわ。


「ニコラス様は、一体どのようなご用件で私などに声をかけてこられたのですか?」


 分かりやすいおべっかには触れず、目の前にいる男の意図を探る。覗き込んだ髪と同色の瞳は、美しい蜂蜜色なのにどこか冷たい。暖かな色合いのはずなのに、変なの。

 まあ、アナスタシアだった頃の感覚に頼るのもなんとなく気が引けるが、……こいつは油断してはならない相手だ、と。あの頃に育てた、人を見る目が叫んでいる。

 ……いや、油断したからって急に殺しにかかられることもないだろうけどね。アナスタシアだった頃とは、違ってさ。


「用、ね。用がなければ、君のように可憐な女の子に話しかけることも許されないのかな?」

「まあ、私は話しかけてほしくないですね」


 あっ、間違えた。口説き文句にあまりにも感情がこもってなくて、つい。……ここで訂正するのも流石にどうかと思うし。これは駄目ですわ。

 男の表情がちょっと引きつったのが見えた。さて、どうやってこの状況を乗り切るか。申し訳なさに目を伏せるふりをして、思考を巡らせる。


「……そっか。じゃあ、遠慮なく用を先に言わせてもらうよ」


 思わず視線を彼に戻した。私にとって都合がいい話運びをしてくれた彼は、先程の表情がなかったかのように涼しい顔して袋を差し出してくる。なんだろうか。初対面の相手からものを貰う理由が全然分からないんだけど。


「これ、レオンハルトから届け物」


 ……。ああ、なるほど。避けていることに気がついて、この男に頼んだという訳か。しかし、届け物とはなんだろうか。内心で首を捻りつつ、素直に受け取ることにした。


「…………そうですか。わざわざありがとうございます」


 にっこりと笑顔を作り、袋を取る。思いの外重い。片手で取るのを諦め、両手で持ち上げると、じゃらりと袋の内部で硬質な音がした。

 ……お金? しかも、この重さだと相当な金額なんじゃ。眉をひそめていると、男は軽く目を細めて袋に視線を送った。


「報酬だって言ってたよ。自分が渡しに行っても受け取ってくれないだろうから、……ってさ」

「……ちょっと待ってください」


 私がレオンを避けていることに気づかれていたことはまあいい。どうせバレるとは思っていたし。それよりも、そんなことよりも、だ。

 袋の中をよく見て、そっと嘆息した。


(金額設定おかしくないですかね……)


 いや、確実におかしい。誰だよこんな大金に決めたの。レオンか。レオン以外いないか。頭おかしいんじゃないの。こんな、孤児院全体の設備を作り直しても余裕で余りが出るような金額。え、私がここに来てから何したって?

 

「……受け取れません」

「え? どうしてかな」


 本気で不思議そうな顔をしないでほしい。私は自分の良心だとかそういうものは全然信じてないけど、こんな金額受け取って罪悪感を持たないほどの感性は持ってない。無理。

 それに、こんな大金の使い道なんて思い浮かばないんだけど。服も今は余裕があるし、装飾品なんて使わないし、食べ物はここや孤児院でなら支給される。……え、何にお金を使うの? 私は何にこのお金を使えばいいの?

 いっそ、魔術についての研究に本腰でも入れようか。ヒューに頼るのではなく、私個人でできることを――いや、止めよう。だから魔術の研究は金持ちにしか許されない趣味だってば。そう考えると龍族の村での暮らしは幸せだった。魔道具の原材料がすぐ近くにあったから、お金の心配なんてしなくてもよかったし。

 ……いや、今考えるのはそこじゃないか。そっと思考を切り替える。


「釣り合っていません、から。それに、ここまで多額では……使い道もございませんし」


 苦笑を零すと、彼はますます不可解そうな顔になった。


「でも、持っていて困ることもないよね?」

「ええと、……。困りは、しますよ」


 ちょっとだけ躊躇ったあと、紛れもない本音を口にすることを選んだ。

 そう。言ってしまえば、結構困る。アナスタシアだった頃ならいざ知らず、今の私はただの孤児だ。大金を持っていることを知られたら、私が盗んだとか犯罪だとかを疑われるに決まっている。

 ……多すぎるお金は、厄介事を運んでくるのだ。知識としてではなく経験として、私はそれを知っていた。だから、こんなに貰っても困る。


「困るんだ……」

「困りますねぇ」


 だって、富は鎖だった。名誉は十字架だった。手に入れた多くのものが、見た目だけ綺麗なガラクタだなんてこと理解しているし。アナスタシアだった私は、慎ましやかで何もない暮らしがどれだけ幸福なのかをもう知っている。


「ですので、受け取れません」


 そう伝えて、ただ笑う。男は、しばらく何ごとか考えていたようだったが、やがて小さく嘆息して袋に手を伸ばした。


「…………分かった。だけど、一つだけ僕の頼みを聞いてもらってもいいかな?」

「引き取ってくださるのでしたら、まあ。一つくらい」


 いいかな。と、思ったのだけど。どうして疲れたような顔をされなければならないのか。最初の甘やかな微笑みどこいった?


「せめて頼みが何なのかくらい聞いたらどう?」

「では、何なのか聞いてもよろしいですか?」


 別に、無茶苦茶なことを言いそうな雰囲気ではなかったから受け入れただけなんだけど。……今気づいたけど、この男アレだな。オフィーリア嬢と同じ臭いがする。つまり、龍族としては珍しく、倫理観と常識がまとも。


「……一度だけ、僕とデートしてほしくってね」


 取り繕うような微笑みを見て、少しだけ首を捻る。デート、と言ったか。わざわざ? 私と?

 ……決して、恋愛感情があるから、なんて理由ではないのだろうけれど。なんとまあ物好きな。


「それなら問題ございませんが。……そちらこそ、構わないのですか?」

「うん? 君みたいな綺麗な女の子とデートできるなんて、すごく幸福なことじゃないか。構うも構わないもないよ」


 軽い甘言を聞きながら、自分の髪にそっと触れた。


「私の髪と眼、見えていますよね」


 彼の顔から笑みが消える。私も同じように笑みを消した。アナスタシアだった頃には慣れ親しんでいた、どこか心の底が冷えたような感覚に身を委ね、目を細める。


「こんな化け物、連れて歩いて構わないのか……。と、お聞きしているのです」


 自嘲の色が浮かばないように。あくまでも事実だけを述べるように。淡々と。そう意識して紡いだ声は、どこか空々しかった。


「君は、可愛らしい女の子だよ。化け物なんかじゃない」

「化け物ですよ」


 吐き捨てた。私が化け物だなんて、分かり切ったことだろう。……少なくとも、私以外の人間にとっては揺るぎなく。


「――君、は」

「構わないのですか? 化け物の隣を歩いても、あなたは」


 再度問いかける。……ここまで言っておいてなんだけど、もし彼の言う『デート』が、外に出ないものだったらどうしよう。この問答がただの茶番になるのでは? やだ、恥ずかしい……。彼の口ぶりを聞く限り、それは無いだろうけど。


「僕は、構わないよ」


 少しだけ思考が逸れた頭に、理解し難い言動が滑り込んできた。いや構えよ。龍族にとって人間なんてゴミ虫みたいなものだから、何を言われても思われても気にならないってことかな……?


「……なぜ?」

「それは、君が龍族の隣を歩くことを厭わないのと……同じような理由かな」


 何言ってんだこいつ。思わず半目になって見上げると、思いの外優しい瞳にかち合った。 


「逆に、どうして気にするのか分からない、と。そういうことですか」

「君がそう思うなら、そうなんだろうね」

「豪胆なお方ですね」

「それ、そのまま君に返したいんだけど」


 彼は、もう私とのデートに躊躇いなんてないらしい。ええぇ……。いいの? むしろ、私がこのまま街に出たら住んでる人々が恐怖のどん底に陥ってしまうんじゃないの。

 視線を下げて考え込んでいると、深い溜め息が落とされた。


「……そんなに気になるんだったら、隠しちゃえばいいよ」


 髪と眼が問題なら、隠してしまえばいい。繰り返されたその言葉にちょっとだけ目を瞠って。それがこの男なりの譲歩なんだろうな、と理解したので小さく笑った。


「ああ、その手がありましたね。そうします」


 髪を隠すためのローブは、こっそり孤児院から持って来ていた。最悪逃げ出す場合、顔が見えていたら危ないし、ね。誰にともなく言い訳ながら、部屋に足を向ける。

 ……しかし、知らない男とデートなんて、人生初だな。十回分の人生まとめても初だ。むしろデートだなんて単語で示されるような行為が初めてだという事実を思い出しかけて、そっと額に手を当てた。

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