駄目だった
ヴィルさんは私の味方だけど、私と彼の間にはどうしても埋められない隔絶がある。それは、彼の中にいる私が『弱くて可哀想な』アナスタシアのまま動いていないからなんだろう。
英雄王と呼ばれたアナスタシアも、ヴィルさんと出会ったあのときはまだ……死に損ないの子供だったから。
私のことを覇王の器とか傑物とか言ってるくせに、私のことをか弱い子供だと思っている。何という矛盾。もっと私が大人だって思い出して。今のイヴリンは十四歳だけど。
(だからといって、まあ、どうしようもないんですけどね)
ヴィルさんと私は、紛れもなく家族だ。それは離れていても変わらない。それか、そんなに離れたくないんだったらヴィルさんが村に来たらいいのに。
うまくいかないなぁ、と。嘆息し――。
「イヴリン、貴様は我の存在をいつまで無視しているつもりだ?」
そろそろ現実を見よっかな。そう思って、目を開けた。
――朝食を食べ終わって、ヒューから軽く門前払いをくらった(今作ってますから! と扉越しに叫ばれた)あと。私は予定も何もなく王宮内を彷徨っていた。
そういえばまだお金を受け取ってないなぁ、とか。相変わらず周りのひそひそ話がうるさいなぁ、とか。どうでもいいことを考えながら、なんとなくアナスタシアの墓まで足を伸ばしたところ。……レオンと鉢合わせた。
「貴様は、よくここに来るな」
「レオンハルトこそ」
苦笑し、一歩だけ彼に近づく。レオンの手にある花束はきっと、龍族の村に咲いていたあの花なんだろう。私が好きだった、白い花。
「ああ、これは……龍鱗花だ」
私が花束を眺めていたことに気がついたのか、レオンはそう教えてくれた。……ああそうだ。この花の名前は龍鱗花、で。
「りゅうりんか?」
そうだ、と一度頷き、レオンは一輪抜き取って私に差し出してくれる。ちょっと目を瞠ると、彼は苦笑みたいに顔を歪めた。
「……いいんですか? 英雄王様のお墓のための花でしょう?」
「アナならば、墓の前に供えるよりもこちらの方がいいと言うだろうしな」
分かる。そう言う。墓前に毎日花束供えるのってそろそろ無駄じゃない? って言う。
相変わらず私のことを理解している男に、ありがたく花を頂戴する。少し甘い香りが花をくすぐった。うん、好きな香り。
「ああ、花弁が龍の鱗の形をしているんですね」
「そうだな。……気に入ったか?」
「はい、とても」
その一輪を胸元に抱え、小さく笑う。この花の花言葉は、確か……ああ。思い出せる。思い出せた。
「この花の花言葉を知っているか?」
不器用に笑いながら、レオンが花束を墓前に供える。跪いて祈る姿を見て、なんとなく。
墓の下に埋まっている、誰かの死体がもう跡形もない事実を思い出した。
「……あなたのためだけの祈り」
ぽつり、と。彼が口を開く前に、思い出した花言葉を呟く。
レオンは、目を見開いた。が、すぐに目元を綻ばせる。笑顔の直前みたいな顔を見て、胸が締め付けられたようになった。あーあ、好きだなぁ。好き、だったのになぁ。
「よく知っているな。だが、もう一つあるんだ」
「なんですか?」
「――さぁ、なんだろうな」
悪戯っぽく片目を瞑り、彼は立ち上がった。その時、風が吹いて、花が揺れる。
「ねえ、レオンハルト」
一瞬隠れたこの表情を、見られていなければいい。なんて身勝手なことを考えながら、もう一歩だけ彼に近づいた。
「――私ね、別にこの場所が好きな訳じゃないんです」
花が咲いていて。空が見えて。鳥の鳴き声も聞こえてくる。命の輝きに満ち溢れているくせに、命の終わりを突きつけるその矛盾が。好きではなかった。嫌いでも、ないけど。
自分の墓が好きだっていうのも性格ねじ曲がってる感じするから、それはそれでいいのかもしれない。
「でも、何度も来てしまうんですよ。なんででしょうね」
呟いて、苦笑した。なんで急にこんなことを言い出したのやら。
無意識に。気がついたら。なぜか。私は、この真っ白な墓碑を見下ろしている。アナスタシア・エヴェリナ・ダフネの終焉を、自分自身に刻みつけるみたいに。
「……俺も、この場所は好きじゃない」
予想外の言葉にちょっと目を瞠る。こちらをまっすぐに見つめる深い青は、どこか悲しげな色をたたえていた。
――好きじゃないなら、なんで来るのさ。そんな疑問を飲み下す。私だって、なんで来るのか分からないんだ。
「一緒だな」
レオンは、何かを誤魔化すように笑みを作る。それを見て、私は胸元の花をぎゅっと握り締めた。あ、駄目だ。レオンにもらった花なのに、萎れちゃう。
たった一輪の花をこんなに愛しく思うなんて、馬鹿みたい。
「……奇遇です、ね」
あまり笑えないな。と思って、笑った。
「そういえば、短命の方はどうなっている?」
妙な空気になりそうだったところで、レオンが話題を変えてくれた。その気遣いは嬉しいけれど、何だその質問。少しだけ首を傾げる。
「……ヒューから聞いていませんか」
「いや、聞いていな――ん?」
レオンも、なぜか訝しむように顔をしかめた。私の顔を見て、何度か瞬きをして、しばらく沈黙が落ちる。
「ヒュー、と。呼んでいるのか?」
「はい。初対面のときにそう呼んでくれと」
レオンってば、急に不機嫌になったな。
……あ。龍族にとっては、あだ名で呼ぶことは――人間が思うそれよりもずっと深い意味を持つんだったか。相手が相手なだけにうっかりしていた。ヒューがヒューだからいけない。ヴィルさんは一応人前では呼ばないようにしているけど、ヒューはヒューだし。
なんて理屈、レオンには通じないか。我ながら理由にもなってないし。
「貴様、ヒューバートとはどのような関係だ?」
……剣呑な声だ。私とヒューが仲良しだとなにか不都合が……? ないか。単に、怪しんでるだけだろう。何をだ。
「研究の……協力者? ですかね」
「そうか」
ちゃんと事実を伝えたのに、すごく怪しまれている。まあ、龍族が初対面であだ名呼びを求めるなんて普通あり得ないからね。そのあり得ないを当然のように行うどっかの魔力狂いは本当どうにかして。
引きつった笑みを浮かべる私を見て、レオンは重い溜め息を吐いた。
「あの、何か問題でも……?」
「いや、イヴリンは人間だからな、問題はない」
「問題ないって顔してませんけど」
「問題はない」
「いやでも」
「も、ん、だ、い、な、い」
……こいつ、このまま押し切るつもりだ。不機嫌そうな面のまま、レオンはむっつりと黙り込んでしまう。
少し考えて、まあいいやと首を横に振り、話題を元に戻すことにした。そこまで気にもならないし。
「原因の方はおおよそはっきりしましたよ。あとは、どう解決するのかってところを考えているところです」
「……はやいな」
ちょっと呆気にとられたような声に、苦笑する。私だって無為に二百年過ごしてた訳じゃないから。いや、割と無為だったかもしれないけど、自分の身体のことくらいはなんとなく分かるし……。
ヒューも一日ですごく頑張ってたけど、私の情報のおかげだと思う。
「なので、まあ……心配なさらなくとも、結構進んでいますよ」
私が魔力の放出方法を思いついたら、なんだけど。口に出すといよいよ現実味を増してきた。わたしが死なない未来ってやつが、すぐそこにある気がしてならない。
「そうか」
レオンの返事は端的で、しかし内心がよく伝わってくる声だった。喜ばしいと。いいことだと。そう思っているのを隠しもしない、優しい声だ。ああ、優しいなぁ。幸せだなぁ。
「好きだなぁ」
――あ。
「は?」
「あっ!」
なかなかにえげつない口の滑り方をしてしまった。口を押さえ、取り繕うために笑顔を作り、さっと彼から距離を取る。
レオンの顔は見られなかった。無理。これは無理。
「すみません急用を思い出しました帰りますそれじゃ!」
そのまま踵を返し、部屋まで走り帰った。
「――祈り、か」
後ろで彼が呟いた言葉なんて、聞かないことにして。
――やってしまった。
「……もう駄目だ。おしまいだ」
頭を抱え、ソファーの上に崩れ落ちる。少し汗をかいていた。ああほら、走って部屋まで来たから……。もうやだ。自分の口が謀反を起こしてきたという事実に今は向き合いたくない。やだ……本当にやだ……。私は一体何をやってるんだこの馬鹿。
「……何やってんだ、イヴ」
「レオンに好きだって言ってしまいました」
うっわぁ……、みたいな顔をしたヴィルさんは、それでも何も言わなかった。なんか言って。慰めて。ところでいつの間に部屋の中にいたの、気配感じなかったんだけど。
重い重い溜め息を吐き、ちょっとだけ身体を起こす。軋むような頭痛が襲ってきた。
「どうしたらいいんでしょう」
「てめぇはどうしたいんだよ」
どうもしたくないんですけど。強いて言うなら忘れてほしい。無理かな。無理だ……。意外といい感じの関係を紡げていたのが全部崩れてしまっ――いやそれでいいんじゃないかな。
「このままでいい気がしてきました」
「おう、急に立ち直ったな。情緒不安定かよ」
自分のことを好きだなんてほざく人間にレオンが関わってくるはずがない。だったら、私は予定通りに短命をどうにかすることを考えればいいのだろう。レオンが関わってこないなら、それで好都合だし。
ああでも、ちょっと。ちょっとだけ……寂しいかな。まあこれが正しい在り方なんだけど。
まあいいや。そう思考を切り替え、ついでに話題も切り替える。
「ヴィルさん、私が村に帰るのは反対ですよね」
唐突な言葉にヴィルさんは少し顔を歪めたが、すぐに真剣な目をして返す。
「全力で引き止める」
「大人げないことを真面目な顔して言うところ、好きですよ」
冗談めかして笑い、少しだけ考える。
ヴィルさんに対して言う『好き』はこんなに簡単なのになぁ。なんでレオンにだけはこうなんだろう。想いの質の違い? 感情の大きさではなく、質の違いで変わるのかな。
「帰る気なんだな」
「少なくとも一回は、帰らなきゃいけないんですよ」
シスターにただいまって言って。皆に心配かけてごめんね、と。迷惑をかけてきたことのお詫びをして。お金とか物とかでどうにか、恩返しをしたら。
それで、終わりにしよう。亡霊のように生きてきた『イヴリン』を、最後に。
「……でも、全部終わったら、一緒に」
都合がいいことを言っている、なんて自覚はある。でも、ヴィルさんが私を家族と呼んでくれるなら。私は。
「私と一緒に」
家族として暮らしませんか。
なーんて。その先は、言葉にできなかった。ヴィルさんが、私の口を手のひらで覆っていたから。目を見開く。ヴィルさんは、いつもみたいに燃え盛る炎を瞳に宿し――嗤っていた。
「なあ、俺のアナ」
今はイヴリンなんですけど……。抗議の声も口にできない。ただ、顔にひどく熱い手のひらの感触を感じながら、何か選択肢を間違えたんじゃないかってことだけを理解した。
「ド阿呆で。間抜けで、身の程知らずで気狂いの、……可愛い可愛い俺のアナ」
あーこれは駄目なやつですわ。途方もない熱料を押し込んだような声に、覆われた口元を引きつらせる。なんだこのどろっどろな声。怖っ。
口を覆う手のひらを退かそうと格闘しているが、龍族の力に人間が敵うはずがない。息ができない訳でもないのにこの怪力ですよ。龍族ってすごい。
「……その先は、まだ言うな」
懇願でもするような声だった。はぁ、と溜め息を吐いて、……手を押し退けることを止めにする。手に息吐きかけてごめん。
「まだ、何も終わってねぇんだから」
ちゃんと終わらせてから言え、と。そういうことか。納得して、ちょっと笑う。ヴィルさんがこんな強引な手段をとってまで、そんな程度のことを言うなんて思わなかったけども。
「ヴィルさん」
手が離される。私のものよりもずっと大きくて厚い手のひらをぎゅっと握り締め、目を細めた。
「私がお婆ちゃんになっても、あなたの家族と呼んでくれますか」
ヴィルさんは、片眉を上げて笑う。当然だろ、と。その唇が動いたのを見て、私も笑った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます